上 下
7 / 36

第7話

しおりを挟む
 和音が煙草を一本灰にし、エセルのセットしたコーヒーが沸いた頃、第三SIT室にやってきたのは春野本部長と丘島西署長に水山北署長、それにスーツ姿の男が二人だった。
 簡素な応接セットに腰掛けた五名に、まずはエセルが春野本部長直々にブレンドしたコーヒーを出す。自分たちはマグカップを片手にデスク付属の椅子をガラガラと引いてきて座った。

「いや、悪いね、休日出勤させて」

 にこやかな本部長に和音は、今度はどんな無理難題を押しつけられるのかと身構える。本部長と同じくらいの歳のスーツ姿二人は部外者だが何処か自分たちと同じ官品臭がしていたからだ。前回は麻薬関係の案件で厚生労働省の役人だったが、この二人は何者か推測できない。
 だが何処に所属していようと上級幹部であるのは確実で重大案件を予感させた。

 本部長を見据えた和音はいつもと変わらないラフな口調で訊く。

「別に休日出勤は構わねぇが、もしかしたら話の内容には構うかも知れねぇな」

 あまりにぞんざいな和音に二名の署長が慌てた。けれど春野警視監はにこやかなままだ。

「まあ、そう尖らずに話だけでも聞いてくれたまえ」
「聞いたが最後、特命だろうが」
長瀬ながせ組がアジアのある地域からの密入国を手引きしているらしいのだ」

 問答無用で本部長は一息に言うと笑みを収め、和音とエセルを交互に見て頷いた。長瀬組は水山北署管内に本拠地を置く暴力団で、小さいながらも武闘派として鳴らしている。
 そこでスーツの男が本部長のあとを引き取って話し始めた。

「それも単に密入国者から手数料をせしめているだけではない、武器弾薬の密輸を同時に行っていると我々は睨んでいる。既にかなりの量のハンドガンや弾薬が流入した形跡がある」
「それらの密輸品は既に全国に売り捌かれているとみられる」

 自己紹介もなしで喋ったスーツ二人は入国管理局の役人らしい。さしずめ入国管理局の官房審議官と調査部門長か、その周辺人物だろうと和音は思った。

 丘島西署長が和音とエセルを見て重々しく口を開く。

「我が管内の海で四人の身元不明死体が上がったのは知っているかね?」

 昨日のことを思い出し和音とエセルは頷いた。丘島西署長は憂鬱そうな顔つきだ。

「身元不明死体は長瀬組の密輸に関わった密入国者だと思われる」
「密輸をさせておいて秘密を知った奴を長瀬組が消してる、そういうことでいいんだな?」

 訊いた和音に頷いたのは水山北署長である。

「我々はそうみているが、まだ全ては推測に過ぎない。だがおそらく船便での密入国幇助及び密輸で間違いないだろう。始まってから既に時間が経過し、状況は悪化の一途を辿っている」

 それから二人の署長が厳しい目つきをして、日本国内で食い詰めた密入国者による強盗事件や、銃を使用した特筆すべき凶悪犯罪の数々を羅列した。

 一区切りついたところで春野本部長がおもむろに切り出す。

「そこで立花和音巡査部長とエセル=ユージンくんに特命を下す。長瀬組に潜入して事実関係を確認し、今後の密入国幇助及び武器弾薬の密輸阻止に従事せよ」
「ちょっと待て、俺とエセルが長瀬組と敵対する夏木組に潜入してから二ヶ月と経ってねぇんだぞ! 面が割れてる可能性が高いだろうが!」

「幸いきみたちのお蔭で夏木組は組長を逮捕され、跡目争いで現在分裂中だ。中には長瀬組に吸収された者も多く、そのために長瀬組は破竹の勢いとなりつつある」
「だからって俺たちは幹部クラスだったんだぞ?」

「幹部クラスだからこそ、歓迎もされるだろう」
「そいつはどうかと思うぜ。特にエセルは夏木組長のガードとして、長瀬組のチンピラを束で殺っちまってる。潜入、即、海に浮かべられるのがオチじゃねぇのか?」

 コーヒーをひとくち飲むと本部長は指を一本立てて横に振って見せた。

「心配は要らん。長瀬組の下部組織である浜口はまぐち会に潜入中のエージェントが根回しをしている上に、『伝説の金髪ヒットマン』は長瀬組に於いても受けがいいそうだ」
「受けがいいって……マジかよ?」

 それだけで『心配要らん』という本部長の思考回路こそ和音は心配になる。残りの四人までもが大真面目に頷くのを見て呆れると共に、本当に和音は警察を辞めたくなった。
 だがこれだけは譲れないと思い、和音は本部長以下五名を順に見据える。

「俺は潜入してもいい。けどエセルはだめだ、危険すぎる」
「なっ、アナタ何言ってるのサ! 和音だって夏木の若頭補佐だったんだよ、危険なのは一緒じゃない! アナタ独りでそんなこと、させられないからね!」

「一週間しか潜入してなかった俺と、数ヶ月単位で潜入してたお前とは危険度が違うだろ」
「僕だってまともに僕の顔を見た敵は全て殺ってるし、逆にアナタも面が割れてれば立場は殆ど変わらないよ。それを踏まえてエージェントは足場を固めてる筈だし」

「でも、だめだ。またお前が夏木組で遭ったような目に……んな真似させられるとでも思ってるのか?」

 潜入中のエセルは夏木組組長のガードであり愛人のような扱いだった。いや、愛人というよりオモチャだ。麻薬を与えられ、際限なく躰を弄ばれたのである。そんなことは二度とさせられない。和音はアメジストの瞳を切れ長の目で見つめ、無言でそう訴えた。
 しかしエセルは和音からあっさり目を逸し、春野本部長に宣言してしまう。

「了解しました。特命を拝命致します」
「エセル、お前!」
「そんな大声出さなくても。大丈夫、長瀬組の組長くらい僕が堕としてみせるから」
「何が大丈夫なんだよ、そいつは俺が……チクショウ!」

 自らの躰を上司に抱かせることで『夢の国』である日本での任務をもぎ取ったというエセルは、その辺りが多少麻痺しているのは和音も承知していた。だが自分を前にそこまで言い放つのは、もう何処かが壊れているとしか思えない。

 そんなエセルの精神を構成してしまった過去の哀しさと、自分だけに繋ぎ止めておけない悔しさが一度に押し寄せてきて、和音は言葉を失くし束の間黙り込む。
 けれどエセルが特命を受けるなら自分も受けるしかない。

「……分かった、拝命する」
「そうか、成果を期待している。現在浜口会に潜入しているエージェントが午後には顔を出す予定だ。詳細を彼から聞いて可及的速やかに長瀬組に潜入してくれたまえ。以上だ」

 それだけ春野本部長が言うと五人はコーヒーを飲み干して出て行った。
 ドアが閉まるなり和音は泣きたいような思いでエセルの華奢な身を抱き締める。

「どうしてそこまでして特命なんか受けるんだよ?」
「だって日本国籍は取得したけど、警察官のアナタと一緒にいられてバディまで組める職場なんて他には絶対見つからないよ。外国人の僕には就職も厳しいの、知ってるでしょ」

「お前一人くらい、俺が食わせてやるぞ?」
「そんな問題じゃないの。僕は何処までも和音と一緒にいるって決めたんだから」

 その『一緒にいる』ための方法が本末転倒だというのを、これまで身ひとつで渡り合い生きてきたエセルにどうやって説けば分かって貰えるのかが解らず、和音は満身の想いを込めて抱き締めることしかできなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

幻想プラシーボの治療〜坊主頭の奇妙な校則〜

蜂峰 文助
キャラ文芸
〈髪型を選ぶ権利を自由と言うのなら、選ぶことのできない人間は不自由だとでも言うのかしら? だとしたら、それは不平等じゃないですか、世界は平等であるべきなんです〉  薄池高校には、奇妙な校則があった。  それは『当校に関わる者は、一人の例外なく坊主頭にすべし』というものだ。  不思議なことに薄池高校では、この奇妙な校則に、生徒たちどころか、教師たち、事務員の人間までもが大人しく従っているのだ。  坊主頭の人間ばかりの校内は異様な雰囲気に包まれている。  その要因は……【幻想プラシーボ】という病によるものだ。 【幻想プラシーボ】――――人間の思い込みを、現実にしてしまう病。  病である以上、治療しなくてはならない。 『幻想現象対策部隊』に所属している、白宮 龍正《しろみや りゅうせい》 は、その病を治療するべく、薄池高校へ潜入捜査をすることとなる。  転校生――喜田 博利《きた ひろとし》。  不登校生――赤神 円《あかがみ まどか》。  相棒――木ノ下 凛子《きのした りんこ》達と共に、問題解決へ向けてスタートを切る。 ①『幻想プラシーボ』の感染源を見つけだすこと。 ②『幻想プラシーボ』が発動した理由を把握すること。 ③その理由を○○すること。  以上③ステップが、問題解決への道筋だ。  立ちはだかる困難に立ち向かいながら、白宮龍正たちは、感染源である人物に辿り着き、治療を果たすことができるのだろうか?  そしてその背後には、強大な組織の影が……。  現代オカルトファンタジーな物語! いざ開幕!!

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

千里香の護身符〜わたしの夫は土地神様〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
キャラ文芸
ある日、多田羅町から土地神が消えた。 天候不良、自然災害の度重なる発生により作物に影響が出始めた。人口の流出も止まらない。 日照不足は死活問題である。 賢木朱実《さかきあけみ》は神社を営む賢木柊二《さかきしゅうじ》の一人娘だ。幼い頃に母を病死で亡くした。母の遺志を継ぐように、町のためにと巫女として神社で働きながらこの土地の繁栄を願ってきた。 ときどき隣町の神社に舞を奉納するほど、朱実の舞は評判が良かった。 ある日、隣町の神事で舞を奉納したその帰り道。日暮れも迫ったその時刻に、ストーカーに襲われた。 命の危険を感じた朱実は思わず神様に助けを求める。 まさか本当に神様が現れて、その危機から救ってくれるなんて。そしてそのまま神様の住処でおもてなしを受けるなんて思いもしなかった。 長らく不在にしていた土地神が、多田羅町にやってきた。それが朱実を助けた泰然《たいぜん》と名乗る神であり、朱実に求婚をした超本人。 父と母のとの間に起きた事件。 神がいなくなった理由。 「誰か本当のことを教えて!」 神社の存続と五穀豊穣を願う物語。 ☆表紙は、なかむ楽様に依頼して描いていただきました。 ※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。

処理中です...