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欲しくなくなれ!
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幸せだった子供の話をしようか。
幼稚園の頃、終業時には俺と血縁関係がない(と思われる)老齢の女性がいつも俺を迎えに来ていた。その足で直近の駅に向かう。すんなり乗るのは普通電車。行きは俺も大人しくしていた。余所のおばさんに迷惑を掛けるのは良くないと考えるくらいの知恵は身に付いていた。
おばさんは俺の母親と同じ会社に勤めている人だった。別に母が役員で偉いとかじゃないのに、同じ会社員である赤の他人のおばさんが迎えに来ていたのは今以って謎なのだが、俺自身も保険業に関わるバイトをしたことがあるので、今なら何となく想像がつく。
生命保険といっても二、三十年も前に『生損保参入』といって生命保険屋で損害保険を売ることができ、逆も然りとなったので、現在に至っては存在するのか分からんが、俺の母はいわゆる『億プレーヤー』だったのだと思う。毎月の保険売り上げの保険金総額が億単位を超える、保険屋になるために(?)生まれてきたようなセールスレディ。
その母に「おばさん」は雇われて毎日、俺を迎えに来ていたのだ。
俺は当時にしては大きなビルの中で大人の邪魔にならないよう、ひっそり独り遊びをして、決まった時間のチャイムが全館放送されると母のいるフロアに行く。そこからは逆順で、でも今度は母と一緒に足取りも軽く駅まで行き、また普通電車に乗る。
ここで俺は指折り数えて降りるべき駅までの間にある十箇所ばかりの駅名を母親に聴かせるのが日課だった。幸い俺は幼稚園前にはひらがなとカタカナ、それに簡単な漢字なら読めるようになっていた。
自慢げに次の駅名を告げる俺を母親はどう思っていたのだろうな。
成長を喜んでくれていた?
それとも……働き疲れているのに頷くまで駅名を繰り返すガキは鬱陶しかった?
一日だけ母親が電車に揺られて居眠りしてしまったことがある。
その日ばかりは俺も駅名を口にせず黙っていた。
刻一刻と目的地が近づく焦りと裏腹にギリギリまで疲れた母を眠らせておいてあげたくて、でも降りなきゃならない駅で停まる寸前になって母を起こしたが、なかなか起きてくれず、やっと起きたのは一駅乗り越してから。
こっぴどく怒られたのは理不尽な気もしたが、知らない駅で俺はちょっとした冒険気分だった。
それから幾らも経たず両親は離婚した。
俺には二歳上の姉がいるが、姉はどうあれ俺だけは母が一緒につれて行ってくれるものだと信じて疑わなかった。それこそ毎日会社にまで呼び寄せ、一緒に電車に乗って……ここまで好かれているんだからと思ったのだ。だが、そうはならなかった。
まあ、父親には悪いが新しいパートナーと再出発する若い母がコブ付きはリスクが高く、仕方がなかったのだろう。
色々と残念野郎な俺は人の顔を上手く認識できない。殆ど覚えていられない。だから六歳で別れて写真の一枚もなく、旧姓もあやふやな『母親』だった女性に会えたとしてもピンとこないと思われる。
だけど、あの頃の窓の開く電車で「次の駅名」をそらんじる俺に笑ってくれた、褒めてくれた、
《通常の母親という存在が醸す、柔らかくも優しく穏やかなイメージ》
を、未だに覚えている。窓から見えたコンビナートも畑一面に咲いた菜の花も。
あれが俺の原風景だと思っていたくらい、のどかで明るく綺麗で不安もなかった。
一緒に歩く道端の花や雑草だって全部、名前が言えた。俺は言葉も文字も覚えるのが早い方だったので、母自身が俺に児童書から百科事典まで買い与えてくれて、俺はそれを読み耽っていたからだ。その数、一気に200冊。
嬉しいなんてもんじゃなかった。
同じく起こせず一駅乗り越してしまって浴びた罵倒も忘れられないけれど。
すまないが、ここからは幸せじゃなくなった子供の話になる。
人は人だから。
「お母さん」や「お父さん」たちも「母親や父親」である前に人だから。
子供も子供。未熟で「完全でない父や母」だの「常軌を逸した父や母」でも縋ってぶら下がって生きているしかない時期がある。異常なことだと知りつつ「狂気めいた親の命令」で子供も異常行動を取らされ心が、本当に脳が、完治不能なまでに傷付く。
そんな子供だった大人がここにも一人いる。
今この瞬間にも数えきれないほどいるだろう。腹が減って、殴られ蹴られて痛くて、もっともっと、もっと切なくも命すら危うい子供たちがいるだろう。
でも、どんなことがあっても、何とか、何とか生き抜いて欲しいんだ、頼むから。サヴァイヴすれば大人になって、美味しいものも食べられる。好きな人も出来る。泣いたり笑ったりも自分の意志で出来る、作り物の映画なんか観てさ。
大人になったら、そういうことはチョロいんだぞってな。
頑張って大人になってくれと叫びたい。勿論、行動可能ならためらわず行動して欲しい。耐えている子、ひとりひとりを抱き締めて「大人になったら素敵なことが沢山待っているんだぞ」と教えてやりたい。
想像力のない奴らにすり潰されるな。
どれだけみっともなくてもいいから生き残ってくれ。
タイムマシンがあったなら、
そんな子供たちをくまなく訪ね終えたら、
最後にガキの頃の自分の許にも行って、あのあと闇の檻に囚われた俺自身にも砂粒より小さくていいから希望の光を与えてやるのもいい。
のどかで明るかった原風景が描き替えられてしまう前に間に合えば。
一生かけても治らないほど潰され壊されてしまう前に間に合えば。
みんな、みんな、間に合えばいいのになあ――。
って、ちょっと待てよ。ここまでビタイチ笑いが無いじゃないか。
希望の光を配りたいなら率先して光になるべきなのに!
愉しく笑える大人を示すべきなのに!
タイムマシンはいつ降ってくるか分からないんだ、心構えが大切なのだ。
笑顔が肝心、そうだろ?
じゃあ……そうだな、
くコ:彡 イカ C:ミ タコ °。。<゜)))彡サカナ ~~(~は泳ぎを表し、糞に非ず)
笑える大人じゃなくて嗤われる大人かも知れない。ごめんよ。
了
幼稚園の頃、終業時には俺と血縁関係がない(と思われる)老齢の女性がいつも俺を迎えに来ていた。その足で直近の駅に向かう。すんなり乗るのは普通電車。行きは俺も大人しくしていた。余所のおばさんに迷惑を掛けるのは良くないと考えるくらいの知恵は身に付いていた。
おばさんは俺の母親と同じ会社に勤めている人だった。別に母が役員で偉いとかじゃないのに、同じ会社員である赤の他人のおばさんが迎えに来ていたのは今以って謎なのだが、俺自身も保険業に関わるバイトをしたことがあるので、今なら何となく想像がつく。
生命保険といっても二、三十年も前に『生損保参入』といって生命保険屋で損害保険を売ることができ、逆も然りとなったので、現在に至っては存在するのか分からんが、俺の母はいわゆる『億プレーヤー』だったのだと思う。毎月の保険売り上げの保険金総額が億単位を超える、保険屋になるために(?)生まれてきたようなセールスレディ。
その母に「おばさん」は雇われて毎日、俺を迎えに来ていたのだ。
俺は当時にしては大きなビルの中で大人の邪魔にならないよう、ひっそり独り遊びをして、決まった時間のチャイムが全館放送されると母のいるフロアに行く。そこからは逆順で、でも今度は母と一緒に足取りも軽く駅まで行き、また普通電車に乗る。
ここで俺は指折り数えて降りるべき駅までの間にある十箇所ばかりの駅名を母親に聴かせるのが日課だった。幸い俺は幼稚園前にはひらがなとカタカナ、それに簡単な漢字なら読めるようになっていた。
自慢げに次の駅名を告げる俺を母親はどう思っていたのだろうな。
成長を喜んでくれていた?
それとも……働き疲れているのに頷くまで駅名を繰り返すガキは鬱陶しかった?
一日だけ母親が電車に揺られて居眠りしてしまったことがある。
その日ばかりは俺も駅名を口にせず黙っていた。
刻一刻と目的地が近づく焦りと裏腹にギリギリまで疲れた母を眠らせておいてあげたくて、でも降りなきゃならない駅で停まる寸前になって母を起こしたが、なかなか起きてくれず、やっと起きたのは一駅乗り越してから。
こっぴどく怒られたのは理不尽な気もしたが、知らない駅で俺はちょっとした冒険気分だった。
それから幾らも経たず両親は離婚した。
俺には二歳上の姉がいるが、姉はどうあれ俺だけは母が一緒につれて行ってくれるものだと信じて疑わなかった。それこそ毎日会社にまで呼び寄せ、一緒に電車に乗って……ここまで好かれているんだからと思ったのだ。だが、そうはならなかった。
まあ、父親には悪いが新しいパートナーと再出発する若い母がコブ付きはリスクが高く、仕方がなかったのだろう。
色々と残念野郎な俺は人の顔を上手く認識できない。殆ど覚えていられない。だから六歳で別れて写真の一枚もなく、旧姓もあやふやな『母親』だった女性に会えたとしてもピンとこないと思われる。
だけど、あの頃の窓の開く電車で「次の駅名」をそらんじる俺に笑ってくれた、褒めてくれた、
《通常の母親という存在が醸す、柔らかくも優しく穏やかなイメージ》
を、未だに覚えている。窓から見えたコンビナートも畑一面に咲いた菜の花も。
あれが俺の原風景だと思っていたくらい、のどかで明るく綺麗で不安もなかった。
一緒に歩く道端の花や雑草だって全部、名前が言えた。俺は言葉も文字も覚えるのが早い方だったので、母自身が俺に児童書から百科事典まで買い与えてくれて、俺はそれを読み耽っていたからだ。その数、一気に200冊。
嬉しいなんてもんじゃなかった。
同じく起こせず一駅乗り越してしまって浴びた罵倒も忘れられないけれど。
すまないが、ここからは幸せじゃなくなった子供の話になる。
人は人だから。
「お母さん」や「お父さん」たちも「母親や父親」である前に人だから。
子供も子供。未熟で「完全でない父や母」だの「常軌を逸した父や母」でも縋ってぶら下がって生きているしかない時期がある。異常なことだと知りつつ「狂気めいた親の命令」で子供も異常行動を取らされ心が、本当に脳が、完治不能なまでに傷付く。
そんな子供だった大人がここにも一人いる。
今この瞬間にも数えきれないほどいるだろう。腹が減って、殴られ蹴られて痛くて、もっともっと、もっと切なくも命すら危うい子供たちがいるだろう。
でも、どんなことがあっても、何とか、何とか生き抜いて欲しいんだ、頼むから。サヴァイヴすれば大人になって、美味しいものも食べられる。好きな人も出来る。泣いたり笑ったりも自分の意志で出来る、作り物の映画なんか観てさ。
大人になったら、そういうことはチョロいんだぞってな。
頑張って大人になってくれと叫びたい。勿論、行動可能ならためらわず行動して欲しい。耐えている子、ひとりひとりを抱き締めて「大人になったら素敵なことが沢山待っているんだぞ」と教えてやりたい。
想像力のない奴らにすり潰されるな。
どれだけみっともなくてもいいから生き残ってくれ。
タイムマシンがあったなら、
そんな子供たちをくまなく訪ね終えたら、
最後にガキの頃の自分の許にも行って、あのあと闇の檻に囚われた俺自身にも砂粒より小さくていいから希望の光を与えてやるのもいい。
のどかで明るかった原風景が描き替えられてしまう前に間に合えば。
一生かけても治らないほど潰され壊されてしまう前に間に合えば。
みんな、みんな、間に合えばいいのになあ――。
って、ちょっと待てよ。ここまでビタイチ笑いが無いじゃないか。
希望の光を配りたいなら率先して光になるべきなのに!
愉しく笑える大人を示すべきなのに!
タイムマシンはいつ降ってくるか分からないんだ、心構えが大切なのだ。
笑顔が肝心、そうだろ?
じゃあ……そうだな、
くコ:彡 イカ C:ミ タコ °。。<゜)))彡サカナ ~~(~は泳ぎを表し、糞に非ず)
笑える大人じゃなくて嗤われる大人かも知れない。ごめんよ。
了
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