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第31話

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 秋姫=京哉の寝所とやらの近くに潜むのは造作もなかった。渡された地図通りに外廊下沿いに歩き、一番寝所に近い蔀戸を確認してそれが見える庭の大木の影に隠れただけだ。

 いつでも男を追って動きやすいよう衣服は元のスーツにトレンチコートである。

 だが霧島の主目的は逢瀬の覗き見ではなく京哉だ。亥の刻、つまり二十一時頃から張り込みを開始し、暫し様子を窺うと図面にあった塗籠に近いと思しき壁に近づく。
 携帯の直接通信機能として残された唯一の手段である赤外線通信モードにして、今この時、京哉も自分と同じように互いに繋がろうとしているのだと信じ、合図を送り始めた。

 京哉が携帯を失くしていたり、もし持っていたとして電源が入っていなければ無駄でしかない。幾度も角度を変えて単純な画像一枚を送り続けたが、遠くまで届くものでもなく画像を京哉の携帯が拾うと考える方が奇跡を起こすような行為だった。

 ただ、京哉がこの同じ空気を吸っていると思うだけで霧島の力となり、通信が届かなければ忍び込んででも会うと決めていた。三の姫の男も忍び込んだのだ、霧島にできないことはあるまい。構造は把握しているが、邪魔が入れば力ずくでも京哉をこの腕に抱く。

 だが京哉自身が霧島への怒りをまだ溶かしていなかったら……?

 合図を送り始めて始めて約三十分が経過したが反応はない。携帯のバッテリ残量を考えたら今日の通信はそろそろ限界かと諦めかけて、まとわりつく不安に取るべき次の手段も考えあぐねたその時だった。
 巡る外廊下の簀の子の縁を密やかに歩いてきた人物が建物の角から姿を現す。月明りで着物姿がシルエットになった。

 霧島はその着物姿のシルエットを目に映した途端、弾かれたように柵を跳び越えて侵入する。足より長い袴姿で外に降りられない京哉を抱いて、また柵を飛び降りた。そのまま滑るように大木の影に戻ると言葉より先に唇を奪う。

 舌先で歯列をこじ開け、舌を捉えて思い切り吸い上げた。
 口中の届く限りを舐め回し、歯の裏まで探って再び舌を吸い上げる。何度も唾液を要求しては飲み干した。

「んんっ……ん、んぅ……はあっ、忍さん!」
「京哉……私の京哉!」
「だめ、やめて……忍さん、だめ……ストーップ!」

 危うく京哉は上から羽織った着物を脱がされ長い袴の紐を解かれる寸前で、その気になった霧島の魔の手から逃れた。とはいえ、まだ横抱きにされたままである。

「忍さん、貴方はこれを脱がせて元通りに復元する自信はあるんですか?」
「あ、いや……というよりも、お前は何故そんな格好をしている?」
「だって、ここに放り出されて困ってたら秋姫のお義母さんに拾われたんですもん。食わせてやる代わりに言うことを聞け、そうでなければ夜盗として検非違使に引き渡すって」
「なるほど、脅されて昼間は私を無視したということか」

 腕の中で京哉は頷いた。月光を映し込んだ瞳が潤んでいる。何も知らず異世界に放り込まれ、どれだけ心細かったことか。
 そんな中で髪を染められ女装をしてまで生き抜こうとした京哉はおそらく希望を捨てていなかったのだ。ここにきて霧島は深く頭を下げた。

「すまん、本当にすまん、京哉」
「僕もマリカの前で意地を張って嫌味の応酬をしてしまって……すみませんでした」
「お前は悪くない、全ては私が至らなかったせいだ。すまない」

 心の底から謝ると、霧島は愛しくて堪らない存在を抱いた腕に力を込めた。

「ところで忍さんは迎えに来てくれたんですよね。ありがとうございます」
「礼を言われることではない、私は自分の妻を迎えに来ただけだからな」
「そっか。ものすごく嬉しいかも」

 再び二人は濃厚に口づけ合う。息が上がるほど求め合ったのちに霧島は告げた。

「ところで京哉お前、国連の特例案件に懸けられているぞ」
「えっ、また国連? それっていったい何ですか?」

 ここまでの経過を霧島は簡潔に説明する。聞き終えた京哉は首を傾げた。

「何でそれで特例案件が成立するんでしょうか?」
「だからお前の十一人の子供が宗教を興してだな……もう一度説明するか?」
「そうじゃなくて忍さん、まさか気付いてないんですか。僕ら帰れないんですよ?」
「帰れるか否かは分からんぞ、時空警察が総力を挙げて云々とか言っていたからな。頼りになりそうな奴らではないが、まぐれで我々を見つけるかも知れん」

「じゃあ貴方は帰れないかも知れないの分かってて、それでもいいと思って……?」
「私にとっていつ何処で生きるかなど既に問題ではない。鳴海京哉という男と共に生きることに意味があり意義がある。お前と一緒の人生以外に一片の価値も見出せないのだ」

 それを聞いた京哉は月明かりの下、愛しげなまなざしで霧島を見る。

「僕だって忍さん以外の誰も要らない、欲しくないんだから、信じて下さいね」
「分かっている。だが私は何処までも嫉妬するぞ。お前だってそうだろう?」
「だって貴方は自覚のないタラシなんですもん」
「何だ、タラシなどと不名誉な言いがかりはやめて貰おう。とにかく私にはお前しか見えていないんだ。お前だけなのだからな、時空の彼方まで私に追わせた人間は」
「ほらね、そんな目をしてこれだから僕は心配で……」
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