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第28話
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京哉はちゃんと眠れて食事も摂れているのか。捜し出すまで無事で……などとまた考えてしまいながらも旺盛な食欲を発揮しつつ女房たちからこの屋敷内の話を聞く。
「ほう、有子の親父さんは、今の嫁さんで三人目か」
おかわりを盛った椀を霧島に差し出しながら女房の一人が答えた。
「ええ。最初の北の方は大姫と二の姫様を産まれて一年後にお隠れになりましたの」
「それで二人目も三の姫を産んですぐに死んだ、と」
揃って頷いた女房たちの語気が急に荒くなる。
「今の三人目は三の姫の乳母でしたの。それがいきなりの玉の輿ですのよ!」
「そうそう、何処の馬の骨とも知れぬ雇われ乳母が成り上がって!」
「あたしたちを差し置いて、あんな女に旦那様が手をお付けになるなんて!」
「きっと旦那様をたぶらかしたのですわ!」
仮にも主筋の嫁に対して大した言い種である。
「ずっと鼻高々の大いばりなんですの。あんな北の方に仕えるのがほとほと嫌で」
「だからわたくしたちは二の姫様に召し上げて頂いたのですわ」
放っておくといつまでも続きそうな女房たちの愚痴を霧島は遮った。
「その北の方とやらが有子に毒を盛ったというのは、確実なのか?」
「間違いありませんとも。貴族中の貴族である証し、たぐいまれなる銀の御髪を持った有子様を差し置いて、ご自分の育てた三の姫を東宮妃に召し上げようと画策しているのです」
「所詮うちの姫様も決して国母には立てない血筋なのに、乳母が出しゃばるなんて」
「浅はかにも夢見て、野望に燃えていらっしゃるのよ」
生まれつき銀髪の有子には、かなり幼い頃から内裏に上がる話が持ち上がっていたという。それはこの大江家にとって決定事項で、もし有子が亡き者になれば代わりに三の姫が内裏行きになるのが流れとして当然らしい。それを狙っての義母の犯行という訳だ。
「三日三晩、お苦しみになったこともあるんですのよ」
「助かられたのは奇跡だと薬師にも言われて」
「ふむ。だが本人はもう大人なのだろう、何故さっさと有子は内裏に上がらない?」
ここで女房たちは皆、ほとほと参ったとでも言うように揃って溜息をついた。
「二の姫様は入内話が盛り上がるたびに、大騒動を起こされるのですもの」
「市場から男をつれてきたり、夜盗を捕まえたり……眩暈がいたしますわ」
すまし汁をごくごく飲みながら霧島は不思議に思う。
「それなら三の姫をとっとと内裏に上げればいいんじゃないのか?」
傍にいた女房がしゃもじを左右に振った。
「御存知でしょうけれど、大江氏は元々東宮様に女君を差し上げられるような上流貴族ではないのです。この出仕話は有子様の御髪があのようだからこそ湧いたもの」
「そう、有子様がいらっしゃるのに三の姫など内裏は欲しがりませんわ」
「でも、今度の入内もまた流れるかも知れませんわねえ」
「「「「はあ~っ!」」」」
その原因としてじっと見られ、居心地の悪さに霧島は残りの飯に逃避した。
膳を空にして食後の一服を味わいながら、霧島はもうややこしい自分の立ち位置を忘れて当然ながら京哉のことを考えていた。そろそろ出掛けて聞き込み開始だ。
煙草を消すと立ち上がった。まず人の集まる所として有子の言っていた市場を訪ねてみるつもりである。外に出れば誰かはいるだろう。あとは訊きさえすれば辿り着ける筈だ。
そう思い、御簾を除けようとしたところで有子とニアミスした。
「おはよう、霧島の宮様。何処にいらっしゃるのかしら?」
「表だ。市場に行ってくる」
「あら、だめよ」
「どうしてだめなんだ?」
「未の刻に賭弓があるの。家司見習いはそれに参加しなくちゃならないんだもの」
「賭弓、家司とは何なんだ?」
「賭弓は賞品を賭けて弓を射るお遊びのこと。家司は家を護るための事務全般を司る人のことよ。本当はもっと上流貴族の家にしかいないのだけれど、うちはほら、広くて特殊だから。って、ちょっと、宮様の眉間のシワ。そんなに嫌なの?」
「時間の無駄だ。大体、何で事務員の見習いが弓なんぞで遊ばなければならない?」
有子によると箝口令を敷いたにも関わらず、『西の対に新たな家司見習い現る』のニュースは既に大江家を駆け巡ったらしい。そこで何かにつけて有子に張り合ってくる三の姫の義母が言い出したのだ、『噂の男を見せてみろ』と。
つまりは賭弓に霧島を出場させて腕っぷしの弱さを暴露し恥をかかせ、西の対を、牽いては主の有子を馬鹿にしてやろうという義母の奸計らしかった。
「そんなものに出る訳ないだろう。私は遊んでいるヒマはないんだ、断ってくれ」
「そう言うと思ったわ。でもこのままじゃ噂が噂を呼んで宮様詐称もバレるわよ?」
最後だけは有子も小声で囁く。更に密やか且つシリアスに言ってのけた。
「宮様を騙って貴族を騙したとなれば河原で打ち首の上に晒し首にされちゃうから」
「だからって昨日も言ったが、大嘘をついたのは有子、あんたであって私ではない」
「けど本当に貴方、東宮様に似てるんだもの」
「それが私にどう関係する?」
「一度だけでも顔を見せて、興味を満たしてやればいいのよ」
「……なるほど」
有子の意見は尤もだった。それに有子の庇護下から抜けて新たな宿を探すのも面倒だ。この世界でのカネを持たない以上、京哉探しの拠点をみすみす失うのはマイナスだった。
仕方なく霧島は頷き、火桶の前に再び座って大欠伸をした。
◇◇◇◇
「私は武道をやるが、弓に限っては触ったこともないのだがな」
「別に勝てとは言わないわ。出場もせず逃げ出したとなれば、あとあと霧島の宮様、貴方自身がこの屋敷中の笑い者になって苦労するだけ。だから潔く負けてもいいの」
言われて霧島は自分の半分ほどの歳でそこまで考えるとは大したものだと素直に感心する。それも自分が主の西の対代表として霧島を出場させるのに、有子自身の名誉も恥も考慮していない。
つまり、あくまでこれは『お遊び』であり、プライドを懸けるようなイヴェントではないと分かっている訳だ。義母に馬鹿にされても『遊び』だから何の傷もつかないのだと。
義母とやらよりも、余程有子の方が大人のようである。
確かに自分は大人だと主張していただけのことはあった。そう考えながら欠伸を噛み殺した。あぐらをかいて座っているのは東北の対を取り囲む外廊下で簀の子の縁というらしいのだが、ここは風もなく午後の柔らかな日差しが当たって非常に暖かい。睡眠不足も手伝って欠伸を堪えるのも一苦労なのである。
眠気と戦うために話し相手になってくれている有子は、ここでは霧島の主人という立場だ。それに呼ばれてきた客の筈である。
だが座っているのは霧島と御簾一枚を隔てた内側の孫廂だ。
本来なら御簾内のリビングたる場所に席をしつらえられるのが普通で、最低でも三重になった一番内側の廊下である廂の間くらいには御座所が設けられるという。
つまり相当ないがしろにされているのだが本人はカラカラと笑って説明したのち、
「ここの方が賭弓も良く見えるから愉しいわ」
などと言っている。明らかな義母の有子に対する『貴女は格下』という意思表示であったが有子本人に笑って流されているようでは、さぞかし甲斐もないだろう。
そんなドロドロした駆け引きも薄まるほどに蒼穹は高く、色づいた木々の葉は鮮やかだ。
この東北の対は他の建物と造りは同じだが池はなく、植えられた木々は広葉樹が多い。
それらが赤や黄色に染まって今は秋だと主張している。
「ほう、有子の親父さんは、今の嫁さんで三人目か」
おかわりを盛った椀を霧島に差し出しながら女房の一人が答えた。
「ええ。最初の北の方は大姫と二の姫様を産まれて一年後にお隠れになりましたの」
「それで二人目も三の姫を産んですぐに死んだ、と」
揃って頷いた女房たちの語気が急に荒くなる。
「今の三人目は三の姫の乳母でしたの。それがいきなりの玉の輿ですのよ!」
「そうそう、何処の馬の骨とも知れぬ雇われ乳母が成り上がって!」
「あたしたちを差し置いて、あんな女に旦那様が手をお付けになるなんて!」
「きっと旦那様をたぶらかしたのですわ!」
仮にも主筋の嫁に対して大した言い種である。
「ずっと鼻高々の大いばりなんですの。あんな北の方に仕えるのがほとほと嫌で」
「だからわたくしたちは二の姫様に召し上げて頂いたのですわ」
放っておくといつまでも続きそうな女房たちの愚痴を霧島は遮った。
「その北の方とやらが有子に毒を盛ったというのは、確実なのか?」
「間違いありませんとも。貴族中の貴族である証し、たぐいまれなる銀の御髪を持った有子様を差し置いて、ご自分の育てた三の姫を東宮妃に召し上げようと画策しているのです」
「所詮うちの姫様も決して国母には立てない血筋なのに、乳母が出しゃばるなんて」
「浅はかにも夢見て、野望に燃えていらっしゃるのよ」
生まれつき銀髪の有子には、かなり幼い頃から内裏に上がる話が持ち上がっていたという。それはこの大江家にとって決定事項で、もし有子が亡き者になれば代わりに三の姫が内裏行きになるのが流れとして当然らしい。それを狙っての義母の犯行という訳だ。
「三日三晩、お苦しみになったこともあるんですのよ」
「助かられたのは奇跡だと薬師にも言われて」
「ふむ。だが本人はもう大人なのだろう、何故さっさと有子は内裏に上がらない?」
ここで女房たちは皆、ほとほと参ったとでも言うように揃って溜息をついた。
「二の姫様は入内話が盛り上がるたびに、大騒動を起こされるのですもの」
「市場から男をつれてきたり、夜盗を捕まえたり……眩暈がいたしますわ」
すまし汁をごくごく飲みながら霧島は不思議に思う。
「それなら三の姫をとっとと内裏に上げればいいんじゃないのか?」
傍にいた女房がしゃもじを左右に振った。
「御存知でしょうけれど、大江氏は元々東宮様に女君を差し上げられるような上流貴族ではないのです。この出仕話は有子様の御髪があのようだからこそ湧いたもの」
「そう、有子様がいらっしゃるのに三の姫など内裏は欲しがりませんわ」
「でも、今度の入内もまた流れるかも知れませんわねえ」
「「「「はあ~っ!」」」」
その原因としてじっと見られ、居心地の悪さに霧島は残りの飯に逃避した。
膳を空にして食後の一服を味わいながら、霧島はもうややこしい自分の立ち位置を忘れて当然ながら京哉のことを考えていた。そろそろ出掛けて聞き込み開始だ。
煙草を消すと立ち上がった。まず人の集まる所として有子の言っていた市場を訪ねてみるつもりである。外に出れば誰かはいるだろう。あとは訊きさえすれば辿り着ける筈だ。
そう思い、御簾を除けようとしたところで有子とニアミスした。
「おはよう、霧島の宮様。何処にいらっしゃるのかしら?」
「表だ。市場に行ってくる」
「あら、だめよ」
「どうしてだめなんだ?」
「未の刻に賭弓があるの。家司見習いはそれに参加しなくちゃならないんだもの」
「賭弓、家司とは何なんだ?」
「賭弓は賞品を賭けて弓を射るお遊びのこと。家司は家を護るための事務全般を司る人のことよ。本当はもっと上流貴族の家にしかいないのだけれど、うちはほら、広くて特殊だから。って、ちょっと、宮様の眉間のシワ。そんなに嫌なの?」
「時間の無駄だ。大体、何で事務員の見習いが弓なんぞで遊ばなければならない?」
有子によると箝口令を敷いたにも関わらず、『西の対に新たな家司見習い現る』のニュースは既に大江家を駆け巡ったらしい。そこで何かにつけて有子に張り合ってくる三の姫の義母が言い出したのだ、『噂の男を見せてみろ』と。
つまりは賭弓に霧島を出場させて腕っぷしの弱さを暴露し恥をかかせ、西の対を、牽いては主の有子を馬鹿にしてやろうという義母の奸計らしかった。
「そんなものに出る訳ないだろう。私は遊んでいるヒマはないんだ、断ってくれ」
「そう言うと思ったわ。でもこのままじゃ噂が噂を呼んで宮様詐称もバレるわよ?」
最後だけは有子も小声で囁く。更に密やか且つシリアスに言ってのけた。
「宮様を騙って貴族を騙したとなれば河原で打ち首の上に晒し首にされちゃうから」
「だからって昨日も言ったが、大嘘をついたのは有子、あんたであって私ではない」
「けど本当に貴方、東宮様に似てるんだもの」
「それが私にどう関係する?」
「一度だけでも顔を見せて、興味を満たしてやればいいのよ」
「……なるほど」
有子の意見は尤もだった。それに有子の庇護下から抜けて新たな宿を探すのも面倒だ。この世界でのカネを持たない以上、京哉探しの拠点をみすみす失うのはマイナスだった。
仕方なく霧島は頷き、火桶の前に再び座って大欠伸をした。
◇◇◇◇
「私は武道をやるが、弓に限っては触ったこともないのだがな」
「別に勝てとは言わないわ。出場もせず逃げ出したとなれば、あとあと霧島の宮様、貴方自身がこの屋敷中の笑い者になって苦労するだけ。だから潔く負けてもいいの」
言われて霧島は自分の半分ほどの歳でそこまで考えるとは大したものだと素直に感心する。それも自分が主の西の対代表として霧島を出場させるのに、有子自身の名誉も恥も考慮していない。
つまり、あくまでこれは『お遊び』であり、プライドを懸けるようなイヴェントではないと分かっている訳だ。義母に馬鹿にされても『遊び』だから何の傷もつかないのだと。
義母とやらよりも、余程有子の方が大人のようである。
確かに自分は大人だと主張していただけのことはあった。そう考えながら欠伸を噛み殺した。あぐらをかいて座っているのは東北の対を取り囲む外廊下で簀の子の縁というらしいのだが、ここは風もなく午後の柔らかな日差しが当たって非常に暖かい。睡眠不足も手伝って欠伸を堪えるのも一苦労なのである。
眠気と戦うために話し相手になってくれている有子は、ここでは霧島の主人という立場だ。それに呼ばれてきた客の筈である。
だが座っているのは霧島と御簾一枚を隔てた内側の孫廂だ。
本来なら御簾内のリビングたる場所に席をしつらえられるのが普通で、最低でも三重になった一番内側の廊下である廂の間くらいには御座所が設けられるという。
つまり相当ないがしろにされているのだが本人はカラカラと笑って説明したのち、
「ここの方が賭弓も良く見えるから愉しいわ」
などと言っている。明らかな義母の有子に対する『貴女は格下』という意思表示であったが有子本人に笑って流されているようでは、さぞかし甲斐もないだろう。
そんなドロドロした駆け引きも薄まるほどに蒼穹は高く、色づいた木々の葉は鮮やかだ。
この東北の対は他の建物と造りは同じだが池はなく、植えられた木々は広葉樹が多い。
それらが赤や黄色に染まって今は秋だと主張している。
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