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第22話〈画像解説付属〉

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 更に有子は口から出任せを熱く語った。

「本当なら第二皇子として遇されるべき霧島の宮様は、今東宮である兄の第一皇子の手の者に追われているの。自分の立場を脅かす存在としてね」
「それでみすぼらしい姿に身をやつしてさすらっていらっしゃるのですね」
「ええ、そうなのよ。主上から臣下としての官位すら授かれずに――」

 今や玉枝は滂沱と涙を流していた。それに合わせて有子は潤んでもいない目に袖を当てて見せる。女性二人は暫し霧島本人を置き去りに涙し、泣くふりを続けた。

「そこで玉枝、貴女が頼りなのよ」
「わたくしにできますことなら、何なりと仰せつかります故」

「じゃあまずはこの西の対の関係者以外は、喩え父様にも宮様のことを洩らさないと誓って頂戴。そうね、ここでは玉枝のいとこで家司けいし見習いとでもしておきましょう」
「それは妙案でございますね。でも姫様――」

 と、玉枝は再び霧島をチラリと窺い、頬を染めて続ける。

「せっかくのお祝い事なのですよ。しあさっての三日夜みかよの餅はどうされます?」
「いいわよ、そんなの。何なら市場で買ってきた餅餤へいだんでも、その火で炙って食べるから」



 聞いて玉枝は脱力したようだった。深く溜息をつくと説教を垂れ始める。

「貴女様は仮にも二の姫様なのですよ。大姫はとうに亡くなられて総領姫なんです」
「今更言われなくても分かってるわ。それに『仮にも』が二回目、失礼よ」
「いいえ、この際ですから言わせて頂きます。火桶なんか持ち歩く貴族の姫など物語の何処にも出てはこないんです、お分かりですか?」

 パキパキとした玉枝の口撃にも怯まず、有子はむしろ愉しげに言い返した。

「でも父さまが奇跡的に五位で殿上したとはいえ所詮は大江おおえうじだもの。地下人じげにんの家柄よ。いつ没落したって構わないように、わたしも鍛えておこうと思っただけよ」
「何を言ってらっしゃるんですか、貴女様は更衣として東宮入内もお決まりの御身なんです。鍛えてどうするんですか、内裏を耕して畑にでもなさるおつもりですか……あっ!」

 ふいに玉枝は口を押さえる。その顔色はみるみるうちに真っ青になった。

「入内を前に他の男君のお手が付いたなんて、どうしましょう!」
「どうもこうもないわ。入内なんて名ばかりで単なる出仕、お勤めだもの。別に構わないわよ」
「そう言われましても、事実として東宮様の許に上がる訳ですから……」

「何を夢見てるのよ。どうせ下っ端更衣程度の低い身分じゃ内裏に上がったって東宮様の目にも止まりはしないわ。ときめくことなんて、ないない」

「そんな勿体ないことをおっしゃって、桐壺の更衣のように主上のご寵愛を賜ることもございますのに。それに姫様は生まれつきの、たぐいまれなる銀の御髪おぐしで、まさに貴族中の貴族を体現されているじゃないですか。ここは大江氏だからといって――」

 言い募る玉枝の愚痴を有子は聞き流し、「しっしっ」と手を振る。

「玉枝、いいから白湯を持ってきて。そうしたら貴女はもう下がっていいわ」

 深くお辞儀した玉枝は立ち上がり、霧島をまたチラ見して頬を染め、出て行った。

 肩を震わせていた有子がとうとう我慢しきれなくなり、玉枝の衣擦れが聞こえなくなると同時に声を上げて笑い出す。殆ど源氏物語のパクリを騙ったのだ、それは可笑しいだろう。腹を抱えて笑いすぎ、今度は本当に涙を拭いた。

 一方で女性の長話を聞いていた霧島は喫煙欲求も限界に達し、煙草を咥えて有子に意思表示する。やっと笑いを収めた有子は不思議そうにそれを眺めた。

「変わった香りだけれど、いいわ、好きになさって」

 興味津々の視線に見守られ、霧島は使い捨てライターで火を点ける。有子は火に驚いたらしいが、構わず盛大に紫煙を吐き出した。火桶を灰皿代わりにする。

き物を吸うなんて変わってるわね。その衣装にも驚いたけれど」
「ふん、みすぼらしいか?」
「ええ、そうね」
 有子は歯に衣着せぬ物言いで
「明日にはまともなのを用意させるわ」

 高級インポート生地のオーダーメイドもここでは形無しだ。本気で呆れているらしい。確かに有子たちの衣装がスタンダードなら霧島の無駄も余裕もない衣服は貧乏臭さ全開だろう。

 ここにきてもうひとつ基本中の基本を確認したくて我慢ができなくなり、オツムの具合を疑われることを覚悟で有子に訊いてみた。

「ここは本当に地球なのか?」
「地球って何のこと? ここは京の都よ」

 やはり疑われたようである。霧島は紫煙を吐きながら考えた。
 この世界は十世紀前後の日本、俗にいう平安時代だと確定してもいいだろう。

 だが大学時代はキャリアになるため国家公務員総合職試験の準備にいそしんでいたので、まともに日本史など学んだのは高校の頃だけだ。お蔭で情けないほど平安時代についての知識が少なかった。その少ない知識もロクでもないものばかりである。

 例えば一夫多妻制の通い婚だというのでストレートの男性同級生がやたらと羨ましがっていたとか、勝気な女性同級生が『女性にとって非常に不利な社会システムだ』と憤慨し八つ当たってきたとか、そういう妙なことしか覚えていない。

 ただ、実際に有子たちを見ていると、割と女性も自己主張しているように思える上に、政略結婚のイメージだった入内も有子はカラリと受け入れて、湿っぽさは皆無だった。

 それはともかく明日になればここでの衣装を配給して貰えるらしい。それさえ手に入れば表を出歩いて聞き込みすることも可能になる。本格的に京哉探しに着手できそうだ。風邪など引いている場合ではないので、火桶を抱くようにして暖を取った。 

 その間に有子は畳の上の薄っぺらな座布団に座る。長い髪も長い衣装の裾もとっくに慣れているのだろう、本人にとってはあまり邪魔に感じられないらしく難なく捌いていた。
 
 何をするのかと注視していると紙切れに何やら筆で書き付け始める。熱心なそれを邪魔せぬよう、咥え煙草の霧島は静かにトレンチコートとジャケットを脱いだ。

 ホルスタとタイも解いてベストを脱ぐと床に広げ、積極的に乾かす努力を始める。
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