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第10話

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 そのリフレインが消えると同時に皆が疲れたような溜息を洩らす。互いに互いの目を見ずに、自分の中だけで今の出来事を咀嚼し処理すべく努力しているようだった。

 やがて『集団幻覚』などと囁かれ始めた頃、たった一人燃えさかる屋根に立ち、バケツの水をかけ続けるような顔で、いきなり栗田巡査部長が霧島の手をグイと握る。

「隊長、宇宙の危機っすよ! 早く鳴海を止めに行きましょう!」
「何をする、脂っぽい手で触るな、気色悪いだろう!」
「それどころじゃないっすよ! あの鳴海が十一人も子供を生むんすよ、隊長はそれでもいいんすか! 十一人ったら十一回以上っすよ、許せるんすか!」

 かなりニュアンスが違う気がした上に、双子以上の多胎児の場合もあるだろうと変な所で冷静に考えた霧島だったが、確かに京哉が十一人もの子供をこさえるなど、とてもではないが許せないぞという思いが湧いた。

 だが、だからといって泣いて縋って土下座しろというのだろうか。何の断りもなく見合いに行ってしまった男に。

「くそう……私は拳銃の点検整備をしてくるからな!」

 現実感を取り戻したいのと、現実から目を背けたいのとで、霧島は誰にともなく怒鳴った。皆の生温かい目に注視されつつ持ち出したキィで頑丈な扉を開錠する。
 そうして武器庫に足を踏み入れてみると先客がいた。

「何故鍵の掛かったここにいるのか知りたいのだがな、宮尾警部補」
「お気になさらず~、拳銃の整備でも何でもして下さい~」

 言われた通り気にせず霧島はパイプ椅子にドカリと腰を下ろすと、デスクに敷いた雑毛布の上でシグ・ザウエルP226の弾薬を抜きフィールドストリッピングする。

「先程の現象は面白かったですね~」
「そこで喋るな、あんたも気色悪い!」

 右肩の上に顎を載せるようにして喋られ、背後霊でも背負ったような気分で霧島は喚いた。その手にサッとガンオイルのスプレー缶が渡される。ひったくるように受け取った。

「隊長~、宇宙の危機にのんびりしててもいいんですか~」
「ふん、私には関係ない。大体あんた、あんな与太を信じているのか?」
「与太でしょうか~? 未来の何処かで時空トラベルが可能となっても驚くべきことだとは思えません~」
「ほう……」

 と、気のない返事を返したが、まだ霧島の脳裏には十一人の子供に囲まれた京哉の画がふわふわと舞い踊っている。頭を振っても消えず、バサバサと振りすぎて眩暈を感じた。
 消えないそれをどうするべきか。そう、少しでいい。ほんのちょっとでも、京哉の様子さえ分かれば落ち着くのだ。幸い携帯のGPS機能で位置は確認できる。

 思いついたら迷うことを知らない霧島だ。ついでに変人に持ちかける。

「おい、宮尾警部補。あんた、ここに籠もっているだけなら私に付き合え」
「なるほど、やはりここは出動ですね~、いいでしょう~」
「では十時に庁舎前のバス停だ。いいな?」
「了解です~」

 武器庫を出ると皆が一斉に霧島を見た。栗田のバディの吉岡よしおか巡査長が口を開く。

「霧島隊長。鳴海の予定ですが十時半にミリアムホテルだそうです」

 何故それを知っているのかなどと霧島は訊かない。ここはそういう奴らの集団だ。

 まずは自分のデスクに向かい、置かれていた湯呑みの冷めた茶を飲み干す。そしておもむろに立ち上がった。誰にも何も告げずに詰め所を出たが、常に泳ぎ続けていないと死ぬ回遊魚の如く無駄口を叩いていないと死ぬタイプの小田切でさえ何も言わなかった。

 詰め所を出ると一身に浴びていた視線がなくなって思わず溜息が出る。

 だが暢気にはしていられない。手洗いに寄って手櫛で髪を整えると、足早に一階に降りて正面エントランスから出た。張り番の制服巡査を会釈で労い、車寄せを抜けてスロープを降り全面が駐車場になった前庭を縦断する。

 大通り沿いの歩道を数十メートル歩くと待ち合わせのバス停だ。
 既にそこには臙脂のハンドバッグを手にした女性が立っていた。

 透明感のある茶色い瞳の女性は肩で切り揃えた黒髪をセンター分けにし、シルクらしいペールグリーンの張りのある生地に金糸の縁取りをしたワンピースドレスを身に着けていた。
 大きく開いた襟ぐりからは華奢な鎖骨が覗き、細い金のチェーンには弾丸のチャームが揺れて、これが宮尾マリカ警部補のプライヴェート外出ヴァージョンであった。

 女性がだめでも美を愛でる心くらい持ち合わせた霧島は、切れ長の目を眇めてマリカを眺める。どう見てもガンヲタの変態には見えない。それどころか、かなりの美人だった。

 その美人が鋭い目と口調で報告する。

「皆さんに聞きました。白藤市駅西口のミリアムホテルに十時半だそうですね」
「目標の詳しい位置は話していたか、宮尾警部補?」
「最上階コーヒーラウンジです。それと不自然に思われないよう、わたしを呼ぶ際には『マリカ』と」
「分かった、マリカ。行くぞ」

 二人はタクシーを探す。自家用車では火急の際に乗り捨てられないため、敢えてタクシー利用にしたのだ。すぐに空車を捕まえて乗り込む。「ミリアムホテルまで」と告げるとドライバーは笑顔で頷き、タクシーを加速させた。

 白藤市駅周辺はオフィス街とホテル街が混在しているが、その西口側は再開発地で古いビルや建て替え中のビルが多い。そんな中でミリアムホテルは目立って新しい高級ホテルである。格も最上級でドレスコードまであった。

 だが御前に遊ばれては思わぬタイミングでパーティー等にたびたび参加させられる霧島は常日頃から準備を怠ることなくオーダーメイドスーツ着用、マリカも文句なくドレスアップしていて、誰に憚ることなくミリアムホテルに入れる。

 十五分と掛からずタクシーはミリアムホテルの車寄せに滑り込んだ。普通のタクシーにはそぐわぬ天然石材造りのそこで料金精算すると外からドアが開く。
 ドアマンに会釈をして霧島は先に降り、マリカに手を差し出してエスコートした。二人は揃って金モールのくっついた制服警備員数名が護る巨大なガラスの自動ドアをクリアする。

 迷わず霧島はレッドカーペットに踏み出し、フロントをマリカと共に通過した。
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