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不運と不幸、どちらを選ぶか
第42話
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母さんとの生活はひとことで言えば怖い。緊張の連続だ。貶すことは御法度だし、褒め過ぎも急激に母さんの沸点が上がる。突沸というヤツだ。だからほどほどに不自然でないように褒めて店に送り出すと、
『今日も生き延びた』
という気がして心底ホッとする。冗談でなくフォークとかハサミが危ない。そういう風に母を追い詰めたのが僕だなんて傲慢な事は考えていないけれど、一端を担い、事実として肉親である僕は、耐えられる限りこの状況に耐えてしかるべきなんだろう。
だって表面的には何も問題のない、ありふれた母子家庭のひとつである。息子は殺人未遂犯で、その相手が母親の恋人だったとしても、そんなものは無かったも同然になってしまっているし。母さんが選んだ男を僕が人間でなく野菜にしたとしても、もう母さん自身も野菜男のことは吹っ切れたみたいだった。
それでも母親のあの女性には虚飾の言葉が栄養だし、経験の浅い僕という息子にそれを求められても、完璧にこなせる訳なんかないから緊張感が生まれる。それ以上踏み込んではいけないけれど、後退ることも許されないギリギリのラインでの攻防で、日々の中の母との短い時間をどうにかやり過ごす。
そして僕がちゃんと母さんのカネで食事をしたと分かるように、デリバリーや店屋物のゴミや器を見える処に残しておくのも習慣付いた。そうそう食べられなくて残した分はバレないように先に捨てに行く。
でも、ある日、唐突に思い出してコンビニに行き、材料を調達して料理した。何を作ったのかと言えば『慧さん流フレンチトースト』である。あんなにカリカリとふわふわにはならなかったけれど、久々に僕はモノを美味しく食べられた気がして、母の分もプレートに取り置いて『夜食』と書いておいた。
何気なくしたことだけれど、僕は自分が嬉しかったから母さんにもしてみたかっただけで、けれど帰ってきた母さんは酷く酔っており、そこに睡眠薬の二重飲みをしてから僕が温め直したフレンチトーストにフォークを刺した。ふわふわの部分は温め直しで固くなり、カリカリはフォークが通らないくらい固くて。
「あんた、透、料理下手ねえ……やっぱり父親と同じだわ」
僕はテーブルに置いていた手を一瞬で上げて母さんが振り下ろしたフォークを避けた。
「何、怖がるの……大事な息子に何もしないわよ」
言うなりフレンチトーストを皿ごとぶつけられる。床に落ちた皿は奇跡的に割れなかったけれど、縁が僕の右足の甲を直撃し、午前四時に改めて目が覚めた。なるべく怪我したのを知られないよう、僕はそっと動いて全ての後始末をし、自分の部屋に引っ込んだ。
母さんも小爆発を起こしたばかりだから、暫くは大人しくしてくれる……と、いいんだけどな。――疲れた。こんな顔では慧さんに会いたくない程には、本気で疲れていた。
夜は街を徘徊しようかとも思っていたんだけど、母さんがランダムに携帯でチェック入れてくるから無理だし。学校で会う慧さんは、たまのアイコンタクト以外はしっかり『化学講師・拝島慧』に戻っている。探りを入れるまでもなく悟ってくれているんだろうと、僕は勝手に都合よく解釈してるけど。
勝手な解釈と言えば明日は金曜であれから初めての週末が来る。週末里子制度は生きてる筈だから……母親を選んだ僕を慧さんは果たして迎えに来てくれるのかな。あの選択をしたのは僕の義務。義務を蹴飛ばして駄々を捏ねるのが『水谷透』じゃないというプライド。
僕は僕、慧さんに買われた僕。
だからって慧さんも不変じゃなくて、あんなに僕を想ってくれているのに僕は自分から自分の不運と慧さんの不幸を選んだ。慧さんの不運と自分の不幸を選ばなかった。それって慧さんの想いは完全に無視してる。
「面倒臭いなら、やめればいい」
チェアに腰かけ、デスクに頬杖をついて口に出してみた。本当にこんな面倒臭い僕をどうして慧さんは選んでしまったんだろう。だけど僕は、もう僕からは慧さんとサヨウナラなんかできない。慧さんから、大人の判断で僕を切り捨ててくれたらと思う。
まだ僕は慧さんに『一緒に不幸になって欲しい』とは言えない。
そのまま眠っていたのか、気付くと玄関チャイムが鳴っていた。跳び上がるように立ち上がると痛む足を庇いつつ部屋を出て玄関へ。睡眠薬を飲んでいる母さんはまだ起きない。
「……慧さん、藤村先生まで。あ、でも土日は明後日からじゃ?」
「金曜の夜なんて貴重な時間を、ここに一旦帰って潰したいとは泣かせますねえ」
「えっ、じゃあ今夜から週末里子……母にひとこと書いておきます」
「お休みのようだし、わたしから一筆、したためておこう。その方が通りもいい」
それだけのために藤村弁護士まで連れてくるとは慧さんの周到さに溜息が出る。そんな僕に藤村先生が笑って言った。
「いつも雑で何もかも忘れたふりをする奴が、きみのためなら何処まででも心を砕き手を尽くす。きみは貴重だよ、拝島にとって人間として」
つまりは人間らしく他人を気遣うことができる、その証明に僕がなっているらしい、慧さんにとって。ここは素直に受け取るべきだろう。そう不幸じゃないのなら良かった。
そのとき物音がして母親が着替えて起きてきた。無理に起きたみたいで酷い顔色だったけれど、キッチンに来ると意外な素早さでシンク脇の食器乾燥機からフォークを取り出し、思い切り投げつけた。
「うっ……くっ」
「慧さんっ!!」
フォークは慧さんの左目の辺りに当たって……刺さってる? まさか、血!?
「ふふっ、親子でしょう?」
そう笑って言った女に僕は駆け寄って手を振り上げた。が、手首を藤村先生に掴まれ制される。
「それより119番通報、急いで。110番にも回して貰うんだ」
『今日も生き延びた』
という気がして心底ホッとする。冗談でなくフォークとかハサミが危ない。そういう風に母を追い詰めたのが僕だなんて傲慢な事は考えていないけれど、一端を担い、事実として肉親である僕は、耐えられる限りこの状況に耐えてしかるべきなんだろう。
だって表面的には何も問題のない、ありふれた母子家庭のひとつである。息子は殺人未遂犯で、その相手が母親の恋人だったとしても、そんなものは無かったも同然になってしまっているし。母さんが選んだ男を僕が人間でなく野菜にしたとしても、もう母さん自身も野菜男のことは吹っ切れたみたいだった。
それでも母親のあの女性には虚飾の言葉が栄養だし、経験の浅い僕という息子にそれを求められても、完璧にこなせる訳なんかないから緊張感が生まれる。それ以上踏み込んではいけないけれど、後退ることも許されないギリギリのラインでの攻防で、日々の中の母との短い時間をどうにかやり過ごす。
そして僕がちゃんと母さんのカネで食事をしたと分かるように、デリバリーや店屋物のゴミや器を見える処に残しておくのも習慣付いた。そうそう食べられなくて残した分はバレないように先に捨てに行く。
でも、ある日、唐突に思い出してコンビニに行き、材料を調達して料理した。何を作ったのかと言えば『慧さん流フレンチトースト』である。あんなにカリカリとふわふわにはならなかったけれど、久々に僕はモノを美味しく食べられた気がして、母の分もプレートに取り置いて『夜食』と書いておいた。
何気なくしたことだけれど、僕は自分が嬉しかったから母さんにもしてみたかっただけで、けれど帰ってきた母さんは酷く酔っており、そこに睡眠薬の二重飲みをしてから僕が温め直したフレンチトーストにフォークを刺した。ふわふわの部分は温め直しで固くなり、カリカリはフォークが通らないくらい固くて。
「あんた、透、料理下手ねえ……やっぱり父親と同じだわ」
僕はテーブルに置いていた手を一瞬で上げて母さんが振り下ろしたフォークを避けた。
「何、怖がるの……大事な息子に何もしないわよ」
言うなりフレンチトーストを皿ごとぶつけられる。床に落ちた皿は奇跡的に割れなかったけれど、縁が僕の右足の甲を直撃し、午前四時に改めて目が覚めた。なるべく怪我したのを知られないよう、僕はそっと動いて全ての後始末をし、自分の部屋に引っ込んだ。
母さんも小爆発を起こしたばかりだから、暫くは大人しくしてくれる……と、いいんだけどな。――疲れた。こんな顔では慧さんに会いたくない程には、本気で疲れていた。
夜は街を徘徊しようかとも思っていたんだけど、母さんがランダムに携帯でチェック入れてくるから無理だし。学校で会う慧さんは、たまのアイコンタクト以外はしっかり『化学講師・拝島慧』に戻っている。探りを入れるまでもなく悟ってくれているんだろうと、僕は勝手に都合よく解釈してるけど。
勝手な解釈と言えば明日は金曜であれから初めての週末が来る。週末里子制度は生きてる筈だから……母親を選んだ僕を慧さんは果たして迎えに来てくれるのかな。あの選択をしたのは僕の義務。義務を蹴飛ばして駄々を捏ねるのが『水谷透』じゃないというプライド。
僕は僕、慧さんに買われた僕。
だからって慧さんも不変じゃなくて、あんなに僕を想ってくれているのに僕は自分から自分の不運と慧さんの不幸を選んだ。慧さんの不運と自分の不幸を選ばなかった。それって慧さんの想いは完全に無視してる。
「面倒臭いなら、やめればいい」
チェアに腰かけ、デスクに頬杖をついて口に出してみた。本当にこんな面倒臭い僕をどうして慧さんは選んでしまったんだろう。だけど僕は、もう僕からは慧さんとサヨウナラなんかできない。慧さんから、大人の判断で僕を切り捨ててくれたらと思う。
まだ僕は慧さんに『一緒に不幸になって欲しい』とは言えない。
そのまま眠っていたのか、気付くと玄関チャイムが鳴っていた。跳び上がるように立ち上がると痛む足を庇いつつ部屋を出て玄関へ。睡眠薬を飲んでいる母さんはまだ起きない。
「……慧さん、藤村先生まで。あ、でも土日は明後日からじゃ?」
「金曜の夜なんて貴重な時間を、ここに一旦帰って潰したいとは泣かせますねえ」
「えっ、じゃあ今夜から週末里子……母にひとこと書いておきます」
「お休みのようだし、わたしから一筆、したためておこう。その方が通りもいい」
それだけのために藤村弁護士まで連れてくるとは慧さんの周到さに溜息が出る。そんな僕に藤村先生が笑って言った。
「いつも雑で何もかも忘れたふりをする奴が、きみのためなら何処まででも心を砕き手を尽くす。きみは貴重だよ、拝島にとって人間として」
つまりは人間らしく他人を気遣うことができる、その証明に僕がなっているらしい、慧さんにとって。ここは素直に受け取るべきだろう。そう不幸じゃないのなら良かった。
そのとき物音がして母親が着替えて起きてきた。無理に起きたみたいで酷い顔色だったけれど、キッチンに来ると意外な素早さでシンク脇の食器乾燥機からフォークを取り出し、思い切り投げつけた。
「うっ……くっ」
「慧さんっ!!」
フォークは慧さんの左目の辺りに当たって……刺さってる? まさか、血!?
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そう笑って言った女に僕は駆け寄って手を振り上げた。が、手首を藤村先生に掴まれ制される。
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