不自由ない檻

志賀雅基

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拾った錠剤が違法だったら

第38話

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 外科医は独りでやってきた訳じゃなく、看護師らしき男性と看護師らしからぬガタイのいい男性の三名でやってきた。明け方に止血困難な切創なんて、確かに事件の臭いが感じられない方がおかしい。

 事件性が疑われたら冗談でなく通報されるのかも。
 これ以上の迷惑を慧さんに負わせるのは嫌だな。

 そりゃあ僕はガラス掃除に失敗したけれど、この騒ぎは僕のせいじゃないし、無論、慧さんの責任でもない。それでも里親の慧さんが『酒気帯び運転』で捕まっている間に里子の僕が怪我をしたら、慧さんのせいになってしまうのは目に見えていた。

 大人は自由。でも慧さんみたいに『いい人』は……敢えて『良い人』とは言わないけれど……一見かけ離れて思える事でも責任を取らされる。そういう立場に慧さんは自ら選んで安物の化学科職員室の椅子を置き、ドカリと座ったのだ。

 たぶん、水谷透という未だ経済的にも年齢的にも自立できない存在を見守り、ときに動いて物理的にも護るために。街なかで夜、身体を売っていた未成年。カネが必要だったのに我欲を優先した挙げ句、五千円を工面できずにいた高校二年生。

 それなりの大人になりかけているのに、アンバランスな自分に僕は気付いていた。そういう水谷透をずっと監視し続けていた拝島慧は僕の『プライドを買う』と言ったけれど、それは随分と僕を美化しすぎていると思う。

 慧さんが拾ったのは『プライドだけは折られない少年』ではなく、使うたびに依存性を増し、効き目は薄らいで使用量の増えてゆく、ある種の薬物のような僕じゃないのか?
 薬物は薬物以外の何でもない、変わらない。使う人によってどんな物かが変わるだけ。

 だから一見、薬物たる僕は『自分を変えない何者か』に見えたんじゃ……。

 僕から直接的に慧さんを誘ったんじゃないし、偶然にも拾われた水谷透は拝島慧のPTSDの鍵穴にピッタリ嵌っただけかも知れない。でも、鍵が合えば扉を開けるという流れになるのは当然で、その中に在ったのは人間一人を野菜にした僕という鍵に似合いの、触れたら戻れなくなる違法薬物で構成された部屋。

 トラウマを抱えた人がそんな部屋で暮らしていたら、ただでさえ危うい均衡を保っていたメンタルが薬物でハイになったり、逆にバッドトリップしたりして、症状を拗らせるんじゃないかな。

 すごく間隔の遠かった筈の悠氏の出現が頻発するようになったみたいに。
 冷静でシニカルな慧さんが我を忘れて悠氏と僕の仲を疑ったように。

 僕が慧さんを好きになった以前から、ストーカー染みた真似までしていた慧さんは僕を好きだったらしい。嫉妬するくらいだから今も僕が好きなんだろうな。そんな僕を手元に置く為に、あらゆる手段とカネを使った。
 そこまでしても慧さんは僕を抱けない。

 逆はアリなのかって考えて見たこともあるけれど、それは違うって僕の何処かが自然と否定した。

 慧さんの身体が機能を取り戻す日が来たら、僕は躊躇わずに受け入れる。それはもう決定事項。

 それまで僕は僕のプライドを護り続けなきゃならない、喩え自分が慧さんを惑わす薬物であり、更に症状が悪化する慧さんを見つめ続けることになっても。

 だって僕が薬物だろうが誘蛾灯だろうが、なりたくてなった薬物でも誘蛾灯でもない。そんなことくらい慧さんは分かってる筈。そしてその僕を選んだ慧さんが買ったプライドなら、今までと変わらず薬でも灯でも何でもいいから、そのままの僕を維持して枉げない、それだけ。

 それだけしかできないモノを慧さんは見極めて買ってくれたんだ……いつから見られていたんだろう? 同級生同士の恋愛とは縁が無かった僕だけど、それよりも、もっとずっと深いんだろうか。僕らの歳で言えば『重い』のかも。

 考えているうちに右手を十二針も縫われ、ガーゼを貼られる時にはもう麻酔が解け始めてチクチクと痛み出した。包帯を巻かれたら、明日(厳密には明後日)通院して感染症が無いか確かめ、ガーゼの貼り換えをしなきゃならない、などという話を慧さんと聞いた。

 僕の保険証と治療費を慧さんが出してくれて、それを僕はキッチンの椅子に座ったままで眺める。本気で貧血らしく、眠たい気はしないのに生欠伸ばかり出て少し気持ち悪かった。
 でもフローリングの玄関から廊下にリビングと、事件を隠蔽しそこなった現場のままだ。そういや消毒液がもうないんだっけ。アルコールじゃフローリングの艶塗装が剥げてしまう。

「分かった、分かった。分かりましたから、その顔色で延々喋らんでくれませんかねえ」

 いつの間にか思ったことを口に出していたらしい。医者たち三人も消え、慧さんだけが水のグラスを手にして僕を上から覗き込んでいた。無造作に垂れたその前髪に触りたくなって、僕は右手を上げようとしたけれど重たくて上がらない。左手で……と思ったら慧さんはぷいと離れてグラスの水を一気飲みした。

「お訊きしますがね、どうして大怪我したって連絡寄越さなかった?」
「あの勢いで出て行ってですか? あ、慧さんの手は?」
「何ともないですよ。じつは、どうせ割るんならと思って安いガラスをだな……」

 本気かジョークか知らないけれど、半分怒って、残り半分は嫉妬したのをまだ照れてるみたいだ。これでも家庭という最小コミュニティで人の表情を窺って暮らしてきたから、空気が読めない訳じゃない。
 読めるからって『場に合わせる』かどうかは別問題だけど。

「ほらほら、ボーッとしてますよ、坊っちゃん。部屋に戻って寝ろ」
「もうこんな時間……学校が」
「お前さんは両利きか?」
「あー、そうですよね。ノートも取れない」

 考えてみれば包帯グルグル巻きを他の教師の目に晒すのも拙い気がして、僕は何日間か風邪を引くことになった。ノートはクラス委員長に頼んでコピーして貰おうという慧さんの提案に乗る。明日の通院は慧さんが帰宅してから外科と皮膚科を同時に掲げる病院に夜診でかかる。

 決めてしまうと僕は慧さんのグラスに水を注いで貰い、二杯も飲み干してトイレに立ってから自分の部屋に戻った。着替えるとベッドに横になる。暫くすると寒気が襲ってきた。本当に風邪かも知れないと思う。洗面所の鏡に映った自分の顔色は慧さんが評した軽い感じとはかけ離れていたからだ。

 震えて毛布を身体にきつく巻き付ける。ドアが開いた。

 厚手の毛布を抱えてきた慧さんは黙ってそれを僕に被せると、毛布からはみ出した僕の髪をクシャリと掴み、次には零れ落ちた錠剤を拾い集めるように、指先で幾度か細い束を摘まんで梳くと部屋から出て行った。

 この人は、僕が毒薬でも呷って見せるに違いない。
 震えるような想いが伝わって僕は本当に熱が上がった。
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