36 / 44
近づきすぎて、ぼやけてぶつかる
第36話
しおりを挟む
最初は夜中に目が覚めたら、逆光でシルエットになった慧さんがいきなり喚いたのが始まりだった。言葉にならない唸り声のような喚きの寸前、ドアが開いた部屋の圧の変化で身体が覚えた危機で僕は寝たふりか起きて身構えるか一瞬迷った。
でも、ここは自宅マンションじゃなく、無意味にサンドバッグにされることは無いのだと思い出したのと、事は慧さんだという焦りが急激に湧いて起き上がる。
途端に短い距離を詰められ、ベッドの僕は押し倒された。慧さんじゃない、別人格だと悟る。
そういや慧さんの父親の悠さんってペドフィリアだっけ、どのくらいまでの年齢が対象なんだろうと妙に冷静に思った。僕が同性と経験しているのもあったし、お蔭で『もしも』の時でもどうすれば自分のダメージを少なくできるかも、ある程度は心得ていたから。
――けれど慧さんは、できないんだ。
いや、こういうのは精神的なものが大きいような気もするし、悠さんなら分からない。
そして……僕は慧さんの身体なら悠さんとでもいい、なんて慧さんに対してとんでもなく失礼で口が裂けても言えないようなことを確かに考えていたのである。
馬鹿じゃないのか、僕は。『好きだから躰だけでも』って、自分に酔い過ぎだ。慧さんが僕をストーカーするくらい好きでいてくれて、更に色々と助けてくれて今がある。
飄々として頭も切れる慧さんが僕も好きになった。
でも、僕と慧さんの躰の関係を阻んだのは、果たして慧さんの機能の問題だけなのかな?
どうしてだか僕は違うと思えてならない。
敢えて言えば……早すぎる? 慧さんが買った『僕のプライド』が値下がりするというか……。
一瞬でそんな風に考えている間にも、少しアルコール臭い吐息が顔にかかった。キスされるのかと思えば頬をねっとり舐められる。僕の中では相手は慧さんの身体、気持ち悪くはならない。
「何だ、お前さん。胆、据わってんな」
「悠さん、ですよね?」
「いちいち訊くな、馬鹿かお前さんは。俺は幽霊だぞ?」
「それは以前にも聞きましたけれど……」
ベッド上で薄い毛布越しにのしかかられても、慧さんは痩躯なのであまり重たくはない。
「あのう、何で幽霊の悠さんは息子さんの慧さんに憑りついてるんですか?」
「そりゃあよ、家族三人で殺し合ったからよ。生き残りに憑いただけさ」
「家族三人……三千円のことですか?」
訊いたら悠氏は粗暴な雰囲気を引っ込めてまで数秒間、薄暗い中で僕をまじまじ見つめた。
「知らねぇのか……そういうことになってんのか?」
「え、何ですか?」
「何でもねぇよ、この小賢しいガキが! 慧の野郎と似てるぜ」
急にベッドから降りて悠氏は部屋から出て行ってしまう。勿論、僕は後を追った。連休中で未だ着替えてもいない背がリビングに消えかけ、ふいに振り向いた。
「どうしたんですかね、こんな時間に。お子ちゃまは寝ている時間ですよ」
ああ、慧さんだ。ホッとしたが、また窓を割って怪我されるのも困る。ここは黙っている手だ。
「喉、渇いたんで」
「ふん。ならデカい方の水のボトル、開けようや。俺も飲む」
「センセー、飲み過ぎの先生がいますー。ウィスキー、半分も飲んでるじゃないですか」
「放っといてくれませんかねえ。これでも分解酵素を二種とも持ってる体質なんですよ、ADHとALDH2」
言い訳する慧さんにヒラヒラと手を振りつつキッチンへ。二リットルペットボトルのミネラルウォーターを出してリビングへ戻る。封切って渡すと慧さんは口を付けて豪快に三分の一以上飲んだ。
煙草の匂いを感じながら僕も飲む。間接キスなんて今更な距離感。
でも、僕の脳裏には一枚の画が浮かんで消えなかった。
幽霊の悠氏が言った「家族三人で殺し合った」。慧さんの目前で父親と母親は交わりながら殺し合いした。父親は母親に首を切られて絶命。母親は縊死。つまり首を括った訳だが、首に紐を巻き自分の手で絞めて縊死する場合があり、この場合もこれに当たる。そしてその際に体内の夫の性器をちぎり取ったらしい。
酷い家庭で財布から慧さんが三千円盗ったのが殺し合いのきっかけだったという。
けれど本当に慧さんは三千円を盗っただけなのか。そんな疑念が幽霊のひとことで僕にまで憑りついていたのである。まさか慧さんも殺し合いの何処かに組み込まれているんじゃないか。本当に切ったのは母親? 縊死で自死なんて実際、難しいんじゃないかな?
そういうのも全部、慧さん自身は記憶障害で覚えていないのかも知れない――。
勝手に想像は膨らんだけれど顔に出さないようにするのは簡単だった。学校にいる時と同じ。ただ、慧さんは勘がいいのでリビングに長居は無用だ。お互い二度ずつ水を飲むとキャップを閉め、僕は冷蔵庫に仕舞いに行って、そのままリビングを通過する。
「おやすみなさい」
「おー、明日は午後から朝が始まるぞ」
「何、言ってるんですか。シジミも買っていませんからね」
いつもの会話に安堵したものの、年単位でしか出なかったという幽霊氏と、僕は連休中の真夜中に連続で語り合うことになったのである。
それだけなら構わなかった。
幽霊の悠さんと会っているのが慧さんにバレたのだ。
洗いざらい話した内容を吐かされた挙げ句、追及されて僕は抱いていた疑念までしぶしぶ口にするしか無くなった。
「幽霊は何も出来んとタカを括りすぎたなあ、やってくれる」
「……すみません」
「まあ、仕方ないでしょうよ。それだけ仄めかされたら誘導されますって」
「でも、事件は捜査済みで鑑識だって……すみません」
「闇雲に謝ると侮られるから止した方がいいぞ。それより幽霊親父と寝たか?」
「えっ……は? いいえ。……あっ、慧さん!」
鋭い大音響が響いた。
慧さんはまた窓ガラスを殴り割っただけでなく、黙って部屋から出て行った。暫くして聞き慣れた旧いランクルのエンジン音がして、それも遠ざかる。
でも、ここは自宅マンションじゃなく、無意味にサンドバッグにされることは無いのだと思い出したのと、事は慧さんだという焦りが急激に湧いて起き上がる。
途端に短い距離を詰められ、ベッドの僕は押し倒された。慧さんじゃない、別人格だと悟る。
そういや慧さんの父親の悠さんってペドフィリアだっけ、どのくらいまでの年齢が対象なんだろうと妙に冷静に思った。僕が同性と経験しているのもあったし、お蔭で『もしも』の時でもどうすれば自分のダメージを少なくできるかも、ある程度は心得ていたから。
――けれど慧さんは、できないんだ。
いや、こういうのは精神的なものが大きいような気もするし、悠さんなら分からない。
そして……僕は慧さんの身体なら悠さんとでもいい、なんて慧さんに対してとんでもなく失礼で口が裂けても言えないようなことを確かに考えていたのである。
馬鹿じゃないのか、僕は。『好きだから躰だけでも』って、自分に酔い過ぎだ。慧さんが僕をストーカーするくらい好きでいてくれて、更に色々と助けてくれて今がある。
飄々として頭も切れる慧さんが僕も好きになった。
でも、僕と慧さんの躰の関係を阻んだのは、果たして慧さんの機能の問題だけなのかな?
どうしてだか僕は違うと思えてならない。
敢えて言えば……早すぎる? 慧さんが買った『僕のプライド』が値下がりするというか……。
一瞬でそんな風に考えている間にも、少しアルコール臭い吐息が顔にかかった。キスされるのかと思えば頬をねっとり舐められる。僕の中では相手は慧さんの身体、気持ち悪くはならない。
「何だ、お前さん。胆、据わってんな」
「悠さん、ですよね?」
「いちいち訊くな、馬鹿かお前さんは。俺は幽霊だぞ?」
「それは以前にも聞きましたけれど……」
ベッド上で薄い毛布越しにのしかかられても、慧さんは痩躯なのであまり重たくはない。
「あのう、何で幽霊の悠さんは息子さんの慧さんに憑りついてるんですか?」
「そりゃあよ、家族三人で殺し合ったからよ。生き残りに憑いただけさ」
「家族三人……三千円のことですか?」
訊いたら悠氏は粗暴な雰囲気を引っ込めてまで数秒間、薄暗い中で僕をまじまじ見つめた。
「知らねぇのか……そういうことになってんのか?」
「え、何ですか?」
「何でもねぇよ、この小賢しいガキが! 慧の野郎と似てるぜ」
急にベッドから降りて悠氏は部屋から出て行ってしまう。勿論、僕は後を追った。連休中で未だ着替えてもいない背がリビングに消えかけ、ふいに振り向いた。
「どうしたんですかね、こんな時間に。お子ちゃまは寝ている時間ですよ」
ああ、慧さんだ。ホッとしたが、また窓を割って怪我されるのも困る。ここは黙っている手だ。
「喉、渇いたんで」
「ふん。ならデカい方の水のボトル、開けようや。俺も飲む」
「センセー、飲み過ぎの先生がいますー。ウィスキー、半分も飲んでるじゃないですか」
「放っといてくれませんかねえ。これでも分解酵素を二種とも持ってる体質なんですよ、ADHとALDH2」
言い訳する慧さんにヒラヒラと手を振りつつキッチンへ。二リットルペットボトルのミネラルウォーターを出してリビングへ戻る。封切って渡すと慧さんは口を付けて豪快に三分の一以上飲んだ。
煙草の匂いを感じながら僕も飲む。間接キスなんて今更な距離感。
でも、僕の脳裏には一枚の画が浮かんで消えなかった。
幽霊の悠氏が言った「家族三人で殺し合った」。慧さんの目前で父親と母親は交わりながら殺し合いした。父親は母親に首を切られて絶命。母親は縊死。つまり首を括った訳だが、首に紐を巻き自分の手で絞めて縊死する場合があり、この場合もこれに当たる。そしてその際に体内の夫の性器をちぎり取ったらしい。
酷い家庭で財布から慧さんが三千円盗ったのが殺し合いのきっかけだったという。
けれど本当に慧さんは三千円を盗っただけなのか。そんな疑念が幽霊のひとことで僕にまで憑りついていたのである。まさか慧さんも殺し合いの何処かに組み込まれているんじゃないか。本当に切ったのは母親? 縊死で自死なんて実際、難しいんじゃないかな?
そういうのも全部、慧さん自身は記憶障害で覚えていないのかも知れない――。
勝手に想像は膨らんだけれど顔に出さないようにするのは簡単だった。学校にいる時と同じ。ただ、慧さんは勘がいいのでリビングに長居は無用だ。お互い二度ずつ水を飲むとキャップを閉め、僕は冷蔵庫に仕舞いに行って、そのままリビングを通過する。
「おやすみなさい」
「おー、明日は午後から朝が始まるぞ」
「何、言ってるんですか。シジミも買っていませんからね」
いつもの会話に安堵したものの、年単位でしか出なかったという幽霊氏と、僕は連休中の真夜中に連続で語り合うことになったのである。
それだけなら構わなかった。
幽霊の悠さんと会っているのが慧さんにバレたのだ。
洗いざらい話した内容を吐かされた挙げ句、追及されて僕は抱いていた疑念までしぶしぶ口にするしか無くなった。
「幽霊は何も出来んとタカを括りすぎたなあ、やってくれる」
「……すみません」
「まあ、仕方ないでしょうよ。それだけ仄めかされたら誘導されますって」
「でも、事件は捜査済みで鑑識だって……すみません」
「闇雲に謝ると侮られるから止した方がいいぞ。それより幽霊親父と寝たか?」
「えっ……は? いいえ。……あっ、慧さん!」
鋭い大音響が響いた。
慧さんはまた窓ガラスを殴り割っただけでなく、黙って部屋から出て行った。暫くして聞き慣れた旧いランクルのエンジン音がして、それも遠ざかる。
3
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

未冠の大器のやり直し
Jaja
青春
中学2年の時に受けた死球のせいで、左手の繊細な感覚がなくなってしまった、主人公。
三振を奪った時のゾクゾクする様な征服感が好きで野球をやっていただけに、未練を残しつつも野球を辞めてダラダラと過ごし30代も後半になった頃に交通事故で死んでしまう。
そして死後の世界で出会ったのは…
これは将来を期待されながらも、怪我で選手生命を絶たれてしまった男のやり直し野球道。
※この作品はカクヨム様にも更新しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

切り札の男
古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。
僕は 彼女の彼氏のはずなんだ
すんのはじめ
青春
昔、つぶれていった父のレストランを復活させるために その娘は
僕等4人の仲好しグループは同じ小学校を出て、中学校も同じで、地域では有名な進学高校を目指していた。中でも、中道美鈴には特別な想いがあったが、中学を卒業する時、彼女の消息が突然消えてしまった。僕は、彼女のことを忘れることが出来なくて、大学3年になって、ようやく探し出せた。それからの彼女は、高校進学を犠牲にしてまでも、昔、つぶされた様な形になった父のレストランを復活させるため、その思いを秘め、色々と奮闘してゆく
ヤマネ姫の幸福論
ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。
一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。
彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。
しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。
主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます!
どうぞ、よろしくお願いいたします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる