不自由ない檻

志賀雅基

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南極ではペンギンにさわれない

第34話

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 どう考えても宜しくない現象を見られ、詳らかにした慧さんは明らかに常態を維持しようとしていた。普通ならばきっと分からないくらいの差異。煙草の弾き方。灰がいつもより散る。そろそろ始める夕食の話も出ない。

「俺は透、お前に嘘を吐かないと言った。だが『このレヴェル』の事実を黙っていたのは嘘も同然と思ってないか?」
「いえ。嘘って、本当の逆を言って騙すことでしょう。慧さんは僕を騙してませんけど?」
「言い訳がましいが前に幽霊が出てから一年以上経ってる」
「だから騙されてませんって、聞こえてないんですか?」

 明らかに車内の空気が緩む。
 慧さんも僕と最初に交わした契約を大切にしようとしてくれている。今はそれでいい。次に幽霊が出たら、出た時に考えればいい事だ。それに『幽霊は人を殺さない』なる慧さんの過去を信じてみるのも手だ。
 もし危ない目に遭ったら……ううん、そもそも僕の方が『人殺しの才能』には長けていそうだし。

「けど、実際いつ『出る』か分からないのって困りますよね?」
「お蔭様で一度は私立を辞めてる」
「それで講師なんですか?」
「そういうことです。何がトリガが分かればいいんだが、こいつが全く規則性が無い。滅多に出ないのがせめてもの救いってとこですかねえ」

 そりゃあ頻繁に出ていたら、まともな生活は送れないだろう。ほんの短い邂逅だったけれど、幽霊の悠氏は慧さん自身よりもかなり社会の底辺寄りに住んでいる感じがしたし、何より『人殺し』で『幽霊』を自称する。
 こういった事情をきちんと理解した上で付き合っていける人種しか、慧さんの周りにはいないのだとすれば、気軽な飲み友達がいないのも納得出来た。

 やっぱり『出る』と考えてしまうのか、口数も少ないまま慧さんは相談することなく、無難にチェーンのファミレスの駐車場にランクルを駐める。さっさと入店し、腹を満たしてさっさと出た。
 あとは何処にも寄らずに慧さんのマンションに帰り、交代でバスルームを使うと慧さんはリビングでウィスキーか何かを飲み始める。僕は一間、間を開けた部屋でぼんやりと夜空を眺めていた。

 ペントハウスの窓は広く、街からも離れているので結構、光害を逃れた星が煌めいて見える。
 こうしている間も母は野菜男の世話と、男が起きた時のための化粧に余念が無いのだろうか。
 それとも、そろそろ『褒められない』のに飽きて、野菜男を放り出すきっかけを待っているのか。

 母が家に戻ったら僕も家に戻るべきなのかな。書類上は僕に関する責任等、全て拝島慧に移っているという話だったけれど。なら、僕の意思次第? ――僕は意志を通せる? それって慧さんの言う『水谷透のプライド』ってことだろうか。
 だからって好き勝手にする、イコール、プライドを護る、とは違うだろう。

 でも本当の本気を押し通す、イコール、好き勝手ともいえると思う。

 そのバランスを上手く取りつつ周囲と付き合い、流れを泳ぎ渡ってゆくのが大人というものなんだろうけれど、僕は未だ亜成鳥のペンギンで、見るからに大人ではないし、見るからに大人になりかけている。大人の判断を要求されることもあれば、子供らしさを前面に押し出した方が得な時もある。刑事さんたちへの応対が典型だ。

 何を頭の中でこねくり回しているのかといえば、僕は水谷透のプライドを持ち続けなければ慧さんとの繋がりが切れてしまう。それを恐れているのだ。なのに恐れるあまり水谷透はプライドを枉げてやしないか。
 つまりは慧さんの言動に添うよう、時に淡々と、時にシニカルに返答し、結局はおもねっているんじゃないか。
 
 そんなことばかりがここ暫く憑りついたかの如く離れないのだ。

「あーあ。ただ『買う』とか『飼う』だったら良かったのにな」

 独り言を洩らした直後、とんでもない爆発的な音がして地震かと思う。窓がビリビリ震えていて、数秒間は身動きもできなかった。地震じゃない、揺れてない。じゃあ、何だ? 
 
 僕じゃなければ慧さん!

「慧さん、大丈夫ですか! 慧さん!?」

 部屋を飛び出し廊下を駆けてリビングに飛び込んだ僕の目に映ったのは、殆ど割れ落ち全壊した広い窓と、吹き込む生暖かい風に髪を乱してこちらに背を向けた慧さんだった。
 それだけじゃなく、慧さんの左の指先からは血が滴っている。目を凝らせば割れ落ちたガラスの縁にも血が付いていて、どうやら慧さんはこの広く丈夫な掃き出し窓のガラスを殴り割ったらしい。

 瞬間、『幽霊』が出て窓を割ったのかと思った。だが、すぐに慧さんの声で言葉が聞ける。

「すまん、驚かせただろう」
「あ、はい……救急箱、ありますか?」
「反対の部屋の物置、サイドボードの上」
「できれば座っていてくださいね」
「世話を焼かせてすみませんねえ」

 幸い救急箱の中身は充実していて、というより使った形跡が見当たらない新品セットだった。お蔭で消毒液も灰皿の上で盛大に使う。慧さんの怪我は左手のみ、ガラスで切った箇所は縫う程じゃなさそうだけれど、分厚いガラスを力いっぱい殴った打撲の方が酷そうだった。

「どうしてこんな……」
「風通しも良くて気分いいだろうよ」
「慧さん、真面目に。蚊に刺されるだけじゃないですか」
「お前さんも言うようになりましたねえ。……なんだって『幽霊』がクソ親父なんだ?」

「はあ? だって亡くなられたから幽霊――」
「そうじゃなくてだな……C-PTSD、いわゆる複雑性PTSDの元に『性的虐待』がある場合、本人以外に別人格が形成されることが多々ある」
「ええ、解離性同一性障害ですね」

「その解離人格ってぇのは普通、本来の自分を護るために作り出されるらしい。矢面に立つってな風ですよ」
「まあ、自分が虐待されているのに、更に虐待してくる人格を作りはしないでしょうね。生存本能に反して……あっ」
「そうだ。何で俺の解離人格は『物心つかない頃から俺をオナホールにしてきた幽霊クソ親父』なんだ?」

 慧さんはもう普段と同じ表情を取り戻していて、僕が傷に絆創膏を貼り、上から湿布して包帯を巻きつける間も大人しくしていてくれた。でも、ガラスを殴り割るほど悔しかったんだろうな、幽霊が出たことが。
 その幽霊が精神医療領域に於いては『本人を護る存在』とされていることが。

 気持ちは分かる上に、僕には少しだけ推論もたてられた。
 例えばだけど慧さんは表立っては母親に、より虐待を受けていた。そして父親はペドフィリア、幼児性愛という特殊な性癖を満たせる唯一の自分の息子を、対外的には大切にして見せていたんじゃないかと思う。

 どんなに酷い毎日でも、たった三十分間の家族ごっこで和やかにケーキを食べられれば、その記憶は『悪い引き出し』には仕舞われない。それは判断ミスでも愚かでもなく、人が生きていく上で大事なことのひとつだと僕は思っている。哀しいことに脳の誤作動であっても。

 とにかく、そんな生活で母親の虐待から庇われたことも数多くあったんじゃないかな。父親が止めに入って、その背を『護ってくれる存在』と感じていた……全部が全部、想像だけど。慧さんにストレートに今、伝えても意味を成すかどうか疑問な話だし。

「さて。これでこの連休は運転不可能ですね。じゃあ、ネットスーパー使いますよ」
「本当にお前さんが作ったものが食えるんですかね?」
「ネットスーパーにはカップ麺だって売ってます」
「なら、俺はうどんだ」

 言いつつ素直に自分でフローリングを掃くモップを持ち出し、室内に零れた僅かな破片を慧さんは執拗なくらい丁寧に外へと掃き出してゆく。幾ら洒落たペントハウスでも靴を履いて生活はしていないから、必要な事ではあろう。

「ガラス、何回目ですか?」
「三回目だ。コツも覚えて左手だぞ」
「厨二病っぽいですよ。幽霊の悠氏が出るたびにそれなら、建設的にジムでも通えばどうですか?」

「……俺が、ジムだあ?」
「ですよねー、はあ。カップうどんとスパゲッティ。ソースはポモドーロ。ううん、ペスカトーレかな」
「ちょっと待て! その格の違いは何だ!?」
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