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深海を這う者、日射しを夢視ず
第28話
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十八歳まで一年ない。それまでに母親が僕を殺さずにカネの工面はしてくれるようになるか、そうでなければ慧さんだけでなくバイト禁止の学校側との話し合いもしなくちゃならない。
まだ二十歳にもなっていないのに、生きてゆくって何て面倒臭いんだろうか。
そんなことばかり考えているからだろうけど、僕は大抵が暗めの無表情なのだそうだ、5000円をカモられた同級生に言わせると。
笑うネタもないのに笑えないよな……と、思いながら放課後の化学科職員室の扉に向かって声を出す。
「二年B組、水谷。拝島先生の用で来ました。入ります!」
久々に出した大声は割れ掠れていた。片手でプリントの束、片手で扉を開けかけた途端に缶コーヒーのショート缶が飛んできて、キャッチできずにプリントの束でガードしてしまう。ニヤリと笑う悪徳教師の拝島慧。
「反射神経は悪くないのに、ヤラれてから『ガツン』とはねぇ」
人の、まだ生傷を平気で抉ってくるのも、ここ二日ほどでもう慣れていた。
「それよりこれ、落とさなきゃドアのガラスが割れてましたよ」
「そいつは水谷、大変だなあ。生活指導に絞られて反省文と弁償のペナルティだ」
「僕は何もして……いえ、ガラスに缶コーヒーを投げてませんから」
そこで笑みを深くした無精ひげ三十男は煙草を咥えて火を点ける。紫煙を吐き、
「こうやって水掛け論になり、冤罪は作られるんですよ。お分かり?」
こんなやり取りも繰り返されていて、僕としては飽きかけていたけれど、慧さんの思惑は『僕に大人の思考を覚えさせる』、つまり僕を早く大人にしようと思っているんじゃないかとも考えていた。
「どっちにしろ拝島先生がその場にいたのにガラスが割れる事故が起こったら、先生にも多少の責任追及は及ぶんじゃないですか?」
「ほう、良くできました。だがガラスは割れんよ、防弾だ」
「えっ?」
「そんな訳あるか。ここはヤクザの事務所じゃないんですよ、透。プリント寄越せ」
僕が上手く担がれたのが嬉しいのか、ここからは透と慧さんでいいらしかった。後ろ手にドアの内カギを僕は閉める。誰が来てもワンクッションあれば切り替えられる程度に僕も狡い。
慧さんのデスクにプリントの束を置こうとして腕を掴まれ、引き寄せられて唇同士が接触した。僕の側の体勢が悪いのにもお構いなしに慧さんはやたらと上手い舌づかいで、結局またも膝を折ってしまった僕の負けだ。
この程度のことは、もう驚く範疇から日常へと移行していた。
そしてこんなことまでしておきながら、僕と慧さんの間にこれ以上は何もない。
はっきり言って意図が分からず僕は戸惑っていたけれど、自分から押して試すのも、言葉で問うのも何処か違う気がして、できないでいる。水谷透のプライドは拝島慧が買ったのだから、欲しければ遠慮は要らないのだ。
もし抱かれたって慧さんが買った僕のプライドは折れない自信があるし……余程の妙な性癖が慧さんにあるなら別だけれど。つまり嫌いじゃない相手と寝るのなら僕は抵抗なんかないし、おまけに珍しく慧さんがどんな抱き方をするのかにも興味があった。まるで年相応の高校二年男子みたいに。
まだ慧さんの家に厄介になって、たったの三日。
それなのにヤリたい盛りの普通の高校男子の目で慧さんを見るのは嫌なので、帰れば殆ど別の部屋にいた。それでも動線が重なると慧さんは思いついたように濃厚なキスをして膝が砕けた僕を笑う。嫌がっていないのを知っていて笑うのだ。
デスクに縋って立ち上がるとバラバラになったプリントを拾い集め、まとめて慧さんに突き付けた。
「これ、明日の提出分ですか?」
「あー、土曜にやって今日出すつもりだったんですがね」
「僕の件で忙しかったから……手伝えますか?」
「いんや、自分でやるさ。透、お前さんには一緒に腹を空かして貰いますよ」
僕が簡単な料理なら作れると言っても慧さんは、
『俺だって成分表と混合の順番さえ分かれば何だって作れますがね』
などと言い放ち、結局は外食ばかりだ。理由はレシピ通りのグラム数の材料が売っていないのと、混合比を間違えると成人病の危険があるからだそうだ。
ジョークなのか本気か知れないが、この調子で来年の年度末近くの僕が十八歳になる誕生日頃には、おそらく僕が慧さんと住んでいるのも、下手するとそこに至った経緯も簡単にバレてしまうだろう。事実はともかく噂が立つのは確実だ。
「それでも僕は慧さんに手放されずにいて貰えるんですか?」
「はあ、ああん?」
いかにも唐突すぎた。だから誤魔化した。
「慧さんってマゾよりサドっぽいですよね」
「見た目で決めるか、そういうのを?」
「重たそうな過去も加味してますけれど」
生傷を抉られる仕返しと本音とちょっとの不安と。
「まあ、そういうのも関係あるんでしょうねえ、俺が失くしたものと」
「代わりに僕に取り戻させたい……そう思ってます?」
僕はこの時までずっと、慧さん自身が失くしたものを僕に取り戻させたいのだと思い込んでいた。慧さんに買われた僕が自分のプライドを枉げないことで、慧さんは何かを得る。取り戻せるかも知れないと。
慧さんが欲しいのは、そんな形のないものや想いなのだと――。
「透よ、真面目に応えりゃ俺はごく普通の性的嗜好の持ち主だと思うが、勃てばの話だ。親父が母親にツッコミながら首を絞めて殺し、包丁で反撃した母親が頸動脈を切って親父は死んだ。それを見てから俺は不能だ」
まだ二十歳にもなっていないのに、生きてゆくって何て面倒臭いんだろうか。
そんなことばかり考えているからだろうけど、僕は大抵が暗めの無表情なのだそうだ、5000円をカモられた同級生に言わせると。
笑うネタもないのに笑えないよな……と、思いながら放課後の化学科職員室の扉に向かって声を出す。
「二年B組、水谷。拝島先生の用で来ました。入ります!」
久々に出した大声は割れ掠れていた。片手でプリントの束、片手で扉を開けかけた途端に缶コーヒーのショート缶が飛んできて、キャッチできずにプリントの束でガードしてしまう。ニヤリと笑う悪徳教師の拝島慧。
「反射神経は悪くないのに、ヤラれてから『ガツン』とはねぇ」
人の、まだ生傷を平気で抉ってくるのも、ここ二日ほどでもう慣れていた。
「それよりこれ、落とさなきゃドアのガラスが割れてましたよ」
「そいつは水谷、大変だなあ。生活指導に絞られて反省文と弁償のペナルティだ」
「僕は何もして……いえ、ガラスに缶コーヒーを投げてませんから」
そこで笑みを深くした無精ひげ三十男は煙草を咥えて火を点ける。紫煙を吐き、
「こうやって水掛け論になり、冤罪は作られるんですよ。お分かり?」
こんなやり取りも繰り返されていて、僕としては飽きかけていたけれど、慧さんの思惑は『僕に大人の思考を覚えさせる』、つまり僕を早く大人にしようと思っているんじゃないかとも考えていた。
「どっちにしろ拝島先生がその場にいたのにガラスが割れる事故が起こったら、先生にも多少の責任追及は及ぶんじゃないですか?」
「ほう、良くできました。だがガラスは割れんよ、防弾だ」
「えっ?」
「そんな訳あるか。ここはヤクザの事務所じゃないんですよ、透。プリント寄越せ」
僕が上手く担がれたのが嬉しいのか、ここからは透と慧さんでいいらしかった。後ろ手にドアの内カギを僕は閉める。誰が来てもワンクッションあれば切り替えられる程度に僕も狡い。
慧さんのデスクにプリントの束を置こうとして腕を掴まれ、引き寄せられて唇同士が接触した。僕の側の体勢が悪いのにもお構いなしに慧さんはやたらと上手い舌づかいで、結局またも膝を折ってしまった僕の負けだ。
この程度のことは、もう驚く範疇から日常へと移行していた。
そしてこんなことまでしておきながら、僕と慧さんの間にこれ以上は何もない。
はっきり言って意図が分からず僕は戸惑っていたけれど、自分から押して試すのも、言葉で問うのも何処か違う気がして、できないでいる。水谷透のプライドは拝島慧が買ったのだから、欲しければ遠慮は要らないのだ。
もし抱かれたって慧さんが買った僕のプライドは折れない自信があるし……余程の妙な性癖が慧さんにあるなら別だけれど。つまり嫌いじゃない相手と寝るのなら僕は抵抗なんかないし、おまけに珍しく慧さんがどんな抱き方をするのかにも興味があった。まるで年相応の高校二年男子みたいに。
まだ慧さんの家に厄介になって、たったの三日。
それなのにヤリたい盛りの普通の高校男子の目で慧さんを見るのは嫌なので、帰れば殆ど別の部屋にいた。それでも動線が重なると慧さんは思いついたように濃厚なキスをして膝が砕けた僕を笑う。嫌がっていないのを知っていて笑うのだ。
デスクに縋って立ち上がるとバラバラになったプリントを拾い集め、まとめて慧さんに突き付けた。
「これ、明日の提出分ですか?」
「あー、土曜にやって今日出すつもりだったんですがね」
「僕の件で忙しかったから……手伝えますか?」
「いんや、自分でやるさ。透、お前さんには一緒に腹を空かして貰いますよ」
僕が簡単な料理なら作れると言っても慧さんは、
『俺だって成分表と混合の順番さえ分かれば何だって作れますがね』
などと言い放ち、結局は外食ばかりだ。理由はレシピ通りのグラム数の材料が売っていないのと、混合比を間違えると成人病の危険があるからだそうだ。
ジョークなのか本気か知れないが、この調子で来年の年度末近くの僕が十八歳になる誕生日頃には、おそらく僕が慧さんと住んでいるのも、下手するとそこに至った経緯も簡単にバレてしまうだろう。事実はともかく噂が立つのは確実だ。
「それでも僕は慧さんに手放されずにいて貰えるんですか?」
「はあ、ああん?」
いかにも唐突すぎた。だから誤魔化した。
「慧さんってマゾよりサドっぽいですよね」
「見た目で決めるか、そういうのを?」
「重たそうな過去も加味してますけれど」
生傷を抉られる仕返しと本音とちょっとの不安と。
「まあ、そういうのも関係あるんでしょうねえ、俺が失くしたものと」
「代わりに僕に取り戻させたい……そう思ってます?」
僕はこの時までずっと、慧さん自身が失くしたものを僕に取り戻させたいのだと思い込んでいた。慧さんに買われた僕が自分のプライドを枉げないことで、慧さんは何かを得る。取り戻せるかも知れないと。
慧さんが欲しいのは、そんな形のないものや想いなのだと――。
「透よ、真面目に応えりゃ俺はごく普通の性的嗜好の持ち主だと思うが、勃てばの話だ。親父が母親にツッコミながら首を絞めて殺し、包丁で反撃した母親が頸動脈を切って親父は死んだ。それを見てから俺は不能だ」
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