不自由ない檻

志賀雅基

文字の大きさ
上 下
28 / 44
深海を這う者、日射しを夢視ず

第28話

しおりを挟む
 十八歳まで一年ない。それまでに母親が僕を殺さずにカネの工面はしてくれるようになるか、そうでなければ慧さんだけでなくバイト禁止の学校側との話し合いもしなくちゃならない。

 まだ二十歳にもなっていないのに、生きてゆくって何て面倒臭いんだろうか。
 そんなことばかり考えているからだろうけど、僕は大抵が暗めの無表情なのだそうだ、5000円をカモられた同級生に言わせると。

 笑うネタもないのに笑えないよな……と、思いながら放課後の化学科職員室の扉に向かって声を出す。

「二年B組、水谷。拝島先生の用で来ました。入ります!」

 久々に出した大声は割れ掠れていた。片手でプリントの束、片手で扉を開けかけた途端に缶コーヒーのショート缶が飛んできて、キャッチできずにプリントの束でガードしてしまう。ニヤリと笑う悪徳教師の拝島慧。

「反射神経は悪くないのに、ヤラれてから『ガツン』とはねぇ」

 人の、まだ生傷を平気で抉ってくるのも、ここ二日ほどでもう慣れていた。

「それよりこれ、落とさなきゃドアのガラスが割れてましたよ」
「そいつは水谷、大変だなあ。生活指導に絞られて反省文と弁償のペナルティだ」
「僕は何もして……いえ、ガラスに缶コーヒーを投げてませんから」

 そこで笑みを深くした無精ひげ三十男は煙草を咥えて火を点ける。紫煙を吐き、

「こうやって水掛け論になり、冤罪は作られるんですよ。お分かり?」

 こんなやり取りも繰り返されていて、僕としては飽きかけていたけれど、慧さんの思惑は『僕に大人の思考を覚えさせる』、つまり僕を早く大人にしようと思っているんじゃないかとも考えていた。

「どっちにしろ拝島先生がその場にいたのにガラスが割れる事故が起こったら、先生にも多少の責任追及は及ぶんじゃないですか?」
「ほう、良くできました。だがガラスは割れんよ、防弾だ」
「えっ?」
「そんな訳あるか。ここはヤクザの事務所じゃないんですよ、透。プリント寄越せ」

 僕が上手く担がれたのが嬉しいのか、ここからは透と慧さんでいいらしかった。後ろ手にドアの内カギを僕は閉める。誰が来てもワンクッションあれば切り替えられる程度に僕も狡い。

 慧さんのデスクにプリントの束を置こうとして腕を掴まれ、引き寄せられて唇同士が接触した。僕の側の体勢が悪いのにもお構いなしに慧さんはやたらと上手い舌づかいで、結局またも膝を折ってしまった僕の負けだ。

 この程度のことは、もう驚く範疇から日常へと移行していた。
 そしてこんなことまでしておきながら、僕と慧さんの間にこれ以上は何もない。

 はっきり言って意図が分からず僕は戸惑っていたけれど、自分から押して試すのも、言葉で問うのも何処か違う気がして、できないでいる。水谷透のプライドは拝島慧が買ったのだから、欲しければ遠慮は要らないのだ。

 もし抱かれたって慧さんが買った僕のプライドは折れない自信があるし……余程の妙な性癖が慧さんにあるなら別だけれど。つまり嫌いじゃない相手と寝るのなら僕は抵抗なんかないし、おまけに珍しく慧さんがどんな抱き方をするのかにも興味があった。まるで年相応の高校二年男子みたいに。

 まだ慧さんの家に厄介になって、たったの三日。
 それなのにヤリたい盛りの普通の高校男子の目で慧さんを見るのは嫌なので、帰れば殆ど別の部屋にいた。それでも動線が重なると慧さんは思いついたように濃厚なキスをして膝が砕けた僕を笑う。嫌がっていないのを知っていて笑うのだ。

 デスクに縋って立ち上がるとバラバラになったプリントを拾い集め、まとめて慧さんに突き付けた。

「これ、明日の提出分ですか?」
「あー、土曜にやって今日出すつもりだったんですがね」
「僕の件で忙しかったから……手伝えますか?」
「いんや、自分でやるさ。透、お前さんには一緒に腹を空かして貰いますよ」

 僕が簡単な料理なら作れると言っても慧さんは、

『俺だって成分表と混合の順番さえ分かれば何だって作れますがね』

 などと言い放ち、結局は外食ばかりだ。理由はレシピ通りのグラム数の材料が売っていないのと、混合比を間違えると成人病の危険があるからだそうだ。

 ジョークなのか本気か知れないが、この調子で来年の年度末近くの僕が十八歳になる誕生日頃には、おそらく僕が慧さんと住んでいるのも、下手するとそこに至った経緯も簡単にバレてしまうだろう。事実はともかく噂が立つのは確実だ。

「それでも僕は慧さんに手放されずにいて貰えるんですか?」
「はあ、ああん?」

 いかにも唐突すぎた。だから誤魔化した。

「慧さんってマゾよりサドっぽいですよね」
「見た目で決めるか、そういうのを?」
「重たそうな過去も加味してますけれど」

 生傷を抉られる仕返しと本音とちょっとの不安と。

「まあ、そういうのも関係あるんでしょうねえ、俺が失くしたものと」
「代わりに僕に取り戻させたい……そう思ってます?」

 僕はこの時までずっと、慧さん自身が失くしたものを僕に取り戻させたいのだと思い込んでいた。慧さんに買われた僕が自分のプライドを枉げないことで、慧さんは何かを得る。取り戻せるかも知れないと。

 慧さんが欲しいのは、そんな形のないものや想いなのだと――。

「透よ、真面目に応えりゃ俺はごく普通の性的嗜好の持ち主だと思うが、勃てばの話だ。親父が母親にツッコミながら首を絞めて殺し、包丁で反撃した母親が頸動脈を切って親父は死んだ。それを見てから俺は不能だ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件

遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。 一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた! 宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!? ※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

未冠の大器のやり直し

Jaja
青春
 中学2年の時に受けた死球のせいで、左手の繊細な感覚がなくなってしまった、主人公。  三振を奪った時のゾクゾクする様な征服感が好きで野球をやっていただけに、未練を残しつつも野球を辞めてダラダラと過ごし30代も後半になった頃に交通事故で死んでしまう。  そして死後の世界で出会ったのは…  これは将来を期待されながらも、怪我で選手生命を絶たれてしまった男のやり直し野球道。  ※この作品はカクヨム様にも更新しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

土俵の華〜女子相撲譚〜

葉月空
青春
土俵の華は女子相撲を題材にした青春群像劇です。 相撲が好きな美月が女子大相撲の横綱になるまでの物語 でも美月は体が弱く母親には相撲を辞める様に言われるが美月は母の反対を押し切ってまで相撲を続けてる。何故、彼女は母親の意見を押し切ってまで相撲も続けるのか そして、美月は横綱になれるのか? ご意見や感想もお待ちしております。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

僕は 彼女の彼氏のはずなんだ

すんのはじめ
青春
昔、つぶれていった父のレストランを復活させるために その娘は 僕等4人の仲好しグループは同じ小学校を出て、中学校も同じで、地域では有名な進学高校を目指していた。中でも、中道美鈴には特別な想いがあったが、中学を卒業する時、彼女の消息が突然消えてしまった。僕は、彼女のことを忘れることが出来なくて、大学3年になって、ようやく探し出せた。それからの彼女は、高校進学を犠牲にしてまでも、昔、つぶされた様な形になった父のレストランを復活させるため、その思いを秘め、色々と奮闘してゆく

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

処理中です...