不自由ない檻

志賀雅基

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不安定がすぐそこの均衡でも

第24話

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 八つ当たりにしては、やり過ぎた。けど僕の心の中を幾ら探したって、事実と違うストーリーが罷り通った気持ちの悪さがあるだけで、罪の意識は何処にも転がってはいないのだ。
 母が僕に言った『サイコパス』は、あながち間違いじゃないのかも。

 考えながら僕はキッチンの椅子に腰かけて、向かいの椅子で藤村弁護士があちこちに携帯で連絡しては早口で喋るのを、グラスのお茶を飲みながら眺めている。何度も「拝島慧」と名が出てきて、僕はそのたびに、

『ヤラれる前にガツンとやりゃあ良かったんだ』

 という慧さんの科白を思い出した。慧さんは少し怒ってた? 僕が『約束を護れなくて』? それとも『約束を破られるようなことまでされた僕』をちょっとは心配してくれて――?

 って、何で僕は慧さんにここまで心を傾けてしまっているんだろう。契約したから? それでカネをくれたから?
 それくらい、なんて言ったら悪いし、それこそこじつけみたいだけど、慧さんと関わらなかったら僕はヒモ男を殺しかけるほど殴ってなかっただろう。

「――透君、どうかしたかい、透君!」
「あっ、はい。すみません、何ですか?」

 自分の身の振り方で他人が気を回し、動いてくれているのに、僕はボーッとしすぎだと反省する。それでも藤村弁護士は有難いことに心配げな顔もせず、話の進み具合を事務的に教えてくれた。

「一番いいのは透君の親族がこの家で同居することだが、きみの唯一の親族であるお母さんは暫く戻る気はないそうだ。問題なのは検察送致で不処分決定を下されるまでの、たった一日半なんだがね」
「一日半だけ保護者と一緒にいたらいいんですか?」

「そうなんだ。警察も表向きは勾留したように見せるらしいからね。だが、欲を言えば送致日以降も『保護者が居る』という事実が欲しいところなんだよ」
「検察で不処分決定をもぎ取るには、保護者の存在が大きな材料ってことでしょうか?」
「話が早くて助かるよ」

 僕は考えてみたが母親と一緒なら何でもいいって訳じゃないだろうし、それなら一日半だけ僕も母親と一緒にヒモ男を眺めているという手は使えなさそうだ。
 考えているうちに藤村弁護士が『大人の話』を開陳する。

「そこでだね、透君。きみは不在が多くきみを放置しがちなお母さんから離れる気になった。今回の加害者の味方をするお母さんとは安全に暮らすことも難しい。どうかな?」
「……事実だとは思いますけど」
「じゃあ、そういう未成年は普通なら児童相談所の扱いになり、まずは二ヶ月以内と決めて施設で暮らすことになるんだけど……おっと、これは『普通なら』って話だよ」

 自分が普通じゃないのは、通常の思考回路で殺人未遂に行き着いたんじゃない事で、僕は解った気になっていた。けれど何やら『黒い大人の世界』のパイプまで使って、僕は更に特別にされようとしているらしい。

「透君。きみは以前からネグレクトや暴力といったDVを受けていて、それから一時的に逃れるために『週末里親制度』の対象者だった。そして幸いにも今日明日明後日と三連休だ。本当に運がいい」

 少しだけ考えて整理し、僕は藤村弁護士に訊く。

「里親制度の里親になるには独身者でも構わないと聞いたことはありますが、藤村先生がおっしゃりたいのは拝島先生のことですよね? 今から里親の講習だの面接だのって間に合わないでしょう?」

 ここでまた藤村弁護士は人の悪い笑みを浮かべた。

「確かにね、今からじゃ間に合わない。でも、前々から拝島氏は『里親としての要件を満たし、いつでも受け入れられる状態にあった』なら、誰も文句は言わないよ」
「それでも里子って、里親は指名できない筈じゃ?」

「本当に良くものを知っているねえ。でもね、児相は児童福祉法に則って動く各都道府県の行政機関だ。独立法人じゃない。行政機関である以上、例えば『とある議員』が強い願いを申し入れたら……ってことなんだ」

「なら、もしかしてそこでも拝島先生は議員にカネを払った、つまり買収したんですか?」
「嘘をついても仕方がないね。まあ、買収と云えるほど積んだ訳じゃないと思うよ、まんざら他人でもない知り合いみたいだったし」

 これだけのお膳立てをされて僕が慧さんの里子は嫌だと言ったらどうなるんだろうか。たぶん慧さんは自分の手の中に僕を置きたがっている。専属の話といい、その理由が『水谷透のプライドの変化』だったり、手回しが良すぎるほどのタイミングで弁護士まで連れてきたり。
 まるで目が離せない化学実験でもしているみたいだ。

 断らなくても週末里親制度なら来年4月で僕は18歳になり里子の期限が切れる。
 慧さんも来年3月で消える講師、だとも言っていた。
 特別養子縁組なら母親と縁を切り、慧さんと親子関係になるから9か月後に迫った不安要素も消えそうだけど。なんて考えて自分でも少し気恥ずかしさを覚えた。

 同性のパートナー同士はまだ日本の法律じゃ結婚できない。その代わりに同性パートナーはどちらかが養子になることで同じ戸籍に入るのだ。そんなことくらい知っていたのに、あまりに自然に慧さんと一緒にいることを思い描けてしまっている僕は、まさか慧さんをそういう目で見てしまっているんだろうか?

 慧さんは僕で化学実験しているだけかも知れないのに?

「あのう、それはこの先の週末も拝島先生に僕は面倒を見て貰うって意味ですか?」
「体裁としては、それがベストなんだ。似非養い親、いや、せっかく拝島氏も関係各位に掛け合って、透君、きみのことは任されると宣言して回っている筈だしね」
「そうですか。……どうして僕のために拝島先生は多額のおカネを出して、世間を騙してまで厄介事を背負ってるんでしょうか。何かご存じですか?」

 束の間、迷った風を見せた藤村弁護士だったが重たげな口を開いてくれた。

「彼がきみくらいの年の頃、彼の実の父親と母親が刺し合って亡くなった。無理心中で決着がついて両親ともに被疑者死亡のまま書類送検された。つまり拝島慧は何も悪くない。しかし両親が殺し合うのを彼は見ていた、唯一の目撃者だった。両親の殺し合いの原因は『誰かが父親の財布から三千円を盗った』ことだったそうだ」

 慧さんの言っていた『可哀想な俺の全てが壊れたきっかけ』を思い出して、僕は慧さんの『全てはまだ壊れている』のか、それともカネにものを言わせられる立場を得て『壊れたものを直せた』もしくは『取り戻した』のか、どちらだろうと暫し黙考した。

 そうして黙って待っていた藤村弁護士に告げる。

「ベストな形で、宜しくお願いします」

 頭を下げながら僕は慧さんを思い浮かべて自分に言い聞かせていた。
 僕のプライドは慧さんが買った。だけど折れても妥協してもいけない、絶対に。
 分岐点では常に自分が納得できる方を選ぶ。
 慧さんが僕で実験するのなら、僕は慧さんに『取り戻させたい』。

 そんなことができるのかどうかなんて分からないし期限付きだし、今の僕は大人たちの悪知恵に頼らなきゃ殺人未遂で逮捕の身だ。偉そうなことは言えない。
 けれど、慧さんが僕のプライドに賭けたのなら、勝ちたい。

「藤村先生、警察と検察でのロープレというか、何でもいいです、ご指南をして貰っていいですか?」 
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