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僕なら遺書は残さないけど
第22話
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本当なら僕は殺人未遂の犯人で、幾ら強姦や日頃の暴力や旧刑法でいうところの『故殺』なる衝動殺人であることを割り引いても、こうして自由の身ではいられなかった筈なのだ。何も殺す覚悟をしていた訳じゃないから故殺(未遂)には違いないと自分でも思うし、ある意味では被害者だけれど、過剰防衛は否めない。通常の感覚なら。
自分でも望んでいなかった権力に翻弄されている。
だからって母親をあの部屋に独りで残しておいて、首でも吊られたり睡眠薬自殺なりされても困るのだ。嫌な言い方だけど自殺は100パーセント成功すると決まっていない。そして失敗すれば後遺症の恐れがあるのだ。
延々、切々と僕への怨み言を綴った遺書を残した挙げ句に、要介護状態になったら本気で目も当てられない。前にも思ったけど母親にメンタルを壊されると厄介。こなごなに壊れたらどう分別して捨てればいいか皆目見当もつかないし。
見張ってないと拙いと思って『うちに戻る』と言ったのだ。
その程度しか考えない息子は自分より背も高い、殆ど大人の姿をしている。さぞかし当たりは強そうだ。それにあの騒ぎをマンションのほかの住人が知らない筈もない。
巡り巡って学校にも噂は届くのだろう。取り敢えず通学しても呼び出されて何らかの形でお払い箱になる可能性は高い。それに不処分でも事実として僕に対し恨み骨髄だろう母親との生活が長く続けられるとも思えない。来年4月の18歳になってしまえば成人として自力で物事を動かせそうなのだが。
今、母親との生活もしくは母親が壊れたら、児童相談所の決定に全てが左右される。あからさまに『ワケアリです』と書いたボードを首から下げて転校せずにいられるかも疑問だ。潰しが利くように大学も出ておきたいが、奨学金はアリでも内申は期待できないよなあ――。
こんなに問題が山積するのに僕はどうして母親の彼氏を殴り殺しかけたのだろう?
確かに排除したかった。なら、もっと上手いやり方を考えつかなかったのか。
――分かってる。ヤラれて僕は絶望しかけたんだ。
慧さんとした約束をその日のうちに破り捨てさせられた絶望。
咄嗟にヒモ男を殴っていなければ、僕はベランダから飛び降りていたと思う。
きっと誰にも僕が死んだ意味なんて理解されずに地面から剥がされて、入院じゃなく解剖されていた。
ううん、慧さんにだけは今回の現実と同様にメールで謝ったかも。
そのくらい僕には慧さんとの約束が大切で、破らせたヒモ男は僕の中では万死に値した。僕の躰は僕のものであって僕のものじゃない。拝島慧という人間と契約して専属になり、僕が殴られたり名前も知らない男に好きにさせたりしてでも稼ぐしかなかった『必要なカネ』を交換でくれる約束をした。
惨めな思いをせずに済み、気が緩んで寝てしまえるのは幸せじゃないのかな。
その幸せは『普通の基準』では、かなり下位に存在するらしい。
そんな、ちっぽけでささやかなことが僕にとっては堪らなく大切で。
ヒモ男にヤラれて痛みが躰を突き抜けた瞬間に、『今、一番欲しいもの』として失いたくない『契約』と同時に『水の泡にされた約束』が浮かんだ。
僕はどうしても欲しいものができると堪え性が無くなって、タガが外れる。
「透君、マンションに着いたけど私も一度、お邪魔して構わないかな?」
「はい、藤村先生。是非お願いします……嫌なものを見せてしまうと思いますが」
「私は依頼主の要望はキッチリこなす主義でね。気にしないで」
藤村弁護士がタクシー代を払って領収書を受け取ると二人でマンションのふもとに立つ。
「さて、行こう。私がついているし、危険と判断したら一緒に出よう」
頷きつつ辺りを眺め回したが警察車両と思われる車は止まっていなかった。殺人未遂の現場から、こうも早く捜査陣が撤退するのは幾ら何でも通常はありえないだろう。
僕の思いを読んだように藤村弁護士がエレベーターホールに歩き出しながら笑った。
「あのねえ、透君。これは『大人の世界の話』を何処かに通したり、その圧力の結果が出た、なんて事とは違うんだからね。ヨンパチのカウントがスタートした直後に弁護士の私が関われたのが一点。二点目は私の見立てでは透君、きみはどう考えても正当防衛をした被害者なんだよ。堂々としていたらいいんだ」
あの瞬間、閃いた殺意は『正当防衛』という言葉に溶かし込んでしまった方がいいのだろう。頷く。
エレベーターで上階に上がる。一度も停止せずにうちの部屋がある階へ。
想像ばかり膨らませても無駄に終わるのかも知れず、僕は無造作に自室のドアロックを鍵で解こうとして気付く。鍵が掛かっていない。それこそ母がぶら下がっているのかと思いぞっとしてドアを引き開け部屋に駆け込む。ついてきた藤村弁護士と部屋という部屋を見て回り、果てはベランダから乗り出してみたが異常はない。
異常どころか捜査の痕跡も綺麗に消えたキッチンのテーブルに封筒があって、中身は遺書ではなく一万円札が二枚だった。
何だか気抜けして冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して藤村弁護士に渡す。次にバッテリの切れていた携帯に充電器を差し込んだ。同時に着信アリの振動。
「あ、母からです。僕が殴っちゃった彼氏、意識は戻ったけれど記憶や言葉が駄目みたいで」
「じつはそれ、先に聞いてたんだよ。申し訳ないね」
「いえ、そんな。で、母は24時間看護体制のあの病院に付き添いのベッドを入れさせて、自分も24時間看護を始めるそうで……」
「あー、そうきたか。透君が独りはちょっと拙いかなあ。親戚もいない?」
「はあ……」
「動かせる人間……児童相談所関係くらいか。いや、17歳ならギリギリ里親制度も使えるか……明日には不処分決定、短期ならいけるかも知れないな」
「里親ですか? それって決まるまで、すごく時間が掛かるんじゃ?」
ここにきて知らない人間との家族ごっこは、はっきり言って勘弁して欲しかったのだ。しかし藤村弁護士は初めて見せる片頬を歪めた人の悪そうな笑いを作る。
「心配要らないさ。こういう時は『言い出しっぺ』に責任を負わせるものだよ」
自分でも望んでいなかった権力に翻弄されている。
だからって母親をあの部屋に独りで残しておいて、首でも吊られたり睡眠薬自殺なりされても困るのだ。嫌な言い方だけど自殺は100パーセント成功すると決まっていない。そして失敗すれば後遺症の恐れがあるのだ。
延々、切々と僕への怨み言を綴った遺書を残した挙げ句に、要介護状態になったら本気で目も当てられない。前にも思ったけど母親にメンタルを壊されると厄介。こなごなに壊れたらどう分別して捨てればいいか皆目見当もつかないし。
見張ってないと拙いと思って『うちに戻る』と言ったのだ。
その程度しか考えない息子は自分より背も高い、殆ど大人の姿をしている。さぞかし当たりは強そうだ。それにあの騒ぎをマンションのほかの住人が知らない筈もない。
巡り巡って学校にも噂は届くのだろう。取り敢えず通学しても呼び出されて何らかの形でお払い箱になる可能性は高い。それに不処分でも事実として僕に対し恨み骨髄だろう母親との生活が長く続けられるとも思えない。来年4月の18歳になってしまえば成人として自力で物事を動かせそうなのだが。
今、母親との生活もしくは母親が壊れたら、児童相談所の決定に全てが左右される。あからさまに『ワケアリです』と書いたボードを首から下げて転校せずにいられるかも疑問だ。潰しが利くように大学も出ておきたいが、奨学金はアリでも内申は期待できないよなあ――。
こんなに問題が山積するのに僕はどうして母親の彼氏を殴り殺しかけたのだろう?
確かに排除したかった。なら、もっと上手いやり方を考えつかなかったのか。
――分かってる。ヤラれて僕は絶望しかけたんだ。
慧さんとした約束をその日のうちに破り捨てさせられた絶望。
咄嗟にヒモ男を殴っていなければ、僕はベランダから飛び降りていたと思う。
きっと誰にも僕が死んだ意味なんて理解されずに地面から剥がされて、入院じゃなく解剖されていた。
ううん、慧さんにだけは今回の現実と同様にメールで謝ったかも。
そのくらい僕には慧さんとの約束が大切で、破らせたヒモ男は僕の中では万死に値した。僕の躰は僕のものであって僕のものじゃない。拝島慧という人間と契約して専属になり、僕が殴られたり名前も知らない男に好きにさせたりしてでも稼ぐしかなかった『必要なカネ』を交換でくれる約束をした。
惨めな思いをせずに済み、気が緩んで寝てしまえるのは幸せじゃないのかな。
その幸せは『普通の基準』では、かなり下位に存在するらしい。
そんな、ちっぽけでささやかなことが僕にとっては堪らなく大切で。
ヒモ男にヤラれて痛みが躰を突き抜けた瞬間に、『今、一番欲しいもの』として失いたくない『契約』と同時に『水の泡にされた約束』が浮かんだ。
僕はどうしても欲しいものができると堪え性が無くなって、タガが外れる。
「透君、マンションに着いたけど私も一度、お邪魔して構わないかな?」
「はい、藤村先生。是非お願いします……嫌なものを見せてしまうと思いますが」
「私は依頼主の要望はキッチリこなす主義でね。気にしないで」
藤村弁護士がタクシー代を払って領収書を受け取ると二人でマンションのふもとに立つ。
「さて、行こう。私がついているし、危険と判断したら一緒に出よう」
頷きつつ辺りを眺め回したが警察車両と思われる車は止まっていなかった。殺人未遂の現場から、こうも早く捜査陣が撤退するのは幾ら何でも通常はありえないだろう。
僕の思いを読んだように藤村弁護士がエレベーターホールに歩き出しながら笑った。
「あのねえ、透君。これは『大人の世界の話』を何処かに通したり、その圧力の結果が出た、なんて事とは違うんだからね。ヨンパチのカウントがスタートした直後に弁護士の私が関われたのが一点。二点目は私の見立てでは透君、きみはどう考えても正当防衛をした被害者なんだよ。堂々としていたらいいんだ」
あの瞬間、閃いた殺意は『正当防衛』という言葉に溶かし込んでしまった方がいいのだろう。頷く。
エレベーターで上階に上がる。一度も停止せずにうちの部屋がある階へ。
想像ばかり膨らませても無駄に終わるのかも知れず、僕は無造作に自室のドアロックを鍵で解こうとして気付く。鍵が掛かっていない。それこそ母がぶら下がっているのかと思いぞっとしてドアを引き開け部屋に駆け込む。ついてきた藤村弁護士と部屋という部屋を見て回り、果てはベランダから乗り出してみたが異常はない。
異常どころか捜査の痕跡も綺麗に消えたキッチンのテーブルに封筒があって、中身は遺書ではなく一万円札が二枚だった。
何だか気抜けして冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して藤村弁護士に渡す。次にバッテリの切れていた携帯に充電器を差し込んだ。同時に着信アリの振動。
「あ、母からです。僕が殴っちゃった彼氏、意識は戻ったけれど記憶や言葉が駄目みたいで」
「じつはそれ、先に聞いてたんだよ。申し訳ないね」
「いえ、そんな。で、母は24時間看護体制のあの病院に付き添いのベッドを入れさせて、自分も24時間看護を始めるそうで……」
「あー、そうきたか。透君が独りはちょっと拙いかなあ。親戚もいない?」
「はあ……」
「動かせる人間……児童相談所関係くらいか。いや、17歳ならギリギリ里親制度も使えるか……明日には不処分決定、短期ならいけるかも知れないな」
「里親ですか? それって決まるまで、すごく時間が掛かるんじゃ?」
ここにきて知らない人間との家族ごっこは、はっきり言って勘弁して欲しかったのだ。しかし藤村弁護士は初めて見せる片頬を歪めた人の悪そうな笑いを作る。
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