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尤もらしい『味方』の理由
第20話
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僕より先に同じ病院のICUに収容された自分の彼氏を見舞ってきたらしい母は、個室のドア前でパイプ椅子に座り見張りをしていた制服警官に、先ず食いついた。
頭のてっぺんから振り絞るようなキンキン声で、
「母親が息子に会って何が悪いのよ!」
などと喚き散らしてはドアノブを掴んで回し、それを警官に制止される繰り返しは当然ながら寝ている僕にも聞こえている。10分以上も押し問答し、とうとう警官は無線で「母親の面会許可」を誰かに求めた。
「申し訳ありませんなあ、時間が時間なもんで。担当者がくるまで待って下さい」
幸い僕は母と一対一で会わずに済むらしい。
点滴に鎮静剤でも入っていたのか、それとも痛み止めが効いたのか、僕はウトウトしかけてドアが開き目覚めた。入ってきたのは意外な人数に意外な面子。店を出る前に化粧直ししたらしい母親に男女の刑事、スーツにネクタイの知らない男と、慧さんだ。
それだけの人々が見ている中でも、着替えてもいない母は容赦がなかった。
僕は罵倒され、平手打ちされる寸前で男の刑事が割って入り止めた。露出の多い服だからだろう、女の刑事が交替して母の腕を取り、僕のベッドと距離を取らせる。
引き離されて僕を殴れなくなった母親は、恨むのを通り越して祟りそうな声で僕に喚いた。その内容も捜査の一環として証言になり得るからか、怒りと涙で震えながら母が僕をまさに打擲する言葉は誰も留めようとはしなかった。
あんたの父親と同じ、大人しくて頭も良くて、でもDV男なのよ。暴力を振るうのを止められない、でも隠すのも上手いサイコパスなんだわ。ずっと、あんたは父親と違う、手の掛からない、いい子だって信じて育ててきたのに、騙して陰で嗤ってたのね? ああ、わたしにはあの人しかいないのに、どうしてくれるのよ――。
ひとしきり皆が黙って聞いた挙げ句に、やはり誰も母に意見することなく、ドアの外に増えた制服警官が二人して入ってくると母を連れだして行った。
きっとこのあと母も僕についての取り調べを受けるのだろう。
残った大人は誰もがもの言いたげだった。しかし二人の刑事を差し置いて、慧さんと一緒に来たスーツ男が消灯後の病室には似つかわしくない朗らかな声を出す。
「大変だったね、水谷透君。透君と呼ばせて貰っていいかな? ああ、私は弁護士の藤村史郎と申します。これ、名刺はここに置くね」
「弁護士さん……ですか?」
「ええ。少年事件を専門としています。拝島さんとは元々、ちょっとした知り合いなんです」
「もしかして、慧さん……拝島先生に僕の弁護士として雇われたんですか?」
「うーん、まあ、知り合いの誼ってとこですよ」
「……雇われたんですね」
男女の刑事の苦々しい顔つきを眺めてから、僕は慧さんを見て可能な限り深く頭を下げた。するとバレた以上は事務的にさっさと物事を進めた方がいいらしく、藤村弁護士は刑事の前で言い放った。
「心配は要らないから。透君、きみは刑事さんたちの取り調べに協力することになる。でも『被害者で正当防衛をしただけ』のきみは勾留なんかさせない。在宅で、警察署に行くときは付添人たる私も一緒だからね」
「え、捕まらないんですか?」
「捕まるようなことはしてないでしょう、きみは」
僅かに考えてから僕は言った。
「そう思って貰えるなら……痛くて、怖かったし、毎日殴られてました」
滑り込ませるように女刑事が訊く。
「じゃあ、憎かったのかな?」
「殴られなければ、憎くはなかったと思います」
大人たちがふいに黙って深く長い溜息で合唱した。そうして藤村弁護士が刑事らに口を開く。
「この状態で『あの母親の許』へ帰すのはどうかと思われます」
「そうですね。やはりこちらとしては勾留の方が何かと――」
「――いや、それは。何れ不処分となる彼を今、休学させては噂等を蔓延させるきっかけにもなりかねません」
「けれど、わたしたちは少年に関してはプロです。彼を傷つけると思われるのは心外、彼の心を護るのがわたしたち少年課の使命です」
「それは承知していますが……」
「あのう!」
大人たちの会話に何とか僕は参入した。点滴をしていない右手を下げてから提案する。
「もし、もしもその『在宅』が可能なら、僕はうちに戻っていいんですよね?」
面白いように大人たちがモノを言いかけて口をパクパクした。そんな中でずっと黙っていた慧さんがベッドに近づいて手を伸ばし、人差し指で僕の額をトンと突いた。
「何だって面倒を自分から背負いに行くのかねえ」
「面倒でも僕のうちで、あの人は僕の母親です」
「ふん……んで?」
「本当は母は、そう悪い人じゃないし、馬鹿でもありません。ただ僕の実父は飛び抜けて頭のいい人だったらしくて、その父から馬鹿にされDVを受けていた。だから母は自分の能力をリスペクトしてくれる男の人に弱くて、それだけで……」
「ふうん、理解ある息子さんですねえ。だからってあんたが不幸を我が身に受けたって、何の解決にもならんと思いますよ」
「そうですね。でも、僕が被害者になったら誰が母の味方になるんですか? 少なくとも母がいて僕は今まで育ってこられた。親子なんです、二人きりの」
今度こそ場にそぐわない慧さんの笑い声が響いた。ひとしきり笑って真顔になる。
「損な性分……そう受け取っておきましょうかね」
慧さん以外の大人たちは僕を気の毒そうに見てから動き出した。刑事たちと藤村弁護士は部屋を出て行き、残った慧さんも警官が見張る病室に長居は出来ないので去った。
だが去り際に煙草の匂いのキスとも云えない接触を頬にして、耳元に囁いた。
「ヤラれる前にガツンとやりゃあ良かったんだ。……演技なら及第点だな。だが気を付けろよ、刺されるんじゃないぞ」
頭のてっぺんから振り絞るようなキンキン声で、
「母親が息子に会って何が悪いのよ!」
などと喚き散らしてはドアノブを掴んで回し、それを警官に制止される繰り返しは当然ながら寝ている僕にも聞こえている。10分以上も押し問答し、とうとう警官は無線で「母親の面会許可」を誰かに求めた。
「申し訳ありませんなあ、時間が時間なもんで。担当者がくるまで待って下さい」
幸い僕は母と一対一で会わずに済むらしい。
点滴に鎮静剤でも入っていたのか、それとも痛み止めが効いたのか、僕はウトウトしかけてドアが開き目覚めた。入ってきたのは意外な人数に意外な面子。店を出る前に化粧直ししたらしい母親に男女の刑事、スーツにネクタイの知らない男と、慧さんだ。
それだけの人々が見ている中でも、着替えてもいない母は容赦がなかった。
僕は罵倒され、平手打ちされる寸前で男の刑事が割って入り止めた。露出の多い服だからだろう、女の刑事が交替して母の腕を取り、僕のベッドと距離を取らせる。
引き離されて僕を殴れなくなった母親は、恨むのを通り越して祟りそうな声で僕に喚いた。その内容も捜査の一環として証言になり得るからか、怒りと涙で震えながら母が僕をまさに打擲する言葉は誰も留めようとはしなかった。
あんたの父親と同じ、大人しくて頭も良くて、でもDV男なのよ。暴力を振るうのを止められない、でも隠すのも上手いサイコパスなんだわ。ずっと、あんたは父親と違う、手の掛からない、いい子だって信じて育ててきたのに、騙して陰で嗤ってたのね? ああ、わたしにはあの人しかいないのに、どうしてくれるのよ――。
ひとしきり皆が黙って聞いた挙げ句に、やはり誰も母に意見することなく、ドアの外に増えた制服警官が二人して入ってくると母を連れだして行った。
きっとこのあと母も僕についての取り調べを受けるのだろう。
残った大人は誰もがもの言いたげだった。しかし二人の刑事を差し置いて、慧さんと一緒に来たスーツ男が消灯後の病室には似つかわしくない朗らかな声を出す。
「大変だったね、水谷透君。透君と呼ばせて貰っていいかな? ああ、私は弁護士の藤村史郎と申します。これ、名刺はここに置くね」
「弁護士さん……ですか?」
「ええ。少年事件を専門としています。拝島さんとは元々、ちょっとした知り合いなんです」
「もしかして、慧さん……拝島先生に僕の弁護士として雇われたんですか?」
「うーん、まあ、知り合いの誼ってとこですよ」
「……雇われたんですね」
男女の刑事の苦々しい顔つきを眺めてから、僕は慧さんを見て可能な限り深く頭を下げた。するとバレた以上は事務的にさっさと物事を進めた方がいいらしく、藤村弁護士は刑事の前で言い放った。
「心配は要らないから。透君、きみは刑事さんたちの取り調べに協力することになる。でも『被害者で正当防衛をしただけ』のきみは勾留なんかさせない。在宅で、警察署に行くときは付添人たる私も一緒だからね」
「え、捕まらないんですか?」
「捕まるようなことはしてないでしょう、きみは」
僅かに考えてから僕は言った。
「そう思って貰えるなら……痛くて、怖かったし、毎日殴られてました」
滑り込ませるように女刑事が訊く。
「じゃあ、憎かったのかな?」
「殴られなければ、憎くはなかったと思います」
大人たちがふいに黙って深く長い溜息で合唱した。そうして藤村弁護士が刑事らに口を開く。
「この状態で『あの母親の許』へ帰すのはどうかと思われます」
「そうですね。やはりこちらとしては勾留の方が何かと――」
「――いや、それは。何れ不処分となる彼を今、休学させては噂等を蔓延させるきっかけにもなりかねません」
「けれど、わたしたちは少年に関してはプロです。彼を傷つけると思われるのは心外、彼の心を護るのがわたしたち少年課の使命です」
「それは承知していますが……」
「あのう!」
大人たちの会話に何とか僕は参入した。点滴をしていない右手を下げてから提案する。
「もし、もしもその『在宅』が可能なら、僕はうちに戻っていいんですよね?」
面白いように大人たちがモノを言いかけて口をパクパクした。そんな中でずっと黙っていた慧さんがベッドに近づいて手を伸ばし、人差し指で僕の額をトンと突いた。
「何だって面倒を自分から背負いに行くのかねえ」
「面倒でも僕のうちで、あの人は僕の母親です」
「ふん……んで?」
「本当は母は、そう悪い人じゃないし、馬鹿でもありません。ただ僕の実父は飛び抜けて頭のいい人だったらしくて、その父から馬鹿にされDVを受けていた。だから母は自分の能力をリスペクトしてくれる男の人に弱くて、それだけで……」
「ふうん、理解ある息子さんですねえ。だからってあんたが不幸を我が身に受けたって、何の解決にもならんと思いますよ」
「そうですね。でも、僕が被害者になったら誰が母の味方になるんですか? 少なくとも母がいて僕は今まで育ってこられた。親子なんです、二人きりの」
今度こそ場にそぐわない慧さんの笑い声が響いた。ひとしきり笑って真顔になる。
「損な性分……そう受け取っておきましょうかね」
慧さん以外の大人たちは僕を気の毒そうに見てから動き出した。刑事たちと藤村弁護士は部屋を出て行き、残った慧さんも警官が見張る病室に長居は出来ないので去った。
だが去り際に煙草の匂いのキスとも云えない接触を頬にして、耳元に囁いた。
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