不自由ない檻

志賀雅基

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何より欲したその価値は

第16話

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 文句を言いつつも二人して手を合わせ、ラーメンを啜り始めた。味は可もなく不可もなし。僕は他の事に気を取られ過ぎて味が分からなかったのかも知れないけれど。
 食べている間は黙っていたので割と早く食事は済んだ。チャーシューの山は拝島氏が頑張ったが三分の一ほど残ってしまい、だが眺めていて思い出すのにラーメン一杯を食べた自分を僕は褒めたいところだと思う。

 拝島氏が煙草を一本吸うと粘らずに立つ。立地のせいか支払った額は少々高い気がした。だが奢りなので財布の残り千三百円ほどを減らさなくていいのは本当に有難い。
 店の外に出るまでカウンター奥の黒ずくめ二人はずっと低く喋っていた。

「御馳走様でした」
「おう。だがリピートは無しだなあ、ここは。お前さんもこれから先の晩飯情報は積極的に集めとけよ」
「まさか毎晩……なんてことはないですよね?」
「毎晩は無理かも知れんが、水谷透に金銭的負担を掛けないのが俺の『手段』だからな。ということで、ほら」

 渡されたのは一万円札が三枚だった。多すぎることもなく、まず困りもしない額。
 途端に拝島先生が笑い出す。心の底から可笑しそうに笑って見ているのは、万券を手にしたまま却って途方に暮れている僕の顔だ。

 これをポケットに仕舞ったら僕は夜、何処にいたらいい? 自分の部屋で安穏と眠れるとでも? あの母親の彼氏に蹴り飛ばされ、サンドバッグになって、挙げ句に持ち物を探り回り、有り金をさらえていくのに。

 不思議なことに初めてそこで思った。
 あれだけ僕はカネがなく、五千円が払えなくて嫌な思いをした。カネが必要だった、どうしても。読書クラブの女部長に支払ってなくなる五千円も、14ゲージのプラチナ・クリッカーリングに払って消えたカネも、どれも必要だった。だけど必要なだけ、無いと困るから稼いでいた。他にも文具や昼食代、定期の更新その他。

 そんな、無いと困るカネではなく、右から左に消えてしまう訳でもないのだ、この一万円札三枚は。
 これは三万円という価値のあるカネなのだと、僕は今まで手にしてきたどの一万円札とも変わらない三枚のそれを眺めて、初めて本当にカネというものを手にしたかの如く思えたのだ。

 この三万円は母親の彼氏なんかに盗られてはならない。
 初めて手にした、三万円という『価値がある』と思えたカネ。

 手にした僕のプライドが揺らいだのかどうかは自分じゃ分からない。拝島先生の目論見通りになったのかどうか知らない。
 ただ僕は渡された一万円札三枚を両手で握ってしゃがみ込み、熱い涙が次々と目から溢れてゆくのも、格好悪く嗚咽を洩らすのも止められなかった。

 そのまま動けない僕に合わせて煙草を咥えた拝島氏が向かいにしゃがむ。

「そういう反応ねえ……想定の10倍過剰だわ」
「くっ、う、すみま、せん……僕が恥をかく勇気がないばかりに――」
「そいつが普通なんだ。お前さんは今まで良く護ったよ、プライドをな。自分のだけじゃない、親のプライドもだ」
「どうしたら、返せますか?」
「ああ? 俺は返せなんて言った覚えはないですがねえ」

 軽い調子で返されたが僕は分かっていた。僕のプライドが揺らいで崩壊すれば拝島先生の興味は僕から失せる。だからって延々とカネが欲しい訳じゃない。僕がプライドを切り売りせず保ち続けなければ全てが崩壊する博打に僕は乗ったのだ。互いに秘密を知り合った上で圧倒的有利に立っているのは拝島先生である。

 そんなことも全て承知していながら僕は『何にも増して価値ある三万円』を手にして感情の暴発を抑えることができなかった。ゲームとしては不利。……それでも。

「じゃあ……有難く使わせて頂きます」
「おー、ちゃんと飯は食えよ」
「はい。それと拝島先生」
「何だ?」
「何かが欲しい時は言って下さい。どんなものでも僕に可能な限り調達しますので」

 煙草を踏み潰しながら拝島氏は黒縁眼鏡を外してスーツのポケットに入れ、前髪を掻き下ろし随分と若返った顔に薄い笑いを浮かべる。

「俺はお前さんを下僕にしたいんじゃない。それは分かってくれてるよねえ?」
「ええ。だから――」
「まあ、嫌いじゃないからストーカーしてたんだしねえ、欲しくないっちゃ嘘だよなあ」
「僕は構わないですけど?」

「んー、俺が構うんだわ。逆にプライド揺らぎそうでね」
「――えっ?」
「何でもないですよ。取り敢えずは二人でいる時くらい慧って呼んでくれますかねえ?」
「じゃあ、僕も透で」

「決まりね。それにしたってお前さん、殴られた痕らしいそれ、変色して目立つぞ。近くのホームセンターでも行って湿布と鍵を買いましょうかねえ」

 何故ここで鍵なのかと僕は首を傾げる。

「泥棒、いや、強盗がいるなら自室に鍵くらいつけるのは当然でしょうが」
「ああ、内鍵」

 それを付けたら付けたで厄介事の元になりそうだとは思ったけれど、せっかくの慧さんの提案を否定はせず、ようやく立ち上がった僕は慧さんと一緒に繁華街を抜け、コインパーキングのランクルに乗り込んだ。
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