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持たざる力を嘆くより
第14話
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「教頭先生とかに文句を言われませんか?」
「言われますとも」
「講師って立場は、そんなに強いんでしょうか?」
「俺は短期だからな。来年三月で消える奴に文句を言っても言われても、空しいだけですよ。皆の前での形式だけです」
「ふうん。じゃあ僕を飼うのも約九ヶ月ですか」
「契約した日に解消の話とは、野暮ですねえ」
「大雑把にでも自分の近い将来の予定は掴んでおきたいんで」
「なるほど。でも、まあ、まずは付き合ってみましょうや」
それきり拝島氏は煙草を吸い始めてしまい、車は古いマニュアル車だしで僕は喋りづらくなってしまった。お蔭でその分、考える。
本気で付き合いたがっているのか、それともたまたま僕の置かれた環境に気付いて『可哀想な生徒を助けてやろう』などとでも思っているのか。
どちらにしたって厄介だとしか思えなかった。
付き合うなら隠して貰わないと幾らも経たないうちに噂になってしまう。公には学校側から母親に連絡されるくらいで済むかも知れないけれど、僕は自分を取り囲む騒音に耐えられる自信なんてない。
もうひとつ、僕を哀れに思っての行動なら大きなお世話だ。色んな空想から出た噂が立つのは付き合うのと変わらないし、そんな偽善で仮にも家庭を維持している母親のプライドを叩き割られても困るのだ。メンタルをやられた母親の世話を延々と続けてゆくなんてぞっとする。
僕だって本音ではその程度。まだ壊れてないからいいのであって、こなごなになってしまったらどう分別して捨てるのか悩むのも面倒臭い。実際、捨てられるならいいけれど、捨てる訳に行かないから壊れて欲しくないのだ。
そういう時のために血の繋がった者同士が一緒に暮らして『家族』なんてコミュニティを作っているのだろうから、そこから逃れるのはかなり骨が折れそうな気がする。
ずっと考えてふいに思いついた。
「先生、初体験っていつですか?」
訊いた途端に車は大揺れに揺れて結構本気で危険を感じる。
「ぶほっ! げほげほっ、ごほっ! 運転中の喫煙中だぞ、おい」
「そこまでのリアクションは想定外でしたから。で、嘘は吐かないんですよね?」
「はー、俺は『ばけがく』の講師だぞ。今更おしべとめしべでもねぇだろうに」
「誤魔化すのはアリなんですか?」
「くそう……女は小六の時で相手は実の母親、男は実の父親でいつからか覚えてねぇなあ」
「うわ、思ったよりハードラックですね。じゃあ僕に同情したクチですか?」
これで正解が分かると思った僕は単純すぎた。
「ふん。同情なんぞ欲しがるタマか、お前さんが」
「そんな風に見えますか? 僕はたった五千円のために人ひとり死んでホッとしてるくらい困窮してますけど?」
「だからって余計な手出しは無用だぞって全身ハリネズミみたいに身構えておいて、誰が同情するかい、面倒臭ぇ」
まさか自分がそんな風に見えていたとは思っていなくて、僕は知らず頬に血を昇らせる。中二病じゃあるまいし、『近寄るな』などという雰囲気を振り撒いて歩いていたなんて恥ずかしいったらなかった。
だがそんな僕を掬い上げるように拝島氏が笑う。
「そうそう普通の生徒にゃ、分かりませんて。普通じゃない家庭の事情を抱えてるようには透、あんたは見えない」
「え、僕は普通の生徒でもなくて家庭も普通じゃないんですか?」
「誰より実感しておいて良く言う。それでもそんなクズみたいな家庭を護るために自分で効率よく稼ごうってんだから、泣かせますねえ」
クズみたいな家庭と言われて僕は一瞬、また殺意が湧いたけれどすぐに醒めた。言われた通りだ。誰が聞いてもクズみたいな家庭。そこから一歩出たら僕は普通を装う。普通の生徒で普通に遊ぶカネが欲しい高校生。
自分に出来るのはそれだけだ。取り繕うだけ。次々と開く穴を、裂け目を、塞いでゆくのに必死。その一方で同級生たちから『仲の良い証拠に一緒に遊ぶ』だのと言われてもカラオケに行くカネもないことや、家にはチンピラが巣食ってるのを知られないように、一線を引いた見た目と雰囲気で誰も寄せ付けない。
「見た目、変わり者を装って、単純すぎますよね……」
「ん? 何も単純だろうが複雑だろうが透、お前さんが納得してりゃそれでいいんじゃありませんかねえ」
「無いものが多すぎて、それって殆どがカネで買えるもので、でも僕自身を売ろうが追いつかない」
何だって今、こんなことを吐露してしまっているのか僕は自分でも分からなかった。おそらく『秘密』を知っている相手だから気持ちの栓が緩んだのに違いないとは思うけれど。
それにしたってみっともない。これじゃあまるで後悔しているみたいじゃないか。後悔なんかしていない、稼ぎたくて、自分で選んだ方法で稼いだ。それだけ。
僕は左耳に付けたプラチナのクリッカーリングに触れる。
「けど『売った』のは嘆いてませんよ。納得していますから、誰よりも僕自身が」
真っ直ぐ前を向いてフロントガラスの向こうの夜をじっと見つめて僕は言った。
同じように拝島慧氏もフロントガラスの向こうに何かを見据えつつ告げる。
「だからだ、水谷透。そのプライドを俺は買いたい。お前さんが持ってない力を、カネを、俺はお前さんに与える。それであんたがどう変わるのか俺は見てみたい」
「……何故ですか?」
「俺はお前さんのようなプライドを持ってなかった。可哀想な奴でいて、可哀想なまま全てが壊れるのをただ眺めていたんだよ。だからって俺は慈善事業家じゃない。お前さんのプライドを揺るがしたらどうなるのかが愉しみなんだ」
「ふうん、いい趣味ですね」
「だろう? ついでに言えば『可哀想な俺の全てが壊れたきっかけ』は、俺が親の財布から三千円をくすねたからだ。それで家族が殺し合ったんだぞ。納得できるか、おい? ……腹減ったなあ。ラーメンでも食ってくか」
「言われますとも」
「講師って立場は、そんなに強いんでしょうか?」
「俺は短期だからな。来年三月で消える奴に文句を言っても言われても、空しいだけですよ。皆の前での形式だけです」
「ふうん。じゃあ僕を飼うのも約九ヶ月ですか」
「契約した日に解消の話とは、野暮ですねえ」
「大雑把にでも自分の近い将来の予定は掴んでおきたいんで」
「なるほど。でも、まあ、まずは付き合ってみましょうや」
それきり拝島氏は煙草を吸い始めてしまい、車は古いマニュアル車だしで僕は喋りづらくなってしまった。お蔭でその分、考える。
本気で付き合いたがっているのか、それともたまたま僕の置かれた環境に気付いて『可哀想な生徒を助けてやろう』などとでも思っているのか。
どちらにしたって厄介だとしか思えなかった。
付き合うなら隠して貰わないと幾らも経たないうちに噂になってしまう。公には学校側から母親に連絡されるくらいで済むかも知れないけれど、僕は自分を取り囲む騒音に耐えられる自信なんてない。
もうひとつ、僕を哀れに思っての行動なら大きなお世話だ。色んな空想から出た噂が立つのは付き合うのと変わらないし、そんな偽善で仮にも家庭を維持している母親のプライドを叩き割られても困るのだ。メンタルをやられた母親の世話を延々と続けてゆくなんてぞっとする。
僕だって本音ではその程度。まだ壊れてないからいいのであって、こなごなになってしまったらどう分別して捨てるのか悩むのも面倒臭い。実際、捨てられるならいいけれど、捨てる訳に行かないから壊れて欲しくないのだ。
そういう時のために血の繋がった者同士が一緒に暮らして『家族』なんてコミュニティを作っているのだろうから、そこから逃れるのはかなり骨が折れそうな気がする。
ずっと考えてふいに思いついた。
「先生、初体験っていつですか?」
訊いた途端に車は大揺れに揺れて結構本気で危険を感じる。
「ぶほっ! げほげほっ、ごほっ! 運転中の喫煙中だぞ、おい」
「そこまでのリアクションは想定外でしたから。で、嘘は吐かないんですよね?」
「はー、俺は『ばけがく』の講師だぞ。今更おしべとめしべでもねぇだろうに」
「誤魔化すのはアリなんですか?」
「くそう……女は小六の時で相手は実の母親、男は実の父親でいつからか覚えてねぇなあ」
「うわ、思ったよりハードラックですね。じゃあ僕に同情したクチですか?」
これで正解が分かると思った僕は単純すぎた。
「ふん。同情なんぞ欲しがるタマか、お前さんが」
「そんな風に見えますか? 僕はたった五千円のために人ひとり死んでホッとしてるくらい困窮してますけど?」
「だからって余計な手出しは無用だぞって全身ハリネズミみたいに身構えておいて、誰が同情するかい、面倒臭ぇ」
まさか自分がそんな風に見えていたとは思っていなくて、僕は知らず頬に血を昇らせる。中二病じゃあるまいし、『近寄るな』などという雰囲気を振り撒いて歩いていたなんて恥ずかしいったらなかった。
だがそんな僕を掬い上げるように拝島氏が笑う。
「そうそう普通の生徒にゃ、分かりませんて。普通じゃない家庭の事情を抱えてるようには透、あんたは見えない」
「え、僕は普通の生徒でもなくて家庭も普通じゃないんですか?」
「誰より実感しておいて良く言う。それでもそんなクズみたいな家庭を護るために自分で効率よく稼ごうってんだから、泣かせますねえ」
クズみたいな家庭と言われて僕は一瞬、また殺意が湧いたけれどすぐに醒めた。言われた通りだ。誰が聞いてもクズみたいな家庭。そこから一歩出たら僕は普通を装う。普通の生徒で普通に遊ぶカネが欲しい高校生。
自分に出来るのはそれだけだ。取り繕うだけ。次々と開く穴を、裂け目を、塞いでゆくのに必死。その一方で同級生たちから『仲の良い証拠に一緒に遊ぶ』だのと言われてもカラオケに行くカネもないことや、家にはチンピラが巣食ってるのを知られないように、一線を引いた見た目と雰囲気で誰も寄せ付けない。
「見た目、変わり者を装って、単純すぎますよね……」
「ん? 何も単純だろうが複雑だろうが透、お前さんが納得してりゃそれでいいんじゃありませんかねえ」
「無いものが多すぎて、それって殆どがカネで買えるもので、でも僕自身を売ろうが追いつかない」
何だって今、こんなことを吐露してしまっているのか僕は自分でも分からなかった。おそらく『秘密』を知っている相手だから気持ちの栓が緩んだのに違いないとは思うけれど。
それにしたってみっともない。これじゃあまるで後悔しているみたいじゃないか。後悔なんかしていない、稼ぎたくて、自分で選んだ方法で稼いだ。それだけ。
僕は左耳に付けたプラチナのクリッカーリングに触れる。
「けど『売った』のは嘆いてませんよ。納得していますから、誰よりも僕自身が」
真っ直ぐ前を向いてフロントガラスの向こうの夜をじっと見つめて僕は言った。
同じように拝島慧氏もフロントガラスの向こうに何かを見据えつつ告げる。
「だからだ、水谷透。そのプライドを俺は買いたい。お前さんが持ってない力を、カネを、俺はお前さんに与える。それであんたがどう変わるのか俺は見てみたい」
「……何故ですか?」
「俺はお前さんのようなプライドを持ってなかった。可哀想な奴でいて、可哀想なまま全てが壊れるのをただ眺めていたんだよ。だからって俺は慈善事業家じゃない。お前さんのプライドを揺るがしたらどうなるのかが愉しみなんだ」
「ふうん、いい趣味ですね」
「だろう? ついでに言えば『可哀想な俺の全てが壊れたきっかけ』は、俺が親の財布から三千円をくすねたからだ。それで家族が殺し合ったんだぞ。納得できるか、おい? ……腹減ったなあ。ラーメンでも食ってくか」
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