12 / 44
不安と殺意に鎖で繋がれ
第12話
しおりを挟む
ふいに意識が浮上して目を開けたら、僕は毛布代わりか白衣を掛けられていた。拝島氏はと見ると、これもやっぱりデスクに組んだ足を載せ、椅子に凭れている。両手も頭の上で組み、煙草は腹の辺りに置いたアルミの灰皿に上手く灰が落ちるようになっていた。
相当その姿勢に慣れているらしく、無造作に声を掛けてくる。
「起きたか。もう放課後だ、帰るなら送るぞ、水谷」
「あ、自分で帰れます」
「そいつは殊勝な心掛けだが、鏡を見りゃあ気が変わるかも知れんぞ」
「いえ、だって……僕を『飼う気』なら気配りしないと拙いんじゃ?」
「だから気配りして『送る』っつってんだがなあ」
どうやら拝島氏は僕を『弱った飼い犬』の如く扱おうとしているようだ。だがストーキングだの専属だのと、まるで僕に執着しているみたいに言っておいて、大っぴらな交際なんか到底できやしないと分かっているのに、この無造作な感覚は何なのだろう。
測れない相手に一気に警戒心が湧いた。二人きりになった途端に豹変するタイプだったら……何処までが正当防衛で何処からが過剰防衛なんだろうか。緊急避難って首でも絞められなければ成立しないのかな?
思い巡らして化学科職員室内の見える処にある物をさりげなくチェック。ボールペンでも人に刺せるだろうが、上手く掠め取れる距離感じゃない。拝島先生の方がペン立てに近いのだ。
唐突に拝島氏がこちらを向き、デスクから足も降ろすと煙草を消し、灰皿を退けてやってくる。またソファの肘掛けに腰を下ろした。
「そう怖い目で見るんじゃない。水谷、お前は俺の専属になる。心配するな、俺は学生時代から企業に貸してる特許のお蔭でカネには困っちゃいない。講師をやっているのはヒマ潰しだ」
「……信じろと?」
「まあ、現段階で無理を突き付けているのは判ってるさ」
言うなり拝島氏は僕の両脇に手を突っ込んで引っ張り上げ、上体を起こさせると強引に振り向かせて口づける。挙動は強引でもキス自体は恐ろしく優しかった。煙草の匂いのする舌が遠慮するかのように歯列をなぞりためらう。
煙草の匂いがあの男と微妙に違うと気付いた僕は自分から受け入れた。絡ませると途端に主導権を握られる。
どんな相手に買われても、僕は今までこんなに長いキスをした事が無かった。
こんなに求められていたのか。いや、僕も自分から求めて頭の後ろが白熱した。
「……あ、んぅう! はあ、んんっ……っく!」
「ふっ。なあ、水谷。もっと、いい思いさせてやる」
「僕は、快楽では、飼われません」
「いい心掛けだな。じゃあこうしよう。俺はお前に嘘をつかない。どうだ?」
「それが本当ならフェアに近いのかも知れないですね。でも嘘かどうか僕には判断できません」
「尤もだ。だが俺は嘘ほど面倒なモンは吐かないタチなんだがなあ」
「なら……絶対に『嘘をついた』と思わせないで下さい。もし嘘をついても最後まで騙しきって下さい。それなら慧さん、僕は貴方に飼われてもいいです」
「分かった、透。いい覚悟だ」
この、何かを隠そうともしない化学の講師は、自ら目立とうともしないだろうが、僕との事を隠そうともしないだろうと、この時思った。同時に再び殺意が湧く。恨みも何もないけれど、僕の持つ全てを壊して奪う者を消したい欲求が高まった。
だけど殺してしまったら、それこそ捕まらないと思い込み安穏としていられるほど僕は暢気でもない。つまり結局は拝島氏の言うがままに行動するしかないのだ。
初めから選択肢なんかない、秘密を知られた時点で。
「せっかくの『悪くない契約』なのに、のっけから絶望しないでくれるか?」
「もし逆にカネを毟り取られても仕方ない境遇に堕ちて、喜ぶほど能天気に見えますか?」
「全く以て透、お前さんは淋しい境遇で育ったらしいな」
「かも知れませんが、このくらいの環境なんて日本にもごまんとありますよ」
「どっちが大人だか分からんですねえ」
呆れたように言いつつ拝島氏は白衣のポケットから煙草を出して咥えると、おまけで付いてくるようなライターで火を点けた。紫煙に溜息を混ぜて盛大に吐き出す。
一方で僕は転げ落ちた缶コーヒー三本を拾い上げてソファに置き、中の一本が砂糖入りのミルクコーヒーだったので持ち上げて拝島氏に首を傾げて見せた。頷かれて缶を振り、プルトップを開ける。
昼食は食べたけれど異様に糖分が美味しいのは、やはり最近の食生活が劣悪だったからだろうか。
「何にしろカネが要るんです、宜しくお願いします」
「しかし、そこで稼ごうって方向に思考が向くたあ、大したものですよ」
「大したって……稼ぐ他に何か手立てがありますか?」
「殴られて泣きながらでも縋る。ケツの穴でも舐める。そこまですりゃあ、五千円や一万円くらい降ってくるさ」
「ああ、そういうやり方……でも僕って演技上手くないですし、飽きっぽいんですよね」
「なるほど。専属契約の条件、俺は嘘をつかない。ついても悟らせない。透、お前さんにもプラスアルファだ。俺に演技だと悟らせないでくれ。できるか?」
灰を散らしながら、やけに真面目に言った拝島氏を僕は見上げた。
「できますよ。慧さん、貴方が僕を本気で惚れさせれば簡単なことですから」
化学の講師は実験に失敗したかのような苦々しい顔をした。
「透、確かにお前さんの演技力は赤点だな」
相当その姿勢に慣れているらしく、無造作に声を掛けてくる。
「起きたか。もう放課後だ、帰るなら送るぞ、水谷」
「あ、自分で帰れます」
「そいつは殊勝な心掛けだが、鏡を見りゃあ気が変わるかも知れんぞ」
「いえ、だって……僕を『飼う気』なら気配りしないと拙いんじゃ?」
「だから気配りして『送る』っつってんだがなあ」
どうやら拝島氏は僕を『弱った飼い犬』の如く扱おうとしているようだ。だがストーキングだの専属だのと、まるで僕に執着しているみたいに言っておいて、大っぴらな交際なんか到底できやしないと分かっているのに、この無造作な感覚は何なのだろう。
測れない相手に一気に警戒心が湧いた。二人きりになった途端に豹変するタイプだったら……何処までが正当防衛で何処からが過剰防衛なんだろうか。緊急避難って首でも絞められなければ成立しないのかな?
思い巡らして化学科職員室内の見える処にある物をさりげなくチェック。ボールペンでも人に刺せるだろうが、上手く掠め取れる距離感じゃない。拝島先生の方がペン立てに近いのだ。
唐突に拝島氏がこちらを向き、デスクから足も降ろすと煙草を消し、灰皿を退けてやってくる。またソファの肘掛けに腰を下ろした。
「そう怖い目で見るんじゃない。水谷、お前は俺の専属になる。心配するな、俺は学生時代から企業に貸してる特許のお蔭でカネには困っちゃいない。講師をやっているのはヒマ潰しだ」
「……信じろと?」
「まあ、現段階で無理を突き付けているのは判ってるさ」
言うなり拝島氏は僕の両脇に手を突っ込んで引っ張り上げ、上体を起こさせると強引に振り向かせて口づける。挙動は強引でもキス自体は恐ろしく優しかった。煙草の匂いのする舌が遠慮するかのように歯列をなぞりためらう。
煙草の匂いがあの男と微妙に違うと気付いた僕は自分から受け入れた。絡ませると途端に主導権を握られる。
どんな相手に買われても、僕は今までこんなに長いキスをした事が無かった。
こんなに求められていたのか。いや、僕も自分から求めて頭の後ろが白熱した。
「……あ、んぅう! はあ、んんっ……っく!」
「ふっ。なあ、水谷。もっと、いい思いさせてやる」
「僕は、快楽では、飼われません」
「いい心掛けだな。じゃあこうしよう。俺はお前に嘘をつかない。どうだ?」
「それが本当ならフェアに近いのかも知れないですね。でも嘘かどうか僕には判断できません」
「尤もだ。だが俺は嘘ほど面倒なモンは吐かないタチなんだがなあ」
「なら……絶対に『嘘をついた』と思わせないで下さい。もし嘘をついても最後まで騙しきって下さい。それなら慧さん、僕は貴方に飼われてもいいです」
「分かった、透。いい覚悟だ」
この、何かを隠そうともしない化学の講師は、自ら目立とうともしないだろうが、僕との事を隠そうともしないだろうと、この時思った。同時に再び殺意が湧く。恨みも何もないけれど、僕の持つ全てを壊して奪う者を消したい欲求が高まった。
だけど殺してしまったら、それこそ捕まらないと思い込み安穏としていられるほど僕は暢気でもない。つまり結局は拝島氏の言うがままに行動するしかないのだ。
初めから選択肢なんかない、秘密を知られた時点で。
「せっかくの『悪くない契約』なのに、のっけから絶望しないでくれるか?」
「もし逆にカネを毟り取られても仕方ない境遇に堕ちて、喜ぶほど能天気に見えますか?」
「全く以て透、お前さんは淋しい境遇で育ったらしいな」
「かも知れませんが、このくらいの環境なんて日本にもごまんとありますよ」
「どっちが大人だか分からんですねえ」
呆れたように言いつつ拝島氏は白衣のポケットから煙草を出して咥えると、おまけで付いてくるようなライターで火を点けた。紫煙に溜息を混ぜて盛大に吐き出す。
一方で僕は転げ落ちた缶コーヒー三本を拾い上げてソファに置き、中の一本が砂糖入りのミルクコーヒーだったので持ち上げて拝島氏に首を傾げて見せた。頷かれて缶を振り、プルトップを開ける。
昼食は食べたけれど異様に糖分が美味しいのは、やはり最近の食生活が劣悪だったからだろうか。
「何にしろカネが要るんです、宜しくお願いします」
「しかし、そこで稼ごうって方向に思考が向くたあ、大したものですよ」
「大したって……稼ぐ他に何か手立てがありますか?」
「殴られて泣きながらでも縋る。ケツの穴でも舐める。そこまですりゃあ、五千円や一万円くらい降ってくるさ」
「ああ、そういうやり方……でも僕って演技上手くないですし、飽きっぽいんですよね」
「なるほど。専属契約の条件、俺は嘘をつかない。ついても悟らせない。透、お前さんにもプラスアルファだ。俺に演技だと悟らせないでくれ。できるか?」
灰を散らしながら、やけに真面目に言った拝島氏を僕は見上げた。
「できますよ。慧さん、貴方が僕を本気で惚れさせれば簡単なことですから」
化学の講師は実験に失敗したかのような苦々しい顔をした。
「透、確かにお前さんの演技力は赤点だな」
2
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

未冠の大器のやり直し
Jaja
青春
中学2年の時に受けた死球のせいで、左手の繊細な感覚がなくなってしまった、主人公。
三振を奪った時のゾクゾクする様な征服感が好きで野球をやっていただけに、未練を残しつつも野球を辞めてダラダラと過ごし30代も後半になった頃に交通事故で死んでしまう。
そして死後の世界で出会ったのは…
これは将来を期待されながらも、怪我で選手生命を絶たれてしまった男のやり直し野球道。
※この作品はカクヨム様にも更新しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
人生の中で八年分のギャグをすべて詰め込んだ人生冒険譚
黒猫サイバーパンク
青春
タイトル通り人生の中の八年分のギャグすべてを詰め込んだ人生冒険譚です
できればいいねお願いします!
面白くなかったらブラウザバックしてください!
いやてかブラウザバックあったっけ?

切り札の男
古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。
僕は 彼女の彼氏のはずなんだ
すんのはじめ
青春
昔、つぶれていった父のレストランを復活させるために その娘は
僕等4人の仲好しグループは同じ小学校を出て、中学校も同じで、地域では有名な進学高校を目指していた。中でも、中道美鈴には特別な想いがあったが、中学を卒業する時、彼女の消息が突然消えてしまった。僕は、彼女のことを忘れることが出来なくて、大学3年になって、ようやく探し出せた。それからの彼女は、高校進学を犠牲にしてまでも、昔、つぶされた様な形になった父のレストランを復活させるため、その思いを秘め、色々と奮闘してゆく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる