不自由ない檻

志賀雅基

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不安と殺意に鎖で繋がれ

第12話

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 ふいに意識が浮上して目を開けたら、僕は毛布代わりか白衣を掛けられていた。拝島氏はと見ると、これもやっぱりデスクに組んだ足を載せ、椅子に凭れている。両手も頭の上で組み、煙草は腹の辺りに置いたアルミの灰皿に上手く灰が落ちるようになっていた。
 相当その姿勢に慣れているらしく、無造作に声を掛けてくる。

「起きたか。もう放課後だ、帰るなら送るぞ、水谷」
「あ、自分で帰れます」
「そいつは殊勝な心掛けだが、鏡を見りゃあ気が変わるかも知れんぞ」
「いえ、だって……僕を『飼う気』なら気配りしないと拙いんじゃ?」
「だから気配りして『送る』っつってんだがなあ」

 どうやら拝島氏は僕を『弱った飼い犬』の如く扱おうとしているようだ。だがストーキングだの専属だのと、まるで僕に執着しているみたいに言っておいて、大っぴらな交際なんか到底できやしないと分かっているのに、この無造作な感覚は何なのだろう。

 測れない相手に一気に警戒心が湧いた。二人きりになった途端に豹変するタイプだったら……何処までが正当防衛で何処からが過剰防衛なんだろうか。緊急避難って首でも絞められなければ成立しないのかな?
 思い巡らして化学科職員室内の見える処にある物をさりげなくチェック。ボールペンでも人に刺せるだろうが、上手く掠め取れる距離感じゃない。拝島先生の方がペン立てに近いのだ。

 唐突に拝島氏がこちらを向き、デスクから足も降ろすと煙草を消し、灰皿を退けてやってくる。またソファの肘掛けに腰を下ろした。

「そう怖い目で見るんじゃない。水谷、お前は俺の専属になる。心配するな、俺は学生時代から企業に貸してる特許のお蔭でカネには困っちゃいない。講師をやっているのはヒマ潰しだ」
「……信じろと?」
「まあ、現段階で無理を突き付けているのは判ってるさ」

 言うなり拝島氏は僕の両脇に手を突っ込んで引っ張り上げ、上体を起こさせると強引に振り向かせて口づける。挙動は強引でもキス自体は恐ろしく優しかった。煙草の匂いのする舌が遠慮するかのように歯列をなぞりためらう。
 煙草の匂いがあの男と微妙に違うと気付いた僕は自分から受け入れた。絡ませると途端に主導権を握られる。

 どんな相手に買われても、僕は今までこんなに長いキスをした事が無かった。
 こんなに求められていたのか。いや、僕も自分から求めて頭の後ろが白熱した。

「……あ、んぅう! はあ、んんっ……っく!」
「ふっ。なあ、水谷。もっと、いい思いさせてやる」
「僕は、快楽では、飼われません」
「いい心掛けだな。じゃあこうしよう。俺はお前に嘘をつかない。どうだ?」

「それが本当ならフェアに近いのかも知れないですね。でも嘘かどうか僕には判断できません」
「尤もだ。だが俺は嘘ほど面倒なモンは吐かないタチなんだがなあ」
「なら……絶対に『嘘をついた』と思わせないで下さい。もし嘘をついても最後まで騙しきって下さい。それなら慧さん、僕は貴方に飼われてもいいです」
「分かった、透。いい覚悟だ」

 この、何かを隠そうともしない化学の講師は、自ら目立とうともしないだろうが、僕との事を隠そうともしないだろうと、この時思った。同時に再び殺意が湧く。恨みも何もないけれど、僕の持つ全てを壊して奪う者を消したい欲求が高まった。
 だけど殺してしまったら、それこそ捕まらないと思い込み安穏としていられるほど僕は暢気でもない。つまり結局は拝島氏の言うがままに行動するしかないのだ。

 初めから選択肢なんかない、秘密を知られた時点で。

「せっかくの『悪くない契約』なのに、のっけから絶望しないでくれるか?」
「もし逆にカネを毟り取られても仕方ない境遇に堕ちて、喜ぶほど能天気に見えますか?」
「全く以て透、お前さんは淋しい境遇で育ったらしいな」
「かも知れませんが、このくらいの環境なんて日本にもごまんとありますよ」
「どっちが大人だか分からんですねえ」

 呆れたように言いつつ拝島氏は白衣のポケットから煙草を出して咥えると、おまけで付いてくるようなライターで火を点けた。紫煙に溜息を混ぜて盛大に吐き出す。
 一方で僕は転げ落ちた缶コーヒー三本を拾い上げてソファに置き、中の一本が砂糖入りのミルクコーヒーだったので持ち上げて拝島氏に首を傾げて見せた。頷かれて缶を振り、プルトップを開ける。

 昼食は食べたけれど異様に糖分が美味しいのは、やはり最近の食生活が劣悪だったからだろうか。

「何にしろカネが要るんです、宜しくお願いします」
「しかし、そこで稼ごうって方向に思考が向くたあ、大したものですよ」
「大したって……稼ぐ他に何か手立てがありますか?」

「殴られて泣きながらでも縋る。ケツの穴でも舐める。そこまですりゃあ、五千円や一万円くらい降ってくるさ」
「ああ、そういうやり方……でも僕って演技上手くないですし、飽きっぽいんですよね」
「なるほど。専属契約の条件、俺は嘘をつかない。ついても悟らせない。透、お前さんにもプラスアルファだ。俺に演技だと悟らせないでくれ。できるか?」

 灰を散らしながら、やけに真面目に言った拝島氏を僕は見上げた。

「できますよ。慧さん、貴方が僕を本気で惚れさせれば簡単なことですから」

 化学の講師は実験に失敗したかのような苦々しい顔をした。

「透、確かにお前さんの演技力は赤点だな」
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