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理解不能な他人の浸食
第10話
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父が残したという机を売り払う訳にも行かなくて、僕は売れるモノとして僕自身しかないと断じた。あながち不正解じゃないと思うし、真っ只中にいる僕には未だ後悔するかしないのかなんて判りはしない。
ぐるぐるとどうでもいいことばかり考えて気を紛らわそうと僕は躍起になっていたけれど、この分じゃ集会が終わって解散しても自分は独りで座っていなきゃならないみたいだ。
ふいに右腕を掴まれてビクッとする。反射的に顔を上げたら、あのシニカルな化学の講師だった。そいつは何も言わずに僕を引っ張り上げて立たせる。本当に貧血でもあるのか酷い目眩と耳鳴りがして再び座り込みたくなった。
「おい、掴まれ」
無造作に言われたが掴まるよりも先に肩を貸され、揺すり上げられて殆ど僕は化学の講師に背負われるような形で体育館を退場する。背後では騒ぐ奴もいない。この化学の講師の挙動がごく自然で静かだったからだろう。
自力では殆ど歩けずに僕は保健室につれて行かれると思いきや、遠い方の校舎まで引きずって行かれて階段まで昇り、辿り着いたのは化学科職員室だった。
初めて入った室内は想像通りの職員室の小型ヴァージョンで、客用とは思えないヘタれた三人掛けのソファに僕は落下させられる。
「水なんてモンは冷えてないな。炭酸は吐くか?」
小型冷蔵庫を開けてこちらを向いた講師は、まじまじ眺めてみると普段と雰囲気が随分違った。たぶん白衣を着ていないからだろう。身長は担ぎ上げられたくらいで僕より少し高い。お約束のようなセルの黒縁眼鏡に無精ひげだけれど、顔立ちはちょっと悪そうな色男といった風だ。
「ええと、冷たいなら何でもいいです」
「んー、ああ。冷やしたいのか。なら缶コーヒーがある」
ショート缶のブラックコーヒーを三本持ってくると一本は手渡され、残り二本はそれぞれ横になった僕の脇に押し込まれた。
「腋窩動脈。だが冷やすよりあんた、何か食った方が良さそうに見えるぞ」
「昼休みに食べましたけど」
「ふうん、まともにか?」
「……購買でサンドウィッチふたつとレモンティー、まともじゃないですか?」
「借金取りがいなくなって、なけなしの有り金から今日は飯が買えたってか」
「何でそんなことまで知っているんですか?」
平静を装いながら訊いたが、僕は目前の講師が何もかも知っている目を向けてくるのが強烈に怖かった。知られたら全てが崩れることを僕はやっているのだ。
全て詳らかにされたら僕は一躍有名人だろう。静かに目立たず誰にも迷惑を掛けない状況を護るためにやってきたことも話のネタにされて……五月蠅くて、やかましくて、そんなのに僕は耐えられない。
僕の顔色でも変わったか、だが講師は通常なら夜の街に立って身体を売ることを先ずは咎めるだろうに、妙に外した答えを寄越す。
「休み時間だの昼飯だの、果ては移動教室の合間にまで『付け馬』だっただろう?」
「それが、何か?」
「却って良かったって話ですよ。五千円ずつ分捕られた生徒たちは早速、読書クラブ顧問に訊いたが、顧問曰く『五千円徴収なんか知らない』んですと。あの部長のお姉ちゃんもカネに困ってたんだろうな」
「詐欺だったってことですか?」
講師は肩を竦めると、デスクに投げ出してあった白衣に袖を通した。
「詐欺罪かどうか俺は知らんよ。ただ購買で昼飯のうどん食ってたら聞こえてきただけだしな」
なるほど、お蔭で『付け馬』も知っていた訳だ。
「しかし誰かに借りても五千円だ。どうして夜、街に立ってる?」
「……要るのは、その五千円だけじゃないですから」
「ふん。そりゃあフェアじゃないわな。俺も夜ふらついてる。買おうと思ってな。それであんたを見かけた。昼間の付け馬に夜の稼ぎ。単純だ」
確かに単純明快な図式である。僕は溜息をつくしかなかった。
「まあ、そうガッカリすることもない。俺は俺、あんたはあんたの事情が互いに知れた。それだけだ」
「でも、どうして先生はご自分の……パパ活まで僕に喋ったんですか?」
「俺はそんなことは喋ってないな」
そうきたかと僕は表情を作るのもやめて講師から目を逸らす。講師は可笑しそうに声を上げて笑った。何のてらいもない笑い声だったが、これは僕を蜘蛛の糸で絡め取る歓喜の声かと思う。
だが講師はふいに笑いを収めて言った。
「俺はパパ活なんぞしていない、あんたの言う意味では。JCだのJKに俺は興味がない」
「じゃあ……?」
「そうだ。俺はあんたの追っかけをやってた。だがストーカーには飽きてな」
全く気付かなかった自分がマヌケなのか、この講師がストーカー向きなのか。講師は僕が寝ているソファの肘掛けに腰を下ろして真上から僕の顔を見下ろした。
放置するには危険すぎるその講師に僕は言ってみる。
「内緒にしてくれるのなら、たまにはお付き合いしてもいいですよ、拝島慧先生」
「たまにしか付き合ってくれないとは、つれないな。困っているなら援助交際でもいい。条件は俺との専属契約だ、水谷透」
ぐるぐるとどうでもいいことばかり考えて気を紛らわそうと僕は躍起になっていたけれど、この分じゃ集会が終わって解散しても自分は独りで座っていなきゃならないみたいだ。
ふいに右腕を掴まれてビクッとする。反射的に顔を上げたら、あのシニカルな化学の講師だった。そいつは何も言わずに僕を引っ張り上げて立たせる。本当に貧血でもあるのか酷い目眩と耳鳴りがして再び座り込みたくなった。
「おい、掴まれ」
無造作に言われたが掴まるよりも先に肩を貸され、揺すり上げられて殆ど僕は化学の講師に背負われるような形で体育館を退場する。背後では騒ぐ奴もいない。この化学の講師の挙動がごく自然で静かだったからだろう。
自力では殆ど歩けずに僕は保健室につれて行かれると思いきや、遠い方の校舎まで引きずって行かれて階段まで昇り、辿り着いたのは化学科職員室だった。
初めて入った室内は想像通りの職員室の小型ヴァージョンで、客用とは思えないヘタれた三人掛けのソファに僕は落下させられる。
「水なんてモンは冷えてないな。炭酸は吐くか?」
小型冷蔵庫を開けてこちらを向いた講師は、まじまじ眺めてみると普段と雰囲気が随分違った。たぶん白衣を着ていないからだろう。身長は担ぎ上げられたくらいで僕より少し高い。お約束のようなセルの黒縁眼鏡に無精ひげだけれど、顔立ちはちょっと悪そうな色男といった風だ。
「ええと、冷たいなら何でもいいです」
「んー、ああ。冷やしたいのか。なら缶コーヒーがある」
ショート缶のブラックコーヒーを三本持ってくると一本は手渡され、残り二本はそれぞれ横になった僕の脇に押し込まれた。
「腋窩動脈。だが冷やすよりあんた、何か食った方が良さそうに見えるぞ」
「昼休みに食べましたけど」
「ふうん、まともにか?」
「……購買でサンドウィッチふたつとレモンティー、まともじゃないですか?」
「借金取りがいなくなって、なけなしの有り金から今日は飯が買えたってか」
「何でそんなことまで知っているんですか?」
平静を装いながら訊いたが、僕は目前の講師が何もかも知っている目を向けてくるのが強烈に怖かった。知られたら全てが崩れることを僕はやっているのだ。
全て詳らかにされたら僕は一躍有名人だろう。静かに目立たず誰にも迷惑を掛けない状況を護るためにやってきたことも話のネタにされて……五月蠅くて、やかましくて、そんなのに僕は耐えられない。
僕の顔色でも変わったか、だが講師は通常なら夜の街に立って身体を売ることを先ずは咎めるだろうに、妙に外した答えを寄越す。
「休み時間だの昼飯だの、果ては移動教室の合間にまで『付け馬』だっただろう?」
「それが、何か?」
「却って良かったって話ですよ。五千円ずつ分捕られた生徒たちは早速、読書クラブ顧問に訊いたが、顧問曰く『五千円徴収なんか知らない』んですと。あの部長のお姉ちゃんもカネに困ってたんだろうな」
「詐欺だったってことですか?」
講師は肩を竦めると、デスクに投げ出してあった白衣に袖を通した。
「詐欺罪かどうか俺は知らんよ。ただ購買で昼飯のうどん食ってたら聞こえてきただけだしな」
なるほど、お蔭で『付け馬』も知っていた訳だ。
「しかし誰かに借りても五千円だ。どうして夜、街に立ってる?」
「……要るのは、その五千円だけじゃないですから」
「ふん。そりゃあフェアじゃないわな。俺も夜ふらついてる。買おうと思ってな。それであんたを見かけた。昼間の付け馬に夜の稼ぎ。単純だ」
確かに単純明快な図式である。僕は溜息をつくしかなかった。
「まあ、そうガッカリすることもない。俺は俺、あんたはあんたの事情が互いに知れた。それだけだ」
「でも、どうして先生はご自分の……パパ活まで僕に喋ったんですか?」
「俺はそんなことは喋ってないな」
そうきたかと僕は表情を作るのもやめて講師から目を逸らす。講師は可笑しそうに声を上げて笑った。何のてらいもない笑い声だったが、これは僕を蜘蛛の糸で絡め取る歓喜の声かと思う。
だが講師はふいに笑いを収めて言った。
「俺はパパ活なんぞしていない、あんたの言う意味では。JCだのJKに俺は興味がない」
「じゃあ……?」
「そうだ。俺はあんたの追っかけをやってた。だがストーカーには飽きてな」
全く気付かなかった自分がマヌケなのか、この講師がストーカー向きなのか。講師は僕が寝ているソファの肘掛けに腰を下ろして真上から僕の顔を見下ろした。
放置するには危険すぎるその講師に僕は言ってみる。
「内緒にしてくれるのなら、たまにはお付き合いしてもいいですよ、拝島慧先生」
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