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自由の種類の選択肢
第4話
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座り込んだまま振り向いた女性はもう煙草を吸っていなかった。代わりに片手であの楽器ケースを引き寄せ僕に示す。楽器ケースは開いていて中には植物が枯れたカスみたいな物が入った小さなチャック付きビニール袋が大量と、その枯れた植物を丸めたものが覗いている茶色い紙袋が押し込まれていた。
煙草の巻紙だろう紙もパックになったヤツとバラバラのくしゃくしゃになったのが混じって一緒くたになっている。そこまで見て分からないほどモノを知らない訳じゃない。女性はマリファナ、いわゆる大麻の売人だった。
大麻が臭いと聞いたことはあるけれど、こういう種類の臭さだと思っていなかったので見せられるまで気付かなかった。気付く前にこの部屋を出たかったなと思ったけれど今更である。
「売らないです、すみません」
「いいカネになるわよ」
「あ、いいえ。一応、これでも学生なので」
「学生、いいじゃん! 学生に売りなよ」
「そういうルート……いいえ、本当に嫌なんで」
はっきり言わないと分からないみたいだし、分からないふりをしているのならもっと厄介だけど、それなのに女性は、はっきり言いづらい空気を醸し始めていた。
「ふーん。解ってんじゃん、学生ルート美味しいって」
「本当に僕、友達とかもいないんで売れないです」
「なあに、それ? 売れるか訊いてんじゃないの、売るのよ」
断定的な通牒。僕の方がよっぽど頭がお花畑だったのだ。いつの間にか女性は携帯で誰かと話している。仲間を呼ばれる前に逃げ出さないと。それにあの場所ではもう『待ち』はできないな。
そんなことを思っているうちにワンルームのドアが開いた。
同じアパートにでも住んでいるのか、仲間らしい中年男が来るのは早すぎた。
「面倒臭いってのは、そのガキか? 本当にガキじゃねぇか、おい!」
入って来るなり威嚇するように大声で喚かれ、僕は真っ先に母親の彼氏を思い浮かべる。いつも『しつけ』は大声での指摘というか因縁付けから始まるからだ。そして今これから始まろうとしていることも大して『しつけ』と変わらないんじゃないかと想像できる雰囲気が既に充満していた。
中年男に胸ぐらを掴まれて女性の傍に座らされる。正座。咥えさせられたのはフィルターもない手巻き煙草で、つまり大麻のジョイントだ。
吸いたくて吸った訳じゃないけれど、ケチったのか熱い空気だけが入ってきて唇を火傷したかと思う。反射的に熱さという刺激を拒否。吐き出したジョイントは灰皿にナイス・イン。代わりに左頬に痛烈な一撃。
そこからの僕は予想通りのサンドバッグ。客と違って跡が残りそうなのが拙い。そればかり考えて母親の彼氏の『しつけ』で慣れた僕はなるべく跡が残らないよう打撃を流すのに集中する。あからさまに避けても相手の血圧を上げるだけ。
ただ左耳のクリッカーというリングピアスを引きちぎられそうになった時だけは、本気で抗った。カネもないのに病院行きはごめんだったし、この痛みは種類が違ったからだ。結局は中年男も暴力で食いつないでいる人間ではないらしく、頬に僕の爪痕を赤く残して解放してくれた。
おまけに慈悲深くもこんな言葉を僕に寄越す。
「カネ、欲しいんだろう? まとまった額になるんだぞ?」
確かに校内で本物を流せば食い付く奴らなんて幾らだっているだろう。僕だってまるで興味がない訳じゃない。ふんわりと幸せを感じる時間が僅かでもあったら、僕はもう少し違うやり方で……やっぱりカネを稼ごうとしているんだろうな。
だから大麻の学生ルート話は他の誰かに持ち掛けて貰おうと決める。
「絶対に言いません。帰ります」
言い置いて玄関に行こうとしたら中年男が小さなチャック付きビニール袋に入った大麻と巻紙一枚を僕のポケットに捩じ込んだ。
「ハッパは所持でアウトだ、使わなくてもな。次に俺たちに会ったときにもそいつを持っていろ。『絶対に言いません』だあ? ふざけんな、信じる馬鹿はいねぇよ」
こんな場面でも相手に頭を下げる僕は大麻所持でドキドキするより、真っ先に鏡で顔に痕がついていないか確かめたくて、玄関で靴を履きドアを開けてみて落胆した。
外はもう薄明るかったからだ。
本当に今晩の稼ぎがゼロだった事実に僕は再び貧血になりそうな気分だった。
煙草の巻紙だろう紙もパックになったヤツとバラバラのくしゃくしゃになったのが混じって一緒くたになっている。そこまで見て分からないほどモノを知らない訳じゃない。女性はマリファナ、いわゆる大麻の売人だった。
大麻が臭いと聞いたことはあるけれど、こういう種類の臭さだと思っていなかったので見せられるまで気付かなかった。気付く前にこの部屋を出たかったなと思ったけれど今更である。
「売らないです、すみません」
「いいカネになるわよ」
「あ、いいえ。一応、これでも学生なので」
「学生、いいじゃん! 学生に売りなよ」
「そういうルート……いいえ、本当に嫌なんで」
はっきり言わないと分からないみたいだし、分からないふりをしているのならもっと厄介だけど、それなのに女性は、はっきり言いづらい空気を醸し始めていた。
「ふーん。解ってんじゃん、学生ルート美味しいって」
「本当に僕、友達とかもいないんで売れないです」
「なあに、それ? 売れるか訊いてんじゃないの、売るのよ」
断定的な通牒。僕の方がよっぽど頭がお花畑だったのだ。いつの間にか女性は携帯で誰かと話している。仲間を呼ばれる前に逃げ出さないと。それにあの場所ではもう『待ち』はできないな。
そんなことを思っているうちにワンルームのドアが開いた。
同じアパートにでも住んでいるのか、仲間らしい中年男が来るのは早すぎた。
「面倒臭いってのは、そのガキか? 本当にガキじゃねぇか、おい!」
入って来るなり威嚇するように大声で喚かれ、僕は真っ先に母親の彼氏を思い浮かべる。いつも『しつけ』は大声での指摘というか因縁付けから始まるからだ。そして今これから始まろうとしていることも大して『しつけ』と変わらないんじゃないかと想像できる雰囲気が既に充満していた。
中年男に胸ぐらを掴まれて女性の傍に座らされる。正座。咥えさせられたのはフィルターもない手巻き煙草で、つまり大麻のジョイントだ。
吸いたくて吸った訳じゃないけれど、ケチったのか熱い空気だけが入ってきて唇を火傷したかと思う。反射的に熱さという刺激を拒否。吐き出したジョイントは灰皿にナイス・イン。代わりに左頬に痛烈な一撃。
そこからの僕は予想通りのサンドバッグ。客と違って跡が残りそうなのが拙い。そればかり考えて母親の彼氏の『しつけ』で慣れた僕はなるべく跡が残らないよう打撃を流すのに集中する。あからさまに避けても相手の血圧を上げるだけ。
ただ左耳のクリッカーというリングピアスを引きちぎられそうになった時だけは、本気で抗った。カネもないのに病院行きはごめんだったし、この痛みは種類が違ったからだ。結局は中年男も暴力で食いつないでいる人間ではないらしく、頬に僕の爪痕を赤く残して解放してくれた。
おまけに慈悲深くもこんな言葉を僕に寄越す。
「カネ、欲しいんだろう? まとまった額になるんだぞ?」
確かに校内で本物を流せば食い付く奴らなんて幾らだっているだろう。僕だってまるで興味がない訳じゃない。ふんわりと幸せを感じる時間が僅かでもあったら、僕はもう少し違うやり方で……やっぱりカネを稼ごうとしているんだろうな。
だから大麻の学生ルート話は他の誰かに持ち掛けて貰おうと決める。
「絶対に言いません。帰ります」
言い置いて玄関に行こうとしたら中年男が小さなチャック付きビニール袋に入った大麻と巻紙一枚を僕のポケットに捩じ込んだ。
「ハッパは所持でアウトだ、使わなくてもな。次に俺たちに会ったときにもそいつを持っていろ。『絶対に言いません』だあ? ふざけんな、信じる馬鹿はいねぇよ」
こんな場面でも相手に頭を下げる僕は大麻所持でドキドキするより、真っ先に鏡で顔に痕がついていないか確かめたくて、玄関で靴を履きドアを開けてみて落胆した。
外はもう薄明るかったからだ。
本当に今晩の稼ぎがゼロだった事実に僕は再び貧血になりそうな気分だった。
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