31 / 44
アリアドネの糸は縺れて切れて
第31話
しおりを挟む
校内で僕と慧さんの謎めいた関係が勝手な憶測で以て静かな噂となり、蔓延したのに気付いたのは『ガツン』とやってから翌々週の初め頃だった。あれから十日も経ってない。
僕が気付いたのがその辺りというだけで、本当はもっと早くから噂になっていたのかも。事件の時には警察や救急もマンションに来たんだし、マンション内には同じ高校の生徒の家庭も入居している。
集団幻覚でもないだろうから、複数のパトカーや救急車が何処の部屋に何をしにきたのか、誰だって気にはなるだろうし。つまりは僕と慧さんの謎な関係とセットで、僕の起こした(本来なら傷害か殺人未遂)事件も噂になっているのだ。いかにも弁護士らしき人物と常に行動を共にしていたのも見られていただろう。
だからといって僕が言い訳に走ると余計に事態がややこしくなりそうだ。大体、普段から僕は強く自己主張や自己弁護するタイプでもないし。おまけにクラスでも変わった浮き方をしている奴が急に説明し始めるのは、いかにもおかしい。
ここは学校側の裁定を大人しく待つのと、慧さんがどう出るかに賭けるしかない。僕は『スキャンダルでも低いレヴェルの空気』が自分を取り巻き渦巻いているのを分かっていながら、無視してマイペースを演じた。
水曜の五限目の化学の授業、終わり際に拝島先生がまた僕を指名した。
「おー、水谷よ。明日配るプリント忘れててな、手伝えや」
当然、これも低いレヴェルだけれどざわめきと興味・憶測の声が教室内に立ち込めた。だがここでなら僕にも言うべき科白が割り当てられているのは察せられる。
「拝島先生、何で最近、僕ばかりが雑用係なんですか?」
「そりゃあ通学は途中まで、帰宅は同時で同じ家なんだ。便利だからに決まってるでしょうよ」
「幾ら便利でも僕は拝島先生の下僕じゃないんですから」
以前に慧さんが言った科白を返すと、慧さんはニヤリと人の悪い笑みを黒縁眼鏡の奥で煌めかせた。
「下僕じゃねぇなあ、下僕以下だぞ水谷よー。実質、両親いないのが発覚した挙げ句に、強盗に入られて格闘。その未成年を遠縁の俺様が両親代理として救って差し上げたんじゃないですか。違ったっけか? ええ?」
「……違いません。感謝していますし僕は拝島先生の靴でも舐めますよ」
この頃になるとクラスの誰もが僕と慧さんのやり取りに聞き入って、しんと静まり返っていた。どうやら校内の噂だけは、今のところという但し書き付きだが落ち着かせることが出来そうだった。
無視していても、僕は僕の噂がブンブン唸りながら顔の周囲を飛び交い続けるのに耐性が無い。慧さんも家での僕の様子から察して早々に切り出してくれたのかも知れなかった。
そんなに僕のことを観察し、僕のために動いてくれているのだと、僕が思いたいだけなのかな。それでも男を野菜にした事件では慧さんがいなければ僕は今こうしていられなかったし、その前から慧さんが僕をストーカーしていたことから元は始まっているのだ。
少し、もう少し、僕は自分から慧さんへの距離を詰めていいのかな?
慧さんの家ではキスするくらい当たり前になっている。僕は慧さんが好きだし、慧さんも僕が嫌いじゃない筈だ。あんなキスを嫌いな奴にするのが大人なら、僕は一人で一生を歩んでいこうと思う。
でも慧さんはその気になったら『俺が困る』と言った。そう、自己申告を疑う意味もないから慧さんは男として不能なのだろう。その気になってもできない、身体も思考も困る上にプライドを傷つけてしまうのが怖い。
慧さんは飄々とした大人を演じているけれど、そんな強固な殻の中には小さな子供が泣いていて、カケラの如きプライドを握り締めている……僕は以前、そう思った。
慧さんはまだ虐待サヴァイバーじゃない。
そんな慧さんが僕のプライドを買って試そうとしている。何を? ちょっと前までは『早く大人にする実験』かと思っていた。僕と一緒に慧さん自身のプライドを育ててサヴァイバーとなるために。
けれど何だか僕は考え過ぎなんじゃないかって気がしてきた。それはクラスで慧さんとのやり取りを皆に聴かせた翌々日、週末の放課後に会議室に呼ばれた時だった。
僕が気付いたのがその辺りというだけで、本当はもっと早くから噂になっていたのかも。事件の時には警察や救急もマンションに来たんだし、マンション内には同じ高校の生徒の家庭も入居している。
集団幻覚でもないだろうから、複数のパトカーや救急車が何処の部屋に何をしにきたのか、誰だって気にはなるだろうし。つまりは僕と慧さんの謎な関係とセットで、僕の起こした(本来なら傷害か殺人未遂)事件も噂になっているのだ。いかにも弁護士らしき人物と常に行動を共にしていたのも見られていただろう。
だからといって僕が言い訳に走ると余計に事態がややこしくなりそうだ。大体、普段から僕は強く自己主張や自己弁護するタイプでもないし。おまけにクラスでも変わった浮き方をしている奴が急に説明し始めるのは、いかにもおかしい。
ここは学校側の裁定を大人しく待つのと、慧さんがどう出るかに賭けるしかない。僕は『スキャンダルでも低いレヴェルの空気』が自分を取り巻き渦巻いているのを分かっていながら、無視してマイペースを演じた。
水曜の五限目の化学の授業、終わり際に拝島先生がまた僕を指名した。
「おー、水谷よ。明日配るプリント忘れててな、手伝えや」
当然、これも低いレヴェルだけれどざわめきと興味・憶測の声が教室内に立ち込めた。だがここでなら僕にも言うべき科白が割り当てられているのは察せられる。
「拝島先生、何で最近、僕ばかりが雑用係なんですか?」
「そりゃあ通学は途中まで、帰宅は同時で同じ家なんだ。便利だからに決まってるでしょうよ」
「幾ら便利でも僕は拝島先生の下僕じゃないんですから」
以前に慧さんが言った科白を返すと、慧さんはニヤリと人の悪い笑みを黒縁眼鏡の奥で煌めかせた。
「下僕じゃねぇなあ、下僕以下だぞ水谷よー。実質、両親いないのが発覚した挙げ句に、強盗に入られて格闘。その未成年を遠縁の俺様が両親代理として救って差し上げたんじゃないですか。違ったっけか? ええ?」
「……違いません。感謝していますし僕は拝島先生の靴でも舐めますよ」
この頃になるとクラスの誰もが僕と慧さんのやり取りに聞き入って、しんと静まり返っていた。どうやら校内の噂だけは、今のところという但し書き付きだが落ち着かせることが出来そうだった。
無視していても、僕は僕の噂がブンブン唸りながら顔の周囲を飛び交い続けるのに耐性が無い。慧さんも家での僕の様子から察して早々に切り出してくれたのかも知れなかった。
そんなに僕のことを観察し、僕のために動いてくれているのだと、僕が思いたいだけなのかな。それでも男を野菜にした事件では慧さんがいなければ僕は今こうしていられなかったし、その前から慧さんが僕をストーカーしていたことから元は始まっているのだ。
少し、もう少し、僕は自分から慧さんへの距離を詰めていいのかな?
慧さんの家ではキスするくらい当たり前になっている。僕は慧さんが好きだし、慧さんも僕が嫌いじゃない筈だ。あんなキスを嫌いな奴にするのが大人なら、僕は一人で一生を歩んでいこうと思う。
でも慧さんはその気になったら『俺が困る』と言った。そう、自己申告を疑う意味もないから慧さんは男として不能なのだろう。その気になってもできない、身体も思考も困る上にプライドを傷つけてしまうのが怖い。
慧さんは飄々とした大人を演じているけれど、そんな強固な殻の中には小さな子供が泣いていて、カケラの如きプライドを握り締めている……僕は以前、そう思った。
慧さんはまだ虐待サヴァイバーじゃない。
そんな慧さんが僕のプライドを買って試そうとしている。何を? ちょっと前までは『早く大人にする実験』かと思っていた。僕と一緒に慧さん自身のプライドを育ててサヴァイバーとなるために。
けれど何だか僕は考え過ぎなんじゃないかって気がしてきた。それはクラスで慧さんとのやり取りを皆に聴かせた翌々日、週末の放課後に会議室に呼ばれた時だった。
2
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

未冠の大器のやり直し
Jaja
青春
中学2年の時に受けた死球のせいで、左手の繊細な感覚がなくなってしまった、主人公。
三振を奪った時のゾクゾクする様な征服感が好きで野球をやっていただけに、未練を残しつつも野球を辞めてダラダラと過ごし30代も後半になった頃に交通事故で死んでしまう。
そして死後の世界で出会ったのは…
これは将来を期待されながらも、怪我で選手生命を絶たれてしまった男のやり直し野球道。
※この作品はカクヨム様にも更新しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
土俵の華〜女子相撲譚〜
葉月空
青春
土俵の華は女子相撲を題材にした青春群像劇です。
相撲が好きな美月が女子大相撲の横綱になるまでの物語
でも美月は体が弱く母親には相撲を辞める様に言われるが美月は母の反対を押し切ってまで相撲を続けてる。何故、彼女は母親の意見を押し切ってまで相撲も続けるのか
そして、美月は横綱になれるのか?
ご意見や感想もお待ちしております。

切り札の男
古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。
僕は 彼女の彼氏のはずなんだ
すんのはじめ
青春
昔、つぶれていった父のレストランを復活させるために その娘は
僕等4人の仲好しグループは同じ小学校を出て、中学校も同じで、地域では有名な進学高校を目指していた。中でも、中道美鈴には特別な想いがあったが、中学を卒業する時、彼女の消息が突然消えてしまった。僕は、彼女のことを忘れることが出来なくて、大学3年になって、ようやく探し出せた。それからの彼女は、高校進学を犠牲にしてまでも、昔、つぶされた様な形になった父のレストランを復活させるため、その思いを秘め、色々と奮闘してゆく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる