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深海を這う者、日射しを夢視ず
第27話
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慧さんのマンションから通学するにはバスと電車を乗り継がなければならなくて、電車の最寄り駅までは慧さんが車で送ると申し出てくれた。
僕は慧さんを早起きさせる申し訳なさとバス代を秤にかけて迷ったけれど、あっさりと慧さんが「駅前を通るついでだ」と言ったきり、その問題は話に上らなかったので決定したのだった。
超速の早回しで全てを強引にブルドーザーで均してしまったかのように、本来は月曜日に繰り越す筈の役所関係も土日で終わらせて貰ったので、僕は何事もなかったみたいに月曜からは普通の高校二年生を続けた。
いや、続けたというよりも一旦はハサミでカットして再び接着したかの如く、僕自身の中では連続性を失っている気がした。人ひとりを野菜にした僕は、高校二年生という役を明らかに『演じていた』。
だからって僕の本質が変化した訳じゃなく、元々僕は不満が頂点に達して破裂したら人殺しもできる人間だったと分かっただけ。何処まででも我慢が可能なタイプじゃなくて、不満を詰め込みすぎれば僕の風船は『あの辺り』が限界値だったんだ。
でも元の風船の丈夫さ薄さや僕に訪れてしまった破裂はともかく、結果として人を野菜レヴェルの存在にまで突き落としたことは消えも揺らぎもしない。
「僕はショックだったのかな……?」
昼休みの食堂でミックスサンドを咀嚼しながら、誰にも聞こえない独白。
男を野菜並みにした。母親は野菜の世話に余念がないが、いつまで経っても見返りがなければ何れ飽きるのは目に見えてる。そうして野菜男は公費で適当なケアをされ続けて多分、白いシーツに放置された野菜が枯れるように一生を終える。
あの男は野菜にされるほどの罰を受けるべき悪だったのか?
ペットボトルの紅茶を飲み干して席を立ち、教室に戻って自分の席で文庫本を開いた。けれど目は同じ行ばかりを滑って内容は頭に入ってこない。だがその行に『病気』という印字を見て、僕の心の糜爛した部分が更にじくじくと痛みを大きくした。
野菜男は病気になった。ううん、元から『僕を蝕む病気』のウイルスだか細菌だかを保菌していたのだ。きっと僕も何か他の保菌者で、男と『僕の躰の取り合い』をして男は負け、保菌していた病原菌に侵され野菜になった。
じゃあ僕はやっぱり折れたら駄目だ。負ければ僕もベジタブルかも。
「次は化学か……」
わざと声に出して論理も破綻した馬鹿馬鹿しい病原菌妄想を断ち切る。どうせ僕は母親みたいに自分を騙しきる能力は持っていない。やったことは、それ以上でも以下でもなく事実として何処までも持ち歩くしかない。
本音を言えば普通に『殺人未遂犯の少年』として捕まり取り調べを受け、検察送致だの刑事裁判か少年審判という順当なルートを経て、罰則を受ける身になった方がしみじみ罪だの罰だの反省や悔恨の情だのが湧くか、プログラムによって湧かされるかして、いつかは人を野菜にした自分を許せたのかも知れないと思う。
おそらく社会はそれを償いというのだ。
けれど僕は慧さんや慧さんが手配してくれた藤村弁護士のお蔭で償いを免れ、お喋りな看護師たちの洩らした隠語なんかで、さも自分が傷ついたかのようにグルグルと考えては、とっくに答えの出ている思考をこねくり回していられるのだ。
そう。僕は自分が男を殴ったことを後悔していない。ベジタブルと評される男の状態にも同情していない。
ただ医療従事者の思いも寄らない隠語を耳にして、新鮮且つ陰惨な表現に、ある意味、感心しすぎてしまっただけ。
本当に僕は何故、慧さんの言った通りにヤラれる前にガツンとやらなかったのか。慧さんとの約束の『専属』を破られてしまう前に……まあ、僕の風船はその時点ではまだ破裂しなかっただけの話なんだろうな。
気付くと机の上に文庫本を置いているのは僕だけで、チャイムを聞いた覚えすらないまま、化学の授業が始まっていた。静かに教科書と文庫本を入れ替える。実験じゃなく座学で良かった。
――と、思った途端に慧さん、いや、拝島先生に名を呼ばれる。
「水谷、ここのモル数の計算式を前に出て埋めろ」
「あ、はい」
授業についてゆけずに困る、なんてことは殆どなくて僕はきっとその点では幸いなのだろう。
未だ教科書を開く前に立って行って黒板に式を書く。拝島先生は普段から誰かを指名して答えさせることなんか殆どやらないのに、その珍しい生贄の山羊が僕というのはどうなんだろうと、ここ暫く馴染みになった不安がまた心に浸み込んだ。
おまけに自分の机に去り際、僕に慧さんは用事まで言い付ける。
「おー、水谷よ。前回配ったプリント集めて化学科職員室に持ってきてくれや。放課後で構わん」
「……はい」
僕は僕で『ピアスだらけでも大人しい生徒』と『面倒を言い付けられた不満』を混ぜて醸した返事をして見せた。どっちもどっちの三文芝居だけれど、僕に関する諸々の事件がバレない程度には必要な演技。
もう連続性を失くした僕は、高校二年生をあくまで演じてゆくだけだけれど。
僕は慧さんを早起きさせる申し訳なさとバス代を秤にかけて迷ったけれど、あっさりと慧さんが「駅前を通るついでだ」と言ったきり、その問題は話に上らなかったので決定したのだった。
超速の早回しで全てを強引にブルドーザーで均してしまったかのように、本来は月曜日に繰り越す筈の役所関係も土日で終わらせて貰ったので、僕は何事もなかったみたいに月曜からは普通の高校二年生を続けた。
いや、続けたというよりも一旦はハサミでカットして再び接着したかの如く、僕自身の中では連続性を失っている気がした。人ひとりを野菜にした僕は、高校二年生という役を明らかに『演じていた』。
だからって僕の本質が変化した訳じゃなく、元々僕は不満が頂点に達して破裂したら人殺しもできる人間だったと分かっただけ。何処まででも我慢が可能なタイプじゃなくて、不満を詰め込みすぎれば僕の風船は『あの辺り』が限界値だったんだ。
でも元の風船の丈夫さ薄さや僕に訪れてしまった破裂はともかく、結果として人を野菜レヴェルの存在にまで突き落としたことは消えも揺らぎもしない。
「僕はショックだったのかな……?」
昼休みの食堂でミックスサンドを咀嚼しながら、誰にも聞こえない独白。
男を野菜並みにした。母親は野菜の世話に余念がないが、いつまで経っても見返りがなければ何れ飽きるのは目に見えてる。そうして野菜男は公費で適当なケアをされ続けて多分、白いシーツに放置された野菜が枯れるように一生を終える。
あの男は野菜にされるほどの罰を受けるべき悪だったのか?
ペットボトルの紅茶を飲み干して席を立ち、教室に戻って自分の席で文庫本を開いた。けれど目は同じ行ばかりを滑って内容は頭に入ってこない。だがその行に『病気』という印字を見て、僕の心の糜爛した部分が更にじくじくと痛みを大きくした。
野菜男は病気になった。ううん、元から『僕を蝕む病気』のウイルスだか細菌だかを保菌していたのだ。きっと僕も何か他の保菌者で、男と『僕の躰の取り合い』をして男は負け、保菌していた病原菌に侵され野菜になった。
じゃあ僕はやっぱり折れたら駄目だ。負ければ僕もベジタブルかも。
「次は化学か……」
わざと声に出して論理も破綻した馬鹿馬鹿しい病原菌妄想を断ち切る。どうせ僕は母親みたいに自分を騙しきる能力は持っていない。やったことは、それ以上でも以下でもなく事実として何処までも持ち歩くしかない。
本音を言えば普通に『殺人未遂犯の少年』として捕まり取り調べを受け、検察送致だの刑事裁判か少年審判という順当なルートを経て、罰則を受ける身になった方がしみじみ罪だの罰だの反省や悔恨の情だのが湧くか、プログラムによって湧かされるかして、いつかは人を野菜にした自分を許せたのかも知れないと思う。
おそらく社会はそれを償いというのだ。
けれど僕は慧さんや慧さんが手配してくれた藤村弁護士のお蔭で償いを免れ、お喋りな看護師たちの洩らした隠語なんかで、さも自分が傷ついたかのようにグルグルと考えては、とっくに答えの出ている思考をこねくり回していられるのだ。
そう。僕は自分が男を殴ったことを後悔していない。ベジタブルと評される男の状態にも同情していない。
ただ医療従事者の思いも寄らない隠語を耳にして、新鮮且つ陰惨な表現に、ある意味、感心しすぎてしまっただけ。
本当に僕は何故、慧さんの言った通りにヤラれる前にガツンとやらなかったのか。慧さんとの約束の『専属』を破られてしまう前に……まあ、僕の風船はその時点ではまだ破裂しなかっただけの話なんだろうな。
気付くと机の上に文庫本を置いているのは僕だけで、チャイムを聞いた覚えすらないまま、化学の授業が始まっていた。静かに教科書と文庫本を入れ替える。実験じゃなく座学で良かった。
――と、思った途端に慧さん、いや、拝島先生に名を呼ばれる。
「水谷、ここのモル数の計算式を前に出て埋めろ」
「あ、はい」
授業についてゆけずに困る、なんてことは殆どなくて僕はきっとその点では幸いなのだろう。
未だ教科書を開く前に立って行って黒板に式を書く。拝島先生は普段から誰かを指名して答えさせることなんか殆どやらないのに、その珍しい生贄の山羊が僕というのはどうなんだろうと、ここ暫く馴染みになった不安がまた心に浸み込んだ。
おまけに自分の机に去り際、僕に慧さんは用事まで言い付ける。
「おー、水谷よ。前回配ったプリント集めて化学科職員室に持ってきてくれや。放課後で構わん」
「……はい」
僕は僕で『ピアスだらけでも大人しい生徒』と『面倒を言い付けられた不満』を混ぜて醸した返事をして見せた。どっちもどっちの三文芝居だけれど、僕に関する諸々の事件がバレない程度には必要な演技。
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