不自由ない檻

志賀雅基

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そのとき必要だった物

第7話 

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 母親はあれで学歴もプライドも高い。ならばもっとスマートに自分のプライドを満たせる男を見つければ良さそうなものだが、実際にはそう上手く依りかかる対象を選べる人間の方が少ないだろう。

 お蔭で僕は割を食っているが、母親だって似たような手段で一応は一家と呼べそうな最小コミュニティを切り盛りしている『つもりになっている』。自分の若い彼氏が僕からカネを巻き上げているのを半ば知っていても『つもりになっている』のは大事だと僕は思う。今の母親のプライドはそこに在るのだから。

 人間の感情で一番強いのは『貶められたときの憎しみ』だという説を読んだことがある。だけど僕はその時思ったのだ、『憎しみを抱けるなら上等だ』と。
 そんな感情を生むのは生きている証拠だ。本当に一番強い感情なら、そんな負の感情を抱くと同時に絶望し、生きることを辞めてしまうのが自然じゃないのか、とも考えた。

 その説には続きがあって、故殺と言われる旧刑法上での衝動殺人も、これも旧刑法で謀殺なる計画的な殺人も、被害者と加害者が知り合いなら『プライドを傷つけた・傷つけられた』のが原因として一番多いのがその証拠だとあり、僕は呆れてその雑誌か何かを投げ出した覚えがある。

 故殺も計画殺人も赤の他人の方が少ないのは当然じゃないか。

 でも呆れながら僕自身は『絶望しても死んでいない』が、母親はプライドを折られて絶望したら憎しみを抱くより生きることを辞める派かも知れない。確かめるのは嫌だなと思ったのだ。
 そこで僕がカネに困ったからと母親にしわ寄せするか、僕自身で解決するかは僕の胸三寸だった。

 そんな母親とは滅多に会わないが、一緒に立つと僕の方が背が高い。
 だからというのでもないけれど僕は自分でカネを稼ぐことに決めたのだ。

 カツアゲをする体力や技術も持ち合わせていないから、バレたら何もかもが壊れる手段を選ぶしかなかったのだが、バレなければ『普通の家庭で生まれ育った普通の子供』から『普通の大人』になれる、結果論だけど。
 甘いのかな、僕は。普通を舐めている? でも少なくとも皆が僕と立場を入れ替わりたがっているようには見えたことなんかない。

 とにかく本当なら支払い終えてサヨナラしていたカネとそれに付随する厄介事を僕は今、クリッカーリングなるボディピアスに変えてしまい、後生大事に持ち歩いているのだ。
 十個なる丁度の数字が気持ち悪くて新しく開けた穴には取り敢えず16ゲージのチタンピアスを押し込んだが、穴が固まりかけたら早々にクリッカーのリングと入れ替えたくて先に買ってしまった。

 失くしたくないから今は他の穴に着けている。

 リング径は小さいけれど14ゲージで割とゴツく見えるプラチナ。滅多に湧かない物欲が一度芽生えてしまうと僕の辞書から『堪え性』の文字は消える。その時の僕はこれが欲しくてこれのために稼いだ。そして自分のために散財したのである。

 本当なら、まずは払うべき五千円を別に取り置いた上で身の丈に合った品を買うべきなのだろう。そんなことくらい解ってる。けれどあの時の僕はこの小さなクリッカーリングを手に入れることだけが生き甲斐であるかのような想いを抱いていた。
 そこまでしたからには大切だけれど、今は『普通の大切』で、あの時の執着が自分でも不思議なほどである。また新しく宝物を探さなきゃならない。

 そうやって欲しい物を追っていると実生活で必要なカネの方が多くて、労働意欲が湧くというより自転車操業なんて言葉がしっくりくる情けなさだけど、取り敢えず母親の彼氏から逃げて夜の街へと押し流されてゆく我が身に理由付けができて、学生生活での不自由も減る。目標を置くのは悪くないと思う。
 自分で決めたことでもアクティヴに他人にオモチャにされたい訳じゃないのだ。
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