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第16話・夕飯時(ヤクザだらけ・刑事)

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「なっ、こんな近くにお米屋さんがあるじゃないですか!」
「あるけど、それが?」

 しれっと言った薫には泉もさすがにムカッ腹を立てる。

「そういう嫌がらせして面白いですか!? 幾ら僕とジャック先輩が二人きりで一夜を明かしたからって、今更、見苦しい嫉妬は止して下さい!」
「ああん、一夜を明かしたから嫉妬? ふふっ、僕は恭介にたまたま血を吸われた奴ごときに嫉妬なんかしませんよーだ。勘違いしないでくれるかな、このド貧乏刑事ふぜいが!」

「なら、何だって言うんですか! この僕に苦役を科した理由を教えて下さいよ!」
「だってさ、あんたの財布の中身じゃ、そこのミマツ屋さんの米は30キロ買えなかったんだもん。ミマツ屋さんのお米はとびきり美味しいんだけど高いから、組でも祝い事の時しか炊かないんだよ」

「あ、はあ、それで……って、何で僕の財布の中身まで知ってるんですかっ!?」

 当然、財布の中身を見たからだ。

 一緒に行動するにあたって、どのくらいまで相手の懐をアテにしていいのか把握しておくのは薫としては基本だった。残りはギリギリ恭介のマンションまでタクシーを使えるだけしか無い筈である。4袋目の米も勘弁してやったフリで、じつは計算済みだった。

 あくまで今の薫は梅谷組・若中として、今月の上納金を何としてでも稼ぎ出さねばならない身なのだ。月々のルーチンのシノギだけでは到底足らないので困り事は恭介に頼み、自分は部屋住みの奴らに指令を出す一方で、毎晩の如く賭け麻雀にいそしんでいる。

 本当なら組対とはいえボンクラ刑事なんぞに付き合っているヒマなど無いのだ。だが転んでもタダでは起きないのがヤクザの身上である。そろそろ米びつの底が見えてきて、組長がエプロンを着けたまま溜息をついていたのを見逃していなかった薫の戦略勝ちだった。

 夕飯の後は部屋住みの若い衆を二人ばかり案内役に付けて泉を放り出せばいいと思っていた。どうせドジ刑事にキッズマフィアの尻尾を掴むことなど、どだい無理な話である。

 そこまで泉をバカにする薫も薫だが、『手違いで組対に配属』まで喋ってしまった恭介も恭介だ。だが恭介としては平静を心して保ちながらも、目前にした薫(の血)に逃げられまいと、全て吐くしかなかったのだから仕方ない。
 どっちもどっちでツンデレながらいい勝負、いや、似合いのカップルと言えよう。

「じゃあさ、本家にはこっちの玄関から入って。あ、事務所を抜けてすぐ階段だけど米は分けて運んでくれる? 階段がまた抜けるから」
「『また』って、建物ごと崩れたりしませんよね? 嫌ですよ、生き埋めは」
「ヤクザの本家で刑事が生き埋めってシュールだよな」
「シュールで済めばいいですが課長のクビまで飛びますよ」

 喋りつつカラカラと横にスライドする戸を薫が開けた。すると今は誰もいない小さな事務所があり、パイプ椅子などを避けて通り抜けると玄関になっている。足元の三和土タタキには男物のくたびれた革靴が五足、綺麗に並んでいた。壁際には段ボール箱があり運動靴も革靴もごっちゃに詰め込まれ、山になって今にも崩れそうだ。

 つまり下足番の下っ端が全ての靴を並べようにも面積が足らないくらい狭い。そこで薫は無造作に靴を脱ぐと、やっと泉の担いだ米を一袋だけ受け持つ。更に大声で目前の階段上に叫んだ。

「ねえ、誰か一人来てくれる? 米がきたよーっ!」

 一人と言ったのに階段をドドドドッと若い男ばかりが十五人ほども降りてきて階段が不穏な軋みを上げる。そうして薫からも、唖然としている泉からも米の袋を取り上げると、男らが冗談でなく目を潤ませて米袋に頬ずりした。

「米だ、それもこれ、ミルキークイーンですぜ!」
「おおう! 冷めてもモッチリ旨くて、おにぎりに最適だ!」
「堪んねぇぜ、この白いブツが30キロも……ああ、ヨダレが」

 ナニか一発キメているんじゃないだろうなと泉は疑いつつも、米を持った三人がまた階段をミシミシいわせて上がって行くのを見送る。そこでふと気付けば、残った十数人が廊下に座り切れず階段まで使って、ミニマムながら集合写真でも撮るかのようなフォーメーションを組んでいた。

 その形で以て薫に頭を下げる。

「薫さん、無事の御帰り祝着至極でございやす!」
「ただいまー。何も変わりない?」
「はい、あー、いえ。例のガキどもがまた集団万引きを二度ほど」

「そっか、分かった。そっちは後で対処するから。おやっさんや若頭カシラは?」
「もう全員揃って、お待ちで」

 頷いた薫は若い衆らに紛れて二階への階段を登って行ってしまう。泉はどうしようかと悩んだが、その場に残ってくれた二人の若い衆が気を利かせて二階へと案内してくれた。
 どうやら薫とかなり懇意にしている友人といった扱いらしい。だから薫も敢えて泉を賓客として紹介しなかったのだろう。薫が刑事だと言わなければ、梅谷のシマを歩いたことも無い泉の素性はバレないと思われた。

 そこまで考え至るとホッとして泉は二階に上がるなり腹を鳴らす。二階にはご飯の炊けた匂いが充満していたのだ。熱した油の香りも混じって食欲をそそられた。

「おっ、薫ちゃんの御客人かい?」

 目敏く声を掛けてきたのは廃業して三年後の相撲取りの如き大男だった。その男に対して薫は僅かながら姿勢を正して会釈しつつ応える。

「はい。ちょっとそこで偶然会って、買った米を運んで貰ったんですよ、若頭カシラ
 傍で聞いていた泉は梅谷組の若頭と懇意になるチャンスより、米の手柄を取られた方を咄嗟に重視してしまう。炊き立てご飯の匂いが胃袋を刺激して余計にひとこと言わずに済まなくなった。

「お米は僕が――」
「――分かってるぜ、薫ちゃんの御客人。ちゃあんと分かってらあね。感謝して皆で一粒たりとも無駄にしねぇからよう。ありがてぇ御客人の土産は後で大事に頂くとして、今日はいつもの飯だが食っていかねぇかい?」

 ここで遠慮する泉ではない。カシラに頷くより先に若い衆に目でものを言い誘導して貰う。結局はエプロンを着けて古臭い眼鏡を掛けた、業務用炊飯器三台の傍に鎮座している男の隣に座布団を用意された。カシラとエプロン男に挟まれた形だ。

 ただ、座ってみたのはいいが一番上座のド真ん中で、薫とも離れてしまい食後の打ち合わせができなくなってしまったのは失敗したと思う。
 気付くと眼鏡エプロン男が大ぶりの茶碗にホッカホカの炊きたてご飯を盛り付けては泉に渡してくる。さすが客人には「わんこ蕎麦」ならぬ「わんこ飯」かと考えて、犬じゃないんだからと思い直していると、隣からカシラが教えてくれた。

「その茶碗の飯は順繰りに隣に回してやっておくんなせえ」
「あ、はい」
「飯のおかわりは自由ですが、御客人の前で恥ずかしながら、おかずはこの目玉焼きと白菜の味噌汁に沢庵というのが代々の梅谷のしきたりでして」

 これも嘘で上納金の締め切りが近くなると財政難から味噌汁の白菜まで消え、当然目玉焼きも無い、禅僧の方がマシな食卓となるが誰も文句は言わない。結束が固いのが梅谷組の自慢である。
 皆が一丸となり、今はエプロンを着けて飯を盛っている組長の口癖「組を畳む」を阻止しているのだった。

「うわあ、みんなで食べるご飯っていいですねえ。特に大釜で炊いた米は旨いんですよね」
「質素極まりねぇが、これも経験と思って噛み締めて下せえ。遠慮はナシですぜ」

 この後、皆は大きく頷いた泉の非常識な大食いを眺めて一瞬呆け、次には慌てて自分の食う分の確保に走った。それは昨夜のすき焼き争奪戦以上の混乱に梅谷一家を陥れた。

「まあ、予測の範疇ではあったんだけど。タツ、アサ。この食い倒れ熟睡野郎を僕の部屋に放り込んどいてくれるかな? ……あ、恭介からメールだ。《バー・リコシェで待つ》か」 
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