お前に似合わない職業2[警察官]

志賀雅基

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第6話・夜(探偵・刑事)

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 チラリと泉を見てから背を向けた。オートロックを外しながら声だけを投げる。

「泉、今日は帰ってくれないか?」
「嫌です。それとも終電に飛び込んで欲しいんですか?」

「あれだけ食っておいて、今更自殺もないだろう?」
「あれは最期の晩餐です」
「……」

 からかわれているようにしか思えなくて、ムッとした恭介は自分だけガラス扉に滑り込むと素早く閉めようとした。だが泉は力ずくで開けようとする。ガサ入れでもあるまいに靴まで挟んでいて、このまま自分が力を入れたらガラス扉が砕けるか、泉の手と足が潰れるかだと悟って仕方なく手を離した。末裔とはいえ吸血鬼の自分の力は尋常ではないのだ。

 こちらの気も知らず嬉しそうに泉はエレベーターホールに立った。
 十階の一〇二七号室の前で足を止めるまで泉は黙ってついてきた。

 キィロックを外して中に入ると明かりのスイッチを入れる。上がった所がダイニングキッチンで、右手の扉が洗面所にトイレとバスルーム、キッチンの引き戸を開け放して見えるのがリビングで、奥に寝室があるというシンプルな造りだ。

 だが恭介はあまり物に執着しないので非常にだだっ広く見える。そのためか勝手にお宅拝見をしていた泉が声を上げた。

「すごい、広さが豪華ですね」
「高さもそこそこ豪華だぞ。飛び降り自殺は六階以上が成功率アップの鍵だそうだ」

 口を尖らせた泉は気を悪くしたらしい。振り回されてばかりもいられないので一点を返し、バスルームでバスタブに湯を溜め始める。雨に濡れた肌が痒いのは気のせいだと分かっているが、流れ水が苦手な吸血鬼のサガはどうしようもない。

「お風呂に入るんですか?」
「ん、ああ。それが悪いか?」
「背中、流してあげますよ」

 さらりと言われてギョッとし、泉を見返した。何でもないことのように泉はもうスーツのジャケットを脱ぎ始めている。いや、何でもないことというのは嘘だった。ごく自然に見せかけてその頬は紅潮し、やや色の薄い透明感のある瞳もトロリと情欲を孕んでいた。

 そんな男から漂ってくる血の匂いは甘く濃く感じられ、恭介は頭の芯が鈍く痺れたように酔い始めていた。それでも『この本能』のままに動くのはワイセツ犯と変わらない。特に理性を振り絞らずとも嫌悪感を含ませて言い放つ。

「俺の都合も考えてくれるか?」
「ええっ! 先輩に彼女がいるんですかっ!?」

 何て失礼な奴なんだと思った恭介は窓から放り出そうかと思案しながらも並列思考でゆっくりテンカウントし、気持ちを落ち着けてから本気の撃退に出た。ありのままを話したのだ。

「俺が最近抱いたのは男だ。たった三日ほど前のことだがな。しかし、そういう訳だ。間に合っている。俺は風呂に入るから帰れ」
「そう……ですか」

 と、泉は暫し考えてから、キッと顔を上げて長身の恭介を見上げた。

「先輩がお風呂に入っている間に、僕が本当にそのベランダから飛び降りたらどうしますか?」

 いやに真面目腐って訊かれたので真面目に答えてやる。

「俺が風呂を諦める……と言いたいところだが、好きにしろ。骨は拾ってやる」
「ならバディの片平かたひら警部補に連絡して下さい。じゃあ」

 呆れたことに言い置いて泉は本当にリビングを縦断するとカーテンと窓を開けた。ベランダに出て一メートルほどの高さの塀を乗り越えようとする。放り出さずとも自らダイヴする気のようだ。見ているうちに塀に乗っかり、まるで平均台の上を歩くように両腕を伸ばしてバランスを取った。

 だが次の一歩でバランスを崩して姿が消える。同時に大声が響いてきた。

「おっ、墜ちる~っ! たーすーけーて~っ!」

 もう本当に蹴り落してやりたい気分だったが、ご近所から通報されるのも難儀だ。しぶしぶ恭介はベランダに出ると塀の外側にぶら下がった泉を見下ろす。溜息ひとつ、身を乗り出すと右手一本でその右上腕を掴み、引き上げてやった。

 腹を立てていたせいか力の加減ができなくて、泉は宙を半回転するように投げ飛ばされ、サッシの枠で額を強打しつつリビングに敷いてあるモノトーンのラグの上に落下した。

 泉はうっかりカタツムリを踏んだ時のような『カチャ』という妙な声を出したが、腐っても警察官というべきかすぐに起き上がってきた。見る見る額に幅5センチのタンコブというか巨大ミミズ腫れをこさえながら引き攣った笑みを浮かべる。

「とんでもない力持ちですね。それもやっぱり吸血鬼の力ですか?」
「ああ。お蔭で撃たれたときも一ヶ月足らずで退院した」
「撃たれた時……先輩は同じ組織犯罪対策本部でも暴力団排除対策室だったんですよね。あ、じゃあ今の僕の上司の箱崎はこざき警視って?」

「俺の元・上司でもあるな」
「うわあ。……で、先輩の彼氏さんは一緒に暮らしてないんですね」

 言いつつ泉は敵情視察のつもりか部屋中を見回したが、今は何処にも写真の一葉たりとも飾ってはいない。かつてはバディと自分の写ったものをフォトフレームに収めて置いていたが、薫のバイタリティにくらい過去など吹き払われてしまった。

 忘れはしないが腹の底に黒く凝っていた記憶も今は温かな感謝に変わりつつある。

「義理立てするような奴でもないが、それとは別に俺の気分くらい考慮してもいいんじゃないか?」

 真剣に恭介が拒否しているのだと、ようやく理解したらしい泉は目に見えてしょげた。特に同情はしなかった恭介だが街金のコマーシャルに出てくる子犬の如き潤んだ瞳で思い至る。

「もしかして泉、お前は帰るカネもないのか?」
「じつは、はい。これで最期だと思って殆ど飲んじゃいました」
「家は何処だ?」
「県警本部近くの官舎です、アパート形式の。終電は出ちゃったしタクシー代には全然足らないし」

「タクシー代くらいなら貸すから帰れ」
「はあ。それにしても何だか豪華なマンションだし、探偵って儲かるんですね」

 ここでまた『探偵助手候補』が増えては堪らない、恭介は早口で告げた。

「探偵業は大したカネにならん。例の撃たれてバディが殉職した件、そいつで二十四歳にして全てを投げ捨てた俺に母方の祖父が遺産を少々くれたんだ。『どうせ死ぬならこれを使い果たしてから死ね』ってな」
「なるほど。それでこの部屋にあの事務所ですか」
「そういうことだ。一万貸す」

「有難うございます。でも僕、お腹がいっぱいになると眠く、なって――」

 極めて自然に二人掛けソファに歩み寄った泉は横になると、肘掛けを枕にして豪快ないびきをかき始める。喋り終えてから五秒と経っていない。
 確かに胃腸が強靭で何処でも眠れるのが刑事のたしなみだが、はみ出した靴下の足に刑事らしい悪臭を嗅いで眩暈を感じた恭介は風呂に退散した。
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