上 下
6 / 33

第6話・夜(探偵・刑事)

しおりを挟む
 チラリと泉を見てから背を向けた。オートロックを外しながら声だけを投げる。

「泉、今日は帰ってくれないか?」
「嫌です。それとも終電に飛び込んで欲しいんですか?」

「あれだけ食っておいて、今更自殺もないだろう?」
「あれは最期の晩餐です」
「……」

 からかわれているようにしか思えなくて、ムッとした恭介は自分だけガラス扉に滑り込むと素早く閉めようとした。だが泉は力ずくで開けようとする。ガサ入れでもあるまいに靴まで挟んでいて、このまま自分が力を入れたらガラス扉が砕けるか、泉の手と足が潰れるかだと悟って仕方なく手を離した。末裔とはいえ吸血鬼の自分の力は尋常ではないのだ。

 こちらの気も知らず嬉しそうに泉はエレベーターホールに立った。
 十階の一〇二七号室の前で足を止めるまで泉は黙ってついてきた。

 キィロックを外して中に入ると明かりのスイッチを入れる。上がった所がダイニングキッチンで、右手の扉が洗面所にトイレとバスルーム、キッチンの引き戸を開け放して見えるのがリビングで、奥に寝室があるというシンプルな造りだ。

 だが恭介はあまり物に執着しないので非常にだだっ広く見える。そのためか勝手にお宅拝見をしていた泉が声を上げた。

「すごい、広さが豪華ですね」
「高さもそこそこ豪華だぞ。飛び降り自殺は六階以上が成功率アップの鍵だそうだ」

 口を尖らせた泉は気を悪くしたらしい。振り回されてばかりもいられないので一点を返し、バスルームでバスタブに湯を溜め始める。雨に濡れた肌が痒いのは気のせいだと分かっているが、流れ水が苦手な吸血鬼のサガはどうしようもない。

「お風呂に入るんですか?」
「ん、ああ。それが悪いか?」
「背中、流してあげますよ」

 さらりと言われてギョッとし、泉を見返した。何でもないことのように泉はもうスーツのジャケットを脱ぎ始めている。いや、何でもないことというのは嘘だった。ごく自然に見せかけてその頬は紅潮し、やや色の薄い透明感のある瞳もトロリと情欲を孕んでいた。

 そんな男から漂ってくる血の匂いは甘く濃く感じられ、恭介は頭の芯が鈍く痺れたように酔い始めていた。それでも『この本能』のままに動くのはワイセツ犯と変わらない。特に理性を振り絞らずとも嫌悪感を含ませて言い放つ。

「俺の都合も考えてくれるか?」
「ええっ! 先輩に彼女がいるんですかっ!?」

 何て失礼な奴なんだと思った恭介は窓から放り出そうかと思案しながらも並列思考でゆっくりテンカウントし、気持ちを落ち着けてから本気の撃退に出た。ありのままを話したのだ。

「俺が最近抱いたのは男だ。たった三日ほど前のことだがな。しかし、そういう訳だ。間に合っている。俺は風呂に入るから帰れ」
「そう……ですか」

 と、泉は暫し考えてから、キッと顔を上げて長身の恭介を見上げた。

「先輩がお風呂に入っている間に、僕が本当にそのベランダから飛び降りたらどうしますか?」

 いやに真面目腐って訊かれたので真面目に答えてやる。

「俺が風呂を諦める……と言いたいところだが、好きにしろ。骨は拾ってやる」
「ならバディの片平かたひら警部補に連絡して下さい。じゃあ」

 呆れたことに言い置いて泉は本当にリビングを縦断するとカーテンと窓を開けた。ベランダに出て一メートルほどの高さの塀を乗り越えようとする。放り出さずとも自らダイヴする気のようだ。見ているうちに塀に乗っかり、まるで平均台の上を歩くように両腕を伸ばしてバランスを取った。

 だが次の一歩でバランスを崩して姿が消える。同時に大声が響いてきた。

「おっ、墜ちる~っ! たーすーけーて~っ!」

 もう本当に蹴り落してやりたい気分だったが、ご近所から通報されるのも難儀だ。しぶしぶ恭介はベランダに出ると塀の外側にぶら下がった泉を見下ろす。溜息ひとつ、身を乗り出すと右手一本でその右上腕を掴み、引き上げてやった。

 腹を立てていたせいか力の加減ができなくて、泉は宙を半回転するように投げ飛ばされ、サッシの枠で額を強打しつつリビングに敷いてあるモノトーンのラグの上に落下した。

 泉はうっかりカタツムリを踏んだ時のような『カチャ』という妙な声を出したが、腐っても警察官というべきかすぐに起き上がってきた。見る見る額に幅5センチのタンコブというか巨大ミミズ腫れをこさえながら引き攣った笑みを浮かべる。

「とんでもない力持ちですね。それもやっぱり吸血鬼の力ですか?」
「ああ。お蔭で撃たれたときも一ヶ月足らずで退院した」
「撃たれた時……先輩は同じ組織犯罪対策本部でも暴力団排除対策室だったんですよね。あ、じゃあ今の僕の上司の箱崎はこざき警視って?」

「俺の元・上司でもあるな」
「うわあ。……で、先輩の彼氏さんは一緒に暮らしてないんですね」

 言いつつ泉は敵情視察のつもりか部屋中を見回したが、今は何処にも写真の一葉たりとも飾ってはいない。かつてはバディと自分の写ったものをフォトフレームに収めて置いていたが、薫のバイタリティにくらい過去など吹き払われてしまった。

 忘れはしないが腹の底に黒く凝っていた記憶も今は温かな感謝に変わりつつある。

「義理立てするような奴でもないが、それとは別に俺の気分くらい考慮してもいいんじゃないか?」

 真剣に恭介が拒否しているのだと、ようやく理解したらしい泉は目に見えてしょげた。特に同情はしなかった恭介だが街金のコマーシャルに出てくる子犬の如き潤んだ瞳で思い至る。

「もしかして泉、お前は帰るカネもないのか?」
「じつは、はい。これで最期だと思って殆ど飲んじゃいました」
「家は何処だ?」
「県警本部近くの官舎です、アパート形式の。終電は出ちゃったしタクシー代には全然足らないし」

「タクシー代くらいなら貸すから帰れ」
「はあ。それにしても何だか豪華なマンションだし、探偵って儲かるんですね」

 ここでまた『探偵助手候補』が増えては堪らない、恭介は早口で告げた。

「探偵業は大したカネにならん。例の撃たれてバディが殉職した件、そいつで二十四歳にして全てを投げ捨てた俺に母方の祖父が遺産を少々くれたんだ。『どうせ死ぬならこれを使い果たしてから死ね』ってな」
「なるほど。それでこの部屋にあの事務所ですか」
「そういうことだ。一万貸す」

「有難うございます。でも僕、お腹がいっぱいになると眠く、なって――」

 極めて自然に二人掛けソファに歩み寄った泉は横になると、肘掛けを枕にして豪快ないびきをかき始める。喋り終えてから五秒と経っていない。
 確かに胃腸が強靭で何処でも眠れるのが刑事のたしなみだが、はみ出した靴下の足に刑事らしい悪臭を嗅いで眩暈を感じた恭介は風呂に退散した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お前に似合わない職業[ヤクザ屋さん]

志賀雅基
BL
◆探偵は煙草とウィスキーと孤独を愛す/その筈が何処で間違えたよボギー◆ [全43話] 組長含め総員7名の弱小ヤクザ一家の梅谷組。上納金増額で弱腰組長は倒れる。組員はそれぞれ資金繰りに奔走し若中の薫は賭け麻雀で稼ぐが、その帰りに上納金を吊り上げた張本人の上部団体組長の罠に嵌められる。バレたら組織内抗争になると思った薫は銃を持って出奔し探偵に助けられるが……。 吸血鬼探偵×任侠道を往くヤクザ青年は意地の張り合い、デレたら負け!? ▼▼▼ 【BL特有シーンはストーリーに支障なく回避可能です】 【ノベルアップ+・ステキブンゲイにR無指定版/エブリスタにR15版を掲載】 【完結投稿者がガチ連載に挑んだ血反吐マラソン(꒪ཀ꒪)作】

浮気性のクズ【完結】

REN
BL
クズで浮気性(本人は浮気と思ってない)の暁斗にブチ切れた律樹が浮気宣言するおはなしです。 暁斗(アキト/攻め) 大学2年 御曹司、子供の頃からワガママし放題のため倫理観とかそういうの全部母のお腹に置いてきた、女とSEXするのはただの性処理で愛してるのはリツキだけだから浮気と思ってないバカ。 律樹(リツキ/受け) 大学1年 一般人、暁斗に惚れて自分から告白して付き合いはじめたものの浮気性のクズだった、何度言ってもやめない彼についにブチ切れた。 綾斗(アヤト) 大学2年 暁斗の親友、一般人、律樹の浮気相手のフリをする、温厚で紳士。 3人は高校の時からの先輩後輩の間柄です。 綾斗と暁斗は幼なじみ、暁斗は無自覚ながらも本当は律樹のことが大好きという前提があります。 執筆済み、全7話、予約投稿済み

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

成り行き番の溺愛生活

アオ
BL
タイトルそのままです 成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です 始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください オメガバースで独自の設定があるかもです 27歳×16歳のカップルです この小説の世界では法律上大丈夫です  オメガバの世界だからね それでもよければ読んでくださるとうれしいです

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

推しに監禁され、襲われました

天災
BL
 押しをストーカーしただけなのに…

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

君が好き過ぎてレイプした

眠りん
BL
 ぼくは大柄で力は強いけれど、かなりの小心者です。好きな人に告白なんて絶対出来ません。  放課後の教室で……ぼくの好きな湊也君が一人、席に座って眠っていました。  これはチャンスです。  目隠しをして、体を押え付ければ小柄な湊也君は抵抗出来ません。  どうせ恋人同士になんてなれません。  この先の長い人生、君の隣にいられないのなら、たった一度少しの時間でいい。君とセックスがしたいのです。  それで君への恋心は忘れます。  でも、翌日湊也君がぼくを呼び出しました。犯人がぼくだとバレてしまったのでしょうか?  不安に思いましたが、そんな事はありませんでした。 「犯人が誰か分からないんだ。ねぇ、柚月。しばらく俺と一緒にいて。俺の事守ってよ」  ぼくはガタイが良いだけで弱い人間です。小心者だし、人を守るなんて出来ません。  その時、湊也君が衝撃発言をしました。 「柚月の事……本当はずっと好きだったから」  なんと告白されたのです。  ぼくと湊也君は両思いだったのです。  このままレイプ事件の事はなかった事にしたいと思います。 ※誤字脱字があったらすみません

処理中です...