お前に似合わない職業2[警察官]

志賀雅基

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第4話・夜(探偵・刑事)

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 もう相手にするだけ疲れる気がして、問いを無視した恭介は湿気を吸ったスーツを脱ぎ始める。シャワーなどはそういうものだと割り切っているので苦にならないが、雨はどうも好きになれない。西洋では『吸血鬼は流れ水を渡れない』という伝説があるくらいなので、血に刻まれた本能的嫌悪なのかも知れない。

 そうして上半身を晒すと泉の視線が強く感じられた。

 恭介の左肩には引き攣れた傷痕がある。三年半ほど前に一発食らった貫通銃創、左鎖骨と肩甲骨をTT-33、いわゆる黒星なるトカレフから発射された7.62ミリ弾で叩き割られたのだ。これのお蔭で左手はスムーズに上まで上がらず、指先の感覚も僅かに鈍くなった。

 だが生活に支障があるほどではない。普段は忘れているくらいである。しかし職務遂行に支障ありとされ、警察は辞めざるを得なくなった……というのは、じつは建前でしかない。
 多少、片腕が上がりづらかろうと吸血鬼の末裔である恭介は普通の人間を遥かに凌駕する力を持つ。故にカヴァーできないほどの後遺症ではなかった。

 本当の退職理由は自分が撃たれた際に職務上での相棒バディであり、プライヴェートでもパートナーだった男を撃ち殺されたことに起因する。恭介を庇ったために心臓に一発を食らったのだ。その瞬間、恭介の心はときを止め、復讐を遂げることを至上目的とし、自身は死に向かうのみの存在となった。

 そんな部下に当時の上司は言ったのだ。
『その目で刑事か。ホシと思しきヤクザを殺して回る部下は要らん』と。

 その場で勝手に辞表をプリンタで打ち出し受理したことにしてしまったのだった。恭介もバディを失くした以上は既に刑事という職に何の未練もなかったので、私物を全てゴミ箱に放り込んで終わりという呆気なさだった。

 その復讐すべき相手も今年の梅雨時期だから四ヶ月ほど前か、偶然に飛び込んできた騒がしい人物・石動いするぎかおると共に情報を得て、この辺り一帯を仕切る指定暴力団・滝本たきもと組の二次団体だった樫原かしはら組の今里敬一いまざとけいいち組長が本ボシと知れ、薫と恭介とで今里を樫原組ごと潰してしまった。

 今里以下、関わった幹部は陽の目を見る頃には余生を愉しむヒマも残ってはいないだろう。

 さっさと服を脱ぐと、スレートグレイのドレスシャツと黒のスラックスを身に着ける。スチルグレイのタイも締め、黒のジャケットを羽織る。靴下と革靴まで履き替えた。脱いだものをロッカーの前に放置したまま振り向くと泉が大仰に仰け反って見せる。

「うわ、何だかヤクザの組幹部みたいです。それでよく客商売してますね」
「食い扶持と煙草代くらいは稼いでいる」

 応えながら『またこのやり取りか』と思いつつスーツとタイだけハンガーに掛け、靴以外の全てを抱えると給湯室に設置してある小容量の洗濯乾燥機に放り込んだ。そのまま泉を促し事務所を出る。

「じゃあ、飯でも食いに行くか」
「僕、和食がいいです」

 たった一時間前に自殺をこいたとは思えない弾んだ声で泉が言い、行き先は浅川に決定した。階段で一階に降り、マンションを出ると浅川の引き戸をカラカラと開ける。中は白木のカウンターがあり、奥には個室もあったが恭介は迷わずカウンター席に腰を下ろした。店内を見回しながら右隣に泉も腰掛ける。時間的にも客は少なく静かだった。

「あら、いらっしゃい。生にします?」

 熱いお絞りを差し出しながら着物に割烹着の女将が訊いてくる。

「いや、ウィスキーで。泉、お前は?」
「今日はもう水にしておきます」
「そう言わずに少しは付き合え、迎え酒だ」
「はあ。なら水割りで」

 キープしてあったボトルを出して貰い、お通しのエビと枝豆の和え物を摘みながら恭介はストレートでやり始めた。泉も水割りを少しずつ減らし出す。

「吸血鬼ってアルコールに強いんですね」
「吸血鬼の特性かどうかは知らん。俺は末裔も末裔らしいからな。それより腹が減ったんじゃなかったのか。何か食いたければ頼め」

「じゃあ、遠慮なく。ええと、刺身と天ぷらは両方盛り合わせで二人前、キノコのバター炒めと牛のタタキに焼き鳥、松茸の茶碗蒸しふたつと鮭とイクラの親子丼――」
「――ちょっと待て、そんなに食えるのか?」
「刑事はいつでも何処でも寝られるのと、胃腸が丈夫なのが身上じゃないですか」

「それはそうだが、俺はそんなに食わんぞ?」
「えっ……すみません。先輩も何か食べますよね?」
「あ……いや、お前独り分とは思ってなかった、勘違いしただけだ」
「なあんだ、先輩は夕ご飯が遅かったんですね? で、あとはキンキの煮付けとデザートは……」

 朗らかに言ってのけた借金持ちを前に『遠慮なく』という言葉の意味を恭介は頭の中で咀嚼した。財布の中身を思い出して眉間にシワを寄せる。恭介自身は死んだ祖父の遺産があるのでカネに困ってこそいないが予定にない出費だ。持ち合わせた現金で間に合うのかと素早く計算する。

 その間にもカウンターには宴会並みの料理がずらりと並んだ。それを泉はものすごい勢いで食べ始める。
 片端から舐めたように皿を綺麗にしながら暢気な口調で訊いてきた。

「時宮先輩ってコウモリになれたりするんですか?」
「俺は人類をやめたことはないつもりだが」
「何だ、なれないんですか。そういやコンビニの鏡に映ってましたよね。ああ、部室の鏡にも映ってましたっけ。なら日差しを浴びたら灰になったり、何百年も生きてたりするんですかね?」
「だから俺は人類、二十八歳の単なる夜型人間だ。他に特典はない」

「ふうん……ああっ!」

 唐突にデカい声を出されて数少ない店中の人間から注目を浴び、恭介は眉をひそめる。気付いた様子もなく泉は箸を握ったまま立ち上がり、裏返った声で叫んだ。

「吸血鬼に血を吸われた僕って、もう吸血鬼の仲間入りしちゃった!?」
「んな訳あるか、それじゃあネズミ算だろう。妙な映画の観すぎじゃないのか?」
「ああ、そうですよね」

 変にがっかりしたかのように泉はすとんと着席し食事を続行し始めた。それを恭介は横から窺いながら、これでも県警本部の組対に配属されているのだ、優秀な部分があるのだろうかと不思議に思う。今度は視線に気づいたようで、泉は情けない笑いを見せた。

「僕が本部の組対に異動になったのは、つじつま合わせですから」
「つじつま合わせ?」
「ええ。元々僕は所轄署で拾得物係だったんです――」
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