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第3話・夜(探偵・刑事)

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「待って下さい!」

 再びジャケットの裾を掴まれた。うんざりして振り向くと泉の顔色は真っ青だ。その顔色と表情が次に訪れる現象を如実に表していた。慌てて恭介は泉の腕を取るとコンビニに飛び込んで店員にトイレを借りる。間一髪で泉は辺りを汚さずに済んだ。

「すみ、ません……ううっ!」

 だがレロレロしている男に付き合う義理などなく、ポケットからハンカチを出して泉に押し付けると踵を返そうとする。しかし泉は涙目で見上げてきた。段ボール箱に入れられ捨てられた子犬のような目だった。

 けれど恭介は犬派ではなく猫派人間である。

「もういい加減にしてくれ。俺は帰る」
「僕の血は美味しかったですか、時宮ときみや先輩?」

 思わぬ切り返しをされて恭介は動きを止めた。泉はトイレの鏡に映った自分の左首筋を指で示していた。そこにはほんの僅かだったが小さなふたつの傷痕があった。あと数十分もすれば消えて無くなる筈の傷痕だ。

「先輩は僕の血を吸いましたよね、それって吸血鬼ってヤツじゃないんですか?」
「俺は何もしていない、虫刺されじゃないのか?」

「誤魔化しても無駄ですよ、確かに貴方は僕を咬んだ。バラされたくなければ――」
「――どうするつもりだ?」
「ええと……まだ考えていませんけど、とにかく自殺を止めた責任を取って下さい」

 思っていたよりも逞しい思考回路の持ち主のようで、恭介は溜息をつくしかない。だが脅すだけの余裕があるということは、即バラす気もないのだろうと踏む。

「ふん、勝手にしろ」

 言い置いてトイレから出ると泉は追ってきた。振り向きもせずコンビニから出ようとして恭介は立ち止まる。外は雨が降っていたのだ。予測しながらも忘れていた雨は思いのほか勢いが強かった。
 何の祟りだろうかと思いつつ、コンビニで傘を買おうかと思った矢先に泉が雨の中を駆け出して行き、通りかかったタクシーを止めてしまう。

「ほら、先輩、早く早く!」

 仕方なく恭介も走ってタクシーに乗り込んだ。たった数秒だが得意でない雨にしっかり濡れてしまい、テンションがぐいぐい下がってゆくのが自分でも分かった。

「ご自宅は何処なんですか?」

 泉に訊かれてドライバーにアドレスを告げる。走り出したタクシー内で髪の水滴だけでも拭おうとして、ハンカチを泉に渡したままだと気付いた。ムッとしていると泉が首を傾げる。

「こんな所で人呼んで『ジャック時宮』、恭介先輩に会えるとは思いませんでしたよ」
「そうだな、泉……俺は会いたくなんぞなかったが」
「そんないい方しなくても。大学時代のライフル射撃部でキングの部長より腕が上なのに、常に二位の『ジャック』に甘んじた時宮さんは吸血鬼だったんですか」

 意外と声が響いて恭介はドキリとする。だが聞いていた筈のドライバーは何のリアクションもなく鼻歌を歌いながら運転していた。信じる奴などいないと分かっていても気分のいいものではない。そこからは恭介の不機嫌が伝わったか泉も口を閉じていてくれた。

 電車なら五区間の、高城市のベッドタウンである萩乃はぎの市に恭介の住処はあった。
 二十分ほどで辿り着き、言葉通りに泉が料金精算してタクシーを降りる。激しい雨は既にやんでいた。湿った夜気の中、目前には結構背の高いマンションが建っている。

 一階にはツタの絡まった『カルミア』という喫茶店と、『浅川』という居酒屋がテナントとして入居していて、日付けも変わろうかというこの時間でも両方営業中だった。

「食事に困らない立地ですね」
「腹が減ったのか?」
「ええ、まあ。晩御飯は食べたんですけど、時間が経っちゃって」
「そうか。だが飯の前に俺は着替えだ」

 まずはカルミアの脇にあるポストからチラシの類を出して傍のゴミ箱に捨てる。それからエントランスのオートロックをキィで解除した。ガラス扉を開けると当然のように泉も滑り込んでくる。恭介はホールに二基あるエレベーターではなく階段で二階に上がった。

 廊下に出てすぐのドアは上半分が磨りガラスのオフィス仕様となっている。キィロックを解くと中は通りに面した窓のある事務所だ。恭介が蛍光灯のスイッチを入れる。

 空虚に思える白い明かりに照らされたのは来客用の応接セット、パーテーションの向こうにデスクが三台。あとは壁際に書類棚とスチルロッカー、給湯室へのドアだけだった。
 広々としているが素っ気ない空間をつぶさに検分して泉は振り向き恭介を見た。

「時宮先輩って、今は何屋さんしてるんですか?」
「ウナギ屋と言えば信じるのか?」
「いいえ、独特の匂いがありませんから」

「なら電気屋だ」
「電気、ウナギ……電気ウナギですかっ!?」
「お前、脳は大丈夫か?」

 まともに相手をしていられなくなって、恭介は溜息をつくとスチルロッカーを開ける。自分が相当マヌケな事を言ったのも忘れた風に泉は窓際まで寄って外を眺め、マンションの壁にある看板を発見したようだ。

「『時宮探偵事務所』。ふうん、探偵さんなんだ」
「アマゾン川の危険水棲生物でなくて残念だったな」

「残念なんて、感電しなくて済みますし。あれって700ボルトから800ボルトもあるんですよ、電圧。電流は1アンペアあるそうですから、サクッと心臓逝きます。凄いですよね」
「ふん、動物愛護協会にでも転職すればいい。それとも電気ウナギ自殺か。メディアのヒーローになれるぞ」

「ネットの板にスレ、立ちますよね。笑い者です」
「死んでるんだ、関係ないだろう?」
「死んでからじゃ記事、読めません」
「……読みたいのか」

 思わずツッコミを入れてしまったのは最近になって顔を出すようになったあいつのせいだと、恭介は内心で勝手に濡れ衣を着せつつ、やはり『あいつの血』とは違って、そう旨くはなかったな……などと考え僅かに口元を緩めた。その間も泉は喋り続けている。

「――その点で言えば電気ナマズは電力に劣ります。だから僕は電気ウナギ発電を提唱してですね……聞いてますか先輩?」
「ん、ああ、エコロジーか」
「そうなんですよ。これからは……あ、それより転職って言えば、先輩は警察を辞めてすぐに探偵さんに転職したんですか?」

「まあな。お前は自転車でも漕いで発電しつつ電気ウナギでも捕まえに行け」
「ああっ! 自転車、それですよ! 先輩ってすごい! ……でもどうやって海を渡ればいいんでしょうか?」
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