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第2話・夜(探偵・刑事)

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 ホームに片膝をついた恭介は放り出した男の頬を軽く叩く。

「おい、あんた、起きろ!」
 男はすぐに目を開き、恭介の顔をじっと見た。自殺を阻止され言いたいこともあるだろうが後回しだ。いや、今はまだ恭介の能力に思考を支配されて従順な木偶並みか。

 ともかく特急電車は駅を通過し切ることなく、オーバーラン状態で気が抜けたように緊急停止してしまっている。恭介は男の手を引いて立ち上がらせると脱兎の如くホームから逃げ出した。

 本来なら電車のダイヤを乱した男と共に名乗り出なくてはならない。逃げ出すなど明らかな違法行為である。だがおそらく男は刑事だ。職場からも与えられるペナルティを考えて、恭介はその場から立ち去ることを選んだのだった。

 短いコンコースを駆け抜け、もどかしく改札をクリアして駅から飛び出す。そのまま走りに走って悪酔いしていた男の体力が尽きたのはコンビニの駐車場だった。
 ここでもしゃがみ込んでしまった男をコンビニの軒下まで引きずって行くと、恭介は店内に入ってブラックの缶コーヒーとスポーツドリンクを買い、男の許に戻る。

「ほら、これを飲め。現役刑事が情けないな」
「ハア、ハア、すみま、せん。貴方も、同業者、ですか?」

 五百ミリペットボトルのスポーツドリンクを受け取りながら、男は息も絶え絶えに訊いてきた。恭介は冷えたコーヒーのプルトップを開けながら首を横に振る。

「元、だ。現役じゃない。あんたは?」
「県警本部、組対そたい……組織犯罪対策本部の薬物銃器対策課、桐生きりゅういずみ巡査長です」

 冷たい飲料を半分ほど飲んで酔いも、そして咄嗟に恭介の仕掛けた思考操作も醒めてきたのか、名乗った口調は意外としっかりしていた。

 一方の恭介はその男に見覚えがある事実に、とっくに気付いている。

 だが知り合いだったのは過去の話で今は何の関わりもない間柄だ。幸いにして相手はまだ知己というのに気付いていないらしい。喩え気付かれたとしても恭介としては大迷惑な自殺をこく奴とはこの際、縁を切りたい気分だった。景気が悪すぎる。

 ややこしい事情に首を突っ込む気など欠片もない恭介は、さっさと缶コーヒーを飲んで空き缶をダストボックスに入れ、どうやって帰ろうかと悩みつつ片手を挙げた。

「また自殺にチャレンジするなら、他人の迷惑にならない方法を編み出してくれ」

 言い捨て顔を伏せたまま去ろうとしたがジャケットの裾を男に掴まれる。

「待って下さい、タクシー代くらい払わせて下さい」
「結構だ。あんたは……」
「泉です。女っぽい名前ですけど、僕は男です」

「見れば分かる。泉、あんたは人の面倒見ている場合じゃないだろう?」
「名前も訊かずに帰せません」

 まだ恭介に気付かないのもどうかしていると思ったが、どうして頑強に言い張るのかは分かっている。この手の人間は悩みを誰かにぶちまけたくて堪らないのだ。
 しかし自殺の理由などというシケた話など鬱陶しいばかりである。けれどジャケットの裾を掴んだ泉の指に尋常でない力がこもっているのを見取り、溜息をついた。ひとくさり喋るのを適当に流せば終わりだ。

 幸いそこには灰皿もあった。煙草を出して咥えると火を点ける。相手が自分の素性に気付かぬままであることを祈りつつ、顔を逸らし紫煙と共に溜息をついて言った。

「三本分だけ話を聞いてやる」

 だらしなくタイを緩めた泉は明るい顔をしたようだが、それも一瞬で沈鬱な雰囲気に戻ると沈み切った声を出した。

「僕……もう疲れたんです」

 ほら見ろ、やっぱりきたぞと恭介は眉間に不機嫌を溜める。だが自分で背負い込んだ厄介から煙草三本で釈放パイされるのなら安いものかも知れないと、親身に聴いているふりをした。時々相槌を打ったり突っ込んでみたりするのがポイントである。
 クールに考えているうちに自殺失敗男の吐露は始まっていた。

「一所懸命にやればやるほど失敗して。現場で大事な証拠品を踏んづけちゃったり、これも大事なパソコンのファイルを間違ってデリートしちゃったり、この前はスーパーのトイレに銃の入ったバッグを置き忘れて失くしちゃったり……」
「そいつは懲戒免職ものだろう?」

 幾ら聞き流していてもこればかりは鼓膜を通り抜けず引っ掛かり、思わずツッコミを入れてしまう。だが悩み相談室の客は薄く笑って首を横に振った。

「みんなで探して貰って、すぐに見つかったんでそれは免れたんですが。でも課長から『暫く謹慎してろ』って申し渡されちゃって。僕、刑事に向いていないんでしょうか?」

 紫煙を吐き出しながら恭介は、
『あんたに向いていないのは刑事じゃなくて警察だ』
 と思ったが、二度目の自殺にトライされるのも難儀なので口に出すのは控える。代わりにこういった場合の常套と思われる言葉を掛けてみた。

「何も刑事だけが人生じゃないだろう、建設的に転職でも考えたらどうだ?」
「転職もできないんです。じつは僕、恥ずかしながら共済組合に借金があって」

 俯いた泉を振り返り、恭介はまじまじと見つめる。細身で自分よりかなり目線の低い男は昔と変わらず生真面目そうで、ギャンブルに嵌るタイプとも思えない。プライヴェートまでは訊いたこともなかったが、もしかして病気の親でもいるのだろうか。

「毎月の給料では保険料が払えないんです」
「保険料……?」
「はい。職場によく来るじゃないですか、保険のおばちゃんが。親身になって話を聞いて貰っちゃうと、勧められる保険を断れなくなるんですよね」

「一応訊いてやる、何本加入してるんだ?」
「七本……いえ、八本だったかなあ?」

 加入している保険を思い出そうと泉は指折り数えて奮闘し始める。そんなカモネギ男を眺めて、警察どころか社会人にも向いていないんじゃないかと思ったが、そこで三本目の煙草を吸い終えた。あっさりフィルタを捨てて宣言する。

「気の毒に思うが、俺は約束を果たした。じゃあな」
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