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第5話

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 シルバーベルは待ち合わせによく使われるコーヒーラウンジで今日も混み合っていた。

 オートドアを入るなりシドは真っ直ぐ喫煙可のスツールを二つ確保する。ハイファがクレジットと引き替えにホットコーヒーを二つ手に入れてきた。荷物を足元に置くとシドはさっさと煙草を取り出し咥えてオイルライターで火を点ける。

 随分宙艦を眺めていたが、それでもまだ一時間半近く待たなければならない。リモータに流された資料に目を通しながら待つことにする。

「オイゲン=ワトソン博士の専門は医学に化学に情報工学と情報科学、理論物理学とおまけに植物学か。天は二物どころか大盤振る舞いだな」
「こういう人もいるんだね」
「――羨ましいと思うかね、若宮志度にハイファス=ファサルート。できることならば六十六年前のわたしと立場を交換してやりたいくらいだよ」

 振り向くと、そこにはいかにもな護衛二人を従えた小柄な老人が立っていた。

◇◇◇◇

 護衛であるテラ連邦軍の憲兵隊員から引き継ぎをし、シドとハイファはオイゲン=ワトソン博士に付き従ってペルセフォネ号に乗艦した。

 通常は乗艦十五分前のチェックパネル通過も、ペルセフォネ号に限っては二時間前から始まっていたらしい。それもその筈で乗客はホスピスに入るような病人と家族やお付きの人間ばかりで急かす訳にもいかない。そして百日という長い長いクルーズで荷物も多い。

 おまけにバリアフリーとはいえ移動するにも艦内はとんでもなく広いのだ。

 更に今晩はいきなりのフォーマルナイト、二十一時にウェルカムディナーが催されるので着替えの時間も要る。

 小柄で灰色の瞳、長めの白髪をオールバックにしたオイゲン=ワトソン博士は別室資料に載っていたポラの印象よりは、やや元気そうであった。

 顔色は悪く全体的に萎んだ感じで病んでいることを現してはいたが、自走車椅子などは使わず、通路にしつらえられたスライドロードにも乗らずに、ゆっくりではあったが自力歩行でペルセフォネ号内のデラックスルームに辿り着いた。

 ペルセフォネ号は艦底から最上階まで入れて十七階建てで、中にはショッピングモールとプロムナード、海を模したプールやアイススケートリンクにゲームセンター、シネコンや紙媒体の書籍を集めた図書館や美容室、エステやウェディングチャペルまでと、様々な施設が揃っている。
 艦底近くの階には緑したたる木々の植えられた公園まであるらしい。

 小規模ながら艦自体がひとつの街のようなものだ。

 勿論最先端医療が受けられる病院も船内五ヶ所に広いスペースで以て設置されている。その性質上、全ての客室の生体活性反応をもモニタ可能だ。

 客室はスイートから一等船室まで入れて二百余りだった。これだけ大きな豪華旅客艦にしては少ないが、それもホスピス艦という性質からすれば当然のことであろう。何せ医療スタッフだけでも三百名近い。

 そんな艦内でオイゲン博士のデラックスルームは十五階にある一五〇八号室、シドとハイファはその隣の一五〇七号室だった。喫煙可だったのはシドにとって幸いだ。

 出港前に『着替える』と言われ追い出された二人は、与えられた自室で博士からのリモータ発振を待つ。その間に鞄の中身を出したシドは制帽をベッドに放り出した。

「余命三ヶ月の死にかけイメージとは遠い気がするよな」
「医学博士だもん、自分で自分の状態は分かってるんだろうし、それなりに薬も使ってるんじゃないのかな」
「リッチで嫌味なクソジジイかと思えば自分もスイートじゃなくデラックスだしさ」

 歯に衣着せぬシドの物言いにハイファは苦笑いしながらも同意する。

「ちょっとお年を召した紳士って感じで、案外手が掛からなそうな人ではあるよね。でも逆にソースコードを引き出す糸口が見つかるかどうかが不安」
「SSCⅡテンダネスちゃんの『デイジーデイジーの歌』か」
「別室戦術コン情報ではテンダネスは相当不調らしいんだよね。でもこういったことはかなり以前、開発段階からある程度予想されていて、そのためのパッチプログラムも組まれてた。でもそれを開くコードがオイゲン博士の頭脳の中って訳」

 さぞかしテラ連邦のお偉いサンたちは焦っていることだろう。

「ふうん。秘密を抱えたまま八十代にして引退されちまうとは、テラ連邦も思っちゃいなかったのかも知れねぇな」
「ここにきてようやくこんなクルーズに参加できるようになったのに、僕らみたいなのが張り付くのも悪い気がするけど」
「こっちも任務だ、仕方ねぇだろ。……おっと、早速お呼びだぜ」
「出港十五分前。ディナーには早いし、何だろうね?」

 自室をリモータでロックし、隣の部屋のドア脇、音声素子が埋め込まれた辺りをノックしてインターフォンからの返事を待った。
 緊急時を考慮してキィロックコードは貰っていたが今は不要、ロックが中からスムーズに解かれる。グリーンランプを見てシドがセンサ感知し、オートドアを開けた。

 自分たちのツインとほぼ同じ作りのシングルはフリースペースが広いだけで内装は殆ど変わらない。大きく取られた窓にはレースと繻子のカーテン。ソファセットからは窓外の光景が愉しめる。ソファ横の壁際には作り付けのデスクとチェアがあった。

 あとは小型の冷蔵庫と保温庫があり、ソファセットから低いパーテーションで仕切られて、シングルながらワイドサイズのベッドが置かれている。
 ベッドの足元側の壁にはホロTVを投影して寝ながら視ることができる。並んでクローゼット。これは天然木で扉の片側が姿見のミラーになっていた。

 入り口近くの扉の内側はトイレとダートレス――オートクリーニングマシン――にリフレッシャを浴びられるバスルームだ。

 全体的にアイボリーで統一されていて、床はブラウンの絨毯敷きという落ち着いた雰囲気である。一方シドたちの部屋の絨毯は紺色で爽やかな印象だった。

 室内に歩を進め、ソファに腰掛けたオイゲン博士の傍に揃って立つ。

「何でしょうか、オイゲン博士」

 タキシードを着たオイゲン博士は二人を見上げた。

「もうすぐ出航だ。きみたちはオブザベーションラウンジに行ってみたくはないかね? 満天の星を見るには最高らしいんだが」

 シドの表情を読んだハイファが代表で答える。

「博士がいらっしゃるなら勿論お供させて頂きますが、僕らにはお気遣いなく」
「そうか、ならばここで供をして貰おう。そこのサイドボードに道具は揃っているらしいので、誰かコーヒーを淹れられるなら頼みたい。きみたちもどうかね?」

 早速シドがコーヒーメーカを出して水を汲み、セットする。暫くして沸いたコーヒーをカップに注ぎ分け、博士の分だけシュガーとミルク、スプーンをソーサーに載せてソファセットのロウテーブルに置いた。勧められて二人もソファに腰を下ろす。

 博士もコーヒーはブラック党らしいと、ここで二人は覚えた。

 外ではきっとTVクルーが右往左往し、この艦の出港式などを放映しているのであろうが、その様子をホロTVで視ることもなく、カーテンを開けた窓から停泊した宙艦群と星空とを、三人はコーヒーを啜りながら静かに眺めた。
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