楽園の方舟~楽園1~

志賀雅基

文字の大きさ
上 下
23 / 62

第22話

しおりを挟む
 暫し手と手の攻防を繰り広げながらシドはナニかを振り払うように大声を出した。

「やーめーろって、迷惑防止条例違反で現逮するぞ!」
「できるならすれば? 現職警察官の汚職及び違法ドラッグ使用の記事が明日配信されてもいいんならね。さあて、どっちを選ぶのかなあ、熱血すぎる刑事サンは」

 グッと詰まったシドにハイファは悪魔的な囁きで続ける。

「なら部屋での続き、キス一回で手を打ったげる。減る物じゃなし、安い安い!」
「なっ、それとこれとは関係ねぇだろ!」
「大ありだよ、僕の口を塞ぎたいんじゃないの? もう黙って、ほら――」

 促されるままに立ち上がってしまった自分にどう説明をつけていいのか分からぬまま、シドは密やかに近づく男のシルエットから顔を背けた。自分の背に両腕が回されゆっくりと力が加わって抱き締められるのを硬直したまま感じる。

 頬にかかる白い息がくすぐったい。もう避けがたい状況だったが、まともに顔を見るド根性が湧かなかった。親友だろ、親友! 親友って何だ!?

「往生際、悪いよ。ちゃんと見て」

 恐る恐る向き直ると既にあり得ない距離にハイファの顔があった。オレンジ色っぽい街灯の下、普段は若草色の瞳が濃いグリーンに見え、そこだけ別人のようだった。

 先程、部屋でみせたような激情はそこになく、声色こそ焦ったシドを茶化している風だったものの、浮かべた表情は真面目で落ち着き払っている。薄明かりの中、掛かった影が顔立ちのノーブルな優美さを際立たせていた。

 そうして唇が初めは優しく徐々に荒々しく押しつけられた。打開策を得ようとめまぐるしく回転していたシドの頭は空転を始める。過去に付き合った彼女らとのキスを思い浮かべて耐えようとするも歯列を割って滑り込んできた柔らかで意外に冷たい舌に思考が止まった。

 いや、完全には停止せず『冷たいのだから、こいつは寒いのか』などと思う。

「――応えてよ」

 再び抱き締められ唇を奪われると、何故か微かな対抗心のようなものが芽生え、急激に膨らむのを感じる。どうしてなのか自分でも分からない、どう猛な気分が生まれていた。
 シドはハイファの今は珍しく結んでいない後頭部に手をやりグイと寄せた。想像以上に細い腰を抱くとさらさらの金髪を指に絡ませ、今度はこちらから挑む。

 殆ど自棄だったが、先刻自分が噛み切った口の端にも構わず捩る勢いで唇を合わせた。差し出された舌を吸い、口内の届く限りを思い切り舐め回して蹂躙する。次には唇を下降させて高い台襟に隠された滑らかな首筋に辿り着いた。

「あ、はあっ……んっ」

 ハイファが甘い吐息を洩らす。更に追い詰めてやりたい気分が湧き起こり、男の持ち物ではないような、きめの細かい肌にシドは唇を押し当てて吸った。あの肉食師長がつけた印を消すかのようにきつく吸い上げ、赤く濃く印を刻み込み直す。

「あっ……シド、そんな……ああっ!」

 一度離した唇でハイファの左の耳たぶを甘噛みすると、そこから再度上気して熱い首筋にまで舌を這わせた。唾液に自分の煙草の匂いを嗅いだシドは、ついばむようなキスをそこに幾度も浴びせる。
 腕の中のハイファはもう声にならない様子だ。シドに体重を預けるようにしがみつきソフトスーツ姿の細い身を震わせている。

 そしてシドはそんなハイファの首筋に軽く歯を当て……噛みついた!

「んあっ、痛っ! でもキモチいい……」

 腰砕けになりベンチに倒れ込んだハイファに目を血走らせてシドは宣言する。

「おっしゃ、勝ったな。……飲みに行くぞ」

 再び裏通りまで戻ってハイファを引きずっていったのは、行きつけのリンデンバウムという二十四時間営業のバーだった。昼間は安くて美味い食事も供し、専らシドはそちらを利用する事が多い。料理ができないシドは必然的に外食が多くなるので貴重な店である。

 時間も時間で音を絞ったジャズが流れる空間には客が二人きりだった。カウンター内では蝶タイのバーテンが一人、静かにグラスを磨いている。

「わあ、いい雰囲気。……じゃあ僕はマティーニ、ベルモット少なめでお願い」

 公園からこちら天にも昇る気分でジンベースのカクテルをハイファが注文する一方でシドは飲む前から据わった目で必要最低限のひとことを口から押し出した。

「カミカゼ」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ナマズの器

螢宮よう
キャラ文芸
時は、多種多様な文化が溶け合いはじめた時代の赤い髪の少女の物語。 不遇な赤い髪の女の子が過去、神様、因縁に巻き込まれながらも前向きに頑張り大好きな人たちを守ろうと奔走する和風ファンタジー。

おっ☆パラ

うらたきよひこ
キャラ文芸
こんなハーレム展開あり? これがおっさんパラダイスか!? 新米サラリーマンの佐藤一真がなぜかおじさんたちにモテまくる。大学教授やガテン系現場監督、エリートコンサル、老舗料理長、はたまた流浪のバーテンダーまで、個性派ぞろい。どこがそんなに“おじさん心”をくすぐるのか? その天賦の“モテ力”をご覧あれ!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

裏公務の神様事件簿 ─神様のバディはじめました─

只深
ファンタジー
20xx年、日本は謎の天変地異に悩まされていた。 相次ぐ河川の氾濫、季節を無視した気温の変化、突然大地が隆起し、建物は倒壊。 全ての基礎が壊れ、人々の生活は自給自足の時代──まるで、時代が巻き戻ってしまったかのような貧困生活を余儀なくされていた。 クビにならないと言われていた公務員をクビになり、謎の力に目覚めた主人公はある日突然神様に出会う。 「そなたといたら、何か面白いことがあるのか?」 自分への問いかけと思わず適当に答えたが、それよって依代に選ばれ、見たことも聞いたこともない陰陽師…現代の陰陽寮、秘匿された存在の【裏公務員】として仕事をする事になった。 「恋してちゅーすると言ったのは嘘か」 「勘弁してくれ」 そんな二人のバディが織りなす和風ファンタジー、陰陽師の世直し事件簿が始まる。 優しさと悲しさと、切なさと暖かさ…そして心の中に大切な何かが生まれる物語。 ※BLに見える表現がありますがBLではありません。 ※現在一話から改稿中。毎日近況ノートにご報告しておりますので是非また一話からご覧ください♪

真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~

椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」 仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。 料亭『吉浪』に働いて六年。 挫折し、料理を作れなくなってしまった―― 結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。 祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて―― 初出:2024.5.10~ ※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

夜勤の白井さんは妖狐です 〜夜のネットカフェにはあやかしが集結〜

瀬崎由美
キャラ文芸
鮎川千咲は短大卒業後も就職が決まらず、学生時代から勤務していたインターネットカフェ『INARI』でアルバイト中。ずっと日勤だった千咲へ、ある日店長から社員登用を条件に夜勤への移動を言い渡される。夜勤には正社員でイケメンの白井がいるが、彼は顔を合わす度に千咲のことを睨みつけてくるから苦手だった。初めての夜勤、自分のことを怖がって涙ぐんでしまった千咲に、白井は誤解を解くために自分の正体を明かし、人外に憑かれやすい千咲へ稲荷神の護符を手渡す。その護符の力で人ならざるモノが視えるようになってしまった千咲。そして、夜な夜な人外と、ちょっと訳ありな人間が訪れてくるネットカフェのお話です。   ★第7回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

処理中です...