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第21話
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オートドリンカの傍にある金属製のダストボックスの上に、ジャケットのポケットから出した違法ドラッグを載せる。紙袋を破いて軽く丸めると取り出したオイルライターで火を点けた。紙袋の炎の中に錠剤をプチプチと押し出しては投下してゆく。
「ハイファ、そこから退け。風下だ」
いがらっぽい臭いの燃えかすにカラのシートも放り込んで再び着火した。ついでに咥えた煙草にシドは火を点ける。ハイファはオートドリンカにリモータを翳し、クレジットを移して省電力モードから息を吹き返させるとホットコーヒーを手に入れた。
「お前も吸うか?」
「ノーサンクス。僕は任務で演じる人物特性が『喫煙者』でない限り吸わないから」
「そうか。空気が澄んだこの時期、この時間に外で吸うのは旨いんだがな」
「だって『非喫煙者』のとき吸いたくなると苦しいもん」
ニコチン・タールが無害成分と置き換えられて久しいが、企業努力として依存物質は含まれている。それにまんまと嵌った中毒患者は盛大に紫煙を吐きつつのんびりと言った。
「ああ、そうか。お前も大変だよなあ」
コーヒーに口をつけながら上空を見上げるハイファにつられて、シドも夜空を仰いだ。光害で星は殆ど見えない。代わりに横切るBELの航法灯を暢気に眺める。
片やハイファはダストボックスの熱感知で消防艇が来ないかどうかの方が気になっていた。緊急音はしない。やや安心してハイファはシドに目を移す。端正な横顔を見つめた。
「いつもこんな時間まで仕事してるの?」
「いや、これは定期巡回で毎日じゃねぇよ。日頃はそうだな、大概この時間は署で仮眠と書類減らし。そういうお前は?」
「任務中なら他人の人生演ってるし、そうでなきゃ部屋で寝てるけど、それが普通だよ。シドはワーカホリックもいいとこ。動かなきゃ事件にも出くわさないって」
「そうか? まあ、そうかも知れないよなあ」
吸い終わった煙草をポケットから出した吸い殻パックに突っ込んだシドは、ダストボックス上の燃えかすを掌でかき集めて捨てた。ダストボックスの下には縦横無尽にパイプが通り、処理場まで圧搾空気で送られるシステムになっている。
噴水まで歩いてシドは真っ黒になった手を洗った。ごくナチュラルにジャケットに擦りつけようとしたのを止められ、ハイファからハンカチを受け取る。二人はベンチに少々の距離を取って座った。
遠くもなく近すぎもしない、今の二人そのものの距離だった。
再びシドは煙草を咥える。カシャンとオイルライターの蓋を閉める音が響いた。
「なあ、ハイファ。この母なるテラ本星セントラルエリアは、住まう殆ど全ての人間にとって、義務と権利のバランスが取れた世界だ。大概の理想も叶う」
「ん、そうかもね」
「綺麗になりたきゃ僅かなクレジットで簡易整形、昼夜どちらの仕事を選ぼうと給料だって誰もがそこそこ、遊ぶヒマも充分ある。ストレスが溜まればカウンセラー、も少し重けりゃ個別遺伝子適合型の薬で一発完治。なのにさ、あんなに強い意志で以て自殺する奴がなくならないのは何でだ?」
考えもせずハイファは遅滞なく応える。
「他では埋められない喪失感、繰り返しへの倦み、死で現す恨み。色々だろうね」
「ふうん……じゃあ、合法モノがあるのに何故、違法モノに手を出すんだろうな?」
「うーん、入り口は物珍しさ?『危ないモノをやったぞ』っていう変な優越感とか。議員の『セクサロイド』みたいな感じなのかなあ、特殊なケースだけど」
本気でそう思ってハイファは言ったがシドは更に声を落とし、だが黒い目には強い意志を湛えて言い切る。
「そいつが違うんだ。全然特殊じゃねぇんだよ、こうして歩いていると俺に見えてる世界ではな。百人いたら百通りの欲があって、一人に何通りも不満がある」
「恵まれてても性癖は仕方ないし、人間はヒエラルキーを作りたがる?」
「そう難しい話じゃねぇんだが――」
と、紫煙に溜息を混ぜたように吐き出し、
「――こうやって地面を這いずり回っていると見えてくるんだ。人が人である以上、絶対に捨てられない煩悩っていうか、欲がさ。もっと便利に、もっと愉しく、もっと珍しいものを。もっと、もっと、もっと……欲の窓を通してからじゃねぇと見えなくなってんだよ、この豊かな方舟ん中で護られきって、な」
「……そっか」
身振りでハイファはコーヒーを勧めたが、シドは首を横に振る。
「俺が効率悪くても足で仕事をするのはそういうことだ。スライドロードに載ってたら靴底は減らねぇが、こんな世界も見れねぇさ」
「何となくだけど、言いたいことは解ってきた気がするよ」
「だからって俺にも欲ってモンがない訳じゃねぇんだよな。ホシを挙げたい、煙草吸いたい、旨いもん食いたい、女が欲しい、その他諸々」
「普通じゃない、それ?」
「そうなんだ、普通なんだよな。その普通の延長で奴らは違法モノを売ってる。ある意味地下組織よりタチが悪いぜ。でもこのままじゃ、いつかは意外に脆いこの方舟は沈んじまう。だから黒幕の首根っこを捕まえてワッパかけてやりてぇんだよ、俺は」
そう言ってシドは傍の灰皿で煙草を消した。
「それで泳がせてるんだね。でもシド、部屋にあったアレ、一錠だけ減ってた。どういうことか説明を求めますが、いかがなものでしょうか?」
「あ、え、う……あれはずっと前にレーザーで射たれた腕が痛んだ時にだな……」
「って、それ、さっきも言ってたよね? 傷はどこどこ、ああ、危ないなあ。今どきこのテラ本星セントラルエリアで何やったらそういうことになるかなあ、もう!」
ベンチ上をすり寄ってきて両腕どころか上衣の裾まで捲り上げようとするハイファにシドはたじろいだ。僅かに素肌の腹に触れた指の感触が妙になまめかしく感じられたからだ。分析不能なその感覚におののき慌てて身を捩る。
――テラ標準歴二十三歳。現在、彼女なし。
「ハイファ、そこから退け。風下だ」
いがらっぽい臭いの燃えかすにカラのシートも放り込んで再び着火した。ついでに咥えた煙草にシドは火を点ける。ハイファはオートドリンカにリモータを翳し、クレジットを移して省電力モードから息を吹き返させるとホットコーヒーを手に入れた。
「お前も吸うか?」
「ノーサンクス。僕は任務で演じる人物特性が『喫煙者』でない限り吸わないから」
「そうか。空気が澄んだこの時期、この時間に外で吸うのは旨いんだがな」
「だって『非喫煙者』のとき吸いたくなると苦しいもん」
ニコチン・タールが無害成分と置き換えられて久しいが、企業努力として依存物質は含まれている。それにまんまと嵌った中毒患者は盛大に紫煙を吐きつつのんびりと言った。
「ああ、そうか。お前も大変だよなあ」
コーヒーに口をつけながら上空を見上げるハイファにつられて、シドも夜空を仰いだ。光害で星は殆ど見えない。代わりに横切るBELの航法灯を暢気に眺める。
片やハイファはダストボックスの熱感知で消防艇が来ないかどうかの方が気になっていた。緊急音はしない。やや安心してハイファはシドに目を移す。端正な横顔を見つめた。
「いつもこんな時間まで仕事してるの?」
「いや、これは定期巡回で毎日じゃねぇよ。日頃はそうだな、大概この時間は署で仮眠と書類減らし。そういうお前は?」
「任務中なら他人の人生演ってるし、そうでなきゃ部屋で寝てるけど、それが普通だよ。シドはワーカホリックもいいとこ。動かなきゃ事件にも出くわさないって」
「そうか? まあ、そうかも知れないよなあ」
吸い終わった煙草をポケットから出した吸い殻パックに突っ込んだシドは、ダストボックス上の燃えかすを掌でかき集めて捨てた。ダストボックスの下には縦横無尽にパイプが通り、処理場まで圧搾空気で送られるシステムになっている。
噴水まで歩いてシドは真っ黒になった手を洗った。ごくナチュラルにジャケットに擦りつけようとしたのを止められ、ハイファからハンカチを受け取る。二人はベンチに少々の距離を取って座った。
遠くもなく近すぎもしない、今の二人そのものの距離だった。
再びシドは煙草を咥える。カシャンとオイルライターの蓋を閉める音が響いた。
「なあ、ハイファ。この母なるテラ本星セントラルエリアは、住まう殆ど全ての人間にとって、義務と権利のバランスが取れた世界だ。大概の理想も叶う」
「ん、そうかもね」
「綺麗になりたきゃ僅かなクレジットで簡易整形、昼夜どちらの仕事を選ぼうと給料だって誰もがそこそこ、遊ぶヒマも充分ある。ストレスが溜まればカウンセラー、も少し重けりゃ個別遺伝子適合型の薬で一発完治。なのにさ、あんなに強い意志で以て自殺する奴がなくならないのは何でだ?」
考えもせずハイファは遅滞なく応える。
「他では埋められない喪失感、繰り返しへの倦み、死で現す恨み。色々だろうね」
「ふうん……じゃあ、合法モノがあるのに何故、違法モノに手を出すんだろうな?」
「うーん、入り口は物珍しさ?『危ないモノをやったぞ』っていう変な優越感とか。議員の『セクサロイド』みたいな感じなのかなあ、特殊なケースだけど」
本気でそう思ってハイファは言ったがシドは更に声を落とし、だが黒い目には強い意志を湛えて言い切る。
「そいつが違うんだ。全然特殊じゃねぇんだよ、こうして歩いていると俺に見えてる世界ではな。百人いたら百通りの欲があって、一人に何通りも不満がある」
「恵まれてても性癖は仕方ないし、人間はヒエラルキーを作りたがる?」
「そう難しい話じゃねぇんだが――」
と、紫煙に溜息を混ぜたように吐き出し、
「――こうやって地面を這いずり回っていると見えてくるんだ。人が人である以上、絶対に捨てられない煩悩っていうか、欲がさ。もっと便利に、もっと愉しく、もっと珍しいものを。もっと、もっと、もっと……欲の窓を通してからじゃねぇと見えなくなってんだよ、この豊かな方舟ん中で護られきって、な」
「……そっか」
身振りでハイファはコーヒーを勧めたが、シドは首を横に振る。
「俺が効率悪くても足で仕事をするのはそういうことだ。スライドロードに載ってたら靴底は減らねぇが、こんな世界も見れねぇさ」
「何となくだけど、言いたいことは解ってきた気がするよ」
「だからって俺にも欲ってモンがない訳じゃねぇんだよな。ホシを挙げたい、煙草吸いたい、旨いもん食いたい、女が欲しい、その他諸々」
「普通じゃない、それ?」
「そうなんだ、普通なんだよな。その普通の延長で奴らは違法モノを売ってる。ある意味地下組織よりタチが悪いぜ。でもこのままじゃ、いつかは意外に脆いこの方舟は沈んじまう。だから黒幕の首根っこを捕まえてワッパかけてやりてぇんだよ、俺は」
そう言ってシドは傍の灰皿で煙草を消した。
「それで泳がせてるんだね。でもシド、部屋にあったアレ、一錠だけ減ってた。どういうことか説明を求めますが、いかがなものでしょうか?」
「あ、え、う……あれはずっと前にレーザーで射たれた腕が痛んだ時にだな……」
「って、それ、さっきも言ってたよね? 傷はどこどこ、ああ、危ないなあ。今どきこのテラ本星セントラルエリアで何やったらそういうことになるかなあ、もう!」
ベンチ上をすり寄ってきて両腕どころか上衣の裾まで捲り上げようとするハイファにシドはたじろいだ。僅かに素肌の腹に触れた指の感触が妙になまめかしく感じられたからだ。分析不能なその感覚におののき慌てて身を捩る。
――テラ標準歴二十三歳。現在、彼女なし。
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