楽園の方舟~楽園1~

志賀雅基

文字の大きさ
上 下
3 / 62

第2話

しおりを挟む
 嫌味な仇名を口にされ、シドは鉄面皮の眉間にシワを寄せるという器用なワザを披露しつつヴィンティス課長を睨みつける。
 そんな部下の前でブルーアイに哀しみを湛えた課長は力なく頭を振った。

「道を歩く、いや、表に立っているだけでキミには事件・事故が寄ってくる。管轄内の事件発生数とキミの事件遭遇イヴェントストライク数が殆ど同じなのを知っているのかね?」
「検挙数も殆ど同じの筈です」
「それはそうだろう、下手をするとキミはホシより先に現着しているのだからな」

 どれもこれも事実だが繰り返してきたやり取りだ。今更言葉に詰まらない。

「でもそれとこれとは別でしょう!」
「別と思うのはキミだけだ。おまけに以前キミと組んだ者は誰一人として一週間と保たず五体満足では還ってこなかった。今週も記録的な事件発生数をマークして、わたしはもうセントラルエリア統括本部長に何と報告してよいのやら。この上、部下をみすみす病院送りになどしたくないのだ――」

 言いつつ課長は多機能デスク上から茶色い薬瓶二つを交互に取り、掌に赤い増血剤とクサい胃薬を山盛りにした。デカ部屋名物の通称泥水と呼ばれるコーヒーで錠剤を嚥下する。目前でこれも嫌味としか思えなかった。
 まるで健康被害まで被っていると言いたげな課長の様子を眺めてシドは唸った。

「みんな一命は取り留めて完全再生・復帰したじゃありませんか」
「それを見てキミのバディに立候補するような気合いの入ったマゾがいるとでも思うのかね? わたしはそんな部下は嫌だ。個人的志向の問題だがね」

 皮肉や愚痴を聞きたい訳ではない。仕方なくシドはこの場での事態改善を諦める。

「もういい、結構です。代わりに可能な限り雑事はヒマな奴に押し付けますからね」
「構わんとも。何なら星系政府法務局の中枢コンでも使いたまえ。この純然たる資本主義社会で人の命ほど高くつくものはないからな」

 とはいえ一番手間の掛かる書類は今どき手書きと決まっているのだ。容易な改竄や機密漏洩の防止から先人が試行錯誤した挙げ句のローテクである。筆跡は内容と共に捜査戦術コンに査定されるので、原則としてシド自身が書かなければならない。

 遙か昔には事務支援アンドロイドがいたらしいが、現代においてそんなモノは存在しなかった。高度なテクノロジーはあれど、人間主体の社会システム維持と資本主義を支える需要と供給のバランスを崩さぬため、人々の生活水準はラストAD世紀程度に抑えられ、ヒューマノイドへのAI搭載は規制が掛かっているのだ。

 結局何ひとつ変わらないということである。シドは徒労感に肩を落とした。実際に事件続きで疲れている。そんな部下に上司は取って付けたように告げた。

「あー、キミは暫く自宅に帰っていまい。ラグナロクでもやってこない限りこちらで対処する。今日明日はゆっくりしてくれ。できれば外は出歩かんようにな」

 言われずともそうするつもりだった。溜まりに溜まった代休申請を出したら一ヶ月以上も有給取得命令を無視していた業務管理コンから、返す刀でハートマークが一ヶ月分だろう数ずらりと並んだメールがリモータに送られてきたくらいだ。
 文章部分はマシン語だったので内容は良く分からなかったが。

 つまり人語を忘れるほどコンまでもが喜んでいたということだ。

 とにかく自宅に帰るのは四日ぶりという有様である。お蔭で自分が引っ張ってくる被疑者以外住人のいない留置場の一部屋がシドの巣になりつつあった。

 だが代休よりも溜まっているのが報告書類だ。シドの机上だけに山と積み上げられている。綺麗に並べられたデスクの地平でそこだけ固い地層で風化を免れ、テーブルマウンテンを形成していた。督促メールも山ほど届いている。

 しかしこれを逃すといつ帰れるか分からない。ヴィンティス課長も「遠慮するな」と手をヒラヒラ振った。振りながら低血圧と胃痛で元々悪かった顔色を蒼白にして後退る。声までが首を掴まれた鳩のようだった。

「体を休めたまえ、アタマも。あ、いや、ソレは遠慮して――」

 刻々と調子の悪くなる上司のこわばった笑みに、急にどうしたのかとブルーアイの視線を辿れば、シドの手が無意識に腰のレールガンに触れていた。

 これはフレシェット弾なる針状通電弾体を三桁もの連射が可能で、マックスパワーでの有効射程が五百メートルという極めて危険なブツである。ライフル狙撃には足りないが通常のハンドガンの十倍近い強烈な威力を誇る。
 この威力では当然ながらパワーコントローラ付きでも巨大な代物だ。扱いも非常に難しく反動リコイルも只事ではない。

 これはシドのために中央の武器開発課が特別に開発した物で、この他には予備が開発課に一丁しかないと聞く。右腰の専用ヒップホルスタから突き出た長い銃身バレル部分をホルスタ付属のバンドで大腿部に留めて保持していた。

 実装一丁でも文字通り飛ぶように減ってゆくフレシェット弾は専属の班員たちがこさえるのに忙しいらしい。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王妃から夜伽を命じられたメイドのささやかな復讐

当麻月菜
恋愛
没落した貴族令嬢という過去を隠して、ロッタは王宮でメイドとして日々業務に勤しむ毎日。 でもある日、子宝に恵まれない王妃のマルガリータから国王との夜伽を命じられてしまう。 その理由は、ロッタとマルガリータの髪と目の色が同じという至極単純なもの。 ただし、夜伽を務めてもらうが側室として召し上げることは無い。所謂、使い捨ての世継ぎ製造機になれと言われたのだ。 馬鹿馬鹿しい話であるが、これは王命─── 断れば即、極刑。逃げても、極刑。 途方に暮れたロッタだけれど、そこに友人のアサギが現れて、この危機を切り抜けるとんでもない策を教えてくれるのだが……。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】

迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。 ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。 自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。 「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」 「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」  ※表現には実際と違う場合があります。  そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。  私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。  ※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。  ※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。

処理中です...