鍛冶師ですが何か!

泣き虫黒鬼

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8巻

8-3

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 ドワーフ氏族が集まる広場での高らかなリヒャルトの宣言に、響鎚の郷の者たちは驚きとともに困惑の表情を浮かべた――
 なぜなら、これまで天樹国を守るためにその身を捧げてきた豊樹の郷のダークエルフ氏族が、どこの馬の骨とも分からない亜人――それも捕縛ほばくおよび排除が布告されている者を恩人と呼んだ。その上、豊樹の郷の民を受け入れた響鎚の郷の者にやいばを向けるというのだから。
 しかも、同道しているダークエルフ氏族のリリスが、弓に矢をつがえていつでもれるよう構え、かすかに殺気さえ放っている。ここに至り、リヒャルトの宣言はこの場を収めるためのはったりや出任せではなく、本気で己の命を懸ける通告であることが感じ取れた。
 たった二人。しかし、これまで天樹国の防人さきもりの役目を務めてきたダークエルフ氏族は、その一人一人が『一騎当千』の強者だった。
 そんな者たちが、自らの命をかえりみずに敵対するとなれば、負けはしないものの相当な犠牲ぎせいが発生するのは疑いの余地がない。ゆえに、ドワーフ氏族の郷守衆は動きを止めると、恐れと戸惑いが入り混じった表情を浮かべ、壇上にいるヨゼフの判断をあおぐべく視線を向けた。
 ヨゼフは顔を一瞬しかめるも、すぐに親愛の情を示すように、リヒャルトに微笑ほほえみかけた。

「リヒャルト殿! 豊樹の郷のリヒャルト殿ではないか!! 豊樹の郷が穢呪あいじゅの病に侵されたと聞いたときから案じていたのだが、貴殿も姿を現したということは、やはり豊樹の郷は穢呪あいじゅの病にみこまれてしまったか……。ラクリア様が豊樹の郷を救うために、ヴァルトエルフ氏族の派遣をセンティリオ様にお願いしていると耳にしたが、さすがのヴァルトエルフ氏族でも穢呪あいじゅの病をしずめることはできなかったか……。それで、貴殿が来られたのは、ダークエルフ氏族族長自ら、居を我が郷へ移したいということかな? しかし、それはちと問題じゃなあ。貴殿の居住を儂が認めたと聞いたら、郷の者たちが『豊樹の郷に穢呪あいじゅの病をもたらした族長を招き入れては、響鎚の郷まで穢呪あいじゅの病に侵されるのでは』と不安がるのでなあ。しかも、ハイエルフ氏族から『偽鍛冶師』と断定され、捕縛ほばくめいが出ている亜人の鍛冶師を擁護ようごするような発言を口にしていては、とてもとても。これではまるで、豊樹の郷の者の避難を受け入れた我らに害をなすことと同じではないか? いつからダークエルフ氏族は『恩をあだで返す』ほど落ちぶれたのじゃな?」

 初めは取りつくろっていたものの、次第に心の内を隠しきれなくなったのか、さげすむような笑みと尊大な態度で見当外れのことを口にするヨゼフ。だがリヒャルトは、そんなヨゼフの態度にも一切表情を変えることなく、淡々と言葉を返した。

「確かに、郷の者の避難を受け入れていただいたことには感謝を申し上げる。が、受け入れていただいたとはいえ、我が郷の民を牛馬のごとくこき使うのはいかがなものかと思うのだが? そうだな、ルークス!」

 その言葉を受け、それまで姿を見せていなかったルークスが、憤怒ふんぬの表情を浮かべて郷守衆の囲みを抜け、姿を現す。そして、弓をつがえるリリスと二人でリヒャルトを挟むように立つと、腰に下げていた片手半剣バスタードソード躊躇ちゅうちょなく抜き、響鎚の郷の郷守衆と対峙たいじするかのように構えると、怒気のこもった声で答えた。

「はっ! リヒャルト様のおっしゃる通り、響鎚の郷に避難した豊樹の郷の者は、男衆であればまだ年端としはもいかぬ子供から年配のご老人まで、強制的に金属鋼や鉱石の掘り出しに従事させられておりました。さらに女衆は、採掘された金属鋼石を製錬する人足であったり、鉱石を石の中から採り出す研磨けんま作業に従事させられております。ですがそれはまだ良い方で、中には飯盛女めしもりおんなとして働かされ、食事の用意や小間使い、果ては夜の相手をさせられる者まで……。また、少しでも作業の手を止めると見張りに棒でたたかれるなどされ、残念ながら男衆の幼子やご老人が十人ほど命を落とし、女衆からも自ら命を絶った者が数名……」

 ルークスは瞳を充血させながら、壇上に立つヨゼフに殺気を放つ。
 これを微動だにせず、ただジッとヨゼフをにらみつけたまま聞き終えたリヒャルトは、ルークスをねぎらうように「そうか……」と一言だけつぶやき、同朋どうほうの死をいたむかのごとく一度目を閉じた。
 数瞬の間の後、怒りに打ち震える心をしずめるように、大きく深呼吸を一つしたものの、眉間みけんには深いしわがより、開かれた瞳には怒りの炎が宿っていた。

「……さて、我が豊樹の郷の者に対しての仕打ちについては、後で納得のいく説明を聞かせていただくこととし、まずは先程のからの問いに答えておこう。儂は庇護ひごを求めて訪れたのではない。ここに避難させた全ての豊樹の郷の民を帰郷させるために訪れたのだ!」
「なっ!? 帰郷じゃとぉ? 何を馬鹿……いや、穢呪あいじゅの病に侵された郷に、民を連れ帰るというのか! リヒャルト! 貴様、民を道連れにするつもりか!?」

 ヨゼフは憤慨し、つばを飛ばして問い詰める。だが、そんな彼に対してリヒャルトはただ一言――

穢呪あいじゅの病ははらわれた」

 それを聞き、ヨゼフは大口を開けたまま呆気あっけに取られたように固まるが、すぐに引きった笑みを浮かべて、祝いの言葉を口にした。

「なんじゃと……。はっ! ほっほ~、穢呪あいじゅの病をしずめるとは、さすがはラクリア様が派遣されたヴァルトエルフ氏族じゃ。口では自信なさげなことを言っておきながら、なかなかやるではないか♪ しかし、よかったのぉ。避難してきた者たちも喜ぶじゃろう。のぉ皆の衆!!」

 壇上から周りのドワーフ氏族たちをあおると、郷守衆以下響鎚の郷の者たちは、おざなりな拍手はくしゅとともに、形だけの祝いの言葉を口にした。一瞬その場は盛り上がりを見せたが――

「ヨゼフ! 貴様にそんな祝いの言葉をもらえるとは思いもしなかったぞ。だが、穢呪あいじゅの病をはらい豊樹の郷を救ったのは、ヴァルトエルフ氏族でも、ましてやラクリアでもない」

 この言葉で周囲は静まり、さらには張り詰めた空気が郷全体に広がる。

「リ、リヒャルト!? 貴様、儂のことはともかく、ラクリア様をも呼び捨てにするとは何ごとじゃ! しかも、穢呪あいじゅの病をしずめたのはヴァルトエルフ氏族ではないじゃと? では一体、どこの何者が穢呪あいじゅの病をしずめたというのじゃ!?」

 ヨゼフは両目をき、またもつばを飛ばしながらたずねると、リヒャルトは猛獣が獲物を見つけたときのような壮絶な笑みを浮かべた。

「だから、先程から言っているだろう、『郷の恩人』と。今お主のめいによって郷守衆がやいばを向けている、貴様らが言うところの『亜人の鍛冶師』殿とそのお仲間がはらってくれたのだ、穢呪あいじゅの病をな。貴様の言う通り、ヴァルトエルフ氏族は穢呪あいじゅの病を発生した地――豊樹の郷に封じ、他に広がらぬようにすることはできたかもしれぬ。だが、ここにおられる津田驍廣殿をはじめとする翼竜街からお越しくださった皆様は、穢呪あいじゅの病の原因を掴み、この世文殊界よりはらい、清めてくだされた。だからこそ儂……否、儂だけではない、この事実を知る豊樹の郷の者は、郷を救ってくれた恩人にやいばを向ける容赦ようしゃせぬと申しているのだ」

 その宣告に、驚愕きょうがくの表情を浮かべたままこおりつくヨゼフだが、さらにダメ押しとばかりにリヒャルトの言葉が続く。

「それから、ついでに告げておこう。先程から津田驍廣殿に対し『亜人の鍛冶師は偽鍛冶師だ!』と盛んに喧伝けんでんしようとしているが、それがここにいる驍廣殿のことを指しているのならば、断固として『否』と明言する。彼は『名匠グロースマイスター』と称されてもおかしくないほどの鍛造鍛冶の技量を持つ鍛冶師だ。その事実を儂自身、それからここにいる豊樹の郷・郷守若頭ルークス・フォルモートンに、我が娘リリス・アーウィンをはじめ――今、豊樹の郷で避難のために郷を離れた者たちが全員無事に帰ってくることを願い待ちわびている我が妻『火の巫女』リーネ・アーウィン、そして豊樹の郷・郷守役アルヴィラ・フォルモートン並びに、彼の奥方ルイーズ・フォルモートンも確認している。儂、リヒャルト・アーウィンは、豊樹の郷の族長としてここに宣言する。今後、鍛冶師・津田驍廣殿や、の御仁のお仲間に対し、害を及ぼさんと画策せし者を決して許さず、そのような不届き者は豊樹の郷のダークエルフ氏族が総力をあげて断罪のやいばを振り下ろさん!」
「……」

 ヨゼフはその『宣言』に、口を大きく開けて動かしているものの、驚きのあまり声が出せないでいる。
 リヒャルトが族長を務める豊樹の郷のダークエルフ氏族は、平時では森の木々をで、郷で育てられる草花をいつくしむ心優しき妖精族だ。しかし、天樹国に住む妖精族たちの生命と財産をおびやかそうとする侵略者が魔手を伸ばしてくれば、彼らを狩る狩人、天樹国をまも防人さきもりへと姿を一変させる。
 天樹国では、ドワーフ氏族は武具や防具などいくさ道具の補給が主な役目とされ(武具・防具の交易は副次的なものだった)、後方支援を行うことが多かった。ゆえに、ダークエルフ氏族の戦いぶりを目にする機会に恵まれていた。
 近年では人間の国アンスロポス帝國の侵攻も少なくなり、歳の若いドワーフ氏族は昔話としてしかダークエルフ氏族の武勇を知らない。だが、響鎚の郷に住む年長者の中には、人間の国アンスロポス帝國による天樹国への侵攻を体験した者たちもいた。ヨゼフもその一人である。
 しかも当時の族長から豊樹の郷へ武具や防具を運ぶよう命じられた折、ダークエルフ氏族の戦いを直接目にする機会を得ていた。そのときの映像が、リヒャルトの『宣言』によって呼び起こされ、ヨゼフの脳裏を駆け巡った――


         ◇


 そう……儂――ヨゼフ・グスタフは、先代の族長から、豊樹の郷へ大量の武具や防具を運ぶ役目を言い渡され、仲間とともに向かった。
 このとき、シュバルツティーフェの森を南下した先にある人間の国『アンスロポス帝國』が侵略してくるのではないかといううわさが広がり、どの氏族の郷も戦々恐々としていた。
 そんな中、豊樹の郷へ武具や防具を届けるということから、儂はそれがただのうわさではないと確信した。
 だが、豊樹の郷に到着して儂が見たのは、うわさとはかけ離れた、のどかな風景だった。
 元々この郷は、シュバルツティーフェの森と天樹国のある輪状山脈のふもとに広がる森とが重なる緑豊かな地に築かれている。郷の中にも様々な木々や草花が生い茂り、郷の住人がその世話にいそしむ様子は、とても人間の侵攻から天樹国を守ってきた『天樹国の防人さきもり』には見えなかった。何を暢気のんきに花の世話などしているのだ、といきどおりさえ覚えた。
 そんな儂の心の内を逆なでするように、豊樹の郷のアーウィン族長は、響鎚の郷の鍛冶師や革職人の汗と努力の産物を受け取ると、遠路ご苦労様とねぎらいの言葉をかけつつ、儂らをうたげに招待した。
 その申し出に、運搬役の責任者となっていた年配のドワーフ氏族は、いきどおる儂を尻目しりめに歓待に応じ、草花が咲き誇る豊樹の郷の広場でうたげもよおされた。うたげの場には鹿やうさぎをはじめとした獣や、きのこに山野草などの森の恵み、それに豊樹の郷と友好関係にある隣国の街――翼竜街から運び込まれたらしき酒まで、しげもなく振る舞われた。
 いつ人間たちが侵攻してくるか分からない状況で、うたげを開き酒を振る舞うなんて、なんと不謹慎ふきんしんな! そう考えていた儂は、杯を重ねるにつれて、いきどおりがつのっていった。
 しかし、うたげが盛り上がる中、黒く染めた革鎧に黒衣という全身黒尽くめのダークエルフ氏族がどこからともなく現れたかと思うと、アーウィン族長に駆け寄り、その耳元に一言二言ささやいた。
 途端、それまで瞳が見えないほどの糸目を弓なりにして、上機嫌で運搬役のかしらと杯を重ねていた顔が一変。それまでの笑みが嘘だったかのように、身の毛もよだつ恐ろしい表情になった。そんな族長に合わせて、周りで騒いでいたダークエルフ氏族の者たちも、さっきまでの酒に浮かれた笑顔などどこへやら、一様いちように殺気立ち、戦人いくさびとの顔になっていた。
 周囲にあふれた殺気で、杯を重ねていた儂らドワーフ氏族も一気にいがめてしまう。中には、持っていた杯を落として衣服をらす者、ガタガタと震えが止まらない者、濃密な殺気にまれて気を失う者さえも……。情けない話ではあるが、儂も心臓を鷲掴わしづかみにする殺気で全身に鳥肌とりはだが立ち、震え出す体を抑えるのに必死だった。
 醜態しゅうたいさらす響鎚の郷のドワーフ氏族の中、唯一少し顔色を変えただけで平然としていたのは、アーウィン族長と酒をみ交わしていた、運搬役のかしらを務める年配者だった。
 運搬役のかしらは、剣呑けんのんな殺気を放つアーウィン族長をゆっくり見据えると、

「来ましたか」

 と、あらかじめ知っていたかのように声をかけた。すると、アーウィン族長はゆっくりうなずいた。

「はい。たった今物見に出ていた者からの知らせが入りました。豊樹の郷まであと五日といったところまで迫っているようです。貴殿らのおかげで、万全の態勢で迎え撃てます。改めて響鎚の郷の方々に感謝を申し上げます」
「ではうたげの続きは、アーウィン様以下豊樹の郷の皆様が、無事にお役目を果たしたときに……ご武運を!」

 運搬役のかしらがそう言って深々と頭を下げれば、ダークエルフ氏族も一斉に返礼として軽く頭を下げた。続けて、儂たちが運んできた防具をまとい、武具を手にすると、迷うことなく一人また一人と、豊樹の郷を取り囲む森の中に姿を消す。最後にアーウィン族長が――

「……では!」

 そう一言残し、森の闇へとまるで溶けるように消えていった。後に残されたのは、いくさをするにはまだ早い幼子や身重の女性数人と、儂らドワーフ氏族だけだった。

「……これは一体? ダークエルフ氏族はどこへ……」

 思わずれた儂の声に、運搬役のかしらは、視線をアーウィン族長の消えた闇に向けたままポツリとつぶやいた。

いくさおもむかれたのだ。天樹の民妖精族まもる『防人さきもり』として……」

 儂はそれを聞き、驚きを隠せなかった。

「なっ!? 豊樹の郷単独で、アンスロポス帝國の軍勢と戦うつもりか? 馬鹿な! 侵攻してくる軍勢が一体どのくらいいるのかは分からないが、豊樹の郷のダークエルフ氏族だけで迎え撃てるわけがない!! なぜ、輝樹の郷のハイエルフ氏族の判断をあおぎ、天樹国の各氏族の郷にいる郷守衆を集めて軍を編成しない? 一郷でいくさをしかけたところで、多勢に無勢。自殺行為だ!」

 思わずさけんでしまった儂を、幼子や妊婦はにらみつけ――
 ――ごっつん!!
 運搬役のかしらが鉄拳を振り下ろした。

「何も知らん奴が偉そうなことを口にするな! 輝樹の郷には既に知らせが届いておるわ。それでもハイエルフ氏族は動かん! 全てを豊樹の郷のダークエルフ氏族に押しつけ、自分たちは天樹の根元で偉そうにふんぞり返っておる。ハイエルフ氏族だけではない、フラムエルフ氏族も、アクアエルフ氏族も、ルフトエルフ氏族も、精霊術にけると豪語する奴らは、口では偉そうなことを言っているが、実際に有事の際はダークエルフ氏族に任せきりだ。唯一ドュラハン氏族は、この危機に駆けつけようと馬を飛ばしているという知らせが入っているが、まだ到着には数日を要す。それまでの間、郷に籠城ろうじょうする選択もあるだろうが、相手は魔術を使う人間の軍勢。いくら森の巨木を組んで作られた郷壁といっても、魔術にどれほどあらがうことができるかはなは心許こころもとない。となれば、不利を承知で撃って出て、神出鬼没の遊撃戦をするしか、豊樹の郷を守り、ダークエルフ氏族の血脈を保つ手段がないのだ! 良い機会だ、ヨゼフよ! アーウィン族長以下ダークエルフ氏族の戦いぶり、その目でしっかと見届けるがよい!!」

 儂は、遠見筒(単眼鏡)を持たされて、戦場近くにある小高い山の上から、ダークエルフ氏族とアンスロポス帝國軍との戦いを目撃することとなった――


 シュバルツティーフェの森に夜のとばりが下りる中、アンスロポス帝國軍はあと数日で天樹国のある輪状山脈に辿たどり着く地点まで軍を進めていた。そして現在、自慢の魔法によって生み出された森の中の空き地に陣を張り、野営をしている。
 ここまで、森に住む獣たちからの襲撃はあったものの、これと言った問題も起きておらず、天樹国への侵攻は順調だった。
 だが、そのあまりにも順調な行軍は兵におごりを生み、軍の規律を乱していた。いまだ天樹国に動きが見られないとはいえ、敵地に日一日と近付いている中で、警戒をおこたっていいはずはない。だが、歩哨ほしょうに立つ者を除き、多くの兵たちは酒を片手に、天樹国に侵攻したのちのお楽しみ――掠奪りゃくだつや国からの報奨ほうしょうについて話を弾ませていた。
 アンスロポス帝國の天樹国への侵攻。表向きには、『魔術を生み出した人間と、その人間の守護使徒であるユマン・ペルルを至上の存在としてあがめる、聖職者の国クレールス・ナルシオンおしえ〝聖使教せいしきょう〟を広め、天樹を敬う妖精族を教化し、安寧あんねいをもたらす』というものだった。しかし実際には、シュバルツティーフェの森をはじめ、天樹がそびえ立つ輪状山脈内のカルデラ盆地など、緑あふれる豊かな国土を我がものとしようとしての侵攻だった。
 しかも、それだけではない。聖使教への『教化』の過程で、ドワーフ氏族やコボルト氏族などは労働奴隷として、ハイエルフ氏族などの人間の美的感覚で容姿にすぐれているとされる妖精族は、性奴隷として扱われることが、公然の秘密としてささやかれていた。
 そんな帝國の空気をそのまま内包した帝國軍では、順調な行軍から『この戦いは勝ったも同然!』と、戦勝ムードが漂っていたのだ。
 そういった帝國軍の陣地に、酒を飲んで騒ぐ同僚を横目に見ながら警戒に当たる一人の兵がいた。
 彼は他の兵と同じように、帝國の農民の三男として生まれた。国の基盤を支える農民といっても、親から農地を継げる者は長男、大農地を持つ農家でも次男までに限られた。
 男の家は、ごく平均的な農地しか所有していなかった。三男の彼が生きていくためには、跡取りがいない農家に婿むこ養子になるか、商家に奉公するか、兵士になるしかなかった。
 その選択肢の中から、男は帝國軍入りを選び、魔法使いとして自らの魔術にみがきをかけ、今回従軍することとなった。
 この夜はたまたま歩哨ほしょうの当番だった。ただ彼は、今日もこれまでと同様何も起こらない夜を、同じく歩哨ほしょうとなった者たちとともに過ごし、翌日の夜には自分も酒を片手に明るい未来を夢見て気炎を上げると思っていた。
 ――が、男は鋭い風切かぜきり音が聞こえたと思った直後、その場に崩れ落ち、命を失った。
 とはいえ、彼は運が良かったのかもしれない。なんの恐怖も感じることなく冥府へと旅立てたのだから……もっともそれは、この夜歩哨ほしょうに立った兵全てに言えることだった。


 遠見筒をのぞき込む儂の目には、それは突然起きたように見えた。
 帝國軍陣地内を警戒する歩哨ほしょうと思われる兵が、頭や胸に矢を受け、次々と倒れていった。矢はまさに一撃必中、ただの一射もまとを外すことなく、しかも一切の悲鳴を上げさせることなくいている。
 そのため、歩哨ほしょうがすべて排除されたことに帝國軍は気付かず、無警戒のまま酒盛りが続けられた。
 そんな帝國軍陣地に、周りの木々の陰からはしっていく人影があった。帝國軍は彼ら――ダークエルフ氏族の動きを察知できない。
 人影は帝國軍地内に潜入すると、二、三人ずつに分かれて、酒盛りをする兵の背後に近付く。しかし、すぐに強襲するのではなく、陣内を照らす篝火かがりびによって生み出された兵たちの影へとその身をひそませていった。
 そして、アーウィン族長と数人の若者たちが周囲を警戒しながら、陣内の中央にある一際ひときわ大きな天幕に入っていく。儂は、いよいよ戦闘が始まるか? と遠見筒を持ったままなまつばみ込み、身構える。だが予想に反し、剣戟音けんげきおんなどが響いてくることはなく、すぐに族長たちは天幕から出てきた。その中の一人、一番若く見えるダークエルフ氏族の手に握られた小剣が、真っ赤な鮮血にれているのに気付く。儂は思わず二度見をして、確認せずにはいられなかった。
 戦闘音を一切発することなく、天幕内にいた者たちをたおしてきたことを、そのまみれの小剣が表していたからだ。そんな儂の驚きなど関係なく、ダークエルフ氏族たちは次の行動へ移る。
 若いダークエルフたちは天幕の四方に散ると、ふところから小さな火種と小さな素焼きの容器を取り出した。続けて、天幕に容器の中のものを振りかけ、火種を投げ込んだ。
 どうやら容器の中身は可燃性の油だったらしい。投げ込まれた火種がまたたく間に天幕に燃え広がり、勢いを増す。その様子を確認し、天幕を襲撃した族長たちは、他のダークエルフ氏族と同じように火の生み出した影へと身をひそめた。
 すぐに天幕は炎に包まれ、突然のことに混乱する帝國軍の兵たちの消火を指示する声がそこら中から飛び交いはじめたまさにその瞬間――それまで姿を隠していたダークエルフ氏族が、一斉に彼らに襲いかかった。
 のど延髄えんずいといった急所を狙い、一撃で帝國兵をほふるダークエルフ氏族。そこには戦闘の高揚感などといったものは微塵みじんも見られず、感情を失ってしまったかのような、まるで己の作業を着実に実行する熟練工のごとき姿に、儂は戦慄せんりつした。
 もちろん、いくら酒が入り、突然燃え上がった炎に混乱しているとはいえ、次々と倒れていく仲間たちの姿に気付かない帝國兵ではなかった。だが、わずかな篝火かがりびあかりでは状況を把握はあくすることは難しい。陰から陰へと身を隠し、死角から得物を振るい確実に目的を達していくダークエルフ氏族に、混乱が混乱を呼び、ただただ犠牲者ぎせいしゃを増やしていくだけかと思われたとき――

「馬鹿者がぁ! 貴様らそれでも、栄えあるアンスロポス帝國軍か! 妖精族などの襲撃に狼狽うろたえるとは何事だ。我らには守護天使ユマン・ペルル様に認められし魔術がある! 我らの魔術の前に、妖精族など何ほどのことがあろうか! 今こそ我らが授かりし魔術を用いて、愚かなる妖精族をぎ払え!!」

 いかにも歴戦の古強者ふるつわものが発したかのような野太い声が、帝國軍陣地に響き渡った。それにより、帝國兵たちは混乱しながらも、各々おのおの呪文の詠唱を始め、次々と魔術を放った。
 放たれた魔術は、同朋どうほうたる帝國兵を巻き込みつつ、襲いかかるダークエルフ氏族を捉えていく。その戦果に兵は狂喜し、帝國軍は騒乱状態を脱した。
 だがこうなると、総勢五千の魔法使いをようする帝國軍に対し、戦える者全てを動員していても五百に満たないダークエルフ氏族では、ひとたまりもないだろう。
 儂は遠見筒をのぞきながら、これから繰り広げられるにちがいない数の暴力に、胃のが握りつぶされるような息苦しさを感じていた。しかし――

『ピィー!!』

 唐突に鳴り響く、かんだかふえのような音。
 と、その音に合わせて、ダークエルフ氏族は再び篝火かがりびあかりが生み出す影へと姿を消した。
 突如姿を消した襲撃者に、帝國兵は一瞬虚を突かれつつも、警戒の度を強める。次に姿を現したときには確実に仕留めるという意気込みで、篝火かがりびあかりを頼りに血眼ちまなこになって彼らを探すも、発見することができなかった。
 殺気に満ちた静寂せいじゃくが帝國軍陣地を覆い、しばしの時が経過した。帝國兵たちが、魔術の威力に恐れをなして襲撃者は撤退したのでは? と考えはじめ、緊張もゆるみかけたとき――

「ギャアー!」

 突然さけび声が上がった。見ると、足を斬りつけられた兵がうずくまり、流れ出る血を手で押さえながらうめいていた。
 そして、さけび声が次々に上がる。足を抱えて倒れる者が続出し、兵たちの間に、次は自分なのではという恐怖が広がり出す。
 わずかでも襲撃者の姿を目視できれば、即座に魔術を放って仕留められるはずが、敵は姿を隠したまま。自分たちの知らぬ間にやいばが振るわれるのでは、対処のしようがない。
 迫りくる恐怖の中、ついに耐えきれなくなって、襲撃者の姿を確認せずにうめき声の上がった方向へ無暗に魔術を放つ者まで現れた。
 帝國軍陣地には、下半身を斬られてうめく者と、魔術によって物言わぬむくろとなり果てた者が増えていく。
 そんな中、恐怖に耐えられなくなり一人が逃げ出すと、それが呼び水となり、雪崩なだれを打ったように皆が敗走を始めた。
 もちろん、それを押し留めようと声を上げる者はいたが、その数は少なかった。なぜなら、陣地の中央に建てられた天幕こそ、軍の指揮を任された将に割り当てられたものだったからだ。つまり帝國軍は、最初の襲撃で指揮・統括する者の大半を失っていたのだ。
 そういった状況で、兵を止めようとする勇士の姿はひどく目立つもので。ダークエルフ氏族にとってみれば、恰好かっこうの獲物以外の何者でもなかった。
 多くの兵が逃走へと身をひるがえす中、その場に留まり、襲撃者に一矢いっしむくいようとする帝國軍の勇士。しかし、彼の影から音もなく血に染まる白刃が浮かび上がった次の瞬間――勇士の足首から先が斬り飛ばされて彼は倒れ伏し、我先にと帝國領へ向かう奔流ほんりゅうまれていった。
 もちろん、逃走する帝國兵にも、影から降り注ぐ矢や、木の陰からおどり出る襲撃者によって、一人また一人と命を刈り取られていく。


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