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7巻
7-1
しおりを挟むプロローグ 黒狼慟哭
草木を掻きわけ、吹き抜ける風のごとく疾駆する影。それは、人の背丈を優に超える巨大な黒い狼だった。
谷を越え、川を泳ぎ渡り、森の中を走り続けていた彼女が、ふいに立ち止まる。頭を高く上げて周囲のにおいを探るようにヒクヒクと鼻先を動かす。しかし、目当てのにおいを嗅ぎ取ることができず、鼻筋に深い皺を浮かべ、険しい表情を見せると――吠えた。
「ワァオゥゥゥゥゥゥ!!」
周囲に轟く声に、森に住む兎や鼠といった小動物は恐れおののき、石の窪みや灌木の中へ身を隠し息を潜めた。
他者を震撼させる咆哮だが、それは母が子を探し求める声だった。
二度三度と上がる遠吠え。しかし、母親の呼びかけに応えるものはなく、彼女の叫びは深いシュバルツティーフェの森の中へ消えていった。
やがて森に静寂が戻ると、黒狼は力なく頭を下げたものの、すぐに頭をもたげ、再び走り出すべく四肢に力をこめる。そのとき彼女の背後から、草木を掻きわける音とともに、激しく呼吸をする一匹の白い仔狼が姿を現した。
黒狼は白仔狼のもとに近づき、体を舐めはじめる。
「ついてきてしまったの? 待ってなさいと言っておいたでしょう。なんで言うことが聞けないの?」
白仔狼の体を舐めつつ優しく語りかける黒狼。そんな彼女に、白仔狼は涙を堪えるように弱々しい声で答える。
「だって……だって、兄様たちに続いて、母様までいなくなったらと思うと……」
一瞬言葉に詰まる黒狼だったが、すぐに微笑んだ。
「馬鹿な仔。いなくなるわけがないでしょ。氷雪狼様からお情けをいただき、ようやく授かったお前を置いて、いなくなったりするわけがないでしょう。ただ、お前を産んだばかりで動けなかった母に代わり、サビオハバリー様のお下知に従って森の見回りに出ていったお前の兄たちが、いつまで経っても戻ってこないので、探しに出ただけです。あの仔たちを見つけたらすぐに戻るから、巣穴にお帰りなさい」
だが、白仔狼はブルブルと大きく体を震わせた。
「嫌っ! とても嫌な気配が森の中に漂っているの。もち、このまま母様と別れてしまったら、二度と会えない気がして……。お願い! 一緒に連れていって! わたち、足手まといにならないように頑張って走る!!」
それまで我慢していた涙がついにこぼれ落ちそれでも必死に訴える白仔狼――娘に、黒狼は困ったような表情をする。
「仕方のない仔ねえ……乳離れしたばかりのあなたが、私の脚についてこれるわけがないでしょ。でも、巣穴からは随分と離れてしまったし、仕方ないわね。自分から『足手まといにならない!』と口にしたのだから、決してはぐれないようについてくるのですよ」
黒狼は微かに笑みを浮かべ、再び走り出した。そして、白仔狼も必死の形相で母を追いかける。
シュバルツティーフェの森を、黒と白の影が風となって駆け抜けていった――
――三日後。
時々休憩を入れつつ走り続けた黒狼と白仔狼の親子は、行方の分からない他の子供たちが向かったと思われる場所――天樹国に接するシュバルツティーフェの森の外周部へと差しかかろうとしていた。
シュバルツティーフェの森は、天竜賜国、天樹国、アンスロポス帝国といった様々な国々と接する広大な森。
森を治めるのは、長き生の果てに『智』を身につけた賢猪サビオハバリーだったが、あまりにも広い土地ゆえに、彼だけで全てを見回ることは不可能だった。
そこで、賢猪は智を備えはじめた白野牛、赤猪そして黒狼の三頭に、それぞれある程度の土地を任せた。
白野牛は東側の海岸線近く、赤猪は南のアンスロポス帝国と接する場所、黒狼は天樹国と接する地を任されていた。
今までは、賢猪と三頭の獣たちがお互いに協力しあい、過不足なく森を治めていた。
だが、つい一季ほど前、赤猪が穢獣に堕ちた。
穢獣と化した赤猪は穢れを振り撒きながら、シュバルツティーフェの森を南から北へ――アンスロポス帝国から天竜賜国へと縦断するように駆け抜けた。
賢猪は赤猪と対峙してこれを打ち倒し、穢れが広がるのを抑えることに成功する。だが、賢猪も戦いで深く傷つき、穢れをその身に浴びてしまう。
賢猪の穢獣化という最悪の事態になりかねなかったが、運良く居合わせた人族が穢れを払ってくれたおかげで、それだけは回避することができた。
恩人を天竜賜国に送り届けて森に戻った賢猪は、赤猪が穢獣に堕ちてしまった原因を探るために、赤猪に任せていた場所へ自ら赴き、白野牛と黒狼には、それぞれに任せてある森で異変が起きていないか調べるように下知を下す。
しかし間の悪いことに、黒狼は子供を出産したばかりだった。
黒狼の体を慮った賢猪は、代わりに黒狼の息子たちに森の調べを任せた。
黒狼の息子たちは、母の体を心配し、また母の責務を自分たちに任せてくれた賢猪の心遣いに感謝すると、賢猪の下知を果たさんと、意気揚々と森へ向かった。
だが、それを最後に、彼らは消息を絶ってしまう……
黒狼と白仔狼が、輪状山脈の麓に広がる森に差しかかったとき――
「グルルゥゥゥゥ……」
黒狼の後方を必死で走っていた白仔狼が急に足を止めると、全身の毛を逆立ててまだ生えそろっていない牙を剥き出しにし、前方へ警戒とも威嚇ともとれる低い唸り声を発した。
「どうかしたの?」
そんな白仔狼の様子に、自らも足を止める黒狼。白仔狼は森の先を睨みつけたまま、母に告げる。
「母様、この先からなにか嫌な臭いが……」
黒狼も鼻をヒクつかせたが、白仔狼が言うような臭いを感じることができない……そう答えようとした瞬間、一陣の風とともに強烈な腐敗臭と、微かではあるが嗅ぎ慣れた匂いが黒狼の鼻腔に届いた。
「この匂いは坊やたちの! 坊やたち~!!」
「母様、待ってえ!!」
微かではあっても、探し続けていた我が仔の匂いを嗅ぎ取った黒狼は、白仔狼の悲鳴交じりの制止に気づくことなく、匂いのする方向へと一目散に駆け出していた。
逸る心のままに四肢を動かし、草木を掻きわけたその先に、突如、木が切り倒され、陽に照らされている拓けた場所が出現した。そこで黒狼が目にしたのは――
「ぼ、坊やたち……坊やたち!!」
腐臭漂う獣の屍骸が幾重にも積み上げられた小山の奥に、首だけ出した状態で地面に埋められている我が仔たちの姿だった。
あまりに惨い光景に声を上げる黒狼。だが、仔狼たちに母の声は届いていない。目の前に積まれた獣の屍骸を喰おうとしているのか、涎を垂れ流しながら必死に首を伸ばし、時々死骸から流れてくる腐臭漂う液体――腐汁を、その汁に濡れた土と一緒に舐め取り、嚥下する。それは正気を失った、『餓鬼』さながらの姿だった。
黒狼は、常軌を逸した我が仔の姿を見て警戒心を忘れ、慌てて駆け寄ろうと、獣たちの屍骸を飛び越え、仔狼の近くに着地した瞬間――足元の地面が崩れ落ちた。
一瞬、なにが起きたのか分からなかった黒狼だが、野生の本能が危険を察知し、少しでも早く崩れた地面から抜け出そうと、足場を確保すべく四肢を動かす。だが、抜け出そうとすればするほど、まるで蟻地獄のように、周りの土は四肢の動きに合わせてグズグズと崩れ落ち、あっという間に黒狼の体は地面の下へ呑み込まれていった。
しかも、首まで地面に沈んだ途端、四肢になにかが絡みつき、降下は止まったが、黒狼は身動きが取れなくなる。気がついたときには、仔狼たちと同じように、首だけを残して、地面に埋もれた状態になっていた。
「母様!?」
「来ては駄目! あなたは早くこの場から離れなさい!!」
白仔狼は、母親を助けようと草木の間から飛び出した。だが、初めて自分に向けられた叱責とも取れる母親の強い言葉に、身も心も硬直させてしまった。
「樹精霊! この者の動きを封じよ。蔦樹呪縛!!」
突然、響く精霊術の詠唱。それに合わせて、蔦が地面から出現し、白仔狼の体に巻きつき拘束する。その様子を、なすすべもなく眺めることしかできない黒狼。そんな彼女を嘲笑うように、笑い声が木霊した。
「ヒッヒヒヒヒ♪ 仔狼だけでは物足りないと思っていたのですが、親狼まで捕縛できるとは。これはまさに、ラクリア様のお導きを天が祝福し、我らの行いを成就させようとしている証……これで下準備が整います」
その声とともに、複数の妖精族が姿を現した。黒狼は牙を剥き出しにして、唸り声を上げた。妖精族たちは一瞬怯んだものの、彼らを率いる笑い声の主に急き立てられ、地面に埋まる黒狼の周囲に立ち、彼女に向けて一粒の種を投げつけると、呪文の詠唱を始めた。
詠唱に合わせて、黒狼の傍らに落ちた種はすぐに芽吹き、根を伸ばしていく。その根が黒狼の体にまとわりつき、やがて全身を覆うと、妖精族の詠唱が止まり――途端、根は一斉に黒狼の皮膚を突き破って体内へと侵入し、ありとあらゆる体液を吸いはじめた。
「うぐう……貴様タチ、コレハ一体ナンノつもりだ……」
黒狼は、体中に走る激痛と痛みに伴なう脱力感に苦悶の声を漏らしつつ、妖精族らを睨みつける。
「畜生風情が、片言とはいえ我ら人族が使う『言葉』を口にするとは、なんと汚らわしきことか! 獣ごときが身のほどを弁えよ!!」
笑い声を上げた者の声が怒気をはらみ、悪意とともに黒狼へ吐き捨てられた。
その侮蔑の言葉に、黒狼は怒りに駆られ、威圧を込めた咆哮を上げた。
「ゥワァオォォォォン!」
咆哮により気絶する者や、へたり込み失禁する者が出た他、正面から受けた者は錯乱し、短剣で仲間を傷つけたり、黒狼を縛る草根を取ろうとした。しかし――
「愚か者が! シュバルツティーフェの森の黒き狼の遠吠えには、威圧と精神錯乱を引き起こす力が備わっていると告げたであろうが!!」
叱責と同時に、錯乱した妖精族の首が血飛沫とともに宙を舞った。
『ボタッ』という重くも軽くもない音を立てて地に落ちた首。その恨みの籠った目が自分に向けられているように思えた妖精族たちが、顔を引きつらせる。だが、血の滴る弯剣を持った初老の妖精族だけは一切怯まなかった。
「なにを呆けている! 黒狼はまだ力を保っているぞ! 残りの吸血草を使い、全ての力と思考力を奪い去り、ただの獣に変えるのだ!!」
老妖精族の一喝に、身動きを止めていた妖精族たちは慌てて持っている種を全て黒狼に投げつけ、吸血草の根を二重三重に狼の体へと這わせていった。
根は、黒狼の体に蓄えられている養分を吸い取っていく。体内の養分を吸い取られることで、強烈な飢餓感に襲われる黒狼。そんな彼女の目の前には、腐臭漂う獣の肉が山積みにされていた……
長らくシュバルツティーフェの森に生き、智を蓄え、賢猪に次いで肉食獣の頂に立った。北に広がる氷原を治める狼族の頂点に位置する氷雪狼に、自身の仔を産むに相応しき者と認められもした。そんな存在であるにもかかわらず、彼女は襲いくる飢餓感に抗いきれず、眼前の腐肉に思考を支配されていった――
「ふ~。これで、ラクリア様にお教えいただいた『犬神の呪法』がなった。穢呪の病がこの地を蝕み、その怨念は生ある者に縋ろうと豊樹の郷へ……。ラクリア様に背いてきたダークエルフ氏族の者どもよ。己が犯した過ちの報い、存分に受けるがよい!」
正気をなくし、仔狼と同じように、涎を垂れ流しつつ、目の前の屍骸を求めて少しでも肉を口にしようと激しく頭を動かし続ける黒狼を眺めながら、陰惨な笑みを浮かべる老妖精族。
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「ぞ、族長様。あの白い仔狼はいかがいたしましょうか? 同じように地面に埋め、吸血草の種を植えつけま……いえ、吸血草は黒狼に全て使ってしまい、もうありませんが……」
「そうですね。白い狼とはなかなか珍しいですが、まだ産まれて間もない仔狼のようですから、吸血草を使うまでもありません。そのまま埋めてしまえば十分。母仔ともども、穢呪の病の苗床になってもらいましょう。この世に生を得たばかりの仔狼が飢餓感に襲われ、この世に恨みを残す……。さぞかし強い穢れを招いてくれることでしょう。そして、その穢れが豊樹の郷へ……。今からあの小生意気な野蛮氏族どもがどのような醜態を見せるか、楽しみです。ヒ~ッヒヒヒヒ♪」
族長――カイーブは醜い笑みを浮かべ、一人悦に入る。
他の者は、いつもとあまりに違う族長の狂気じみた様子に震えた。同時に、自分たちが禁忌を犯してしまったのではないかという恐怖と後悔、そして自らの身に降りかかるかもしれない災いへの不安を抱くのだった。
第一章 おっとり刀で駆けつけますが何か!
「ふ~。やっと着いたか」
魔獣リッチの出現によって起きた『魔獣騒動』が終息し、故郷である豊樹の郷に向けて翼竜街を発った俺――ルークス・フォルモートンは、ようやく途中の響鎚の郷に到着した。そして今、土壁の翼竜街とも、丸太造りの我が故郷豊樹の郷とも異なる、石造りの家々が建ち並ぶ郷の中を、一軒の家に向かって歩を進めている。
翼竜街には幼馴染のリリス・アーウィンがいた。久しぶりに彼女に会いたかったのだが、騒動が一段落したときには、豊樹の郷からの使者を名乗る者とともに、帰郷してしまっていた。
俺としては、すぐにでもリリスの後を追いたかった。しかし、翼竜街までの道中で数多の魔獣を斬ったために、使用していたバスタードソードが鞘に収まらないほど歪み、刃こぼれもひどく使えなくなっていた。
翼竜街周辺から魔獣が消えたことは確認されていたが、豊樹の郷までの道中の確認は取れておらず、魔獣に遭遇しない保証はない。
だから、使用に耐えられないと分かっているバスタードソードで旅立つことは、あまりにも無謀だと断念せざるを得なかった。
そもそも、俺が愛用していたバスタードソードは、響鎚の郷で『鍛冶総取締役』の任についている名匠ダンカン・モアッレが鍛えた業物だった。
本来、俺のような未熟者が手にしていい武具ではない。だが、我が親父殿が豊樹の郷の『郷守役』を務めていた縁で、俺は幼い頃からダンカン殿の知遇を得ていた。そんな経緯もあり、俺が豊樹の郷の『郷守若頭』に任じられた際、祝いの言葉とともにこのバスタードソードが贈られたのだ。
そんな武具を、数多の魔獣を斬り伏せたとはいえ、武具の体をなさなくなるほど歪めてしまったのは、ひとえに己の技量不足以外の何物でもなく、ただただ、そのことを悔いていたのだが――
街中で起きた妖精族による鍛冶師襲撃事件で知りあった亜人(?)の鍛冶師・津田驍廣殿と竜人族(?)の紫慧紗殿に、歪めてしまったバスタードソードを打ち直してもらえることになった。
いや、驍廣殿はただ打ち直すのではなく、今まで見たこともないような手法を用いて、バスタードソードを生まれ変わらせたのだ。
強度を上げた上に、もともと付与されていたエアリエルに加えて、スキアを付与してくれた。おまけに、精獣まで宿っている。
俺は、生まれ変わったバスタードソードを手に、ようやく豊樹の郷への帰路についたのだが、途中で響鎚の郷にも寄ることにした。
目的は、ダンカン殿に、武具を十全に使いこなせずに破損させてしまったことを謝罪し、新たに生まれ変わったバスタードソード――ウルヴァリンを見てもらうため。
道中、不思議なことに、騒動後の翼竜街周辺では一切見かけなかった魔獣が、翼竜街を離れるにつれて徐々に姿を現すようになった。
特に、天樹国のある輪状山脈山麓に足を踏み入れた途端、魔獣は急激に増えた。魔獣騒動時のシュバルツティーフェの森とまではいかなくとも、普段では考えられないような遭遇回数だった。
これまでの俺の技量では、とても一人では切り抜けることができず、一度街に戻って討伐隊を組むなどしなければならなかっただろう。
しかし、驍廣殿の鍛えたバスタードソードは恐ろしいほどの斬撃力を発揮し、ただの一太刀にて全ての魔獣を斬り伏せてしまった。あの四腕熊でさえ、胴体へ横一文字にバスタードソードを振り抜けば、それだけで上半身と下半身がまっぷたつになったほどだ。
また、バスタードソードに付与された闇と風の精霊力が、俺の行使する精霊術を補助してくれる。おかげで、焼狸のような群れを成す魔獣と遭遇しても、これまでなら五射が限界だった風精霊術のヴィントプファイルシーセンが二十射も放つことが可能となり、一度に殲滅できた。
だが戦いの後はなかなか悲惨な光景になるので、自分のしたことながら、呆然とすることもしばしばだった。ただその度に、バスタードソードに宿った精獣・貂熊のウルヴァリンが姿を現し、
「なにを呆けておる! しっかりせぬか!!」
と、容赦のない言葉で叱り飛ばし、正気に戻してくれる。
おかげで、俺は身の危険を感じることなく(幾度となく心は折れそうになったが……)響鎚の郷へ辿り着くことができた。
ダンカン殿の住居兼鍛冶場に向かって、石造りの家が建ち並ぶ道を歩く中、郷に広がる妙な気配を感じていた。
歩きながらそれとなく周囲に目線を走らせて正体を探ると、それは家々の窓や物陰から向けられる郷民たちの視線だった。
元々、我らダークエルフ氏族は、天樹国に住むハイエルフ氏族をはじめとした妖精族の多くから、嫌悪とまではいかなくとも色眼鏡で見られることが多い。
理由は、多くの妖精族が生活の糧を森の木々からの採取によって得ているのに対し、我らダークエルフ氏族は森に住む動物や鳥を狩る――狩猟によって得ていたからだ。動物や鳥に向けている刃をいつか自分たちにも向けるのでは(?)、という恐れを抱かれてきたからだ。
もちろん、俺たちダークエルフ氏族が同朋たる妖精族の仲間たちに刃を向けることなど、あり得ない話なのだが。
しかし、そんな妖精族の中にあって、ドワーフ氏族とは良好な関係を築いていた。
ドワーフ氏族が、生活の糧を狩猟や採取ではなく、自分たちが作り出した武具、防具、そして机や椅子のような生活雑貨などの交易で得ていたからだ。
当然、その交易相手にはダークエルフ氏族も含まれていた。しかも、お互いの郷が近くにあったこともあって、関係は他の氏族よりも深い……はずだった。
そんなドワーフ氏族の郷――ここ響鎚の郷で注がれている視線は、これまでの良好な関係が嘘のような冷たいものだった。
居心地の悪さを感じつつ、早足に目的の家へと向かう。そこは、『鍛冶総取締役』という大きな肩書を持つ者が住むにはあまりにも僻地にあった。郷の中心部から離れており、周りに他の家が一軒も建っていない。
しかし、こんな見るからに寂しげな場所に建っているにもかかわらず、俺にはこの家だけが響鎚の郷の中で唯一、明るく温かい火を灯しているように感じられた。
「ごめんください。ダンカン・モアッレ殿はご在宅ですか?」
コンコンと、重たそうな木の扉を指で叩いて声をかけたものの、中から反応はない。聞こえなかったのかと、今度は拳で強めに叩く。
――ドンドン!!
「すみません! ダンカン殿!! ダンカン殿はご在宅でしょうか!?」
声をひときわ大きくした。すると――
「やかましい! 聞こえておる、ちょっと待っておれ!!」
銅鑼声が返ってきたかと思うと、勢いよく扉が開かれた。
現れたのは、髪や髭に白いものが交じるものの、巌のような体躯の初老のドワーフ氏族。
「誰じゃ一体……うん? お主はアルヴィラ……にしては若いのぉ。何者じゃ?」
俺は綻ぶ顔をなんとか引き締めた。
「お初にお目にかかります。豊樹の郷で郷守若頭を務めております、ルークス・フォルモートンと申します」
「ほ~、豊樹の郷のルークス・フォルモートンのぉ……フォルモートン? フォルモートンといえば、アルヴィラも確か……」
「はい! アルヴィラ・フォルモートンは、我が父です!」
「おお! どうりでアルヴィラのやつに似ておるわけだ。あやつの息子かあ♪ そうかそうか、よく来たのぉ……っと立ち話もなんだ、中に入りなさい。といっても、今家には儂しかおらんから、たいしたもてなしはできんがな」
ダンカン殿はそう言うと、俺の裾を掴み、強引に家の中へ引っ張り入れた。そして、チラリと外を確認してから扉を閉める。俺がその様子に眉を顰めると、彼は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「――さあ、ここに座ってくれ。すまんのぉ、輝樹の郷から戻ってきてからというもの、どうも郷がおかしな様子でなあ。特にお主らダークエルフ氏族の者が来ると、郷の中に殺気にも似た不穏な空気が漂うのだ。一体なにがどうなっているのやら……おっと、お主に聞かせるようなことではなかったのぉ。で、豊樹の郷の郷守役であるアルヴィラ殿のご子息が一人でいかがしたのだ?」
と、テーブルを挟み、対面の椅子に俺を座らせたダンカン殿が、早速本題に入った。
俺は姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「ダンカン殿。ダンカン殿は以前、我が父の依頼で一振りのバスタードソードを鍛えたことを覚えておいででしょうか?」
「アルヴィラ殿の依頼で? ……お~、確かに一振り鍛えたのぉ。アルヴィラ殿はダークエルフ氏族には珍しく、大振りのトゥバイハンダーの使い手だったはずだが、なにゆえバスタードソードをと思いつつ鍛えたのを覚えておるが……そうか! あのバスタードソードは、ご子息のためのものであったか。アルヴィラめ、そうならそうとちゃんと言わねば分からぬではないか! ご子息、すまなかったのぉ。もう少し儂がアルヴィラ殿を問い詰めていれば、よりご子息に合った武具にしたものを……それで、どうなのだ? やはり問題があったか?」
ダンカン殿は少し肩を落として尋ねてきたので、俺は慌てた。
「とんでもない! 俺なんかが扱っていいのかと戸惑うくらいに素晴らしい武具で、我が父から手渡されたときはどれほど嬉しかったか。実際、郷の近くに出現した魔獣と対峙したときも、ダンカン殿が鍛えてくれたバスタードソードのおかげで何度、命を拾ったことか。改めて感謝申しあげます」
そう告げ、俺は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げると、そこでようやく、ダンカン殿は安堵の笑みを浮かべた。
だが、それを見て、俺の心はズキンと痛んだ。これからその笑顔を再び曇らせてしまうようなことを口にしなければいけないのだから……
「ダンカン殿!」
「うん? なんだ?」
「実は、ダンカン殿にご報告すべきことがあるのですが……」
つい言い澱む俺を、ダンカン殿は優しげな表情のまま静かに待ってくれた。俺は、何回か深呼吸をした後に、腰に吊るしていたバスタードソードを鞘ごとテーブルの上に置いて――
「申し訳ありません! せっかくダンカン殿に鍛えていただいたバスタードソードを歪め、使いものにならない武具にしてしまいました!」
吐き出すように告げた俺の言葉に、ダンカン殿はピクリと額を動かしたあと、ゆっくり何回か頷いた。
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