鍛冶師ですが何か!

泣き虫黒鬼

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4巻

4-3

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 結局、彼の身柄は一旦いったん捕縛ほばくに手を貸してくれた討伐者たちに預けられた。彼らは、テルミーズが鍛冶師見習いとして翼竜街に訪れたことを報告するために、ギルドへ向かった。
 同行した討伐者とテルミーズから事情を聞いたギルドは、テルミーズに厳重な抗議と説教をし、加えて丸一昼夜ギルドに留め置き、衆人環視の中での猛省を求めた。
 翌日、鍛冶場にやって来たテルミーズは、ギルドでの疲労と羞恥しゅうちによって、哀れなほどにやつれていた。


 一方――テルミーズがギルドに向かうと、スミス爺さんは俺に、

「さてと、驍廣。これで鍛冶場に火も入ったことじゃし、早速、鍛冶仕事に掛かりたいところなんじゃが、お主はどうする?」

 と、不可思議な質問を投げかけてきた。俺はその意図が分からず、

「はあ? どうするって……もちろん、この鍛冶場で仕事をさせてもらえればと思っているけど……」

 もしかして、もうこの鍛冶場を使わしてくれないのか? やはり炉にいた火精霊サラマンダーエンにさせる過程でさなぎ状態にしてしまい、炉を使えなくしたことを怒っているのだろうか?
 そんな考えが脳裏をよぎり、俺は不安になったが――

「いや、わしはてっきり麗華嬢の武具を打ったら、他の鍛冶場に行くのかと思っておったのでな」

 逆に、爺さんはちょっとさびしそうに言った。

「ちょっと待ってくれ! そんなことあるはずがないだろ、何を言ってるんだ? い、いや、もちろん、爺さんの許しがあってのことなんだけど、俺としてはこの鍛冶場で仕事をしたいと思ってるんだ。それに次の注文も入ってるし……」

 そう言いながらアルディリアの方に目を向けると、彼女も大きくうなずいてくれていた。

「おお、そうか! それは重畳ちょうじょうじゃ♪ これからもわし驍廣たけひろ紫慧しえちゃんと三人で仕事が続けられるのじゃな。そうか、この鍛冶場も盛り上がるのぉ♪」

 喜色満面にホクホク顔になる爺さん。そんな爺さんに、アルディリアがおずおずと手を上げる。

「あの……ワタシもご一緒させていただきたいと……。ワタシはギルドから驍廣の『お目付け役』を申しつかりまして、金属鋼の調達など、これまでギルド生産窓口の担当職員としてつちかってきたものでお役に立てればと思っていますので……」

 そう打ち明けると、爺さんはギョロリと、アルディリアの目の奥に隠れる本心を探るようにのぞき込むが、次の瞬間――

「驍廣のお目付け役かぁ、まあ分からんでもないわい。コヤツは何をしでかすか分からぬヤツじゃからのぉ。好きにすると良い! これからは、わしらがギルドに出向かんでも、アルディリアに材料の調達や、できた武具の登録を任せられるということじゃな。その分鍛冶仕事に専念できるというわけじゃ。それはありがたいのぉ、よろしく頼むぞ!!」

 爺さんは、満面の笑みを浮かべて、歓迎の言葉を口にした。その言葉に、アルディリアは嬉しそうに微笑ほほえみ、

「はい! お任せください、良い材質の金属鋼や鉱石を取り寄せ、鍛造たんぞう武具の登録も迅速じんそくに行います!!」

 と、胸をポンとたたいた。

「――話がまとまってきたところで悪いのじゃが……驍廣お主、体は万全なのか?」

 ふいに発したフウの言葉に、全員の視線が俺に……というか、俺の体に集中する。
 一瞬何のことを言われているのか分からなかった。だが、彼らの視線と、隣にいる紫慧とアルディリアの手が今も俺の体を支えるようにえられている状況に、一季いっき近くも寝込んで、筋肉がおとろえてしまったことを思い出した。
 しかも、筋肉だけでなく体力も落ちてしまっているようで、朝に月乃輪亭を出てから、耀家邸宅にギルド、そして鍛冶場まで歩いただけで、体が重く疲労感が半端はんぱなかった。
 試しに鍛冶場に置いてある俺専用の鍛冶鎚かじつち――戦鎚ピウスボースを振ってみようと手にしたが、床からわずかに浮くだけで、振り上げることはできず、ショックで目の前が真っ暗になる。
 そんな俺の様子を扉の外から眺めていたサビオが、

「だいぶ体力が落ちておるようじゃな。どうじゃ驍廣、わしとともに森で元の体に戻すための『体作り』をしてみぬか?」

 と、いきなり提案をしてきた……
 結果的に、サビオからの提案は実にありがたいものだった。というのも、もしサビオからの提案がなければ、俺の体力・筋力回復は大幅に遅れ、鍛冶仕事への復帰は相当遅れていただろうと思うからだ。
 なぜ俺がそう考えたかといえば、目を覚ましてから片時かたときも俺のそばから離れようとしない紫慧とアルディリアに由来する。
 彼女たちは、体力が落ちている俺の身を案じてなのか、なんでも俺の代わりにしてくれていた。
 朝食も食堂から持ってきてくれるし、一季いっきもの間寝ていたために伸びた手足のつめも切ってくれる。少しでもふらつこうものなら、両脇を抱えて部屋に戻り休めと言い、しまいには、俺の代わりに便所に行くとまで言い出したため、危うく漏れそうになるところを、二人の手を振りほどいて便所に飛び込む破目になる始末だった。
 心配してくれるのはありがたいが、いくらなんでも過保護過ぎる二人に脇を固められていては、満足な体作りは難しかった。
 確かに、俺の体を心配する紫慧やアルディリアにしてみれば、まだ床上げをしたばかりなのだから、ゆっくりと養生しつつ、体力の回復に努めた方が良いと考えてのことかもしれない。だが、俺としては一刻も早く鍛冶仕事に復帰し、鍛冶師としての腕をふるいたかったのだ。
 それに、元々現世では、夏休みのような長期休暇になると、津武つぶ師匠ししょうとともに山にこもり、体力強化と、道場ではできない自然の中での戦い方の修練をしたりしていた。おかげで、立ち合いの際、技のえでは俺よりも何枚も上の雅美まさみに、山でつちかった体力と対応力でなんとか互角に渡り合うことができた。もし山での修練がなかったら、俺はいつまでも雅美に苦渋くじゅうめさせられていたと思う。
 そんな経験もあって、山と森との違いはあるものの、自然の中で賢猪けんししサビオを相手に体力作りができるとなれば、願ったりかなったりだった……。だが、なぜか俺の周りにはいつものメンバーが揃い、まるで遊興ピクニックにでも来たかのように、楽しそうにおしゃべりをしながら野営の準備をしていた。
 サビオは分かる。俺に森での体力作りを勧めた張本人だから、いて当たり前だろう。
 また、紫慧とアルディリアは仕方ない。俺が目を覚ましてからの行動を考えたら、ついてくるなと言ったところで無駄だ。実際、「街で待っていて……」と俺が口にした瞬間――
 紫慧には、俺の作務衣さむえすそつかみ涙目で、

「ボク、邪魔なの?」

 と、上目づかいで言われ――
 アルディリアには般若はんにゃ形相ぎょうそうで胸ぐらをつかまれて、

「ワタシは驍の『お目付け役』だと言っただろう!」

 とすごまれてしまい、最後まで言葉が続けられなかった。
 しかし、麗華レイカ、レアン、スミス爺さんに、テルミーズまでが一緒とは……
 ……このおかしな状況を少し整理してみよう。


 朝、体作りの準備を整え、鎖帷子くさりかたびら牙流武ガルムの鎧)をまとい、その上に作務衣さむえ羽織はおった俺は、「行ってきます」と女将おかみのウルスさんに挨拶あいさつをして(女将おかみさんには昨夜の内に説明済み)月乃輪亭の扉を開けた。するとそこには、修練服の上に簡易的な裲襠甲りょうとうこうまとい、その上に上着を羽織はおるといった旅装に、突角ベルセホルンを背負った麗華、それと、風鼬フェンユウを腰にるしたレアンがニコニコ笑いながら待っていた。

「お、おはよう。麗華にレアン。どうしたんだこんな朝早くに二人して? もしかして、お前たちもこれからどこかへ出かけるところで、その前に挨拶あいさつに寄ってくれたのか?」

 待っていた二人に面食らいつつ、挨拶あいさつがてらたずねると、一層笑みを深めた麗華が、

「何言っているのですか? 貴方あなたたちにご一緒しようと思って準備を整えてきただけですわ」

 と言い放ち、隣のレアンは少し申し訳なさそうにしながらも、麗華の言葉にうなずいている。

「はあ? 『ご一緒しよう』って、俺は体作りに出かけるだけだぞ? そんな個人的なことに付き合ってお前らに何の意味があるんだ? 大体、麗華はこの街の、言うなればお姫様みたいなものだろう。そんなお偉いさんが一個人の用件にホイホイとついていっていいのかよ?」

 俺の言葉に、麗華は笑顔を消し、少し怒ったような表情でにらみつけ、

「むっ! その言い方は気に入りませんわ。別に領主の娘だからといって、何かをしてはならないと言われる筋合いはありません。大体わたくしたちは『あの』尋常じんじょうではない戦いをともにくぐり抜けてきた『仲間』ではなかったのですか? その仲間を置いて出かけるなんて、驍廣はいつからそんな薄情者になってしまったんですの」

 その言葉に合わせて、レアンも同じように『僕、怒ってます!』と言うようにほおふくらませて、無言のまま詰め寄ってくる。

「……分かった、分かったよ。俺が悪かった、一緒についてきたければ好きにしろ! だが、場所はシュバルツティーフェの森だ。魔獣騒動が収まったからといって、安全は保障されていないからな、注意してくれよ」

 仕方ないという風に俺が言うと、麗華はほこを収め、再び嬉しそうに表情をゆるめ、

「そうですか、ではよろしくお願いしますね。ちなみに知らないようなので教えて差し上げますが、今シュバルツティーフェの森に魔獣が現れる心配は一切ありませんわ。不死ノ王シュバイン』がたおされてから、森の中から魔気が消え去り、今この周辺で最も清浄な地になっているのですから。それに、驍廣が行う『体作り』がどのようなものか興味があります。とても楽しみですわ♪」

 麗華に満面の笑みを浮かべられて、俺は何も言えなくなってしまった。
 そんな俺に、牙流武は「主様……」と落胆らくたんするようにつぶやき、アルディリアには軽く肩をすくめて溜息ためいきをつかれ、フウやエン、それに紫慧に笑われてしまった。
 周りの反応にゲンナリしつつ街門に向かうと、今度はスミス爺さんと昨日の少年が立っていた……旅支度をして。襲いくる今日二回目の嫌な予感にほおをヒクつかせながら、声を掛けた。

「よ、よう。爺さんおはよう! 朝早くからそんな恰好かっこうをしてどこへ行くつもりだ? 街の討伐者や冒険者が爺さんの武具を待ってるんだろ?」
「おお、驍廣。いや、そのことなんじゃがなあ。お前さんも知っての通り、急に多くの注文が舞い込んできたじゃろう。じゃが、この一季いっきの間、炉に火が入らなかったせいで、わしも体力がおとろえてしまったようでな。これでは満足のいく武具は打てぬのでは、と心配になってのぉ。ついでじゃから、お前さんについていって、わしおとろえた体に活を入れようかと思ったのじゃ。それに、サビオ殿から聞いたのじゃが、森の奥に若返りの温泉がいておるらしくてのぉ、この際、体力回復・老化防止、あわよくば若返りをと思ってるんじゃ。はぁ~っはっはっはっは」

 大きな笑い声とともに、ご機嫌で爺さんは話してくれたのだが、俺にとっては厄介やっかいな連れが増えただけのことで……。これは、あれだな。昨日サビオからの提案があった時点で、全員が全員ついてくる気満々だったってことなんだな……
 その後、街門の外にいたサビオは、俺以外の有象無象うぞうむぞうが一緒にいることに対して特にとがめることもなく、さも当たり前のように、俺たちを森の奥深くに連れていってくれた。ということは、サビオも了承済みだったってことか。知らなかったのは、もしかして俺だけだったのかもしれない……
 ――以上。整理終わり!!
 そんなこんなで森に入った俺たちだったが、森の雰囲気ふんいきが以前訪れたとき(魔獣騒動時)から一変していた。深い森にもかかわらず、木々の間から木漏こもれ日が差し込み、清浄な空気と活力に満ちた樹木の精気があふれていたのには驚いた。
 森の空気を体中に吸い込み、俺たちはサビオおすすめの温泉がく湖近くに、野営地を定めた。
 体作り一日目は、野営地に着く頃には日が暮れはじめていたため、急いで野営の準備と夕食の支度に取りかかる。
 俺たち男性陣は、天幕テントの設営と、温泉のき出ている場所に仕切り板をもうけて脱衣場を作るといった、施設の充実を図る。一方の女性陣は木の実や野草を採取し、持ってきた干し肉などと一緒に鍋で煮込にこみ、簡単な野草のスープに森の果実という夕食を準備した。
 女性陣が夕食の準備を整える頃には、男性陣の作業も終わり、一同揃って鍋を囲む。
 計十名(フウとエンもちゃっかり座に加わっていた)のささやかなうたげだ。ここまでの行程と野営地設営の準備で一日中体を動かしていたので、皆旺盛おうせいな食欲を示し、大量に用意したはずの野草スープもあっと言う間に、俺たちの胃袋の中へと消えていった。


 ――食後、驍廣たちは紫慧のれた香草茶こうそうちゃ(サビオが教えてくれた、森に自生する天然の香草をれたものだ)を飲みながら、ゆるりとした時間を過ごす。そのうちに、あまりにおだやかな空気のせいか、それぞれが持つ武具に宿る精獣が姿を現した。
 レアンの持つナイフに宿る風をまとうイタチ――風鼬フェンユウは、レアンの頭や肩を飛び回り、陽気にはしゃぐ。
 麗華の五鈷杵型突撃槍ヴァジュラランスに宿る一角羚羊カモシカ――突角ベルセホルンは、自らの主の背後に寝そべり、麗華も突角ベルセホルンに寄りかかってくつろいでいる。
 紫慧のけんに宿る半獅子半魚シーライオン――海獅ハイルは、いぐるみのように紫慧に抱かれつつ皆の顔を眺める。
 スミス爺さんの戦鎚せんついに宿る野牛バッファロー――ピウスボースは、スミスと驍廣の間に寝そべって眠る。
 驍廣の防具――牙流武は、ピウスボースの反対側に座り、驍廣の肘掛ひじかけとなっていた。
 その様子に目をき、おだやかな気持ちでいられないのが、アルディリアとテルミーズ。
 二人とも鍛造たんぞう武具に関わってきただけに、そこに現れた者が何であるかはすぐに察しがついた。
 だが、普通なら一生に一度めぐり合えるかどうかと言われる命宿る武具や防具が、五つも一堂に会するのを目にするなど、考えられないことだった。
 もっとも、アルディリアは短いながらも驍廣に付き合ってきたおかげで、彼の周りでは常識外れなことが頻繁ひんぱんに起きるのだと分かり(あきらめ)はじめていたため、すぐに落ち着きを取り戻すことができた。だが、テルミーズはそうは行かず、ただただ驚くばかりで何も言えなくなっていた。
 のちにテルミーズは、この時のことを、師匠ししょうであるダッハートへの手紙にこう記している。
『お師匠ししょう様、果たしてお師匠ししょう様にこのとき僕が目にしたものを信じてもらえるでしょうか?
 お師匠ししょうの紹介で訪れたスミスおうの周りには、多数の命宿る武具が存在していたのです。
 しかも、その持ち主たちは英雄・勇者と呼ばれるような高名な者たちではなく、ごく普通の者、中には僕よりも明らかに年若い者までが所有していたのです。
 翼竜街の鍛冶場は、その規模においては我ら甲竜街の工房と比べるのがおこがましいほど小規模なものでしかありませんが、その場につどう鍛冶師の技量は、あなどれないものがあると言わざるを得ません』
 この手紙を読んだダッハートが、甲竜街に驍廣を招聘しょうへいするよう領主・擁掩ヨウエンの弟擁彗ヨウスイに強く進言することとなる。


 まったりとしたときが流れる中、ふいにスミス爺さんが――

「そういえば驍廣。お主の脇差に宿りし白いからすは姿を見せぬが、どうしたのじゃ?」

 居合せた武具・防具に宿る精獣が姿を現す中、まだ姿を現さない小鴉こがらすのことをたずねられ、俺は顔をしかめて頭をく。

「いや、実は『不死ノ王シュバイン』との戦いのとき、魔法の攻撃を小鴉でさばいていたんだけど、無理をさせ過ぎたせいで、切先が折れてしまって……」

 そう言いつつ、腰に差していた脇差をゆっくり抜くと、先端から約三分の一が折れて失われてしまった無残な姿が露わになる。同時に小鴉も、折れた片翼をダラリと地面に引きずるように垂らしている姿で現れた。その痛々しい姿に、紫慧やアルディリアが顔をしかめた。

「何とも痛々しい姿じゃのぉ……驍廣よ、体作りで元の力を取り戻したら、まずは小鴉脇差を打ち直してやらねばな。いつまでもその者にそのような姿をさせていてはいかんぞ。良いな!」

 スミス爺さんもまゆをひそめて、明日からの体作りへ向けて発破はっぱを掛けてくる。そんな爺さんに、俺も抜いた小鴉に視線を落としながら、

「ああ、俺もそのつもりだよ。とりあえず基本に立ち返って、自分の体と相談しながら、しっかり鍛えていこうと思っているよ!」

 と、力強く返事をする。すると――

「大丈夫じゃ! 多少無理をして体が悲鳴を上げても、ここの温泉に浸かれば、翌日には疲れは消え、体作りによって生じた痛みもなくなっておるじゃろう。存分に鍛えると良い!!」

 サビオがそう太鼓判たいこばんを押してくれたが『無理をして、体が悲鳴を上げても大丈夫』との言葉を聞いて、他の者たちが嬉しそうにニヤリと笑みを浮かべる姿に、俺は言い知れぬ悪寒おかんを感じた。


 翌日、他のみんなが朝食を用意してくれている中、俺はサビオとレアンとともにどのくらい体がおとろえているのか確認しつつ、体作りに向けて体を温めておこうと、朝日の降り注ぐ森の中を走ることにした。
 森の中は当たり前のように雑草や灌木かんぼくが生いしげり、それらが足に絡みつき、走る俺たちの障害となったが、山籠やまごもりのときの経験から予想していたことなので、何とか対応することができた。しかし、体のおとろえはひどいもので、半刻(三十分くらい)も走らない内に大量の汗とともに息は上がり、一刻も走れば足がもつれる始末。
 一方、俺に付き合って一緒に走ってくれたレアンは、その身軽さをいかんなく発揮はっきして、灌木かんぼくのわずかな隙間すきまを見つけてはすり抜けていく。俺にはとても真似まねのできないような身のこなしで、森の中を楽しそうに駆けまわっていた。
 サビオの方は、その巨体では森の木々が行く手を邪魔し、さぞ走りにくいだろうと思っていた。だが、こちらは樹精霊ドリュアスに働きかけて、自分が通る瞬間だけ木々を自分の体に合わせて変形させていた。どうやら、欝蒼うっそうと生える森の木々は、サビオにとって何の障害にもならないようだ。
 野営地に戻ってきたとき、俺だけが滝のような汗を流し、息も絶え絶えといった情けない姿。対照的に、レアンやサビオは食前の良い運動をしたとでもいうような清々すがすがしい表情を浮かべていた。
 休憩きゅうけいを取りつつ、紫慧しえたちが用意してくれた朝食を馳走ちそうになる。それから、本格的な体作りを始めることにした。おとろえきっていた俺の体では、まずは走ることから始めなければどうにもならないだろうと、再び森の中を走ることに。そこで突然フウが、

「牙流武。驍廣たけひろ鍛錬たんれんのためじゃ、お主の鎧の重さを驍廣の限界まで増やしてやったらどうじゃ」

 などと言いだすものだから、牙流武は俺のまと鎖帷子くさりかたびらの重さを、立って走るのがやっとの重さにまで増やしてしまった。おかげで、俺の全身にかかる負担は、飛躍的に上がることとなり……


「ハァ~ハァ~、死んだぁ~」

 一日中森の中をサビオとレアンに叱咤激励しったげきれいされながら走り(と言っても、ほとんど歩いているのと変わらない速度だったが)、野営地に戻ってきて大の字になって倒れ込んだ。そこへフウがニヤニヤしながら近付いてきて、俺の顔をのぞき込む。

「ニャハッハッハッハ、一日目から良い鍛錬たんれんになったじゃろう。これを三、四日も続ければ、多少は足腰が鍛えられて、そのにぶった体も少しはマシになるはずじゃ。さあ、無様ぶざまに寝転がっておらんで、さっさと温泉にでも入ってくるが良い。レアン坊。ご苦労じゃが、驍廣と一緒に温泉に行って、こやつが温泉でおぼれんように付きってやってくれんか? 頼んだぞ」

 フウの好き勝手な言葉になぜだか、レアンも嬉しそうにうなずき、

「はい! フウ様。さあ驍廣さん、温泉に行きますよ!」

 と、大の字に寝転がっている俺の奥襟をつかみ、ズルズル引きずるようにして、湖の温泉へ連れていった。


「初日にしては激しい走り込みになったようじゃのぉ。で、どうじゃった、驍廣の様子は?」

 レアンに温泉に引きずられていく驍廣を見ながら、フウはサビオに問いかける。

「う~む……驍廣は一種の『化け物』じゃなあ。はじめこそ牙流武殿の重量と行く手をさえぎる森の木々に悪戦苦闘しておった。だが、かたわらを走るレアン坊やわしの姿を観察し、生来の負けず嫌いが出てきたのか、この場に戻り倒れ込むまで、泣き事一つ言わずに走っておったわ。しかも、野営地に帰りつく頃には、無意識に障害となる木々を避けるすべを身につけたようじゃった。このまま行けば、明日遅くとも明後日には、わしやレアンよりも上手に森の中を駆けめぐることができるに違いないぞ」

 半分あきれ半分感心といった様子で答えるサビオに、フウは目をいた。

「なっ! それは、予想より早く体作りが終わるかもしれぬということか? しかし、木々を避けるすべとは……」
「あれは多分、レアン坊の動きから学び取った体術の一種じゃろうな。わしは人族の体術に詳しくないから確かなことは言えぬが……ただ木々の隙間すきまうようにすり抜ける際などは、同じ側の手と足を一緒に前へ出すようにして体の幅を細くしたりと、なかなか興味深い動きを見せておったぞ」

 サビオが愉快そうに笑う。
 サビオの語った動きは、現世では俗に『ナンバ歩き』と呼ばれる動きで、特に驍廣のものは、長年の修練によって染みついている古武術『津武流』の動きだった。
 だが、驍廣はその動きを意識して選択したわけではない。おとろえた体で森の中を歩き疲労が蓄積されたため、現世や文殊界ウェンジュでの一般的な歩行方法(体をじり、その反動を使いつつリズミカルに体を前に進める歩行方法)よりも、古武術の歩行方法――体を傾けて前方に倒れ込もうとする力を利用し、倒れる前に足を出すことで前進する方が、の驍廣にとっては楽で、効率的だったにすぎない。
 ――サビオやフウは、そんなこととは知るはずもなく、

「ほ~。……そうか、ならばたった一日で随分と足腰のおとろえが解消されてきたとみてよいのかもしれんのぉ」

 などと言いながら、安堵あんどの表情を浮かべていた。もっとも、効率のいい楽な方法を選択していたとはいえ、一日中森の中を走っていたことに変わりはない。驍廣の体には十分な負荷がかかり、鍛えられていることに間違いはなかった。
 フウの言葉通り、翌日の森での走り込みは、前日とは様相を大きく変えていた。
 温泉に入って疲れを取り、紫慧たちが用意した食事を腹一杯詰め込んでぐっすりと睡眠すいみんを取った驍廣。彼は、前日と同じように、古武術の歩行方法を用いて森の中を駆け抜けていた。その速度は、隣で走るレアンに遅れることはない。むしろ鬱蒼うっそうとした木々の間をすり抜けるときなど、小刻みな踏み込みステップで抜けようとするレアンよりも、なめらかな動きで流れるように通る驍廣の方が楽に速く進めるようになっていった。
 結果、野営地に戻ってきたとき、前日とは逆に、疲れ果てて地面に伏すレアンを、昨日の仕返しとばかりに満面の笑みを浮かべた驍廣が奥襟をつかんで、引きずるように温泉へ連れていった……


「驍廣や、昨日、一昨日と走り、お主も随分と森での走りに慣れて、余裕が出てきたようじゃな。そんなお主に、昨日と同じように森の中をただ走れと言うのでは芸がないと思ってなあ、今日は少し違った手法を取ってみようかと思うのじゃが、どうじゃ?」

 軽いジョギングの後で朝食を取っていると、笑みを浮かべたサビオから唐突に告げられた言葉に、俺は嫌な予感がした。なにしろ、俺以外、この場にいる者全員が同じような笑みを浮かべ、俺を注視していたからだ。

「幸い、この場には動きの速そうな者が揃っておる。今日からは、この者たちに手を貸してもらい『追いかけっこ』をしようと思う。なに、驍廣のやることは昨日までとなんら変わらぬ。ただ森の中を走っておれば良いだけじゃ。その他の者たちは悪いのじゃが、驍廣の後ろを追走しつつ、追いつけそうになったら、手にする武具で驍廣に『』を入れてやって欲しいのじゃ。もちろん、武具を持って走ればそれ相応に疲れてくるじゃろう。そのときは遠慮はいらぬ、わしの背に乗って休憩きゅうけいを取るが良い。ただし、驍廣を休ませぬように、常に一人は驍廣を追走し続けるのじゃ。頼むぞ!」

 サビオは、とんでもないことを口にした。この言葉を耳にした麗華レイカは、目を爛々らんらんと輝かせて、

「サビオ様、それは驍廣を『獲物』に見立てて『狩り立てる』と思っても良いのでしょうか?」

 と、嬉しそうに言う。すると、サビオは一瞬逡巡しゅんじゅんした後、大きくうなずいて――

「う~む、まあそう思ってもらって構わんじゃろう。活を入れられると思うよりも、狩り立てられていると感じた方が、驍廣にとっても緊張感を持って走ることができるだろうしのぉ」

 なんてことを言うものだから、麗華は悪戯いたずらっ子が良い玩具おもちゃを手にしたときのような満面の笑みを浮かべて、今にもしためずりをしそうな様子で握りこぶしを作り、

「分かりましたわ。これもと心を鬼にして、この苦行を全うして見せますわ!」

 と、言い放ちやがった。彼女のかたわらにいた紫慧とアルディリアも、満更まんざらではない表情でいるところを見ると、昨日一昨日と野営地に放置されていたのがよほど面白くなかったのだろう。
 レアンやサビオに促されて森へと走り出す俺を、心配そうに見つつ、何か言いたそうにしていた二人。きっと、一季いっきもの間眠る俺を看病かんびょうしていた流れから、体作りの際にも当然俺から声が掛かると思っていただろう。それなのに、俺はサビオやレアンと勝手に体作りを始めてしまった。放置(したつもりはないが……)されていた二日の間に、俺への不満がまっていたようだ。
 そこへ、サビオから一応、俺の体作りへの協力要請が告げられて、乗り気にならないはずがない。
 ――この日から、地獄の追いかけっこが始まった。


「ハァ、ハァ、ハァ……こ、このっ。こっちは、床上げしてからまだ五日しか経っていないってのに、いい加減にしろよ!」

 思わず悪態を口にした俺は、激しい鼓動こどうを静めるべく少しでも酸素を肺へ送り込もうと、あえぐように呼吸を繰り返した。同時に、この状態へと追い込んだ連中に、うらみのこもった視線をぶつけようとにらみつける。だが、彼らは俺の視線からのがれるように明後日あさっての方向を向き、自分は関係ないとばかりに知らん顔をする。
 そんな顔をしたところで無駄なのは分かっているだろうが、この場には『被害者』と『加害者その他大勢』しかおらず、俺がそれ以上は声を上げなかったため、そのことに言及する者はいなかった。
 サビオの提案により、俺が休まないように、そしてより大きな負荷が掛かるようにと始められた『追いかけっこ』だったが、追いかけっことは名ばかりのまさに『俺狩り』だった。
 俺よりも森に適応しているレアンは、前を走る俺に追いつくたびに、

「何をのんびり走っているんですか? もっと本気で足を動かして!」
「本当に愚図ぐずですねえ、そんなことで鍛冶仕事ができるんですか? 走って走って!」

 などとなじってくる。俺はその言葉に発奮はっぷんして、レアンに追いつかれないように森の中を走っていた。それでも、レアンが後ろからき立てている内はまだ良かったのだ。
 ところが、レアンが休憩きゅうけいを取るためにサビオの背に乗り、代わりに麗華が俺を追いかけはじめてから、状況は一変する。
 麗華は翼から竜気りゅうきを放出し、一直線に突き進む、突進力はずば抜けている。だが、その動きは木々の立ち並ぶ森の中で通用するわけがないと、高をくくっていたことが間違いだった。
 サビオの背から降りた麗華は、いきなり背負っていた突角ベルセホルンさやから抜き、切先を俺に向けて構えたかと思うと、立ちふさがる木々などお構いなしに突撃を敢行かんこうしやがった。
 麗華と俺の間にあった木々は、突進してくる突角ベルセホルンの切先によって爆散し、彼女は突角ベルセホルンをそのまま俺の胸元目掛け突き立てようとしてきたのだ。
 最初の一撃を、驚きつつもすんでのところでかわすと、あろうことか麗華の奴は、

「……かわしたか。ですが次こそは……」

 などとつぶやき、再び突角ベルセホルンを構えて突進してきやがった。避けそこなえば、大怪我けがどころか命の危険すらあるような行為を平然とする。その上、そんな麗華を誰も止めようとしない。
 筋力が落ちたため膂力りょりょくが低下し、おまけに腰に差す小鴉は折れてしまっている状態の俺が、この麗華の行為から身を守るには、ただひたすらに逃げるしかなかった。
 しかも、俺は森の木々を斬り倒すすべを持っていないから、進むにはすり抜けるしかないが、そんな俺を嘲笑あざわらうかのように、麗華は最短距離を一直線に直進してくる。おかげで、ガンガンと体力を消耗しょうもうしていった。それでも、足を止めたが最後、麗華の突角ベルセホルン餌食えじきになってしまうのではないかという恐怖から、俺は足を動かし続けるしかなかった。
 もちろん、その身の宿す竜気りゅうきの容量が大きい竜人族とはいえ、無尽蔵むじんぞうにあるわけではない。一刻もしない内に、麗華はサビオの背の上に戻っていった。これで一息つける……かと思ったのだが、そんな俺の甘い考えを打ちくだくように、サビオの背から放たれたアルディリアの投小剣スローイングダガーが、ほおかすめた。
 表皮を薄く切るようにかすめた投小剣スローイングダガーに驚いて向けた視線の先には、右手で投小剣スローイングダガーもてあそびながら般若はんにゃのような表情をしたアルディリアが……
 脱兎だっとのごとく逃げ出した俺に非はないと思う。
 だが、アルディリアにしてみれば、自分の顔を見て血相を変えて駆け出した俺の行動が面白いはずはない。サビオに乗ったまま、彼女は少しでも俺の足がにぶると、容赦ようしゃなくほおや足元に向けて投小剣スローイングダガーを飛ばし、そのたびに俺は激しく足を動かすこととなった。
 そして、最後に満を持してサビオの背から降りたのが、紫慧だった。


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