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4巻
4-3
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結局、彼の身柄は一旦、捕縛に手を貸してくれた討伐者たちに預けられた。彼らは、テルミーズが鍛冶師見習いとして翼竜街に訪れたことを報告するために、ギルドへ向かった。
同行した討伐者とテルミーズから事情を聞いたギルドは、テルミーズに厳重な抗議と説教をし、加えて丸一昼夜ギルドに留め置き、衆人環視の中での猛省を求めた。
翌日、鍛冶場にやって来たテルミーズは、ギルドでの疲労と羞恥によって、哀れなほどにやつれていた。
一方――テルミーズがギルドに向かうと、スミス爺さんは俺に、
「さてと、驍廣。これで鍛冶場に火も入ったことじゃし、早速、鍛冶仕事に掛かりたいところなんじゃが、お主はどうする?」
と、不可思議な質問を投げかけてきた。俺はその意図が分からず、
「はあ? どうするって……もちろん、この鍛冶場で仕事をさせてもらえればと思っているけど……」
もしかして、もうこの鍛冶場を使わしてくれないのか? やはり炉にいた火精霊を炎にさせる過程で蛹状態にしてしまい、炉を使えなくしたことを怒っているのだろうか?
そんな考えが脳裏をよぎり、俺は不安になったが――
「いや、儂はてっきり麗華嬢の武具を打ったら、他の鍛冶場に行くのかと思っておったのでな」
逆に、爺さんはちょっと寂しそうに言った。
「ちょっと待ってくれ! そんなことあるはずがないだろ、何を言ってるんだ? い、いや、もちろん、爺さんの許しがあってのことなんだけど、俺としてはこの鍛冶場で仕事をしたいと思ってるんだ。それに次の注文も入ってるし……」
そう言いながらアルディリアの方に目を向けると、彼女も大きく頷いてくれていた。
「おお、そうか! それは重畳じゃ♪ これからも儂に驍廣、紫慧ちゃんと三人で仕事が続けられるのじゃな。そうか、この鍛冶場も盛り上がるのぉ♪」
喜色満面にホクホク顔になる爺さん。そんな爺さんに、アルディリアがおずおずと手を上げる。
「あの……ワタシもご一緒させていただきたいと……。ワタシはギルドから驍廣の『お目付け役』を申しつかりまして、金属鋼の調達など、これまでギルド生産窓口の担当職員として培ってきたものでお役に立てればと思っていますので……」
そう打ち明けると、爺さんはギョロリと、アルディリアの目の奥に隠れる本心を探るように覗き込むが、次の瞬間――
「驍廣のお目付け役かぁ、まあ分からんでもないわい。コヤツは何をしでかすか分からぬヤツじゃからのぉ。好きにすると良い! これからは、儂らがギルドに出向かんでも、アルディリアに材料の調達や、できた武具の登録を任せられるということじゃな。その分鍛冶仕事に専念できるというわけじゃ。それはありがたいのぉ、よろしく頼むぞ!!」
爺さんは、満面の笑みを浮かべて、歓迎の言葉を口にした。その言葉に、アルディリアは嬉しそうに微笑み、
「はい! お任せください、良い材質の金属鋼や鉱石を取り寄せ、鍛造武具の登録も迅速に行います!!」
と、胸をポンと叩いた。
「――話が纏まってきたところで悪いのじゃが……驍廣お主、体は万全なのか?」
ふいに発したフウの言葉に、全員の視線が俺に……というか、俺の体に集中する。
一瞬何のことを言われているのか分からなかった。だが、彼らの視線と、隣にいる紫慧とアルディリアの手が今も俺の体を支えるように添えられている状況に、一季近くも寝込んで、筋肉が衰えてしまったことを思い出した。
しかも、筋肉だけでなく体力も落ちてしまっているようで、朝に月乃輪亭を出てから、耀家邸宅にギルド、そして鍛冶場まで歩いただけで、体が重く疲労感が半端なかった。
試しに鍛冶場に置いてある俺専用の鍛冶鎚――戦鎚を振ってみようと手にしたが、床からわずかに浮くだけで、振り上げることはできず、ショックで目の前が真っ暗になる。
そんな俺の様子を扉の外から眺めていたサビオが、
「だいぶ体力が落ちておるようじゃな。どうじゃ驍廣、儂とともに森で元の体に戻すための『体作り』をしてみぬか?」
と、いきなり提案をしてきた……
結果的に、サビオからの提案は実にありがたいものだった。というのも、もしサビオからの提案がなければ、俺の体力・筋力回復は大幅に遅れ、鍛冶仕事への復帰は相当遅れていただろうと思うからだ。
なぜ俺がそう考えたかといえば、目を覚ましてから片時も俺の傍から離れようとしない紫慧とアルディリアに由来する。
彼女たちは、体力が落ちている俺の身を案じてなのか、なんでも俺の代わりにしてくれていた。
朝食も食堂から持ってきてくれるし、一季もの間寝ていたために伸びた手足の爪も切ってくれる。少しでもふらつこうものなら、両脇を抱えて部屋に戻り休めと言い、しまいには、俺の代わりに便所に行くとまで言い出したため、危うく漏れそうになるところを、二人の手を振りほどいて便所に飛び込む破目になる始末だった。
心配してくれるのはありがたいが、いくらなんでも過保護過ぎる二人に脇を固められていては、満足な体作りは難しかった。
確かに、俺の体を心配する紫慧やアルディリアにしてみれば、まだ床上げをしたばかりなのだから、ゆっくりと養生しつつ、体力の回復に努めた方が良いと考えてのことかもしれない。だが、俺としては一刻も早く鍛冶仕事に復帰し、鍛冶師としての腕を揮いたかったのだ。
それに、元々現世では、夏休みのような長期休暇になると、津武の師匠とともに山に籠り、体力強化と、道場ではできない自然の中での戦い方の修練をしたりしていた。おかげで、立ち合いの際、技の冴えでは俺よりも何枚も上の雅美に、山で培った体力と対応力でなんとか互角に渡り合うことができた。もし山での修練がなかったら、俺はいつまでも雅美に苦渋を舐めさせられていたと思う。
そんな経験もあって、山と森との違いはあるものの、自然の中で賢猪サビオを相手に体力作りができるとなれば、願ったり叶ったりだった……。だが、なぜか俺の周りにはいつものメンバーが揃い、まるで遊興にでも来たかのように、楽しそうにお喋りをしながら野営の準備をしていた。
サビオは分かる。俺に森での体力作りを勧めた張本人だから、いて当たり前だろう。
また、紫慧とアルディリアは仕方ない。俺が目を覚ましてからの行動を考えたら、ついてくるなと言ったところで無駄だ。実際、「街で待っていて……」と俺が口にした瞬間――
紫慧には、俺の作務衣の裾を掴み涙目で、
「ボク、邪魔なの?」
と、上目づかいで言われ――
アルディリアには般若の形相で胸ぐらを掴まれて、
「ワタシは驍の『お目付け役』だと言っただろう!」
と凄まれてしまい、最後まで言葉が続けられなかった。
しかし、麗華、レアン、スミス爺さんに、テルミーズまでが一緒とは……
……このおかしな状況を少し整理してみよう。
朝、体作りの準備を整え、鎖帷子(牙流武の鎧)を纏い、その上に作務衣を羽織った俺は、「行ってきます」と女将のウルスさんに挨拶をして(女将さんには昨夜の内に説明済み)月乃輪亭の扉を開けた。するとそこには、修練服の上に簡易的な裲襠甲を纏い、その上に上着を羽織るといった旅装に、突角を背負った麗華、それと、風鼬を腰に吊るしたレアンがニコニコ笑いながら待っていた。
「お、おはよう。麗華にレアン。どうしたんだこんな朝早くに二人して? もしかして、お前たちもこれからどこかへ出かけるところで、その前に挨拶に寄ってくれたのか?」
待っていた二人に面食らいつつ、挨拶がてら尋ねると、一層笑みを深めた麗華が、
「何言っているのですか? 貴方たちにご一緒しようと思って準備を整えてきただけですわ」
と言い放ち、隣のレアンは少し申し訳なさそうにしながらも、麗華の言葉に頷いている。
「はあ? 『ご一緒しよう』って、俺は体作りに出かけるだけだぞ? そんな個人的なことに付き合ってお前らに何の意味があるんだ? 大体、麗華はこの街の、言うなればお姫様みたいなものだろう。そんなお偉いさんが一個人の用件にホイホイとついていっていいのかよ?」
俺の言葉に、麗華は笑顔を消し、少し怒ったような表情で睨みつけ、
「むっ! その言い方は気に入りませんわ。別に領主の娘だからといって、何かをしてはならないと言われる筋合いはありません。大体わたくしたちは『あの』尋常ではない戦いをともに潜り抜けてきた『仲間』ではなかったのですか? その仲間を置いて出かけるなんて、驍廣はいつからそんな薄情者になってしまったんですの」
その言葉に合わせて、レアンも同じように『僕、怒ってます!』と言うように頬を膨らませて、無言のまま詰め寄ってくる。
「……分かった、分かったよ。俺が悪かった、一緒についてきたければ好きにしろ! だが、場所はシュバルツティーフェの森だ。魔獣騒動が収まったからといって、安全は保障されていないからな、注意してくれよ」
仕方ないという風に俺が言うと、麗華は矛を収め、再び嬉しそうに表情を緩め、
「そうですか、ではよろしくお願いしますね。ちなみに知らないようなので教えて差し上げますが、今シュバルツティーフェの森に魔獣が現れる心配は一切ありませんわ。どういうわけか『不死ノ王』が斃されてから、森の中から魔気が消え去り、今この周辺で最も清浄な地になっているのですから。それに、驍廣が行う『体作り』がどのようなものか興味があります。とても楽しみですわ♪」
麗華に満面の笑みを浮かべられて、俺は何も言えなくなってしまった。
そんな俺に、牙流武は「主様……」と落胆するように呟き、アルディリアには軽く肩をすくめて溜息をつかれ、フウや炎、それに紫慧に笑われてしまった。
周りの反応にゲンナリしつつ街門に向かうと、今度はスミス爺さんと昨日の少年が立っていた……旅支度をして。襲いくる今日二回目の嫌な予感に頬をヒクつかせながら、声を掛けた。
「よ、よう。爺さんおはよう! 朝早くからそんな恰好をしてどこへ行くつもりだ? 街の討伐者や冒険者が爺さんの武具を待ってるんだろ?」
「おお、驍廣。いや、そのことなんじゃがなあ。お前さんも知っての通り、急に多くの注文が舞い込んできたじゃろう。じゃが、この一季の間、炉に火が入らなかったせいで、儂も体力が衰えてしまったようでな。これでは満足のいく武具は打てぬのでは、と心配になってのぉ。ついでじゃから、お前さんについていって、儂も衰えた体に活を入れようかと思ったのじゃ。それに、サビオ殿から聞いたのじゃが、森の奥に若返りの温泉が湧いておるらしくてのぉ、この際、体力回復・老化防止、あわよくば若返りをと思ってるんじゃ。はぁ~っはっはっはっは」
大きな笑い声とともに、ご機嫌で爺さんは話してくれたのだが、俺にとっては厄介な連れが増えただけのことで……。これは、あれだな。昨日サビオからの提案があった時点で、全員が全員ついてくる気満々だったってことなんだな……
その後、街門の外にいたサビオは、俺以外の有象無象が一緒にいることに対して特に咎めることもなく、さも当たり前のように、俺たちを森の奥深くに連れていってくれた。ということは、サビオも了承済みだったってことか。知らなかったのは、もしかして俺だけだったのかもしれない……
――以上。整理終わり!!
そんなこんなで森に入った俺たちだったが、森の雰囲気が以前訪れたとき(魔獣騒動時)から一変していた。深い森にもかかわらず、木々の間から木漏れ日が差し込み、清浄な空気と活力に満ちた樹木の精気が溢れていたのには驚いた。
森の空気を体中に吸い込み、俺たちはサビオお薦めの温泉が湧く湖近くに、野営地を定めた。
体作り一日目は、野営地に着く頃には日が暮れはじめていたため、急いで野営の準備と夕食の支度に取りかかる。
俺たち男性陣は、天幕の設営と、温泉の湧き出ている場所に仕切り板を設けて脱衣場を作るといった、施設の充実を図る。一方の女性陣は木の実や野草を採取し、持ってきた干し肉などと一緒に鍋で煮込み、簡単な野草のスープに森の果実という夕食を準備した。
女性陣が夕食の準備を整える頃には、男性陣の作業も終わり、一同揃って鍋を囲む。
計十名(フウと炎もちゃっかり座に加わっていた)のささやかな宴だ。ここまでの行程と野営地設営の準備で一日中体を動かしていたので、皆旺盛な食欲を示し、大量に用意したはずの野草スープもあっと言う間に、俺たちの胃袋の中へと消えていった。
――食後、驍廣たちは紫慧の淹れた香草茶(サビオが教えてくれた、森に自生する天然の香草を淹れたものだ)を飲みながら、ゆるりとした時間を過ごす。そのうちに、あまりに穏やかな空気のせいか、それぞれが持つ武具に宿る精獣が姿を現した。
レアンの持つナイフに宿る風を纏うイタチ――風鼬は、レアンの頭や肩を飛び回り、陽気にはしゃぐ。
麗華の五鈷杵型突撃槍に宿る一角羚羊――突角は、自らの主の背後に寝そべり、麗華も突角に寄りかかって寛いでいる。
紫慧の圏に宿る半獅子半魚――海獅は、縫いぐるみのように紫慧に抱かれつつ皆の顔を眺める。
スミス爺さんの戦鎚に宿る野牛――ピウスボースは、スミスと驍廣の間に寝そべって眠る。
驍廣の防具――牙流武は、ピウスボースの反対側に座り、驍廣の肘掛けとなっていた。
その様子に目を剥き、穏やかな気持ちでいられないのが、アルディリアとテルミーズ。
二人とも鍛造武具に関わってきただけに、そこに現れた者が何であるかはすぐに察しがついた。
だが、普通なら一生に一度巡り合えるかどうかと言われる命宿る武具や防具が、五つも一堂に会するのを目にするなど、考えられないことだった。
もっとも、アルディリアは短いながらも驍廣に付き合ってきたおかげで、彼の周りでは常識外れなことが頻繁に起きるのだと分かり(諦め)はじめていたため、すぐに落ち着きを取り戻すことができた。だが、テルミーズはそうは行かず、ただただ驚くばかりで何も言えなくなっていた。
後にテルミーズは、この時のことを、師匠であるダッハートへの手紙にこう記している。
『お師匠様、果たしてお師匠様にこのとき僕が目にしたものを信じてもらえるでしょうか?
お師匠の紹介で訪れたスミス翁の周りには、多数の命宿る武具が存在していたのです。
しかも、その持ち主たちは英雄・勇者と呼ばれるような高名な者たちではなく、ごく普通の者、中には僕よりも明らかに年若い者までが所有していたのです。
翼竜街の鍛冶場は、その規模においては我ら甲竜街の工房と比べるのがおこがましいほど小規模なものでしかありませんが、その場に集う鍛冶師の技量は、侮れないものがあると言わざるを得ません』
この手紙を読んだダッハートが、甲竜街に驍廣を招聘するよう領主・擁掩の弟擁彗に強く進言することとなる。
まったりとした刻が流れる中、ふいにスミス爺さんが――
「そういえば驍廣。お主の脇差に宿りし白い鴉は姿を見せぬが、どうしたのじゃ?」
居合せた武具・防具に宿る精獣が姿を現す中、まだ姿を現さない小鴉のことを尋ねられ、俺は顔をしかめて頭を掻く。
「いや、実は『不死ノ王』との戦いのとき、魔法の攻撃を小鴉で捌いていたんだけど、無理をさせ過ぎたせいで、切先が折れてしまって……」
そう言いつつ、腰に差していた脇差をゆっくり抜くと、先端から約三分の一が折れて失われてしまった無残な姿が露わになる。同時に小鴉も、折れた片翼をダラリと地面に引きずるように垂らしている姿で現れた。その痛々しい姿に、紫慧やアルディリアが顔をしかめた。
「何とも痛々しい姿じゃのぉ……驍廣よ、体作りで元の力を取り戻したら、まずは小鴉を打ち直してやらねばな。いつまでもその者にそのような姿をさせていてはいかんぞ。良いな!」
スミス爺さんも眉をひそめて、明日からの体作りへ向けて発破を掛けてくる。そんな爺さんに、俺も抜いた小鴉に視線を落としながら、
「ああ、俺もそのつもりだよ。とりあえず基本に立ち返って、自分の体と相談しながら、しっかり鍛えていこうと思っているよ!」
と、力強く返事をする。すると――
「大丈夫じゃ! 多少無理をして体が悲鳴を上げても、ここの温泉に浸かれば、翌日には疲れは消え、体作りによって生じた痛みもなくなっておるじゃろう。存分に鍛えると良い!!」
サビオがそう太鼓判を押してくれたが『無理をして、体が悲鳴を上げても大丈夫』との言葉を聞いて、他の者たちが嬉しそうにニヤリと笑みを浮かべる姿に、俺は言い知れぬ悪寒を感じた。
翌日、他のみんなが朝食を用意してくれている中、俺はサビオとレアンとともにどのくらい体が衰えているのか確認しつつ、体作りに向けて体を温めておこうと、朝日の降り注ぐ森の中を走ることにした。
森の中は当たり前のように雑草や灌木が生い茂り、それらが足に絡みつき、走る俺たちの障害となったが、山籠もりのときの経験から予想していたことなので、何とか対応することができた。しかし、体の衰えはひどいもので、半刻(三十分くらい)も走らない内に大量の汗とともに息は上がり、一刻も走れば足がもつれる始末。
一方、俺に付き合って一緒に走ってくれたレアンは、その身軽さをいかんなく発揮して、灌木のわずかな隙間を見つけてはすり抜けていく。俺にはとても真似のできないような身のこなしで、森の中を楽しそうに駆けまわっていた。
サビオの方は、その巨体では森の木々が行く手を邪魔し、さぞ走りにくいだろうと思っていた。だが、こちらは樹精霊に働きかけて、自分が通る瞬間だけ木々を自分の体に合わせて変形させていた。どうやら、欝蒼と生える森の木々は、サビオにとって何の障害にもならないようだ。
野営地に戻ってきたとき、俺だけが滝のような汗を流し、息も絶え絶えといった情けない姿。対照的に、レアンやサビオは食前の良い運動をしたとでもいうような清々しい表情を浮かべていた。
休憩を取りつつ、紫慧たちが用意してくれた朝食を馳走になる。それから、本格的な体作りを始めることにした。衰えきっていた俺の体では、まずは走ることから始めなければどうにもならないだろうと、再び森の中を走ることに。そこで突然フウが、
「牙流武。驍廣の鍛錬のためじゃ、お主の鎧の重さを驍廣の限界まで増やしてやったらどうじゃ」
などと言いだすものだから、牙流武は俺の纏う鎖帷子の重さを、立って走るのがやっとの重さにまで増やしてしまった。おかげで、俺の全身にかかる負担は、飛躍的に上がることとなり……
「ハァ~ハァ~、死んだぁ~」
一日中森の中をサビオとレアンに叱咤激励されながら走り(と言っても、ほとんど歩いているのと変わらない速度だったが)、野営地に戻ってきて大の字になって倒れ込んだ。そこへフウがニヤニヤしながら近付いてきて、俺の顔を覗き込む。
「ニャハッハッハッハ、一日目から良い鍛錬になったじゃろう。これを三、四日も続ければ、多少は足腰が鍛えられて、その鈍った体も少しはマシになるはずじゃ。さあ、無様に寝転がっておらんで、さっさと温泉にでも入ってくるが良い。レアン坊。ご苦労じゃが、驍廣と一緒に温泉に行って、こやつが温泉で溺れんように付き添ってやってくれんか? 頼んだぞ」
フウの好き勝手な言葉になぜだか、レアンも嬉しそうに頷き、
「はい! フウ様。さあ驍廣さん、温泉に行きますよ!」
と、大の字に寝転がっている俺の奥襟を掴み、ズルズル引きずるようにして、湖の温泉へ連れていった。
「初日にしては激しい走り込みになったようじゃのぉ。で、どうじゃった、驍廣の様子は?」
レアンに温泉に引きずられていく驍廣を見ながら、フウはサビオに問いかける。
「う~む……驍廣は一種の『化け物』じゃなあ。はじめこそ牙流武殿の重量と行く手を遮る森の木々に悪戦苦闘しておった。だが、傍らを走るレアン坊や儂の姿を観察し、生来の負けず嫌いが出てきたのか、この場に戻り倒れ込むまで、泣き事一つ言わずに走っておったわ。しかも、野営地に帰りつく頃には、無意識に障害となる木々を避ける術を身につけたようじゃった。このまま行けば、明日遅くとも明後日には、儂やレアンよりも上手に森の中を駆け巡ることができるに違いないぞ」
半分呆れ半分感心といった様子で答えるサビオに、フウは目を剥いた。
「なっ! それは、予想より早く体作りが終わるかもしれぬということか? しかし、木々を避ける術とは……」
「あれは多分、レアン坊の動きから学び取った体術の一種じゃろうな。儂は人族の体術に詳しくないから確かなことは言えぬが……ただ木々の隙間を縫うようにすり抜ける際などは、同じ側の手と足を一緒に前へ出すようにして体の幅を細くしたりと、なかなか興味深い動きを見せておったぞ」
サビオが愉快そうに笑う。
サビオの語った動きは、現世では俗に『ナンバ歩き』と呼ばれる動きで、特に驍廣のものは、長年の修練によって染みついている古武術『津武流』の動きだった。
だが、驍廣はその動きを意識して選択したわけではない。衰えた体で森の中を歩き疲労が蓄積されたため、現世や文殊界での一般的な歩行方法(体を捻じり、その反動を使いつつリズミカルに体を前に進める歩行方法)よりも、古武術の歩行方法――体を傾けて前方に倒れ込もうとする力を利用し、倒れる前に足を出すことで前進する方が、今の驍廣にとっては楽で、効率的だったにすぎない。
――サビオやフウは、そんなこととは知るはずもなく、
「ほ~。……そうか、ならばたった一日で随分と足腰の衰えが解消されてきたとみてよいのかもしれんのぉ」
などと言いながら、安堵の表情を浮かべていた。もっとも、効率のいい楽な方法を選択していたとはいえ、一日中森の中を走っていたことに変わりはない。驍廣の体には十分な負荷がかかり、鍛えられていることに間違いはなかった。
フウの言葉通り、翌日の森での走り込みは、前日とは様相を大きく変えていた。
温泉に入って疲れを取り、紫慧たちが用意した食事を腹一杯詰め込んでぐっすりと睡眠を取った驍廣。彼は、前日と同じように、古武術の歩行方法を用いて森の中を駆け抜けていた。その速度は、隣で走るレアンに遅れることはない。むしろ鬱蒼とした木々の間をすり抜けるときなど、小刻みな踏み込みで抜けようとするレアンよりも、滑らかな動きで流れるように通る驍廣の方が楽に速く進めるようになっていった。
結果、野営地に戻ってきたとき、前日とは逆に、疲れ果てて地面に伏すレアンを、昨日の仕返しとばかりに満面の笑みを浮かべた驍廣が奥襟を掴んで、引きずるように温泉へ連れていった……
「驍廣や、昨日、一昨日と走り、お主も随分と森での走りに慣れて、余裕が出てきたようじゃな。そんなお主に、昨日と同じように森の中をただ走れと言うのでは芸がないと思ってなあ、今日は少し違った手法を取ってみようかと思うのじゃが、どうじゃ?」
軽いジョギングの後で朝食を取っていると、笑みを浮かべたサビオから唐突に告げられた言葉に、俺は嫌な予感がした。なにしろ、俺以外、この場にいる者全員が同じような笑みを浮かべ、俺を注視していたからだ。
「幸い、この場には動きの速そうな者が揃っておる。今日からは、この者たちに手を貸してもらい『追いかけっこ』をしようと思う。なに、驍廣のやることは昨日までとなんら変わらぬ。ただ森の中を走っておれば良いだけじゃ。その他の者たちは悪いのじゃが、驍廣の後ろを追走しつつ、追いつけそうになったら、手にする武具で驍廣に『活』を入れてやって欲しいのじゃ。もちろん、武具を持って走ればそれ相応に疲れてくるじゃろう。そのときは遠慮はいらぬ、儂の背に乗って休憩を取るが良い。ただし、驍廣を休ませぬように、常に一人は驍廣を追走し続けるのじゃ。頼むぞ!」
サビオは、とんでもないことを口にした。この言葉を耳にした麗華は、目を爛々と輝かせて、
「サビオ様、それは驍廣を『獲物』に見立てて『狩り立てる』と思っても良いのでしょうか?」
と、嬉しそうに言う。すると、サビオは一瞬逡巡した後、大きく頷いて――
「う~む、まあそう思ってもらって構わんじゃろう。活を入れられると思うよりも、狩り立てられていると感じた方が、驍廣にとっても緊張感を持って走ることができるだろうしのぉ」
なんてことを言うものだから、麗華は悪戯っ子が良い玩具を手にしたときのような満面の笑みを浮かべて、今にも舌舐めずりをしそうな様子で握り拳を作り、
「分かりましたわ。これも驍廣のためと心を鬼にして、この苦行を全うして見せますわ!」
と、言い放ちやがった。彼女の傍らにいた紫慧とアルディリアも、満更ではない表情でいるところを見ると、昨日一昨日と野営地に放置されていたのがよほど面白くなかったのだろう。
レアンやサビオに促されて森へと走り出す俺を、心配そうに見つつ、何か言いたそうにしていた二人。きっと、一季もの間眠る俺を看病していた流れから、体作りの際にも当然俺から声が掛かると思っていただろう。それなのに、俺はサビオやレアンと勝手に体作りを始めてしまった。放置(したつもりはないが……)されていた二日の間に、俺への不満が溜まっていたようだ。
そこへ、サビオから一応、俺の体作りへの協力要請が告げられて、乗り気にならないはずがない。
――この日から、地獄の追いかけっこが始まった。
「ハァ、ハァ、ハァ……こ、このっ。こっちは、床上げしてからまだ五日しか経っていないってのに、いい加減にしろよ!」
思わず悪態を口にした俺は、激しい鼓動を静めるべく少しでも酸素を肺へ送り込もうと、喘ぐように呼吸を繰り返した。同時に、この状態へと追い込んだ連中に、恨みの籠った視線をぶつけようと睨みつける。だが、彼らは俺の視線から逃れるように明後日の方向を向き、自分は関係ないとばかりに知らん顔をする。
そんな顔をしたところで無駄なのは分かっているだろうが、この場には『被害者』と『加害者』しかおらず、俺がそれ以上は声を上げなかったため、そのことに言及する者はいなかった。
サビオの提案により、俺が休まないように、そしてより大きな負荷が掛かるようにと始められた『追いかけっこ』だったが、追いかけっことは名ばかりのまさに『俺狩り』だった。
俺よりも森に適応しているレアンは、前を走る俺に追いつくたびに、
「何をのんびり走っているんですか? もっと本気で足を動かして!」
「本当に愚図ですねえ、そんなことで鍛冶仕事ができるんですか? 走って走って!」
などとなじってくる。俺はその言葉に発奮して、レアンに追いつかれないように森の中を走っていた。それでも、レアンが後ろから急き立てている内はまだ良かったのだ。
ところが、レアンが休憩を取るためにサビオの背に乗り、代わりに麗華が俺を追いかけはじめてから、状況は一変する。
麗華は翼から竜気を放出し、一直線に突き進む、突進力はずば抜けている。だが、その動きは木々の立ち並ぶ森の中で通用するわけがないと、高を括っていたことが間違いだった。
サビオの背から降りた麗華は、いきなり背負っていた突角を鞘から抜き、切先を俺に向けて構えたかと思うと、立ち塞がる木々などお構いなしに突撃を敢行しやがった。
麗華と俺の間にあった木々は、突進してくる突角の切先によって爆散し、彼女は突角をそのまま俺の胸元目掛け突き立てようとしてきたのだ。
最初の一撃を、驚きつつも寸でのところで躱すと、あろうことか麗華の奴は、
「……躱したか。ですが次こそは……」
などと呟き、再び突角を構えて突進してきやがった。避けそこなえば、大怪我どころか命の危険すらあるような行為を平然とする。その上、そんな麗華を誰も止めようとしない。
筋力が落ちたため膂力が低下し、おまけに腰に差す小鴉は折れてしまっている状態の俺が、この麗華の行為から身を守るには、ただひたすらに逃げるしかなかった。
しかも、俺は森の木々を斬り倒す術を持っていないから、進むにはすり抜けるしかないが、そんな俺を嘲笑うかのように、麗華は最短距離を一直線に直進してくる。おかげで、ガンガンと体力を消耗していった。それでも、足を止めたが最後、麗華の突角の餌食になってしまうのではないかという恐怖から、俺は足を動かし続けるしかなかった。
もちろん、その身の宿す竜気の容量が大きい竜人族とはいえ、無尽蔵にあるわけではない。一刻もしない内に、麗華はサビオの背の上に戻っていった。これで一息つける……かと思ったのだが、そんな俺の甘い考えを打ち砕くように、サビオの背から放たれたアルディリアの投小剣が、頬を掠めた。
表皮を薄く切るように掠めた投小剣に驚いて向けた視線の先には、右手で投小剣を弄びながら般若のような表情をしたアルディリアが……
脱兎のごとく逃げ出した俺に非はないと思う。
だが、アルディリアにしてみれば、自分の顔を見て血相を変えて駆け出した俺の行動が面白いはずはない。サビオに乗ったまま、彼女は少しでも俺の足が鈍ると、容赦なく頬や足元に向けて投小剣を飛ばし、その度に俺は激しく足を動かすこととなった。
そして、最後に満を持してサビオの背から降りたのが、紫慧だった。
同行した討伐者とテルミーズから事情を聞いたギルドは、テルミーズに厳重な抗議と説教をし、加えて丸一昼夜ギルドに留め置き、衆人環視の中での猛省を求めた。
翌日、鍛冶場にやって来たテルミーズは、ギルドでの疲労と羞恥によって、哀れなほどにやつれていた。
一方――テルミーズがギルドに向かうと、スミス爺さんは俺に、
「さてと、驍廣。これで鍛冶場に火も入ったことじゃし、早速、鍛冶仕事に掛かりたいところなんじゃが、お主はどうする?」
と、不可思議な質問を投げかけてきた。俺はその意図が分からず、
「はあ? どうするって……もちろん、この鍛冶場で仕事をさせてもらえればと思っているけど……」
もしかして、もうこの鍛冶場を使わしてくれないのか? やはり炉にいた火精霊を炎にさせる過程で蛹状態にしてしまい、炉を使えなくしたことを怒っているのだろうか?
そんな考えが脳裏をよぎり、俺は不安になったが――
「いや、儂はてっきり麗華嬢の武具を打ったら、他の鍛冶場に行くのかと思っておったのでな」
逆に、爺さんはちょっと寂しそうに言った。
「ちょっと待ってくれ! そんなことあるはずがないだろ、何を言ってるんだ? い、いや、もちろん、爺さんの許しがあってのことなんだけど、俺としてはこの鍛冶場で仕事をしたいと思ってるんだ。それに次の注文も入ってるし……」
そう言いながらアルディリアの方に目を向けると、彼女も大きく頷いてくれていた。
「おお、そうか! それは重畳じゃ♪ これからも儂に驍廣、紫慧ちゃんと三人で仕事が続けられるのじゃな。そうか、この鍛冶場も盛り上がるのぉ♪」
喜色満面にホクホク顔になる爺さん。そんな爺さんに、アルディリアがおずおずと手を上げる。
「あの……ワタシもご一緒させていただきたいと……。ワタシはギルドから驍廣の『お目付け役』を申しつかりまして、金属鋼の調達など、これまでギルド生産窓口の担当職員として培ってきたものでお役に立てればと思っていますので……」
そう打ち明けると、爺さんはギョロリと、アルディリアの目の奥に隠れる本心を探るように覗き込むが、次の瞬間――
「驍廣のお目付け役かぁ、まあ分からんでもないわい。コヤツは何をしでかすか分からぬヤツじゃからのぉ。好きにすると良い! これからは、儂らがギルドに出向かんでも、アルディリアに材料の調達や、できた武具の登録を任せられるということじゃな。その分鍛冶仕事に専念できるというわけじゃ。それはありがたいのぉ、よろしく頼むぞ!!」
爺さんは、満面の笑みを浮かべて、歓迎の言葉を口にした。その言葉に、アルディリアは嬉しそうに微笑み、
「はい! お任せください、良い材質の金属鋼や鉱石を取り寄せ、鍛造武具の登録も迅速に行います!!」
と、胸をポンと叩いた。
「――話が纏まってきたところで悪いのじゃが……驍廣お主、体は万全なのか?」
ふいに発したフウの言葉に、全員の視線が俺に……というか、俺の体に集中する。
一瞬何のことを言われているのか分からなかった。だが、彼らの視線と、隣にいる紫慧とアルディリアの手が今も俺の体を支えるように添えられている状況に、一季近くも寝込んで、筋肉が衰えてしまったことを思い出した。
しかも、筋肉だけでなく体力も落ちてしまっているようで、朝に月乃輪亭を出てから、耀家邸宅にギルド、そして鍛冶場まで歩いただけで、体が重く疲労感が半端なかった。
試しに鍛冶場に置いてある俺専用の鍛冶鎚――戦鎚を振ってみようと手にしたが、床からわずかに浮くだけで、振り上げることはできず、ショックで目の前が真っ暗になる。
そんな俺の様子を扉の外から眺めていたサビオが、
「だいぶ体力が落ちておるようじゃな。どうじゃ驍廣、儂とともに森で元の体に戻すための『体作り』をしてみぬか?」
と、いきなり提案をしてきた……
結果的に、サビオからの提案は実にありがたいものだった。というのも、もしサビオからの提案がなければ、俺の体力・筋力回復は大幅に遅れ、鍛冶仕事への復帰は相当遅れていただろうと思うからだ。
なぜ俺がそう考えたかといえば、目を覚ましてから片時も俺の傍から離れようとしない紫慧とアルディリアに由来する。
彼女たちは、体力が落ちている俺の身を案じてなのか、なんでも俺の代わりにしてくれていた。
朝食も食堂から持ってきてくれるし、一季もの間寝ていたために伸びた手足の爪も切ってくれる。少しでもふらつこうものなら、両脇を抱えて部屋に戻り休めと言い、しまいには、俺の代わりに便所に行くとまで言い出したため、危うく漏れそうになるところを、二人の手を振りほどいて便所に飛び込む破目になる始末だった。
心配してくれるのはありがたいが、いくらなんでも過保護過ぎる二人に脇を固められていては、満足な体作りは難しかった。
確かに、俺の体を心配する紫慧やアルディリアにしてみれば、まだ床上げをしたばかりなのだから、ゆっくりと養生しつつ、体力の回復に努めた方が良いと考えてのことかもしれない。だが、俺としては一刻も早く鍛冶仕事に復帰し、鍛冶師としての腕を揮いたかったのだ。
それに、元々現世では、夏休みのような長期休暇になると、津武の師匠とともに山に籠り、体力強化と、道場ではできない自然の中での戦い方の修練をしたりしていた。おかげで、立ち合いの際、技の冴えでは俺よりも何枚も上の雅美に、山で培った体力と対応力でなんとか互角に渡り合うことができた。もし山での修練がなかったら、俺はいつまでも雅美に苦渋を舐めさせられていたと思う。
そんな経験もあって、山と森との違いはあるものの、自然の中で賢猪サビオを相手に体力作りができるとなれば、願ったり叶ったりだった……。だが、なぜか俺の周りにはいつものメンバーが揃い、まるで遊興にでも来たかのように、楽しそうにお喋りをしながら野営の準備をしていた。
サビオは分かる。俺に森での体力作りを勧めた張本人だから、いて当たり前だろう。
また、紫慧とアルディリアは仕方ない。俺が目を覚ましてからの行動を考えたら、ついてくるなと言ったところで無駄だ。実際、「街で待っていて……」と俺が口にした瞬間――
紫慧には、俺の作務衣の裾を掴み涙目で、
「ボク、邪魔なの?」
と、上目づかいで言われ――
アルディリアには般若の形相で胸ぐらを掴まれて、
「ワタシは驍の『お目付け役』だと言っただろう!」
と凄まれてしまい、最後まで言葉が続けられなかった。
しかし、麗華、レアン、スミス爺さんに、テルミーズまでが一緒とは……
……このおかしな状況を少し整理してみよう。
朝、体作りの準備を整え、鎖帷子(牙流武の鎧)を纏い、その上に作務衣を羽織った俺は、「行ってきます」と女将のウルスさんに挨拶をして(女将さんには昨夜の内に説明済み)月乃輪亭の扉を開けた。するとそこには、修練服の上に簡易的な裲襠甲を纏い、その上に上着を羽織るといった旅装に、突角を背負った麗華、それと、風鼬を腰に吊るしたレアンがニコニコ笑いながら待っていた。
「お、おはよう。麗華にレアン。どうしたんだこんな朝早くに二人して? もしかして、お前たちもこれからどこかへ出かけるところで、その前に挨拶に寄ってくれたのか?」
待っていた二人に面食らいつつ、挨拶がてら尋ねると、一層笑みを深めた麗華が、
「何言っているのですか? 貴方たちにご一緒しようと思って準備を整えてきただけですわ」
と言い放ち、隣のレアンは少し申し訳なさそうにしながらも、麗華の言葉に頷いている。
「はあ? 『ご一緒しよう』って、俺は体作りに出かけるだけだぞ? そんな個人的なことに付き合ってお前らに何の意味があるんだ? 大体、麗華はこの街の、言うなればお姫様みたいなものだろう。そんなお偉いさんが一個人の用件にホイホイとついていっていいのかよ?」
俺の言葉に、麗華は笑顔を消し、少し怒ったような表情で睨みつけ、
「むっ! その言い方は気に入りませんわ。別に領主の娘だからといって、何かをしてはならないと言われる筋合いはありません。大体わたくしたちは『あの』尋常ではない戦いをともに潜り抜けてきた『仲間』ではなかったのですか? その仲間を置いて出かけるなんて、驍廣はいつからそんな薄情者になってしまったんですの」
その言葉に合わせて、レアンも同じように『僕、怒ってます!』と言うように頬を膨らませて、無言のまま詰め寄ってくる。
「……分かった、分かったよ。俺が悪かった、一緒についてきたければ好きにしろ! だが、場所はシュバルツティーフェの森だ。魔獣騒動が収まったからといって、安全は保障されていないからな、注意してくれよ」
仕方ないという風に俺が言うと、麗華は矛を収め、再び嬉しそうに表情を緩め、
「そうですか、ではよろしくお願いしますね。ちなみに知らないようなので教えて差し上げますが、今シュバルツティーフェの森に魔獣が現れる心配は一切ありませんわ。どういうわけか『不死ノ王』が斃されてから、森の中から魔気が消え去り、今この周辺で最も清浄な地になっているのですから。それに、驍廣が行う『体作り』がどのようなものか興味があります。とても楽しみですわ♪」
麗華に満面の笑みを浮かべられて、俺は何も言えなくなってしまった。
そんな俺に、牙流武は「主様……」と落胆するように呟き、アルディリアには軽く肩をすくめて溜息をつかれ、フウや炎、それに紫慧に笑われてしまった。
周りの反応にゲンナリしつつ街門に向かうと、今度はスミス爺さんと昨日の少年が立っていた……旅支度をして。襲いくる今日二回目の嫌な予感に頬をヒクつかせながら、声を掛けた。
「よ、よう。爺さんおはよう! 朝早くからそんな恰好をしてどこへ行くつもりだ? 街の討伐者や冒険者が爺さんの武具を待ってるんだろ?」
「おお、驍廣。いや、そのことなんじゃがなあ。お前さんも知っての通り、急に多くの注文が舞い込んできたじゃろう。じゃが、この一季の間、炉に火が入らなかったせいで、儂も体力が衰えてしまったようでな。これでは満足のいく武具は打てぬのでは、と心配になってのぉ。ついでじゃから、お前さんについていって、儂も衰えた体に活を入れようかと思ったのじゃ。それに、サビオ殿から聞いたのじゃが、森の奥に若返りの温泉が湧いておるらしくてのぉ、この際、体力回復・老化防止、あわよくば若返りをと思ってるんじゃ。はぁ~っはっはっはっは」
大きな笑い声とともに、ご機嫌で爺さんは話してくれたのだが、俺にとっては厄介な連れが増えただけのことで……。これは、あれだな。昨日サビオからの提案があった時点で、全員が全員ついてくる気満々だったってことなんだな……
その後、街門の外にいたサビオは、俺以外の有象無象が一緒にいることに対して特に咎めることもなく、さも当たり前のように、俺たちを森の奥深くに連れていってくれた。ということは、サビオも了承済みだったってことか。知らなかったのは、もしかして俺だけだったのかもしれない……
――以上。整理終わり!!
そんなこんなで森に入った俺たちだったが、森の雰囲気が以前訪れたとき(魔獣騒動時)から一変していた。深い森にもかかわらず、木々の間から木漏れ日が差し込み、清浄な空気と活力に満ちた樹木の精気が溢れていたのには驚いた。
森の空気を体中に吸い込み、俺たちはサビオお薦めの温泉が湧く湖近くに、野営地を定めた。
体作り一日目は、野営地に着く頃には日が暮れはじめていたため、急いで野営の準備と夕食の支度に取りかかる。
俺たち男性陣は、天幕の設営と、温泉の湧き出ている場所に仕切り板を設けて脱衣場を作るといった、施設の充実を図る。一方の女性陣は木の実や野草を採取し、持ってきた干し肉などと一緒に鍋で煮込み、簡単な野草のスープに森の果実という夕食を準備した。
女性陣が夕食の準備を整える頃には、男性陣の作業も終わり、一同揃って鍋を囲む。
計十名(フウと炎もちゃっかり座に加わっていた)のささやかな宴だ。ここまでの行程と野営地設営の準備で一日中体を動かしていたので、皆旺盛な食欲を示し、大量に用意したはずの野草スープもあっと言う間に、俺たちの胃袋の中へと消えていった。
――食後、驍廣たちは紫慧の淹れた香草茶(サビオが教えてくれた、森に自生する天然の香草を淹れたものだ)を飲みながら、ゆるりとした時間を過ごす。そのうちに、あまりに穏やかな空気のせいか、それぞれが持つ武具に宿る精獣が姿を現した。
レアンの持つナイフに宿る風を纏うイタチ――風鼬は、レアンの頭や肩を飛び回り、陽気にはしゃぐ。
麗華の五鈷杵型突撃槍に宿る一角羚羊――突角は、自らの主の背後に寝そべり、麗華も突角に寄りかかって寛いでいる。
紫慧の圏に宿る半獅子半魚――海獅は、縫いぐるみのように紫慧に抱かれつつ皆の顔を眺める。
スミス爺さんの戦鎚に宿る野牛――ピウスボースは、スミスと驍廣の間に寝そべって眠る。
驍廣の防具――牙流武は、ピウスボースの反対側に座り、驍廣の肘掛けとなっていた。
その様子に目を剥き、穏やかな気持ちでいられないのが、アルディリアとテルミーズ。
二人とも鍛造武具に関わってきただけに、そこに現れた者が何であるかはすぐに察しがついた。
だが、普通なら一生に一度巡り合えるかどうかと言われる命宿る武具や防具が、五つも一堂に会するのを目にするなど、考えられないことだった。
もっとも、アルディリアは短いながらも驍廣に付き合ってきたおかげで、彼の周りでは常識外れなことが頻繁に起きるのだと分かり(諦め)はじめていたため、すぐに落ち着きを取り戻すことができた。だが、テルミーズはそうは行かず、ただただ驚くばかりで何も言えなくなっていた。
後にテルミーズは、この時のことを、師匠であるダッハートへの手紙にこう記している。
『お師匠様、果たしてお師匠様にこのとき僕が目にしたものを信じてもらえるでしょうか?
お師匠の紹介で訪れたスミス翁の周りには、多数の命宿る武具が存在していたのです。
しかも、その持ち主たちは英雄・勇者と呼ばれるような高名な者たちではなく、ごく普通の者、中には僕よりも明らかに年若い者までが所有していたのです。
翼竜街の鍛冶場は、その規模においては我ら甲竜街の工房と比べるのがおこがましいほど小規模なものでしかありませんが、その場に集う鍛冶師の技量は、侮れないものがあると言わざるを得ません』
この手紙を読んだダッハートが、甲竜街に驍廣を招聘するよう領主・擁掩の弟擁彗に強く進言することとなる。
まったりとした刻が流れる中、ふいにスミス爺さんが――
「そういえば驍廣。お主の脇差に宿りし白い鴉は姿を見せぬが、どうしたのじゃ?」
居合せた武具・防具に宿る精獣が姿を現す中、まだ姿を現さない小鴉のことを尋ねられ、俺は顔をしかめて頭を掻く。
「いや、実は『不死ノ王』との戦いのとき、魔法の攻撃を小鴉で捌いていたんだけど、無理をさせ過ぎたせいで、切先が折れてしまって……」
そう言いつつ、腰に差していた脇差をゆっくり抜くと、先端から約三分の一が折れて失われてしまった無残な姿が露わになる。同時に小鴉も、折れた片翼をダラリと地面に引きずるように垂らしている姿で現れた。その痛々しい姿に、紫慧やアルディリアが顔をしかめた。
「何とも痛々しい姿じゃのぉ……驍廣よ、体作りで元の力を取り戻したら、まずは小鴉を打ち直してやらねばな。いつまでもその者にそのような姿をさせていてはいかんぞ。良いな!」
スミス爺さんも眉をひそめて、明日からの体作りへ向けて発破を掛けてくる。そんな爺さんに、俺も抜いた小鴉に視線を落としながら、
「ああ、俺もそのつもりだよ。とりあえず基本に立ち返って、自分の体と相談しながら、しっかり鍛えていこうと思っているよ!」
と、力強く返事をする。すると――
「大丈夫じゃ! 多少無理をして体が悲鳴を上げても、ここの温泉に浸かれば、翌日には疲れは消え、体作りによって生じた痛みもなくなっておるじゃろう。存分に鍛えると良い!!」
サビオがそう太鼓判を押してくれたが『無理をして、体が悲鳴を上げても大丈夫』との言葉を聞いて、他の者たちが嬉しそうにニヤリと笑みを浮かべる姿に、俺は言い知れぬ悪寒を感じた。
翌日、他のみんなが朝食を用意してくれている中、俺はサビオとレアンとともにどのくらい体が衰えているのか確認しつつ、体作りに向けて体を温めておこうと、朝日の降り注ぐ森の中を走ることにした。
森の中は当たり前のように雑草や灌木が生い茂り、それらが足に絡みつき、走る俺たちの障害となったが、山籠もりのときの経験から予想していたことなので、何とか対応することができた。しかし、体の衰えはひどいもので、半刻(三十分くらい)も走らない内に大量の汗とともに息は上がり、一刻も走れば足がもつれる始末。
一方、俺に付き合って一緒に走ってくれたレアンは、その身軽さをいかんなく発揮して、灌木のわずかな隙間を見つけてはすり抜けていく。俺にはとても真似のできないような身のこなしで、森の中を楽しそうに駆けまわっていた。
サビオの方は、その巨体では森の木々が行く手を邪魔し、さぞ走りにくいだろうと思っていた。だが、こちらは樹精霊に働きかけて、自分が通る瞬間だけ木々を自分の体に合わせて変形させていた。どうやら、欝蒼と生える森の木々は、サビオにとって何の障害にもならないようだ。
野営地に戻ってきたとき、俺だけが滝のような汗を流し、息も絶え絶えといった情けない姿。対照的に、レアンやサビオは食前の良い運動をしたとでもいうような清々しい表情を浮かべていた。
休憩を取りつつ、紫慧たちが用意してくれた朝食を馳走になる。それから、本格的な体作りを始めることにした。衰えきっていた俺の体では、まずは走ることから始めなければどうにもならないだろうと、再び森の中を走ることに。そこで突然フウが、
「牙流武。驍廣の鍛錬のためじゃ、お主の鎧の重さを驍廣の限界まで増やしてやったらどうじゃ」
などと言いだすものだから、牙流武は俺の纏う鎖帷子の重さを、立って走るのがやっとの重さにまで増やしてしまった。おかげで、俺の全身にかかる負担は、飛躍的に上がることとなり……
「ハァ~ハァ~、死んだぁ~」
一日中森の中をサビオとレアンに叱咤激励されながら走り(と言っても、ほとんど歩いているのと変わらない速度だったが)、野営地に戻ってきて大の字になって倒れ込んだ。そこへフウがニヤニヤしながら近付いてきて、俺の顔を覗き込む。
「ニャハッハッハッハ、一日目から良い鍛錬になったじゃろう。これを三、四日も続ければ、多少は足腰が鍛えられて、その鈍った体も少しはマシになるはずじゃ。さあ、無様に寝転がっておらんで、さっさと温泉にでも入ってくるが良い。レアン坊。ご苦労じゃが、驍廣と一緒に温泉に行って、こやつが温泉で溺れんように付き添ってやってくれんか? 頼んだぞ」
フウの好き勝手な言葉になぜだか、レアンも嬉しそうに頷き、
「はい! フウ様。さあ驍廣さん、温泉に行きますよ!」
と、大の字に寝転がっている俺の奥襟を掴み、ズルズル引きずるようにして、湖の温泉へ連れていった。
「初日にしては激しい走り込みになったようじゃのぉ。で、どうじゃった、驍廣の様子は?」
レアンに温泉に引きずられていく驍廣を見ながら、フウはサビオに問いかける。
「う~む……驍廣は一種の『化け物』じゃなあ。はじめこそ牙流武殿の重量と行く手を遮る森の木々に悪戦苦闘しておった。だが、傍らを走るレアン坊や儂の姿を観察し、生来の負けず嫌いが出てきたのか、この場に戻り倒れ込むまで、泣き事一つ言わずに走っておったわ。しかも、野営地に帰りつく頃には、無意識に障害となる木々を避ける術を身につけたようじゃった。このまま行けば、明日遅くとも明後日には、儂やレアンよりも上手に森の中を駆け巡ることができるに違いないぞ」
半分呆れ半分感心といった様子で答えるサビオに、フウは目を剥いた。
「なっ! それは、予想より早く体作りが終わるかもしれぬということか? しかし、木々を避ける術とは……」
「あれは多分、レアン坊の動きから学び取った体術の一種じゃろうな。儂は人族の体術に詳しくないから確かなことは言えぬが……ただ木々の隙間を縫うようにすり抜ける際などは、同じ側の手と足を一緒に前へ出すようにして体の幅を細くしたりと、なかなか興味深い動きを見せておったぞ」
サビオが愉快そうに笑う。
サビオの語った動きは、現世では俗に『ナンバ歩き』と呼ばれる動きで、特に驍廣のものは、長年の修練によって染みついている古武術『津武流』の動きだった。
だが、驍廣はその動きを意識して選択したわけではない。衰えた体で森の中を歩き疲労が蓄積されたため、現世や文殊界での一般的な歩行方法(体を捻じり、その反動を使いつつリズミカルに体を前に進める歩行方法)よりも、古武術の歩行方法――体を傾けて前方に倒れ込もうとする力を利用し、倒れる前に足を出すことで前進する方が、今の驍廣にとっては楽で、効率的だったにすぎない。
――サビオやフウは、そんなこととは知るはずもなく、
「ほ~。……そうか、ならばたった一日で随分と足腰の衰えが解消されてきたとみてよいのかもしれんのぉ」
などと言いながら、安堵の表情を浮かべていた。もっとも、効率のいい楽な方法を選択していたとはいえ、一日中森の中を走っていたことに変わりはない。驍廣の体には十分な負荷がかかり、鍛えられていることに間違いはなかった。
フウの言葉通り、翌日の森での走り込みは、前日とは様相を大きく変えていた。
温泉に入って疲れを取り、紫慧たちが用意した食事を腹一杯詰め込んでぐっすりと睡眠を取った驍廣。彼は、前日と同じように、古武術の歩行方法を用いて森の中を駆け抜けていた。その速度は、隣で走るレアンに遅れることはない。むしろ鬱蒼とした木々の間をすり抜けるときなど、小刻みな踏み込みで抜けようとするレアンよりも、滑らかな動きで流れるように通る驍廣の方が楽に速く進めるようになっていった。
結果、野営地に戻ってきたとき、前日とは逆に、疲れ果てて地面に伏すレアンを、昨日の仕返しとばかりに満面の笑みを浮かべた驍廣が奥襟を掴んで、引きずるように温泉へ連れていった……
「驍廣や、昨日、一昨日と走り、お主も随分と森での走りに慣れて、余裕が出てきたようじゃな。そんなお主に、昨日と同じように森の中をただ走れと言うのでは芸がないと思ってなあ、今日は少し違った手法を取ってみようかと思うのじゃが、どうじゃ?」
軽いジョギングの後で朝食を取っていると、笑みを浮かべたサビオから唐突に告げられた言葉に、俺は嫌な予感がした。なにしろ、俺以外、この場にいる者全員が同じような笑みを浮かべ、俺を注視していたからだ。
「幸い、この場には動きの速そうな者が揃っておる。今日からは、この者たちに手を貸してもらい『追いかけっこ』をしようと思う。なに、驍廣のやることは昨日までとなんら変わらぬ。ただ森の中を走っておれば良いだけじゃ。その他の者たちは悪いのじゃが、驍廣の後ろを追走しつつ、追いつけそうになったら、手にする武具で驍廣に『活』を入れてやって欲しいのじゃ。もちろん、武具を持って走ればそれ相応に疲れてくるじゃろう。そのときは遠慮はいらぬ、儂の背に乗って休憩を取るが良い。ただし、驍廣を休ませぬように、常に一人は驍廣を追走し続けるのじゃ。頼むぞ!」
サビオは、とんでもないことを口にした。この言葉を耳にした麗華は、目を爛々と輝かせて、
「サビオ様、それは驍廣を『獲物』に見立てて『狩り立てる』と思っても良いのでしょうか?」
と、嬉しそうに言う。すると、サビオは一瞬逡巡した後、大きく頷いて――
「う~む、まあそう思ってもらって構わんじゃろう。活を入れられると思うよりも、狩り立てられていると感じた方が、驍廣にとっても緊張感を持って走ることができるだろうしのぉ」
なんてことを言うものだから、麗華は悪戯っ子が良い玩具を手にしたときのような満面の笑みを浮かべて、今にも舌舐めずりをしそうな様子で握り拳を作り、
「分かりましたわ。これも驍廣のためと心を鬼にして、この苦行を全うして見せますわ!」
と、言い放ちやがった。彼女の傍らにいた紫慧とアルディリアも、満更ではない表情でいるところを見ると、昨日一昨日と野営地に放置されていたのがよほど面白くなかったのだろう。
レアンやサビオに促されて森へと走り出す俺を、心配そうに見つつ、何か言いたそうにしていた二人。きっと、一季もの間眠る俺を看病していた流れから、体作りの際にも当然俺から声が掛かると思っていただろう。それなのに、俺はサビオやレアンと勝手に体作りを始めてしまった。放置(したつもりはないが……)されていた二日の間に、俺への不満が溜まっていたようだ。
そこへ、サビオから一応、俺の体作りへの協力要請が告げられて、乗り気にならないはずがない。
――この日から、地獄の追いかけっこが始まった。
「ハァ、ハァ、ハァ……こ、このっ。こっちは、床上げしてからまだ五日しか経っていないってのに、いい加減にしろよ!」
思わず悪態を口にした俺は、激しい鼓動を静めるべく少しでも酸素を肺へ送り込もうと、喘ぐように呼吸を繰り返した。同時に、この状態へと追い込んだ連中に、恨みの籠った視線をぶつけようと睨みつける。だが、彼らは俺の視線から逃れるように明後日の方向を向き、自分は関係ないとばかりに知らん顔をする。
そんな顔をしたところで無駄なのは分かっているだろうが、この場には『被害者』と『加害者』しかおらず、俺がそれ以上は声を上げなかったため、そのことに言及する者はいなかった。
サビオの提案により、俺が休まないように、そしてより大きな負荷が掛かるようにと始められた『追いかけっこ』だったが、追いかけっことは名ばかりのまさに『俺狩り』だった。
俺よりも森に適応しているレアンは、前を走る俺に追いつくたびに、
「何をのんびり走っているんですか? もっと本気で足を動かして!」
「本当に愚図ですねえ、そんなことで鍛冶仕事ができるんですか? 走って走って!」
などとなじってくる。俺はその言葉に発奮して、レアンに追いつかれないように森の中を走っていた。それでも、レアンが後ろから急き立てている内はまだ良かったのだ。
ところが、レアンが休憩を取るためにサビオの背に乗り、代わりに麗華が俺を追いかけはじめてから、状況は一変する。
麗華は翼から竜気を放出し、一直線に突き進む、突進力はずば抜けている。だが、その動きは木々の立ち並ぶ森の中で通用するわけがないと、高を括っていたことが間違いだった。
サビオの背から降りた麗華は、いきなり背負っていた突角を鞘から抜き、切先を俺に向けて構えたかと思うと、立ち塞がる木々などお構いなしに突撃を敢行しやがった。
麗華と俺の間にあった木々は、突進してくる突角の切先によって爆散し、彼女は突角をそのまま俺の胸元目掛け突き立てようとしてきたのだ。
最初の一撃を、驚きつつも寸でのところで躱すと、あろうことか麗華の奴は、
「……躱したか。ですが次こそは……」
などと呟き、再び突角を構えて突進してきやがった。避けそこなえば、大怪我どころか命の危険すらあるような行為を平然とする。その上、そんな麗華を誰も止めようとしない。
筋力が落ちたため膂力が低下し、おまけに腰に差す小鴉は折れてしまっている状態の俺が、この麗華の行為から身を守るには、ただひたすらに逃げるしかなかった。
しかも、俺は森の木々を斬り倒す術を持っていないから、進むにはすり抜けるしかないが、そんな俺を嘲笑うかのように、麗華は最短距離を一直線に直進してくる。おかげで、ガンガンと体力を消耗していった。それでも、足を止めたが最後、麗華の突角の餌食になってしまうのではないかという恐怖から、俺は足を動かし続けるしかなかった。
もちろん、その身の宿す竜気の容量が大きい竜人族とはいえ、無尽蔵にあるわけではない。一刻もしない内に、麗華はサビオの背の上に戻っていった。これで一息つける……かと思ったのだが、そんな俺の甘い考えを打ち砕くように、サビオの背から放たれたアルディリアの投小剣が、頬を掠めた。
表皮を薄く切るように掠めた投小剣に驚いて向けた視線の先には、右手で投小剣を弄びながら般若のような表情をしたアルディリアが……
脱兎のごとく逃げ出した俺に非はないと思う。
だが、アルディリアにしてみれば、自分の顔を見て血相を変えて駆け出した俺の行動が面白いはずはない。サビオに乗ったまま、彼女は少しでも俺の足が鈍ると、容赦なく頬や足元に向けて投小剣を飛ばし、その度に俺は激しく足を動かすこととなった。
そして、最後に満を持してサビオの背から降りたのが、紫慧だった。
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男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。
街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。
彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)
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