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4巻
4-2
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「フェレースには話してなかったか……すまぬ、驚かせたようだな。先の魔獣騒動で多くの者が解決に尽力してくれたのだが、中でもここにいる四人とリリスが、騒動の元凶であった魔獣を討ち滅ぼしてくれたのだ。だがその際、常軌を逸した出来事が起きていたため、竜賜代表領主の命によって緘口令が敷かれたのだ。街に住む者はもちろん、ギルド職員も一部を除き、真相は知らされてはいない。だからこそ、真相を知りながら緘口令を敷くよう命じた者の一人として、頭を下げずにはいられなかったのだよ」
そう自分の行動を説明する延李に、俺は苦笑し頭を掻いた。
「いや、なりゆきでそうなっただけのことだから。それに、昨日スミス爺さんたちに、街も諸々に対応するために動いていたと聞いている。そのことを考えると、たまたま増援が来るまでの時間稼ぎができたってだけのことだろ。それに俺は途中で気を失ってしまったんだ、ギルドの総支配人に殊更お礼の言葉を言われるものではないだろう?」
みんなを代表するように言うと、延李はおかしなものを見るような怪訝な表情を浮かべた。だが、麗華とフウの顔を見て――
「そ、そうだったな。いや、しかし貴重な時間を稼いでくれたことに変わりはない、そのことに感謝するのだ」
と、なんだか、慌てて何かを誤魔化しているような言葉を口にすると、続けて、
「それから、リリスについてだが、フェレースからも聞いたかもしれんが、彼女は長期の休暇を取っておって、ギルドに来ておらんのだよ」
と言う。その言葉に合わせて、フェレースも肯定するように頷いていた。
「随分と急な話だったんですね。一応、俺と紫慧はリリスと同じ宿に泊まっているんですが、宿の方でもそんな話は聞きませんでしたよ?」
俺がさらに質問すると、延李は少しだけ困ったような表情を浮かべ、わずかに考えるようなそぶりを見せた。
「う~む。まあ、ともに死地を掻いくぐってきた者たちにまで隠しておくのは得策ではないか……。だがこれから話す内容は、この場限りのこととして、決して口外しないでいただきたい! 実は、リリスはダークエルフ氏族が住む郷――豊樹の郷を治める氏族長の娘御なのだよ。事情があり、本人の希望で身分を隠し、翼竜街ギルドの一職員として働いてもらっていたのだ。だが先日、内密に氏族長殿からの使者が訪れてな、『火急の用件が発生』ということで、郷里である豊樹の郷へその密使と帰郷することになったのだ」
「そうですか、実家から帰ってこいって言われ、しかも付添いまで来たのなら仕方ないでしょうね」
俺がサラっと返すと、延李は意外そうな顔をした。
「なんだ? 驚かんのか? ダークエルフ氏族の族長の娘御といえば、我ら竜人族で言うところの麗華様と同格の姫君になるのだぞ?」
そんな延李に、麗華がすまなそうな表情で口を開く。
「おじさま。その……そのことなんですが、アルディリア以外はもうみんな知っています。わたくしが、魔獣討伐の折に、リリスと幼馴染だと話してしまったので……」
その言葉に、延李は体から力が抜けてしまったように深々と椅子に体を委ねると、
「なんだ、知っておったのか……」
と呟いた。リリスの身分については、延李の中で『極秘』事項となっていたのだろうが、『アーウィン家のはねっ返り』と『耀家のお転婆娘』に、見事に思惑を潰されていたらしい。
もっとも、二人にそれを要求したところで無駄になると思い至らなかった延李が悪いと、俺は思うんだが……。そんなことを考えながら麗華の方を見れば、少し不機嫌になった彼女に睨みつけられ、慌てて視線を外すように顔を背けた。
森でもそうだが、どうもこの辺のことを考えると、麗華たちに睨みつけられている気がする。もしかして、顔に出ているのだろうか?
「そうじゃ! リリスから、驍廣殿と紫慧紗殿、それにアルディリアに伝言を預かっておったのだ!!」
突然声を上げる延李に、俺は思考を中断して視線を向けると、椅子に座り直した彼が懐から紙片を取り出した。
「ええとぉ……リリスからの伝言は――
『驍廣。急遽、郷へ戻ることになったけれど、すぐに戻るつもりだから、戻ったら今度は私の弓を一張り作ってね♪ それから、紫慧! アルディリアには注意するのよ、彼女結構本気みたいだから。アルディリア、物には順番というものがあるんですからね、その辺はきちんと弁えるようにしなさいね! それじゃ、もし私が街に帰る前に郷の近くに来ることがあったら、ぜひ寄ってちょうだい。そのときは歓迎するわ♪』
――だそうだ。……はぁ~」
紙片に書かれてあった文を読み上げた延李は、脱力し深く溜息をついた。
『なぜに溜息?』と疑問を持ったが、俺の隣に座る紫慧はリリスの伝言を聞いて力強く頷きつつ拳を握り、一方のアルディリアは不敵な笑みを浮かべていた。
そんな俺たちの様子を見て、こめかみを押さえながら渋面を浮かべるレアン。彼とは対照的に、麗華は何が面白いのかニコニコとしつつ、俺たちの顔を順繰りに見ていた。その笑顔は、いつもの悪戯を思いついたときのような……俺としては嫌な予感がする笑顔だった。
――この後、結局リリスは翼竜街に戻らず、俺たちはリリスの父親が治めるダークエルフ氏族の郷、豊樹の郷に向かうことになる。そして、豊樹の郷だけでなく、周辺一帯を揺るがす大騒動の渦中へと飛び込んでいくのだが、まさかそんなことになると思う者はこのとき誰一人いなかった。
「まったく、騒動を収めてくれたかと思えば、また一騒動ありそうだ。リリスめ、余計なことをしおって……」
挨拶を済ませて、スミス翁の鍛冶場へと急ぐ驍廣たちの姿を見送りながら、延李は困り顔で呟く。
「まあ、若いんですから色々あるんじゃないですか。それを優しく見守るのも、私たち大人の度量というものでしょ♪」
隣に寄り添うように立つフェレースは、楽しそうに彼に笑いかける。
「面白がっていては困る! 若いからこその暴走というものもあるだろう、その辺のことを上手く図るのが『君』のもう一つの重要な職務なのだからね。楽しんでいないでしっかりと頼むよ」
笑いかけられて満更でもない様子で表情を緩める延李だが、戒めるような言葉を口にし、さらに、
「しかし、普段のあの語尾を伸ばした喋りは何とかならないか?」
と言う。すると――
「あら、あの喋り方だと職員が親しみを持ってくれるので、私としてはアリだと思っているのですが?」
「しかし、君の歳であの喋り方は……すっ、すまん。今の言葉は忘れてくれ、副支配人!」
自分が不用意に発した言葉に、フェレースが殺気を漂わせたのを見て、延李は平謝りに謝る。
数多くの職員が働く翼竜街ギルドの中で、様々な業務に精通し、皆に慕われるフェレース。
翼竜街ギルドのおねえさん的存在であり、職員の悩みや隠し事を知る彼女ではあるが、反対に彼女のことをよく知る職員は少ない。その最たるものが、彼女の戸籍上の姓だろう。
彼女の姓は『翔』。フェレース・翔・カッツェと言う。
『カッツェ』は彼女の両親から継いだもので、『翔』は彼女の伴侶である『翔延李』の姓だった。
そう、フェレースは延李の細君であり、翼竜街ギルドを夫とともに支える女傑(影の実力者)。
日頃の間延びした話し方と容姿で若く見られることが多い彼女だが、実は延李とは同い年で、幼馴染でもある。
フェレースの両親は、先の天竜賜国代表領主の館に使える侍従であり、延李の父親は竜賜の近衛軍におり、代表領主の護衛を務めていた。その縁で幼い頃に知り合った二人は、成人すると竜賜で結婚し、当時領主となったばかりの安劉を助けて欲しいという、代表領主であった安劉の祖父の願いに従い、翼竜街にやって来た。当時は、二人のことを知る者がおらず、夫である延李の手助けをしようと、フェレースもギルドの一職員になった。
さすがに延李の妻が同僚と知ったら、職員は色眼鏡でフェレースを見るだろう。中には不埒なことを考えて近付いてくる輩がいないとも限らない。ゆえに延李は『妻は病弱で邸宅からは出られない体だ』という噂を流して、フェレースを守ることにした。
そのためフェレースは、自分が延李の妻であることを名乗れずに、ズルズルと時を重ねてしまい、現在に至る。だが結果として、ギルドで起きる職員たちの揉め事を一職員という立場から解決できるようになり、ギルド業務を円滑に進めることに大きく貢献している。
俺たちは、ギルドからまっすぐスミス爺さんの鍛冶場に向かうため、路地を曲がった途端、鍛冶場の方から何やら騒ぎ声が聞こえてきた。
鍛冶場に近付くと、多くの冒険者や討伐者が集まっていた。彼らは口々に罵声を張り上げていたが、その罵声は群衆の向こう側に見える小山のような賢猪サビオハバリーの背中に向けられていた。
「すまないが、この騒ぎは一体なんなんだ?」
俺は、群衆の一番外側で、呆れ顔で様子を窺っている竜人族の男に話しかけた。
「うん? なにね、これまでは流行りの鋳造武具を使っていたやつらが多かったのは知ってるだろ? だけど魔獣騒動のときに、魔獣との戦いの中で、鋳造武具はいくらも使わない内に折れたり曲がったりしてしまって、使い物にならなかったんだよ。それで、新たに武具を買い求めようとしたんだけど、鋳造武具を製造販売していた店が、突然店を閉めて行方をくらましてしまってね。そんなときに、翼竜街にも魔獣が大挙して迫っているって情報が届けられてね。それで、武具を失った討伐者や冒険者がギルドに押しかけて大変な騒ぎになったんだけど、スミス翁が鍛造の武具を大量に持ってきてくれて、魔獣騒動の間だけって条件で貸与してくれたんだよ。おかげで、多くの者が翼竜街を守るために力を揮うことができた。それで、そのときに振るった鍛造武具と鋳造武具とのあまりの性能の違いに驚いて、スミス翁の鍛えた鍛造武具を求めようとする者が増えたんだ。だけど、昨日まで鍛冶場が閉まっていてね。以前鍛冶場を閉めるなんて噂もあったから、もうスミス翁が鍛えた武具は手に入らないかもしれないって言われはじめていたんだ。それでも武具欲しさに日参している者までいたんだよ。で、今日になって鍛冶場の扉が開いたというんで来てみたら、見ての通り、扉を塞ぐようにして賢猪様が寝ておられてねぇ……」
と、竜人族の男は、困ったような顔で教えてくれた。よく見ると、寝ているサビオを困り顔で眺めている者やサビオを起こそうと声を上げる者たちが集まっていた。そんな中、一際大きな声でサビオを怒鳴りつけている者が……
そいつは少年のような風貌で、どう見ても戦いを生業にしているようには見えず、どこかの街からやって来た者なんだろうか、旅仕度をしていた。
「コラ~! いい加減この場を開けろ、この馬鹿猪がぁ! 遠路はるばるやって来たというのに、さっさとここをどいてスミス翁に会わせろ~!!」
声を張り上げるだけでなく、サビオの腹を蹴ったりしているのだが、サビオにとっては蚊に刺されたほどのことでもないようで、スヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
そんな様子に、俺は紫慧たちとともに、鍛冶場の前に集まった人混みを掻き分けてその若者とサビオのところに行く。
「ちょっと良いかな。サ~ビ~オ~! 起きろぉ~!」
サビオの肩に飛び乗って耳を引っ張りながら、雷が落ちたような大声で怒鳴りつけると、さすがのサビオも目を覚まして飛び起きた。
「なっ、なんじゃ! 何が起きた!! ……驍廣ではないか、驚かすでないわ」
サビオは、耳を掴んでいる俺を確認し、大声で叩き起こされたことに不満を口にする。
「『驚かすでないわ』じゃないぞ! 周りを見てみろよ、この人だかりを。昨日の月乃輪亭に続き、今日は鍛冶場の前で騒ぎを起こすなんて、もう森に戻ったらどうだ?」
呆れて俺が発した言葉に、サビオは耳をパタパタと動かして、
「驍廣~、つれないことを言うな。儂はお主のことを心配して『街』に滞在しておるのだぞ、それなのにその言い草はなかろう……」
目に涙を溜めて抗議をするサビオの姿に、俺は苦笑しつつ手を伸ばして眉間を掻いてやる。すると、嬉しそうに鼻を上に向けて、もっと掻けと甘えるような仕草すら見せた。
「いつまでじゃれているつもりですか? いい加減、そこをどいてください。僕は鍛冶師のスミス翁に話があって、はるばる翼竜街にやって来たのです。それなのに、翁の鍛冶場の入り口を塞がれて、本当にいい迷惑です!!」
さっきまでサビオをどかそうと騒いでいた少年(ドワーフ氏族のようだ)が、俺とサビオを睨みつけている。俺は、少年の剣幕に、いそいそとサビオから降りて道を譲ろうとしたが、サビオはその場を動かず、少年を見据えた。
「そうじゃったか、それはご苦労なことじゃ。じゃが、お主をこの中に入れることはできぬな」
穏やかな口調ながら、サビオの言い放った言葉に、少年の顔は真っ赤になる。
「何を言うんだこの獣は! だいたいなぜお前のような獣に、スミス翁の鍛冶場への入場を拒否されなきゃいけないんだ!! 僕はこれでも、甲竜街にその人在りと称えられる鍛冶師の重鎮ダッハート・ヴェヒター様のお言いつけで、はるばる翼竜街までやって来たんだ! ダッハート様は、スミス翁の鍛冶の師匠に当たる御方だぞ。その師匠の言いつけでやって来た僕を鍛冶場に入れないなんて、そんなことをスミス翁が言うはずが……」
「まったく、何を人の家の前でゴチャゴチャ言っておるのだ!」
固く閉じられていた鍛冶場の扉が開き、それまで捲し立てていた少年を怒鳴りつけるようにして、スミス爺さんが姿を現した。
「スミス爺さん!」
俺の声に、怒鳴りつけられて固まっていた少年は反応し、俺が声を掛けた方へと目を向けた。ちょうどその位置は爺さんの腰あたりで、そのまま上へと視線を上げていき、少年をジロリと見下ろす爺さんの一つ目と目があった途端――
「ひぃ~」
軽い悲鳴のような声を上げて、その場に座り込んでしまった。
その様子に、俺は苦笑しながらいつものように挨拶をする。
「爺さん、おはよう! 言いつけを守って、麗華やレアン、それにギルドの方々に挨拶をしてきたぞ。そのお陰で余分なモンまで付いてきたけどな」
スミス爺さんは麗華たちを見て、
「ふん! お前たちも来たか、お前たちならば別にかまわんじゃろう、さあ中に入れ!!」
と俺たちを招き入れると、再びサビオに向き直り、
「サビオ殿、申し訳ないがもうしばらく誰も入らぬように、見張っていてくれぬか。よろしくお願いいたす」
と、扉を閉めてしまった。
「おい! 爺さん、良いのか? 爺さんの師匠の使いだって奴が来てたが?」
「だからなおのことじゃ! 今、鍛冶場に入られたら、炉の中に火精霊がいないことが分かってしまうじゃろ。炉の中で蛹になっておった火精霊は焔鳥となってお前さんのもとへ飛んでいったのじゃが、それからというもの、何度炉に火を入れようとしても、火が燃え出さぬのじゃよ。長年鍛冶仕事をしてきたが、炉に火が入らぬなどといった事態になったことは、経験はおろか、視たことも聞いたこともなくて、途方に暮れておったのじゃ。そう言えば、焔鳥はどうしたのじゃ? まさか、お主のところにたどり着かなかったのではあるまいなあ」
俺と一緒にいると思っていた炎の姿がないことを心配するように、スミス爺さんがそう言った途端、天井の空気口から緋色の物体が飛び込んできて、フワリと俺の肩に舞い降りた。
「スミスお爺様、ご無沙汰しておりました。無事、我が主と巡り合うことができ、今はこのように幸せな毎日を過ごしております」
炎が発した言葉に、スミス爺さんは一つ目を大きく見開いたかと思うと、嬉しそうに細めながら、
「おお、そうかそうか、今はその姿で慕う主のもとにおるのか、良かったのぉ安堵したわい」
と、何度も頷き、炎の無事を喜んでいた。
「さて、炎殿のことはひとまず置いて、先程も言ったように、今この鍛冶場の炉では火が燃えぬのじゃが、どうしたものか……」
火精霊が焔鳥へと羽化する瞬間を目にしていたため、スミス爺さんは特に炎について触れることもなく、問題の炉を睨み、腕を組んで考え込んだ。
「スミスお爺様、重ね重ね申し訳ありません。妾がこの場所から抜け出してしまったせいで、この炉では火が燃え上がらず、大変なご迷惑をお掛けいたしました。妾はいっこうに構わなかったのですが、火精霊たちが変に気を使い、妾がいた場所だから近付いてはならぬとでも思っていたのでしょう。今すぐ火精霊たちにこの炉に来て良いと許可を与えますので……」
炎はそう言うと、俺の肩から離れて鍛冶場の炉の前に行き、緋色の熊鷹から、炎を纏った凰の姿に変じる。そして、翼を大きく広げて、高らかに一声鳴くと、それに合わせるかのように、火種のなかった炉に勢い良く火が立ちあがった。
その火の中に、ユラユラと揺れる影が。目を凝らしてよく見ると、小さいものの、背に翼を生やした竜――炎の精霊である火竜が、嬉しそうに炉の前で翼を広げる炎に対して深々と頭を下げていた。
「これで大丈夫です。今後は火精霊に代わって、この炎精霊が炉の住人となります。スミスお爺様はもちろん、この鍛冶場が使われ続ける限り、炉から火が絶えることはないでしょう。ご迷惑をお掛けした罪滅ぼしというわけではございませんが、これからもお仕事にお励みください。ですが、我が主である驍廣様がこの場で鍛冶仕事を行うときには、炎精霊に代わって妾が火の番人となりますので、その辺はご承知くださいませ」
話し終えた炎は、炎の凰から緋色の熊鷹へと姿を戻し、再び俺の肩の上へと舞い上がるのだった。
その様子に一同茫然としていたが、俺の頭の上で寝ていたフウが目を覚まして伸びをした際に発した「フニャ~~~~ァ」という鳴き声で、正気に戻った。
「……言った通りだったじゃろうが、この場に余人を入れなくて正解じゃったわい」
顔を引き攣らせながら呟いた爺さんの一言に、鍛冶場の中にいた者全員が、お互いに確認しあうように何度も頷いた。
炎にその力の片鱗を見せつけられて驚きざわつく俺たち(フウ以外)だったが、爺さんが淹れてくれお茶を飲んでいる内に徐々に冷静さを取り戻した。その後、ここに来るまでに、耀家邸とギルドであったことをスミス爺さんに話した。
しばらくして、扉の外では再びスミス爺さんを呼ぶ声が響いてきた。放っておいたら、ついには声とともに扉を強く叩き出し、ゆっくり話ができる状況ではなくなってきた。
「まったく……分かった、分かった。今扉を開けるから静かにせい!」
爺さんが扉を開けると、タイミング悪く(良く?)扉を叩いていた腕が、爺さんの鳩尾にものの見事に当たった。爺さんは予想外の一撃に悶絶し、扉の前で崩れ落ちる。
スミス爺さんを叩いた張本人の少年は、突然目の前で倒れた爺さんをポカンと眺めていた。
「爺さん!! 紫慧、爺さんの手当てを、早く!」
俺はすぐに爺さんのもとに駆け寄ると、紫慧に治癒術を掛けるように指示し、その少年を取り押さえようと睨みつけた――が、既に少年は鍛冶場の前に集まっていた討伐者や冒険者たちによって取り押さえられ、彼の喉元には、レアンの風鼬とアルディリアが懐から取り出した投小剣が突きつけられていた。
やがて意識を取り戻した爺さんが、討伐者や冒険者たちによって簀巻きにされ、今まさに衛兵のところに連れていかれようとしていた少年を、自分のもとに連れてくるように言ったため、少年は簀巻きのまま、爺さんの前に引き出された。
「お主、なんの恨みがあっていきなり鳩尾に打撃を入れたのじゃ。返答次第によっては助けてやらぬこともないが?」
少年は、簀巻きにされた体を芋虫のように動かし、縋りつくような表情を浮かべ、
「事故だったのです! いくら声を上げても返事がなかったので、声を上げるのと一緒に扉を叩いていたら、いきなり扉が開いて、勢いのついた腕が止まらずに……申し訳ありませんでした!!」
泣きそうな顔で謝罪の言葉を口にする少年に、スミス爺さんは呆れ顔になる。
「それで、たまたま急所に当たったと……それにしては……扉を叩いていたという割には、強烈な一撃だったが? 老いたりとはいえ、これでも儂の体はかなり頑強な方じゃ、その体に悶絶ものの一撃を入れるとは……お主、歳を重ねているとは思えぬ容姿なれど、実は相当に武芸の嗜みがある討伐者か冒険者なのかのぉ?」
「いえ、武芸などは何も……ただ鍛冶師として毎日鎚を振るっていましたから、それなりに腕力はあるかもしれません」
「ほ~ぉ、鍛冶師のぉ。一体どこの鍛冶場かな?」
そう爺さんが尋ねると、少年は簀巻き状態ながらも、パッと顔を上げて胸を張った。
「甲竜街のダッハート工房です。ダッハート・ヴェヒターの弟子で、テルミーズ・アミードと申します。すみませんが、僕の懐に師匠ダッハートからの手紙がありますので、どうか目を通してください!!」
テルミーズの言葉に爺さんが手を伸ばそうとすると、脇に控えていたレアンとアルディリアがその手を制し、少年を一睨みしてから、後ろに控えていた討伐者たちに目で合図する。すると、一人の男がテルミーズの懐を探り、中から一通の封筒を取り出して、アルディリアに渡した。
アルディリアは、その封筒を透かして見たりするなどして調べて、
「とりあえず問題はないようです。どうぞ……」
と、爺さんに渡す。そんな様子に、爺さんは苦笑しながら封筒を開け、中から一枚の紙を取り出した。
その紙には『この者の名、テルミーズ・アミード。よろしく頼む!』とだけ書いてあった。
「は~っはっはっはっはっ、なんとも師匠らしい! テルミーズとやら、ここに『頼む』とあるが、どういうことじゃ?」
爺さんは、豪快に笑い声を上げたかと思うと、単眼をギョロリとテルミーズに向ける。テルミーズはその迫力に、表情を引き攣らせた。
「はっ、はい。先日、工房で師匠から――
『お前も儂のもとだけにおらず、時には他の鍛冶師がどのような仕事をしているか見てみることも大切じゃのぉ……。そうじゃ、翼竜街のスミスのところにでも行ってみるか? 彼奴は最近、己の年齢を理由に鍛冶場を閉めるなんぞと手紙を寄こしおった。お前、行って、師匠よりも若い奴が鍛冶場を閉めようとするなど百年早い、と儂が言っておったと伝え、ついでにしばらく彼奴のもとで修業してくるとよい。お前のような、これから鍛冶師になろうとする若者が近くにいれば、歳だのなんだのといった戯言など言ってはおられなくなるじゃろう。が~はっはっはっは!』
――と、言われまして……その……よろしくお願いします!」
簀巻きにされたままの姿で、地面に額を擦りつけるテルミーズに、爺さんは大きな溜息をつき、周りで見守る者たちも苦笑するしかなかった。
そう自分の行動を説明する延李に、俺は苦笑し頭を掻いた。
「いや、なりゆきでそうなっただけのことだから。それに、昨日スミス爺さんたちに、街も諸々に対応するために動いていたと聞いている。そのことを考えると、たまたま増援が来るまでの時間稼ぎができたってだけのことだろ。それに俺は途中で気を失ってしまったんだ、ギルドの総支配人に殊更お礼の言葉を言われるものではないだろう?」
みんなを代表するように言うと、延李はおかしなものを見るような怪訝な表情を浮かべた。だが、麗華とフウの顔を見て――
「そ、そうだったな。いや、しかし貴重な時間を稼いでくれたことに変わりはない、そのことに感謝するのだ」
と、なんだか、慌てて何かを誤魔化しているような言葉を口にすると、続けて、
「それから、リリスについてだが、フェレースからも聞いたかもしれんが、彼女は長期の休暇を取っておって、ギルドに来ておらんのだよ」
と言う。その言葉に合わせて、フェレースも肯定するように頷いていた。
「随分と急な話だったんですね。一応、俺と紫慧はリリスと同じ宿に泊まっているんですが、宿の方でもそんな話は聞きませんでしたよ?」
俺がさらに質問すると、延李は少しだけ困ったような表情を浮かべ、わずかに考えるようなそぶりを見せた。
「う~む。まあ、ともに死地を掻いくぐってきた者たちにまで隠しておくのは得策ではないか……。だがこれから話す内容は、この場限りのこととして、決して口外しないでいただきたい! 実は、リリスはダークエルフ氏族が住む郷――豊樹の郷を治める氏族長の娘御なのだよ。事情があり、本人の希望で身分を隠し、翼竜街ギルドの一職員として働いてもらっていたのだ。だが先日、内密に氏族長殿からの使者が訪れてな、『火急の用件が発生』ということで、郷里である豊樹の郷へその密使と帰郷することになったのだ」
「そうですか、実家から帰ってこいって言われ、しかも付添いまで来たのなら仕方ないでしょうね」
俺がサラっと返すと、延李は意外そうな顔をした。
「なんだ? 驚かんのか? ダークエルフ氏族の族長の娘御といえば、我ら竜人族で言うところの麗華様と同格の姫君になるのだぞ?」
そんな延李に、麗華がすまなそうな表情で口を開く。
「おじさま。その……そのことなんですが、アルディリア以外はもうみんな知っています。わたくしが、魔獣討伐の折に、リリスと幼馴染だと話してしまったので……」
その言葉に、延李は体から力が抜けてしまったように深々と椅子に体を委ねると、
「なんだ、知っておったのか……」
と呟いた。リリスの身分については、延李の中で『極秘』事項となっていたのだろうが、『アーウィン家のはねっ返り』と『耀家のお転婆娘』に、見事に思惑を潰されていたらしい。
もっとも、二人にそれを要求したところで無駄になると思い至らなかった延李が悪いと、俺は思うんだが……。そんなことを考えながら麗華の方を見れば、少し不機嫌になった彼女に睨みつけられ、慌てて視線を外すように顔を背けた。
森でもそうだが、どうもこの辺のことを考えると、麗華たちに睨みつけられている気がする。もしかして、顔に出ているのだろうか?
「そうじゃ! リリスから、驍廣殿と紫慧紗殿、それにアルディリアに伝言を預かっておったのだ!!」
突然声を上げる延李に、俺は思考を中断して視線を向けると、椅子に座り直した彼が懐から紙片を取り出した。
「ええとぉ……リリスからの伝言は――
『驍廣。急遽、郷へ戻ることになったけれど、すぐに戻るつもりだから、戻ったら今度は私の弓を一張り作ってね♪ それから、紫慧! アルディリアには注意するのよ、彼女結構本気みたいだから。アルディリア、物には順番というものがあるんですからね、その辺はきちんと弁えるようにしなさいね! それじゃ、もし私が街に帰る前に郷の近くに来ることがあったら、ぜひ寄ってちょうだい。そのときは歓迎するわ♪』
――だそうだ。……はぁ~」
紙片に書かれてあった文を読み上げた延李は、脱力し深く溜息をついた。
『なぜに溜息?』と疑問を持ったが、俺の隣に座る紫慧はリリスの伝言を聞いて力強く頷きつつ拳を握り、一方のアルディリアは不敵な笑みを浮かべていた。
そんな俺たちの様子を見て、こめかみを押さえながら渋面を浮かべるレアン。彼とは対照的に、麗華は何が面白いのかニコニコとしつつ、俺たちの顔を順繰りに見ていた。その笑顔は、いつもの悪戯を思いついたときのような……俺としては嫌な予感がする笑顔だった。
――この後、結局リリスは翼竜街に戻らず、俺たちはリリスの父親が治めるダークエルフ氏族の郷、豊樹の郷に向かうことになる。そして、豊樹の郷だけでなく、周辺一帯を揺るがす大騒動の渦中へと飛び込んでいくのだが、まさかそんなことになると思う者はこのとき誰一人いなかった。
「まったく、騒動を収めてくれたかと思えば、また一騒動ありそうだ。リリスめ、余計なことをしおって……」
挨拶を済ませて、スミス翁の鍛冶場へと急ぐ驍廣たちの姿を見送りながら、延李は困り顔で呟く。
「まあ、若いんですから色々あるんじゃないですか。それを優しく見守るのも、私たち大人の度量というものでしょ♪」
隣に寄り添うように立つフェレースは、楽しそうに彼に笑いかける。
「面白がっていては困る! 若いからこその暴走というものもあるだろう、その辺のことを上手く図るのが『君』のもう一つの重要な職務なのだからね。楽しんでいないでしっかりと頼むよ」
笑いかけられて満更でもない様子で表情を緩める延李だが、戒めるような言葉を口にし、さらに、
「しかし、普段のあの語尾を伸ばした喋りは何とかならないか?」
と言う。すると――
「あら、あの喋り方だと職員が親しみを持ってくれるので、私としてはアリだと思っているのですが?」
「しかし、君の歳であの喋り方は……すっ、すまん。今の言葉は忘れてくれ、副支配人!」
自分が不用意に発した言葉に、フェレースが殺気を漂わせたのを見て、延李は平謝りに謝る。
数多くの職員が働く翼竜街ギルドの中で、様々な業務に精通し、皆に慕われるフェレース。
翼竜街ギルドのおねえさん的存在であり、職員の悩みや隠し事を知る彼女ではあるが、反対に彼女のことをよく知る職員は少ない。その最たるものが、彼女の戸籍上の姓だろう。
彼女の姓は『翔』。フェレース・翔・カッツェと言う。
『カッツェ』は彼女の両親から継いだもので、『翔』は彼女の伴侶である『翔延李』の姓だった。
そう、フェレースは延李の細君であり、翼竜街ギルドを夫とともに支える女傑(影の実力者)。
日頃の間延びした話し方と容姿で若く見られることが多い彼女だが、実は延李とは同い年で、幼馴染でもある。
フェレースの両親は、先の天竜賜国代表領主の館に使える侍従であり、延李の父親は竜賜の近衛軍におり、代表領主の護衛を務めていた。その縁で幼い頃に知り合った二人は、成人すると竜賜で結婚し、当時領主となったばかりの安劉を助けて欲しいという、代表領主であった安劉の祖父の願いに従い、翼竜街にやって来た。当時は、二人のことを知る者がおらず、夫である延李の手助けをしようと、フェレースもギルドの一職員になった。
さすがに延李の妻が同僚と知ったら、職員は色眼鏡でフェレースを見るだろう。中には不埒なことを考えて近付いてくる輩がいないとも限らない。ゆえに延李は『妻は病弱で邸宅からは出られない体だ』という噂を流して、フェレースを守ることにした。
そのためフェレースは、自分が延李の妻であることを名乗れずに、ズルズルと時を重ねてしまい、現在に至る。だが結果として、ギルドで起きる職員たちの揉め事を一職員という立場から解決できるようになり、ギルド業務を円滑に進めることに大きく貢献している。
俺たちは、ギルドからまっすぐスミス爺さんの鍛冶場に向かうため、路地を曲がった途端、鍛冶場の方から何やら騒ぎ声が聞こえてきた。
鍛冶場に近付くと、多くの冒険者や討伐者が集まっていた。彼らは口々に罵声を張り上げていたが、その罵声は群衆の向こう側に見える小山のような賢猪サビオハバリーの背中に向けられていた。
「すまないが、この騒ぎは一体なんなんだ?」
俺は、群衆の一番外側で、呆れ顔で様子を窺っている竜人族の男に話しかけた。
「うん? なにね、これまでは流行りの鋳造武具を使っていたやつらが多かったのは知ってるだろ? だけど魔獣騒動のときに、魔獣との戦いの中で、鋳造武具はいくらも使わない内に折れたり曲がったりしてしまって、使い物にならなかったんだよ。それで、新たに武具を買い求めようとしたんだけど、鋳造武具を製造販売していた店が、突然店を閉めて行方をくらましてしまってね。そんなときに、翼竜街にも魔獣が大挙して迫っているって情報が届けられてね。それで、武具を失った討伐者や冒険者がギルドに押しかけて大変な騒ぎになったんだけど、スミス翁が鍛造の武具を大量に持ってきてくれて、魔獣騒動の間だけって条件で貸与してくれたんだよ。おかげで、多くの者が翼竜街を守るために力を揮うことができた。それで、そのときに振るった鍛造武具と鋳造武具とのあまりの性能の違いに驚いて、スミス翁の鍛えた鍛造武具を求めようとする者が増えたんだ。だけど、昨日まで鍛冶場が閉まっていてね。以前鍛冶場を閉めるなんて噂もあったから、もうスミス翁が鍛えた武具は手に入らないかもしれないって言われはじめていたんだ。それでも武具欲しさに日参している者までいたんだよ。で、今日になって鍛冶場の扉が開いたというんで来てみたら、見ての通り、扉を塞ぐようにして賢猪様が寝ておられてねぇ……」
と、竜人族の男は、困ったような顔で教えてくれた。よく見ると、寝ているサビオを困り顔で眺めている者やサビオを起こそうと声を上げる者たちが集まっていた。そんな中、一際大きな声でサビオを怒鳴りつけている者が……
そいつは少年のような風貌で、どう見ても戦いを生業にしているようには見えず、どこかの街からやって来た者なんだろうか、旅仕度をしていた。
「コラ~! いい加減この場を開けろ、この馬鹿猪がぁ! 遠路はるばるやって来たというのに、さっさとここをどいてスミス翁に会わせろ~!!」
声を張り上げるだけでなく、サビオの腹を蹴ったりしているのだが、サビオにとっては蚊に刺されたほどのことでもないようで、スヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
そんな様子に、俺は紫慧たちとともに、鍛冶場の前に集まった人混みを掻き分けてその若者とサビオのところに行く。
「ちょっと良いかな。サ~ビ~オ~! 起きろぉ~!」
サビオの肩に飛び乗って耳を引っ張りながら、雷が落ちたような大声で怒鳴りつけると、さすがのサビオも目を覚まして飛び起きた。
「なっ、なんじゃ! 何が起きた!! ……驍廣ではないか、驚かすでないわ」
サビオは、耳を掴んでいる俺を確認し、大声で叩き起こされたことに不満を口にする。
「『驚かすでないわ』じゃないぞ! 周りを見てみろよ、この人だかりを。昨日の月乃輪亭に続き、今日は鍛冶場の前で騒ぎを起こすなんて、もう森に戻ったらどうだ?」
呆れて俺が発した言葉に、サビオは耳をパタパタと動かして、
「驍廣~、つれないことを言うな。儂はお主のことを心配して『街』に滞在しておるのだぞ、それなのにその言い草はなかろう……」
目に涙を溜めて抗議をするサビオの姿に、俺は苦笑しつつ手を伸ばして眉間を掻いてやる。すると、嬉しそうに鼻を上に向けて、もっと掻けと甘えるような仕草すら見せた。
「いつまでじゃれているつもりですか? いい加減、そこをどいてください。僕は鍛冶師のスミス翁に話があって、はるばる翼竜街にやって来たのです。それなのに、翁の鍛冶場の入り口を塞がれて、本当にいい迷惑です!!」
さっきまでサビオをどかそうと騒いでいた少年(ドワーフ氏族のようだ)が、俺とサビオを睨みつけている。俺は、少年の剣幕に、いそいそとサビオから降りて道を譲ろうとしたが、サビオはその場を動かず、少年を見据えた。
「そうじゃったか、それはご苦労なことじゃ。じゃが、お主をこの中に入れることはできぬな」
穏やかな口調ながら、サビオの言い放った言葉に、少年の顔は真っ赤になる。
「何を言うんだこの獣は! だいたいなぜお前のような獣に、スミス翁の鍛冶場への入場を拒否されなきゃいけないんだ!! 僕はこれでも、甲竜街にその人在りと称えられる鍛冶師の重鎮ダッハート・ヴェヒター様のお言いつけで、はるばる翼竜街までやって来たんだ! ダッハート様は、スミス翁の鍛冶の師匠に当たる御方だぞ。その師匠の言いつけでやって来た僕を鍛冶場に入れないなんて、そんなことをスミス翁が言うはずが……」
「まったく、何を人の家の前でゴチャゴチャ言っておるのだ!」
固く閉じられていた鍛冶場の扉が開き、それまで捲し立てていた少年を怒鳴りつけるようにして、スミス爺さんが姿を現した。
「スミス爺さん!」
俺の声に、怒鳴りつけられて固まっていた少年は反応し、俺が声を掛けた方へと目を向けた。ちょうどその位置は爺さんの腰あたりで、そのまま上へと視線を上げていき、少年をジロリと見下ろす爺さんの一つ目と目があった途端――
「ひぃ~」
軽い悲鳴のような声を上げて、その場に座り込んでしまった。
その様子に、俺は苦笑しながらいつものように挨拶をする。
「爺さん、おはよう! 言いつけを守って、麗華やレアン、それにギルドの方々に挨拶をしてきたぞ。そのお陰で余分なモンまで付いてきたけどな」
スミス爺さんは麗華たちを見て、
「ふん! お前たちも来たか、お前たちならば別にかまわんじゃろう、さあ中に入れ!!」
と俺たちを招き入れると、再びサビオに向き直り、
「サビオ殿、申し訳ないがもうしばらく誰も入らぬように、見張っていてくれぬか。よろしくお願いいたす」
と、扉を閉めてしまった。
「おい! 爺さん、良いのか? 爺さんの師匠の使いだって奴が来てたが?」
「だからなおのことじゃ! 今、鍛冶場に入られたら、炉の中に火精霊がいないことが分かってしまうじゃろ。炉の中で蛹になっておった火精霊は焔鳥となってお前さんのもとへ飛んでいったのじゃが、それからというもの、何度炉に火を入れようとしても、火が燃え出さぬのじゃよ。長年鍛冶仕事をしてきたが、炉に火が入らぬなどといった事態になったことは、経験はおろか、視たことも聞いたこともなくて、途方に暮れておったのじゃ。そう言えば、焔鳥はどうしたのじゃ? まさか、お主のところにたどり着かなかったのではあるまいなあ」
俺と一緒にいると思っていた炎の姿がないことを心配するように、スミス爺さんがそう言った途端、天井の空気口から緋色の物体が飛び込んできて、フワリと俺の肩に舞い降りた。
「スミスお爺様、ご無沙汰しておりました。無事、我が主と巡り合うことができ、今はこのように幸せな毎日を過ごしております」
炎が発した言葉に、スミス爺さんは一つ目を大きく見開いたかと思うと、嬉しそうに細めながら、
「おお、そうかそうか、今はその姿で慕う主のもとにおるのか、良かったのぉ安堵したわい」
と、何度も頷き、炎の無事を喜んでいた。
「さて、炎殿のことはひとまず置いて、先程も言ったように、今この鍛冶場の炉では火が燃えぬのじゃが、どうしたものか……」
火精霊が焔鳥へと羽化する瞬間を目にしていたため、スミス爺さんは特に炎について触れることもなく、問題の炉を睨み、腕を組んで考え込んだ。
「スミスお爺様、重ね重ね申し訳ありません。妾がこの場所から抜け出してしまったせいで、この炉では火が燃え上がらず、大変なご迷惑をお掛けいたしました。妾はいっこうに構わなかったのですが、火精霊たちが変に気を使い、妾がいた場所だから近付いてはならぬとでも思っていたのでしょう。今すぐ火精霊たちにこの炉に来て良いと許可を与えますので……」
炎はそう言うと、俺の肩から離れて鍛冶場の炉の前に行き、緋色の熊鷹から、炎を纏った凰の姿に変じる。そして、翼を大きく広げて、高らかに一声鳴くと、それに合わせるかのように、火種のなかった炉に勢い良く火が立ちあがった。
その火の中に、ユラユラと揺れる影が。目を凝らしてよく見ると、小さいものの、背に翼を生やした竜――炎の精霊である火竜が、嬉しそうに炉の前で翼を広げる炎に対して深々と頭を下げていた。
「これで大丈夫です。今後は火精霊に代わって、この炎精霊が炉の住人となります。スミスお爺様はもちろん、この鍛冶場が使われ続ける限り、炉から火が絶えることはないでしょう。ご迷惑をお掛けした罪滅ぼしというわけではございませんが、これからもお仕事にお励みください。ですが、我が主である驍廣様がこの場で鍛冶仕事を行うときには、炎精霊に代わって妾が火の番人となりますので、その辺はご承知くださいませ」
話し終えた炎は、炎の凰から緋色の熊鷹へと姿を戻し、再び俺の肩の上へと舞い上がるのだった。
その様子に一同茫然としていたが、俺の頭の上で寝ていたフウが目を覚まして伸びをした際に発した「フニャ~~~~ァ」という鳴き声で、正気に戻った。
「……言った通りだったじゃろうが、この場に余人を入れなくて正解じゃったわい」
顔を引き攣らせながら呟いた爺さんの一言に、鍛冶場の中にいた者全員が、お互いに確認しあうように何度も頷いた。
炎にその力の片鱗を見せつけられて驚きざわつく俺たち(フウ以外)だったが、爺さんが淹れてくれお茶を飲んでいる内に徐々に冷静さを取り戻した。その後、ここに来るまでに、耀家邸とギルドであったことをスミス爺さんに話した。
しばらくして、扉の外では再びスミス爺さんを呼ぶ声が響いてきた。放っておいたら、ついには声とともに扉を強く叩き出し、ゆっくり話ができる状況ではなくなってきた。
「まったく……分かった、分かった。今扉を開けるから静かにせい!」
爺さんが扉を開けると、タイミング悪く(良く?)扉を叩いていた腕が、爺さんの鳩尾にものの見事に当たった。爺さんは予想外の一撃に悶絶し、扉の前で崩れ落ちる。
スミス爺さんを叩いた張本人の少年は、突然目の前で倒れた爺さんをポカンと眺めていた。
「爺さん!! 紫慧、爺さんの手当てを、早く!」
俺はすぐに爺さんのもとに駆け寄ると、紫慧に治癒術を掛けるように指示し、その少年を取り押さえようと睨みつけた――が、既に少年は鍛冶場の前に集まっていた討伐者や冒険者たちによって取り押さえられ、彼の喉元には、レアンの風鼬とアルディリアが懐から取り出した投小剣が突きつけられていた。
やがて意識を取り戻した爺さんが、討伐者や冒険者たちによって簀巻きにされ、今まさに衛兵のところに連れていかれようとしていた少年を、自分のもとに連れてくるように言ったため、少年は簀巻きのまま、爺さんの前に引き出された。
「お主、なんの恨みがあっていきなり鳩尾に打撃を入れたのじゃ。返答次第によっては助けてやらぬこともないが?」
少年は、簀巻きにされた体を芋虫のように動かし、縋りつくような表情を浮かべ、
「事故だったのです! いくら声を上げても返事がなかったので、声を上げるのと一緒に扉を叩いていたら、いきなり扉が開いて、勢いのついた腕が止まらずに……申し訳ありませんでした!!」
泣きそうな顔で謝罪の言葉を口にする少年に、スミス爺さんは呆れ顔になる。
「それで、たまたま急所に当たったと……それにしては……扉を叩いていたという割には、強烈な一撃だったが? 老いたりとはいえ、これでも儂の体はかなり頑強な方じゃ、その体に悶絶ものの一撃を入れるとは……お主、歳を重ねているとは思えぬ容姿なれど、実は相当に武芸の嗜みがある討伐者か冒険者なのかのぉ?」
「いえ、武芸などは何も……ただ鍛冶師として毎日鎚を振るっていましたから、それなりに腕力はあるかもしれません」
「ほ~ぉ、鍛冶師のぉ。一体どこの鍛冶場かな?」
そう爺さんが尋ねると、少年は簀巻き状態ながらも、パッと顔を上げて胸を張った。
「甲竜街のダッハート工房です。ダッハート・ヴェヒターの弟子で、テルミーズ・アミードと申します。すみませんが、僕の懐に師匠ダッハートからの手紙がありますので、どうか目を通してください!!」
テルミーズの言葉に爺さんが手を伸ばそうとすると、脇に控えていたレアンとアルディリアがその手を制し、少年を一睨みしてから、後ろに控えていた討伐者たちに目で合図する。すると、一人の男がテルミーズの懐を探り、中から一通の封筒を取り出して、アルディリアに渡した。
アルディリアは、その封筒を透かして見たりするなどして調べて、
「とりあえず問題はないようです。どうぞ……」
と、爺さんに渡す。そんな様子に、爺さんは苦笑しながら封筒を開け、中から一枚の紙を取り出した。
その紙には『この者の名、テルミーズ・アミード。よろしく頼む!』とだけ書いてあった。
「は~っはっはっはっはっ、なんとも師匠らしい! テルミーズとやら、ここに『頼む』とあるが、どういうことじゃ?」
爺さんは、豪快に笑い声を上げたかと思うと、単眼をギョロリとテルミーズに向ける。テルミーズはその迫力に、表情を引き攣らせた。
「はっ、はい。先日、工房で師匠から――
『お前も儂のもとだけにおらず、時には他の鍛冶師がどのような仕事をしているか見てみることも大切じゃのぉ……。そうじゃ、翼竜街のスミスのところにでも行ってみるか? 彼奴は最近、己の年齢を理由に鍛冶場を閉めるなんぞと手紙を寄こしおった。お前、行って、師匠よりも若い奴が鍛冶場を閉めようとするなど百年早い、と儂が言っておったと伝え、ついでにしばらく彼奴のもとで修業してくるとよい。お前のような、これから鍛冶師になろうとする若者が近くにいれば、歳だのなんだのといった戯言など言ってはおられなくなるじゃろう。が~はっはっはっは!』
――と、言われまして……その……よろしくお願いします!」
簀巻きにされたままの姿で、地面に額を擦りつけるテルミーズに、爺さんは大きな溜息をつき、周りで見守る者たちも苦笑するしかなかった。
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