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4巻
4-1
しおりを挟むプロローグ 武具鑑定士取締の焦心
武具比べも終わり、武具鑑定士取締であるアタシ――エレナ・モアッレとその一行は、翼竜街を発った。愛しい愛娘は仕事の都合で来られなかったけど、翼竜街の領主・耀安劉をはじめ、津田驍廣って驚きの武具を鍛えた若き鍛冶師や、多くの者に見送られての出立だった。
それから二日目の朝――〝響鎚の郷〟への道と甲竜街への道とに分かれる分岐路に、間もなく差しかかろうというときだった。愛娘の手配で、道中の護衛をしてくれている翼竜街所属の衛兵殿が、アタシたち一行の足を止めさせると、腰に差していた唐剣を抜いた。
これまでの道中、アタシに対して動じることなく言葉を交わし、時には冗談を言うような気さくな人物だと思っていた衛兵殿。だが今は、少し緊張したように引き締まった表情となり、同じ人物には見えないほど張り詰めた空気を纏っていた。
「道を開けられよ! 我らは、翼竜街ギルド総支配人・翔延李様が武具の鑑定に招聘された武具鑑定士取締エレナ・モアッレ様の一行である。翼竜街での武具鑑定も終わり、響鎚の郷への帰路につく我らに、道を塞ぐように徒党を組んで待ち受けるとは、いかなる存念があってのことか?」
衛兵殿は、周囲に響きわたるような大きな声で誰何した。すると、彼がジッと睨みつける先――何もない空間が突如揺らめいたかと思うと、旅装の男たちが姿を現した。彼らの中でもっとも小奇麗な男が進み出て、フードを取った。その姿に、アタシは自分の目を疑う。
「こ、これは天樹国のハイエルフ氏族の御方でしたか?」
衛兵殿も驚いたようで、慌てて手にした唐剣を背に隠し、片膝を突く。そんな彼の様子に、ハイエルフ氏族の男は少し満足そうに、それでいて蔑むような目付きで――
「役目ご苦労。我らがこの場で待つのは、武具鑑定士取締殿への伝言と、同道している不届き者の身柄を引き取るため。武具鑑定士取締殿! 武具鑑定士取締エレナ・モアッレ殿はいずれにおられる?」
ハイエルフ氏族の呼びかけに、何やら胸騒ぎを覚えながらも、アタシは衛兵殿の前へ進み出た。
「おぉ、エレナ・モアッレ殿、我らは響鎚の郷族長ヨゼフ・グスタフ殿からの伝言を頼まれ、貴女がここに来るのを待っていたのだ。エレナ・モアッレ殿、貴女にはこれより甲竜街に赴いていただきたいとのことだ。なんでも、貴女が郷を発ったあとすぐに、甲竜街からも武具の鑑定の依頼が入ったそうだ。急なことで申し訳ないのだが、『急ぎ来てほしい』と使いの者に捻じ込まれたらしく、ヨゼフ殿もお困りの様子であった。それから、連れておられる未熟な鍛冶師見習いのドワーフ氏族の者たちは、輝樹の郷に連行せよとの命を受けておる。その者たちは、翼竜街にて相当な失態を演じ、天下に冠たる響鎚の郷の鍛冶師に泥を塗ったというではないか。我らが族長センティリオ・ファータ様も、そのことを聞いて真偽のほどを確かめたいと仰せになられた。件の未熟者どもの身柄は我らが預かり、輝樹の郷に連行する。よもや否とは言われますまいな!」
そう一方的に告げたハイエルフ氏族は、後方に控えていた者たちに合図を送り、〝翼竜街で失態を演じた〟トント以下三人のドワーフ氏族に縄をかけて、まるで囚人のように扱う。そして、
「では、エレナ殿。甲竜街のこと、しかと頼みましたぞ」
と一言残し、彼らはすぐに天樹国の方へと消えていった。そのあまりの手際のよさに、アタシも衛兵殿も呆気に取られた。
「……エレナ殿、良かったのでしょうか? とはいえ、ハイエルフ氏族の方がお出座しになられては、自分ごとき一衛兵に否とは言えなかったのですが。そもそも、その言葉を発する隙さえありませんでしたな……」
あっという間に見えなくなったハイエルフ氏族一行に、呆れたように呟く衛兵殿。
「アタシが知るわけないだろ! なんでまたハイエルフ氏族なんだい? いつもは輝樹の郷に籠っているっていうのにさ……」
事情を知らないのはアタシも同じだから、投げやりに答えるしかなかった。
――まさかこの件が後に大きな災いとなって降りかかってくるなんて、このときのアタシには知る由もなかった。
第一章 能ある猫は爪を隠していますが何か!
俺――津田驍廣は、魔獣騒動のときに意識を失ってから、一季(一ヶ月)もの間、眠り続けてようやく目を覚ました。床上げをした翌日、本調子ではない体を紫慧に支えてもらいながら、アルディリアも伴い、これまで色々と心配をかけた人たちへの挨拶回りに出かけることにした。
紫慧は、何日か休んでからの方がいいのではと心配してくれた。だが俺としては、少しでも動いて早く体調を回復させ、鍛冶仕事に復帰したかった。だから、挨拶回りもリハビリの一つだと無理やり理屈をつけて出かけることにしたのだ。
それに、昨夜ドンチャン騒ぎをやらかしておいて、また寝込んでしまったら、スミス爺さんが戦鎚片手に「軟弱者!」と怒鳴り込んでくることだろう。
アルディリアもその様子が想像できるのか、渋る紫慧に「驍なら大丈夫だから」と一緒に説得してくれた。もちろん、その後耳元で「ワタシがいてよかっただろ♪」などとしたり顔で言われてしまったのだが、それも自らが蒔いた種と諦めた。
本来ならば、いの一番にスミス爺さんの鍛冶場に顔を出すのが筋なのだが、昨夜のドンチャン騒ぎの帰り際、スミス爺さんから――「まず一緒に生死の境を潜り抜けた麗華とレアン、その次は翼竜街ギルドの翔延李支配人やフェレースたちに挨拶をしてから、鍛冶場に来い」と言われていた。そこで、俺はまず麗華とレアンが住む翼竜街領主・耀家の邸宅へと歩を進めた。
耀家邸宅の門には、取次と護衛を兼ねた衛兵が詰めており、俺たちは彼に、氏名とこの場に訪れた目的を告げる。すると、衛兵は俺の顔を見て驚いたような表情を浮かべたが、
「津田驍廣殿と紫慧紗殿、そしてアルディリア殿ですな。ただちにお呼びいたしますので、しばしお待ちを!」
と言うが早いか、大慌てで門の中へと消えていった。俺は『なぜにそんなに慌てて?』と首をひねるが、一緒にいた紫慧とアルディリアは、衛兵の様子を特に不思議に思っていないようだ。
そんなことを考えている間に、再び邸宅の門が開かれた。衛兵とともに姿を現したのは、漢服の襖裾と呼ばれる腰までの丈の上着と、巻きスカートを組み合わせたような服装をした、侍女姿の美しい女性。彼女は小走りに駆けてくると、俺たちの前で止まり、深々と拱手し、
「ようこそおいでくださいました。津田驍廣様、紫慧紗様、アルディリア様。中で緋麗華様がお待ちです。こちらに……」
と、まるで貴人を迎えるような態度で邸宅内へと案内された。
俺は女性の態度に戸惑いながらも、頭頂部に立つ二つの狗耳と、臀部で拍でも取るようにリズムよく揺れる尻尾に、以前どこかで会ったことを思い出した。
「貴女はもしかして、レアンのお姉さんで――」
「はい、レティシアと申します! 先の魔獣騒動の際、弟がシュバルツティーフェの森から無事に帰ってこられたのは、津田様のおかげだと。しかも、弟に良き武具を鍛えていただいたとも伺っております。本当にありがとうございました」
尋ね終わらない内に、被せ気味に返答してくれたレアンのお姉さん。俺は彼女の言動にさらに戸惑ってしまい、生返事で応じるのがやっとだった。
そんなやり取りをしている間にも、案内されるままに邸宅の扉を抜け、一つの部屋に通された。
「――すぐに緋麗華様をお呼びいたします、こちらでお待ちください」
そう告げると、優雅な一礼を残し、レアンのお姉さんは部屋から出ていってしまった。
待てと言われれば待つしかないのだが、領主の邸宅、しかも豪華な調度品が置かれた、いかにも貴賓室と思われる部屋に残され、俺と紫慧は所在なさげにソワソワしながらその場に立ちつくす。アルディリアはギルド職員としてこのような状況に慣れているのか、部屋の中央に並べられた長椅子に腰を下ろし、俺と紫慧の狼狽える姿に苦笑を浮かべ、
「驍廣も紫慧も、何をそんなところで立っている。麗華を呼んでくると言っていたのだから、ワタシたちは先方が来るまで座って待っていればいいのだ」
と、俺たちにも長椅子に座るよう促した。俺と紫慧は素直にアルディリアに従い、長椅子に腰掛けようとしたら――扉の外から誰かが走ってくる足音が聞こえ、その後すぐに貴賓室の扉が勢いよく開いた。
「驍廣さん!」
「驍廣!!」
声を上げて飛び込んできたのは、執事服(見習い用)を纏ったレアンと、せっかくの煌びやかな衣服(曲裾)が走ったために着崩れて情けない姿になってしまった麗華だった。
部屋に飛び込んできた直後の二人は、少し緊張しているような表情だったが、俺の姿を見るなり満面の笑みを浮かべる。そして、座ろうと中腰になっていた俺に飛びつき、長椅子に押し倒した。
「驍廣さん、良かった、もう体は大丈夫なんですね。シュバルツティーフェの森で気を失われてから、何度お見舞いに行っても気が付かれる気配がなくて、このまま目覚めなかったらどうしようって、心配していたんですよ」
「そうですよ、驍廣。特に、そばで心配そうに看病を続けていた紫慧とアルディリアの様子といったら……。何にしても、目を覚ましこうやって元気な姿を見せてくれて本当に良かったですわ。貴方からの申し出であったとはいえ、魔獣討伐に同行する許可をギルドに求めたのは、形式的にはわたくしということになっていましたから、この一季随分と肩身の狭い思いをしてきたのですよ」
レアンは単純に、俺が元気な姿を見せたことを喜び、一方の麗華は、紫慧とアルディリアがどれほど親身になって俺の看病をしていたか、そして麗華自身もどれだけ心を痛めていたかを皮肉交じりに告げる。だが、内心では元気になった俺の姿に安堵と喜びの感情を抱いてくれたようで、拗ねたような表情の中にも笑みが見え隠れしていた。
そんな二人に揉みくちゃにされた俺は、何とか二人を引き剥がそうとするのだが、一季もの間寝込んでいた体は力が衰えていて、押しのけることができなかった。そこで、助けを求めて手を伸ばしジタバタさせると、それに気付いた紫慧とアルディリアが慌てて割って入ろうとしたのだが――
「麗華様! レアン! 何をしているのですか!!」
二人を叱りつける金切り声が部屋中に木霊する。声の方を見たら、顔を真っ赤にして目を吊り上げる侍女の姿が……
「姉ちゃん……」
「レティシア……」
レアンと麗華は、侍女の怒りの表情を見て顔を引き攣らせ、すぐさま俺から離れる。そして、長椅子に倒れた俺の体を無理やり起こし、自分たちの乱れた衣服を整えようとした。しかし、レアンの執事(見習い用)服は皺が取れず、麗華に至っては完全に着崩れてしまい、直そうとすればするほど不恰好になった。
そんな二人に、レティシアは大きく溜息をつき、
「レアン、貴方は着替えてすぐに驍廣様たちへお茶の用意をなさい。麗華様、そのような姿ではお客様に対して失礼です。お召し物を変えさせていただきますので、お部屋の方にお戻りください。驍廣様、紫慧様、アルディリア様、申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください。では失礼いたします」
そう告げると、レアンと麗華を急き立てるようにして、部屋を出ていった。その姿に、俺たちは呆気に取られ、ただ見送ることしかできなかった。
少しして、レアンはレティシアの言いつけ通り、皺だらけになった服を着替えて、俺たちのいる部屋に戻ってきた。今度は騒ぐことなく、俺たちにお茶を淹れると、壁際に下がり、直立不動の姿勢を取る。そんなレアンに、俺たちも話しかけていいのか判断が付かず、とりあえず淹れてくれたお茶を飲みながら、麗華が来るのを待つことにした。やがて――
「お待たせいたしました、紫慧、アルディリア、それに驍廣も。驍廣は本当に元気になったようで良かったですわ。この一季の間、なかなか目を覚まさない貴方を心配していたのですよ」
レティシアが開けた扉から、すまし顔で入り直した麗華に、思わずクスリと笑ってしまっても仕方ないだろう。そんな俺たちを不満そうに一睨みした麗華は、対面の長椅子に優雅に腰掛ける。レアンはそれを待っていたかのように、俺たちに淹れたものと同じお茶を出した。麗華はお嬢様然とした仕草で目礼して、出されたお茶を口に運ぶ。
その何とも取ってつけたようなやり取りに、我慢しきれず噴き出してしまう俺と紫慧。
「驍、紫慧。噴き出すなんて……失礼……だぞ」
隣に座るアルディリアに注意されるものの、そう言う彼女でさえ笑い出すのを必死に堪えているようだった。
街を治める領主の娘に対して失礼極まりない態度を見せる俺たち。本来なら『無礼者!』と咎められるところだと思う。だが、笑われている本人たちも、自分らが見せている姿が普段とはあまりにも違うことを承知しているようだ。
それでも、やはり笑われるのは面白くないらしい。しかも、この振る舞いを強要した者が『普段の行いが悪いからですよ。身から出た錆です……』とばかりに落胆の表情を見せるに至り――
「だから、驍廣たちにこのような他人行儀な、通り一遍の態度など必要ないと言ったのです! それをレティシアが、淑女としての振る舞いがどうのこうのと言うから……」
麗華は膨れっ面になって、レティシアを拗ねたように睨みつけた。当のレティシアは再び大きく溜息をつき、
「麗華様。麗華様は耀家の公女として取るべき態度、身につけるべき所作があると、執事長からも口が酸っぱくなるほど聞かされているではありませんか! そのご忠告を聞き入れず、奔放な態度を取られているから、このようなことになるのです」
やり込められる麗華の姿に、さすがに俺も同情してしまう。
「麗華、笑って済まなかった。レティシアさん、だったな。麗華とレアンと俺たちは、魔獣討伐で苦楽をともにした『仲間』なんだ。今日この場を訪ねたのも、長い間寝ていて心配を掛けてしまった仲間へ挨拶を、と思ってのこと。公女の麗華とその従者であるレアンに会いに来たんじゃなくて、一緒に死線を潜り抜けた仲間である二人に顔を見せに来ただけだから」
俺が麗華への謝罪とともにレティシアへ告げると、彼女は少し困ったような表情をした。
「皆様が麗華様に対してそのようなことを言うから……。とはいえ、驍廣様の仰る通り、皆様と麗華様そして愚弟は、立場や地位などを超えた仲間ですし、安劉様もそのことをお認めになられています。……私が出過ぎた真似をしてしまったのかもしれません。失礼いたしました。レアン、こちらに来てお座りなさい。ここからは私が給仕をします。仲間である貴方が一人立っていては、皆様もゆっくりと話ができないでしょうからね」
レティシアはレアンを麗華の隣に座らせると、優しい笑顔を見せ一礼し、冷めてしまったお茶を一旦下げ、淹れ直してくれた。彼女が淹れてくれたお茶は、先にレアンが淹れたものと同じはず。なのに、口元に運んだときに鼻腔を擽る芳醇な香りとまろやかな口当たりに、まるで全くの別のお茶が出されたのかと思うほどで、口にした全員から感嘆の溜息が漏れた。
そんな俺たちの様子に、レティシアは微笑み、
「津田様、改めてご挨拶させていただきます。私はレアンの姉でレティシアと申します。先の騒動の際には、麗華様と弟の身を守ってくださったとお聞きしました。そのお礼をと思っておりましたが、長らく床に伏せっておられるのに、私のような者がお見舞いに参りましてもご迷惑をお掛けするだけだと控えさせていただいておりました。本日はこのようにお元気なお姿を見ることができ、また感謝の言葉をお伝えすることができ、胸のつかえが取れた思いでございます」
そう言って、深々と頭を下げる彼女の言動に、俺は慌てた。
「いや、そんな感謝されることは何も……。魔獣討伐に同行させてもらった者として当然のことをしただけだ。それに、途中で気を失ってしまった俺を、翼竜街まで運んでくれたんだ。むしろ俺の方が感謝しなければいけない。麗華、レアン。心配掛けてすまなかった!」
俺は、対面に座る麗華とレアンに頭を下げた。レアンは恐縮して慌てふためき、麗華は頭を下げる俺を満更でもない顔で見つめる。
「――そうですわね。驍廣を翼竜街に連れて帰った後、色んなところに説明をして回らなければならなかったわたくしの苦労がようやく報われた思いですわ。ですが、頭を下げてそれで全てを丸く収める、というのも少し面白くないですわねえ……どうでしょう? レアンのために、魔獣討伐の際に刃の欠けてしまった二振りの唐剣に代わる武具を鍛えてはいただけませんか?」
悪戯を思いついたような笑みを浮かべる麗華がそんなことを言い出す。レティシアが彼女を咎めるように睨みつけるのを、俺は手を挙げて制し、
「そんなことだったらいつでも……とりあえず、スミス爺さんと相談をしてからになるが、必ずレアンのために武具を打たせてもらうと約束しよう」
と、笑いながら返しておいた。
その後、俺が森で気を失ってからのことを聞きながら、レティシアの淹れてくれたお茶を楽しんだが、まだギルドなどに挨拶に回らなければいけないので、お暇することにしたら――
「ギルドへ向かうのですか? でしたら今回の騒動の当事者としては、同行しないわけには行きませんわ! レティシア、外出の用意を!!」
麗華は言うが早いか、レティシアとレアンを引きずるようにして部屋から出ていった。そして、すぐにいつもの漢服に細めのパンツ、それに腰に唐剣を下げて現れると、俺たちを急かすように外へと連れ出した。
「麗華様、良かったのですか? このことが後で執事長に知れたら……」
麗華に急かされ邸宅を出た俺たち。麗華とレアンを先頭に天竜通りを歩く中、レアンが小声で声を掛けると、前を歩く麗華は一瞬ビクリと体を震わせた。
「だ、大丈夫ですわ。これはともにあの騒動を乗り越えた者としての務めなのですから、バル爺だって話せば分かってくれますわ。それに、都の竜賜から帰ってきて以来、わたくしはリリスと全く会えていないのですよ。せっかく驍廣が元気になったのですから、ギルドに同行し、一度も顔を見せない薄情者に文句の一つも言ってやらねば気がすみません」
麗華の言葉に、レアンも納得するように頷くが、反対にアルディリアの顔は一瞬だけ曇る。その表情に何かあるのか? と向けた俺の視線に、アルディリアは顔を背けた。
「そう言えば、昨日俺が目を覚ました後、月乃輪亭で軽く宴会みたいな騒ぎになったんだけど、そのときもリリスは顔を見せなかったし、今日も見なかったんだよ。アルディリア。お前、ギルドで一緒に働いているんだろ。リリスのこと、何か知らないか?」
俺の問いかけに、みんなの視線がアルディリアに集まるが――
「リリスか? ……彼女は魔獣討伐窓口の担当だったから、色々と事後の対応に追われて、麗華のところに顔を出せなかったんじゃないのか? ワタシは驍廣の様子を見るために、ギルドには行ってなかったので、ちょっと分からない……」
と、普段のアルディリアとは違い、歯切れの悪い回答しか帰ってこなかった。そんな彼女に違和感を覚えたのは俺だけではなかったようで、紫慧も表情を曇らしている。
「ふん! どうせこれからギルドに向かうのじゃろ。ギルドに行けばその辺のことも分かるじゃろうから、立ち止まっておらんで早く行くぞ!」
リリスの話題が出て、天竜通りの真ん中で立ち止まってしまっていた俺たちに、いつものように俺の頭の上で寝ていた賢虎のフウが、目を覚ましたのかそう告げる。そして、俺の頭の上から飛び降り、先導するように高々と立てた尻尾を振りながら歩きはじめた。俺と紫慧は顔を見合わせて苦笑を浮かべ、フウを追いかけた。
アルディリアはそっと息を吐き出すと、フウに軽く目礼をしてから、麗華とレアンを促し、俺たちの後を追いかけるように歩き出した。
ギルドに着くと、俺たちはまずリリスに会おうと、彼女がいつも働いている魔獣討伐窓口に向かう。だがそこにいたのはリリスではなく、猫人族のギルド職員フェレースだった。
窓口には、以前は並んで順番待ちまでしていた討伐者の姿はなく、フェレースは眠そうな顔で時々あくびをしながら受け付けにいたが、近付く俺たちに気付き、慌てて居ずまいを正し、営業スマイルを浮かべた。
「翼竜街ギルド魔獣討伐窓口にようこそぉ♪ ただ今、翼竜街近郊での魔獣の発生、目撃情報は入っておりませ~ん。なのでぇ、討伐依頼もないんですがぁ、なにか御用でぇ……あれぇ、アルディリアじゃないですかぁ、どうしたんですかぁ、討伐窓口に顔を見せるなんてぇ?」
相変わらず語尾の伸びたノンビリ口調で話すフェレースに、麗華は焦れたらしい。
「失礼いたします。魔獣討伐窓口担当のリリスと、ギルド総支配人の翔延李おじさまにお会いしたいのですが、お呼びいただけますか?」
そう言いながら、アルディリアを押しのけて、窓口にいるフェレースに詰め寄った。だが――
「リリスですかぁ? リリスなら今はギルドにいませんよぉ、長期の休暇を取ったとかでぇ……。延李総支配人は奥の支配人室にいますので、ちょっと待っててくださいねぇ」
フェレースは、俺たちの返事も待たずに、サッと奥へと消えてしまった。
「リリスが長期の休暇を取ってギルドにいない? どういうことだ、アルディリア?」
俺の言葉と注がれる仲間たちの視線に、アルディリアは困ったような表情を浮かべ、
「さっきも言ったが、ワタシは詳しいことは知らないのだ。……総支配人に聞いてくれないか」
と、言及を避けるばかり。仕方なく俺たちは、延李に話を聞くためにこの場は大人しくフェレースを待つことにした。俺たちのやり取りを知ってか知らずか、フェレースは戻ってくるなり、
「は~い。では皆さん、総支配人がお会いになるということなのでぇ、私について来てくださいねぇ。支配人室にご案内しま~す」
と、気の抜けるような口調で、窓口の横に設置してある扉を開け、俺たちを迎え入れると、支配人室まで案内してくれた。
支配人室には延李が一人、机の上に堆く積まれた書類の山と格闘中で、盛んに筆を走らせる音と判子をつく音が静かな部屋に響いていた。
「総支配人、麗華様と驍廣さんたちをお連れしましたぁ」
「フェレース、悪いが、もう少しで区切りがつくから、そこの長椅子に座って待ってもらってくれ。その間に、皆さんにお茶をお出しして」
書類の向こう側から、延李が顔も上げずに言う。
「はぁ~い、分かりましたぁ。では皆さん、こちらにお座りください。すぐにお飲み物の準備をいたしますねぇ」
フェレースは延李の言葉通り俺たちに長椅子に座るよう告げると、一旦支配人室を後にした。残された俺たちは、言われるままに支配人室の中央に置かれている長椅子に座る。
ほどなくして、フェレースが急須と人数分の湯呑、それに小鉢に入れたお菓子を持って戻ってきた。彼女はその間延びする言葉遣いからは想像もできないような優雅でそつのない仕草でお茶の準備を済ませると、俺たちの前にお茶の注がれた湯呑を置いていった。
お茶からは、甘い芳醇な香りが立ち上る。苛立ちが静まり、落ち着いた気分になるような気がした。
フェレースの優雅な給仕の姿を、レアンはウットリした顔で眺めていたが、一通り給仕が終わり脇に控えようと下がる彼女を見て、口を開いた。
「あのぉ……すみません、その給仕の所作は一体どこで身につけられたのでしょうか? あっ! 申し遅れました、自分は耀家で執事見習いをしている、レアン・ケルラーリウスと言います。自分も執事長から手ほどきを受けているのですが、まだまだ未熟で……。先程の所作、未熟な自分にも、長年の経験による素晴らしいものだと分かりました。良かったら、フェレースさんはどこで身につけられたのか、教えていただけないでしょうか?」
麗華が不躾な質問をしたレアンを咎めようとするのを、フェレースは笑みを浮かべて制した。
「そんなに褒めてもらえるなんて嬉しいわぁ。私の母は、先代の竜賜代表領主様の御屋敷に御奉公に上がっていたことがあったの。その母に厳しく躾けられたのよぉ」
フェレースが返答を終えたところで、延李も一区切りついたのか筆をおき、俺たちと対面するように置かれた椅子に近付き、
「お待たせした。緋麗華様、それに驍廣殿をはじめとした救街の勇士諸君」
と、座らずに立ったままでそう言いながら、頭を下げた。翼竜街ギルドを取り仕切る総支配人のいきなりの行動に、俺たちは慌てて立ち上がり返礼する。一方、フェレースは延季の言葉に驚き、口をあんぐりと開けて固まってしまった。
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