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2巻
2-2
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「相変わらずですニャ、スミス爺。今までもそんな風に、弟子入りした者に口よりも先に手が出てしまうから、皆すぐにやめてしまうのですニャ。久しぶりのお弟子さんは、大事にした方がいいのですニャ。スミス爺が鍛冶場を閉めると宣言したとき、もう翼竜街では拵えを施し甲斐のある武具とは出会えないと思っていたのニャ。でも、こうやってまたスミス爺が鍛えた武具の拵えを施せると喜んでいるのですニャ。これから先も、ずっとスミス爺には鍛冶仕事を続けていってほしいのですニャが、お歳ですからあまり無理は言えませんのニャ。でも、このお弟子さんをちゃんと仕込んで一端の鍛冶師に育ててもらえれば、スミス爺が次に鍛冶師を引退すると騒いでも困らなくなるのニャ。いいですかニャ、スミス爺。その辺のところ、しっかりと考えてくれないと困りますからニャ!」
猫は腰に手を当て、スミス爺さんに説教をする。二人の姿は、孫に叱られているお爺さんといった感じだ。そんな猫――さっき「けつとし」と呼ばれていたな……「ケットシー」か?――に、スミス爺さんは苦笑しながらノッシノッシと歩み寄ると、
「すまなかったのぉ、傑利。過日はいきなり鍛冶場を閉めると騒いでしもうて。ここにいる驍廣と紫慧のおかげで、もう少し鍛冶仕事を続けられそうじゃ。じゃが傑利よ、お前さんは一つ思い違いをしておるぞ。この驍廣という者は、儂の弟子ではない。確かに多少は教えることもあるが、何も教えずともこやつは既に立派な鍛冶師じゃ!」
「立派な鍛冶師ですかニャ? う~ん、なかなかお若い方に見えますが、その外見とは裏腹に、長年の修業をつまれておられるのですかニャ? 種族によっては年齢と外見が一致しない者たちもおりますからニャ。分かりましたニャ。驍廣さん、それに紫慧さんでしたかニャ。お初にお目にかかりますニャ、曽呂利傑利と申しますニャ。長年ここ翼竜街で、武具の柄や鞘などの拵えを施させてもらっている『拵え細工師』ですにゃ。この鍛冶場の主、スミス爺の鍛えた武具の拵えも多く請け負わせてもらっていますニャ。実は、私ら職人仲間の間でも噂になっていたのですニャ。あの頑固で一度言い出したら自分の意思を変えないスミス爺の気持ちを変えさせて、再び鍛冶仕事に復帰させたのはどんな者なのだろうか? とニャ。……なるほど、これは確かに瞳に宿る力が並ではないようですニャ。うむうむ、楽しみが増えたかもしれないですニャ。以後お見知り置きくださいですのニャ」
拱手しながら頭を下げる傑利の目は、僅かに開かれ、黒い瞳が俺を値踏みするかのようにキラリと光っていた。その瞳の光に内心ビクリとしながらも、それを表に出さないようにし、
「津田驍廣と言います。この鍛冶場でスミス爺さんとともに鎚を振るうことになりました。この街には着いたばかりで、あまり知り合いもいないし、街のこともよく知らないんで、よろしく頼みます」
「紫慧紗です。驍廣と一緒にこの街にやってきました。今は鍛冶場での雑用など、お手伝いをさせてもらっています。よろしくおねがいします」
俺に続き、紫慧も挨拶を済ませると、傑利は何かを確認したように一度軽く頷き、スミス爺さんの方に向き直り、
「スミス爺、なかなかよい若者のようですニャ。ところで、私に拵えを頼みたいと言っていた武具はどれですかニャ、見せてもらわないことには、話は進みませんニャ」
と、スミス爺さんの手や、先程までスミス爺さんが座っていた辺りを見回す傑利。
「傑利、それは儂に尋ねずに驍廣に尋ねるべきじゃよ。なにせお前さんに拵えを頼みたいのは、驍廣が鍛えたものなのじゃからな」
スミス爺さんの言葉に、一瞬キョトンと呆けた表情を浮かべた傑利は、もの凄い勢いで俺の方を向き、線状の瞳を大きく開けて俺の顔をジッと見つめる。そして、再びスミス爺さんに向き直って、
「……いや、驍廣さんは街に来たばかりだと言っていましたニャ。ということは、この鍛冶場に入ったのもつい最近のことニャ。鍛冶場ごとに、炉の癖や相槌のタイミングなども違うはずですニャ。それなのに、もうスミス爺のお眼鏡に適うものが鍛えられたというのですニャ? そんな馬鹿ニャ……。スミス爺、鍛冶仕事に復帰したからといって、そんな冗談はやめてほしいですニャ」
傑利の言葉に、スミス爺さんは一瞬真顔になった後、イタズラ小僧のような笑みを浮かべると、
「ふっ。傑利、先程から人のことを爺だの歳だの言っておったが、お前さんこそそろそろ息子に後を託した方がいいのではないか? 儂は冗談など言っておりゃせん、お前さんを呼んだのは正真正銘この驍廣が鍛えた武具の拵えを施して欲しいからじゃよ。といっても、すぐには信じられぬか?まぁ論より証拠、まずは現物を見てもらった方がええじゃろう。ほれ驍廣、何をグズグズしておる。先程仕上げたナイフを傑利に見せぬか!」
スミス爺さんに促されるまま、俺がナイフに目をやると、そこにはもう一匹の『猫』が――
「う~ん、これは黒剛鋼の山刀型のナイフですニャ……。でもそれだけじゃなさそうな、この表面に光る深い漆黒の艶の中に普通の黒剛鋼とは違った翠色が見て取れますニャ~ぁ」
突如現れたもう一匹のハチワレ――基本は黒い毛並みで、額から八の字状に白地が広がる毛色の猫――は、嬉しそうにニコニコしながら、爪の先でナイフの表面をツンツンと突いていた。それを見た傑利は血相を変え、
「あっ、斡利! 何をしているんニャ、鍛えたばかりの武具に、鍛冶師の許可を得ずに触れるとは何事ニャ!! スミス爺、驍廣さん、すいませんニャ~」
そう叫び声を上げながら、ハチワレ猫の頭を掴むと、鍛冶場の土間へ土下座をさせるように無理やり押し付けた。
傑利に頭を押さえつけられたハチワレ猫は、最初はジタバタしていたがすぐに、
「親父様、悪かったニャ。鍛冶場に入ったときに目に入ったナイフに心を奪われて、自分でも知らないうちに体が動いていたのニャ。許してほしいのニャ~ぁ」
「このバカ息子が、謝罪する相手が違うニャ」
「すまないニャ。ごめんなさいニャ。そんなに押すと頭と鼻が潰れてしまうニャ~」
その騒ぎに、スミス爺さんも紫慧も、そして俺も、呆気にとられていた……
「お恥ずかしいところをお見せし、申し訳ありませんニャ」
ようやく立ち上がったものの、まだ頭を下げている傑利に、スミス爺さんは困ったように頭を掻いた。
「まぁそのなんだ。ちゃんと謝罪していることだし、もうよいのではないか? それよりも、その者は確か傑利の息子じゃったと思うが」
「スミス爺の言う通り、息子の斡利だニャ。これまで拵え細工師の修業をつけてきたのニャが、少しずつ息子にも仕事を任せることにしようかと思っているのにゃ。スミス爺が鍛冶場を再開すると聞いて、是非紹介したいと思い一緒に連れてきたのニャが、早々にお見苦しい姿を晒して困ったものだニャ。こら、斡利! ちゃんと挨拶するのニャ!」
「はいニャ! 拵え細工師曽呂利傑利の息子で、弟子の斡利と言いますニャ。スミス爺っさまのことは、親父様からよく聞いていましたのニャ。まだまだ未熟者の拵え細工師ですニャが、よろしくお願いしますのニャ。ところで、この山刀型のナイフを鍛えたのはスミスの爺っさまではなく、こちらの三つ目の御方ですのニャ? 確か津田驍廣さんと言われましたニャ。凄い武具ですニャ。これまでも、親父様のところには柄や鞘の拵えを整えてほしいと色んな武具が持ち込まれて来ましたが、こんな武具は初めて見たのですニャ。このナイフは一体どういったものですニャ? 是非是非ご教授くださいですニャ!!」
斡利の瞳が、キラキラと輝きを増し、好奇心で一杯だというのが、一目で分かってしまった。
そんな斡利の様子に、傑利は手で顔を隠しながら項垂れている。その姿を見たスミス爺さんは苦笑しつつも嬉しそうに、
「まぁ、気になるようじゃが、丁度昼飯時になったことじゃし、ここは場所を変えて、昼を食しながら話すことにせぬか? どうじゃな傑利」
と提案すると、
「そうですニャ。その方がよさそうですニャ。では、いつものところでいいですかニャ?」
「そうじゃな、鍛冶場を閉めると言ってから久しく行っておらんから、久しぶりに行くのもいいじゃろう。では、驍廣、紫慧、行くぞ。驍廣は鍛えたナイフを忘れぬようにな!」
スミス爺さんは、傑利と連れ立って鍛冶場の外へと歩き出す。俺は、斡利が食い入るように見つめるナイフを布で巻いて作務衣の懐に入れると、紫慧とともに急いでスミス爺さんの後を追った。
スミス爺さんと傑利は、時折笑い声を弾ませつつ通りを抜けていく。そんなスミス爺さんたちに、俺と紫慧、そして斡利の三人が付いていった。途中、斡利が、
「親父様、随分嬉しそうだニャ。スミスの爺っさまが鍛冶場を閉めると言い出してから、親父様も一気に老け込んで、『私もそろそろ引退するかニャ~』なんてことを口にするようになっていたんニャ。でも、スミスの爺っさまが昨日の夜に工房に訪ねてきて、『新しく武具を鍛えたからその拵えを傑利に頼みたい』と言った途端に元気になって、今朝は早くからソワソワしっぱなしだったニャ。やっぱり、自分の認める職人と仕事ができるって嬉しいんだニャ」
と呟いた言葉に、俺は談笑しながら歩く二人の職人に目を向ける。すると紫慧が、
「驍廣。よかったね♪」
と言いながら微笑む。その笑顔に、俺は頬が熱くなるのを感じていた。
スミス爺さんたちの後を付いていっているのだが、それは俺と紫慧が毎日鍛冶場へ行き来するいつもの見慣れた通りの風景で、目的の場所も、やはり月乃輪亭の食堂だった。
これまで昼食は、近くの屋台などで買ってきたものを鍛冶場で食べて済ませていたので、昼時に月乃輪亭の食堂に来ることはなかった。昼時の食堂は、夕食時と同様か、それ以上に繁盛していて、お客は体のがっしりとした職人風の者が多い。
「昼飯ってここなんだ……」
思わず呟いた俺の一言に、スミス爺さんはその大きな単眼をギョロリと回すと、俺を見据え、
「なんじゃ、驍廣はこの店では不服か?」
その不機嫌そうな物言いに、俺は慌てて、
「いやいや。不服ってことはないよ。ただこの食堂に併設されている宿に、俺と紫慧は寝泊まりしているから、今日の食事は朝昼晩とこの食堂になるんだ、と思っただけだよ」
と返す。すると傑利が、
「ニャるほど。月乃輪亭を常宿にするとはお目が高いですニャ。ここの宿は、その気風と面倒見のよさで一目置かれている、女将のウルスさんと、ウルスさんのご亭主で月乃輪亭食堂のご主人オルソさんが腕を振るう料理が評判の宿ですニャ。値段もそれほど高くなく、いつも宿は常連のお客さんで繁盛し、なかなか空きができないことでも有名ですニャ」
と、人のよさそうな笑みを浮かべ、教えてくれた。
「なるほど、そうなんだな。俺は知り合いがこの宿にいて、彼女の紹介で宿泊することができたんだ。確かそのときも、たまたま一部屋空いたばかりだと言っていたなぁ。確かに傑利さんの言う通り、食事は美味いし、居心地のいい宿だよ」
俺の言葉に合わせて、紫慧もニッコリ笑みを浮かべ、何度も頷いていた。
「なるほどそうじゃったか。そういえば、初めて鍛冶場にお前さんたちが来たときに案内していたのは、ギルド職員のリリスじゃったな。あの者は確か、長年この月乃輪亭を定宿にしておったのぉ。それの紹介か。宿もなかなかじゃが、この食堂は味だけでなく量も申し分なくてのぉ。儂ら職人仲間の間では、『昼食を取りながら打ち合わせをしたいときには月乃輪亭食堂で』と決めておる者が多いんじゃよ」
そんなスミス爺さんの言葉通り、食堂の中を見渡すと、俺たちと同じような職人風の者たちが、食事をしながら何やら話をしている様子がそこかしこで見られた。
「さて、話をする前に、まずは腹ごしらえをせねばな。おーい! 注文を頼むぅ!」
スミス爺さんの大きな声が食堂内に響くと、すかさず狐人族の女給――ルナールお姐さんが、水の入ったコップを載せたお盆を持ち、慣れた様子で多くのお客の間をすり抜けながら駆けてきた。
彼女は、裾にスリットの入った中華風ワンピースを身にまとっている。頭頂部には、茶色地に先端が白い、尖った耳がピンと立っており、お尻にはボワッと膨らんだボリュームのある尻尾を揺らし、昼間から大人の色気を振りまいていた。
「はい! お待たせしました、ご注文お伺いします♪ まぁ、スミスさんじゃない。随分お見限りだったわね。もう来てくれないのかと思って心配してたのよ。斡利君もお久しぶり。スミスさんと一緒に来てくれたってことは、そろそろ傑利さんから一人前の拵え細工師として認めてもらえるところまで、修業が進んでるってことかな? よかったじゃない。それから……あら! 驍廣君に紫慧ちゃんまでご一緒なの! 珍しいわね、貴方たちがお昼時に顔を見せるなんて」
ルナールお姐さんは、ニコニコしながらスミス爺さんや斡利に挨拶を済ませると、一緒にいた俺と紫慧に一瞬驚いたような表情を見せた。だが、すぐに表情を戻し、いつものニコニコ顔を見せる。その笑顔に、スミス爺さんと傑利の目尻が下がり、斡利は真っ赤になってモジモジと恥ずかしそうにしていた。
そんな三人に苦笑しながら俺が、
「こんにちは、ルナールさん。今日は、ちょっと仕事の打ち合わせをしながら食事を取ろうってことになってね。今日のお薦めは何?」
「お仕事の打ち合わせをしながら? まぁ、最近お昼に来てくれる職人さんたちの間で噂になっていた、スミスさんに鍛冶場の閉鎖を思い止まらせた若い人って、驍廣君たちのことだったの? ヘぇ~なるほどね。道理でリリスちゃんが気にかけてるわけだぁ。そうそう、今日のお薦めだったわね。今日は海竜街経由で、羅漢獣王国から今年の新米が入荷されたのよ。その新米を使った獣王料理なんてどうかしら?」
ルナールの言葉に、俺と紫慧は顔を見合わせて……
「「今年の新米って、もしかしてお米? ご飯が食べられるの?」」
二人で一緒に、もの凄い勢いで聞き返してしまった。その剣幕に、ルナールは顔を引きつらせつつ、
「何を言ってるの? 新米って言えばお米に決まっているじゃない。獣王国では稲作が盛んで、お米を主食にしてるのよ。天竜賜国には獣王国出身の妖獣人族の人たちも多いから、海竜街経由で結構入ってきてるのよ……って何なの、その喜びようは?」
俺と紫慧の問いに答えながらも、不思議そうな顔をするルナールさん。スミス爺さんと傑利も同じだった。
だが、俺と紫慧は思わず手を取り合って、涙を流さんばかりに喜んでしまった。そんな俺たちに、ルナールさんたちはより一層顔を引きつらせている。気付いてはいたけど、心の奥底から湧き出る喜びは、どうにも抑えることができなかった。
「何だか知らないけど、じゃあ獣王料理の昼定食でいいわね。それじゃちょっと待ってて、すぐに用意できるから。獣王定食五つ入りま~す♪」
「あいよ~! 獣王定食、五つぅ!!」
大きな声で五人分の注文を告げるルナールさんに、厨房の奥からオルソさんが威勢のいい声で答えた。
◇
「何やら獣王料理に異常に興奮しているようなのですが、お二人は大丈夫ですかニャ?」
ルナールがテーブルを離れると、傑利はニヤケていた表情を引き締める。米が食べられるからと、ニコニコしっ放しで落ち着きをなくしている驍廣と紫慧の様子を見て、隣に座るスミスに声をかけた。スミスも顔をしかめ、
「う~む。料理が来る前に、少しでも話を進めようと思っておったが、これは無理じゃな。まったくもって計算違いじゃった。確かに今の時季、獣王国から届く新米に故郷を懐かしむ妖獣人族が、獣王料理を求めることがあると聞く。だがしかし、驍廣や紫慧がこれほど興奮するとは思いもせんかったわい。こんな調子では、食事が終わるまでとても話などできぬな」
「そうですニャ。そういえば驍廣さんは『津田驍廣』と獣王国風の名を名乗られていましたし、獣王国の出身なのですかニャ?」
「それはどうじゃろうのぉ。確かに獣王国は天竜賜国以上に、妖獣人族をはじめ様々な種族が住む国ではあるが、額に三つめの瞳を持つ種族など、聞いたことがないからのぉ。紫慧は海竜人族のように思うが……」
「なっ! スミス爺、そんな素性の知れない者を鍛冶場に入れているのですかニャ? 大丈夫なのですニャ?」
「うん? それならば問題はなかろう。鍛冶場に連れてきたのはギルド職員のリリスじゃし、なんでも身元はサビオハバリー様が保証すると、街門詰所にて公言されたそうじゃからな」
「なんニャ!? 賢猪様が身元を保証? そんなことがあるのニャ? 誰から聞いたのニャ、リリス嬢かニャ?」
「いや、ギルド職員のリリスがそのような情報を漏らすはずがなかろう。……傑利、驚くでないぞ。驍廣の頭の上でくつろいでおる黒猫、見た目に騙されるかもしれぬが、あれは賢虎フェイオンフウ様じゃ」
「ニャ!? ニャニャニャにゃニィ! 賢虎さまぁ!!」
「うむ。これは、フェイオンフウ様ご自身から直接お聞きしたことじゃから、間違いはない。
『驍廣と紫慧両名の身元を保証する。何かあった場合には、シュバルツティーフェの森の獣族に一言伝えてほしい、そうすれば、賢猪サビオハバリーがいつでも対応する』。
賢猪様は翼竜街に入るとき、街門詰所の衛兵に直接そう申されたそうじゃ」
「ニャンと! 賢猪様がそこまで……。いや、賢猪様だけでなく、賢虎様まで供におられるということ自体が、通常では考えられないことニャ。一体何者なのニャあの二人は?」
「うむ。一職人でしかない儂には想像もつかぬことじゃが、賢獣のお二方がその身を保証し見守っているのだ。街に害を成すような輩ではなかろう。それとのぉ、傑利よ。フェイオンフウ様は堅苦しいのがお嫌いで、普段は『フウ』と驍廣たちと同じように呼んでほしいとのことじゃ。人族と獣族、種族は違えど、同じ猫の一族である傑利や斡利が、賢虎様であるフェイオンフウ様を呼び捨てにするなど、畏れ多いことかもしれん。だが、フェイオンフウ様たっての願いじゃ、ゆめゆめ忘れぬようにのぉ」
「……それはまた……難行だニャぁ」
――などとスミス爺さんと傑利の間で話し合われていたのを、後からフウに聞いた。
でも、冥府を離れてから久しぶりに米の飯が食えることに興奮していた俺と紫慧が、そのことに気付くはずもなかった。
仕方ないよね、『米』が食えるんだから! ねぇ!!
「おまちどうさまぁ、ご注文の獣王料理定食よ。ご飯と塩豆汁はおかわりができるから、気軽に声をかけてちょうだいね♪」
明るい声とともにルナールさんが、定食をお盆に載せて運んできた。
定食は、ホカホカと湯気の立ち上る白米と、味噌汁のような香りを漂わせる塩豆汁、そして複数の小鉢と塩が吹いた焼いた干し魚というもの。
それを、俺と紫慧は唾を何度も呑み込みながら受け取る。目は、白米を凝視。
「た、驍廣。紫慧。何をそんなに見つめておる、食ってもいいんじゃぞ、お前さんたちの定食なんじゃから……」
と、スミス爺さん。どうやら紫慧も、白米に魅入られているようだ。
俺は、白米を凝視したまま頷くと、『いただきます』もそこそこに、器を持ち、ホカホカの白米を……一口。
白米の香りが鼻腔をくすぐり、噛みしめるたびにふっくらもっちりとした歯ごたえがあり、仄かな甘みが口一杯に広がっていく。
最初の一杯目はゆっくりと噛んで米の旨味を。
二杯目は掻き込むように口の中へと放り込み、白米が喉を通る感触を。
三杯目は塩辛い干し魚と白米の対比を。
四杯目は小鉢に入っている様々なお惣菜とのコラボレーションを。
そして、五杯目は全てのおかずと塩豆汁を堪能した。
後から聞くところによると、脇目も振らず一心不乱に何杯も白米をたいらげていく俺の姿に、傑利と斡利は唖然としていた。そして、「美味しい! 美味しいよぉ!!」を連発し、涙を浮かべながら食べる紫慧に、スミス爺さんは夢中になって食事をする子供を見守るような優しい笑顔を向けていたという……
「ごちそうさまでした。いや~美味かったぁ!」
俺は、満腹感とともに箸を置いた。紫慧も満足そうに、
「ほんと久しぶりのお米だったから、食べすぎちゃった。やっぱりお米は美味しいね♪ 月乃輪亭食堂の食事はいつもとても美味しいんだけど、これまで食べたものは油やバターが多く使われたから、その臭いが鼻につき始めて、少し食傷気味になっていたんだよね」
「そうだな、俺の胃袋もそんな感じだったよ。そんなときに、白米に汁物そして塩のきいた焼き魚だろ。一口食べた途端、胃袋がもっと寄こせって言っているようで、口に運ぶ手が止められなかったよ♪」
俺たちが膨れたお腹をさすっていると――
「いや~凄い食べっぷりだったニャ。僕も魚に白米の獣王定食は好きだけど、あんな風に美味しそうに食べる人たちは初めて見たのニャ」
斡利が、感心しているのか呆れているのか分からない感想を漏らす。
「まぁのぉ。しかし、二人の食いっぷりを見ているだけで、腹が一杯になってしまったぞ。さて、腹も膨れたことじゃし、そろそろ仕事の話をするとしようかのぉ。さっそくじゃが驍廣、その懐にしまってあるナイフを傑利に見せてやってくれんか」
スミス爺さんの言葉で、ようやく俺は月乃輪亭に来た理由を思い出した。白米に心を奪われて、肝心なことを忘れてしまっていた自分に顔が熱くなるのを感じながら、俺は布を巻いたナイフを懐から取り出し、傑利の目の前に置いた。
傑利は素早く布を取り去ると、瞳をギラリと光らせ、じっくりとナイフを眺め始める。
猫は腰に手を当て、スミス爺さんに説教をする。二人の姿は、孫に叱られているお爺さんといった感じだ。そんな猫――さっき「けつとし」と呼ばれていたな……「ケットシー」か?――に、スミス爺さんは苦笑しながらノッシノッシと歩み寄ると、
「すまなかったのぉ、傑利。過日はいきなり鍛冶場を閉めると騒いでしもうて。ここにいる驍廣と紫慧のおかげで、もう少し鍛冶仕事を続けられそうじゃ。じゃが傑利よ、お前さんは一つ思い違いをしておるぞ。この驍廣という者は、儂の弟子ではない。確かに多少は教えることもあるが、何も教えずともこやつは既に立派な鍛冶師じゃ!」
「立派な鍛冶師ですかニャ? う~ん、なかなかお若い方に見えますが、その外見とは裏腹に、長年の修業をつまれておられるのですかニャ? 種族によっては年齢と外見が一致しない者たちもおりますからニャ。分かりましたニャ。驍廣さん、それに紫慧さんでしたかニャ。お初にお目にかかりますニャ、曽呂利傑利と申しますニャ。長年ここ翼竜街で、武具の柄や鞘などの拵えを施させてもらっている『拵え細工師』ですにゃ。この鍛冶場の主、スミス爺の鍛えた武具の拵えも多く請け負わせてもらっていますニャ。実は、私ら職人仲間の間でも噂になっていたのですニャ。あの頑固で一度言い出したら自分の意思を変えないスミス爺の気持ちを変えさせて、再び鍛冶仕事に復帰させたのはどんな者なのだろうか? とニャ。……なるほど、これは確かに瞳に宿る力が並ではないようですニャ。うむうむ、楽しみが増えたかもしれないですニャ。以後お見知り置きくださいですのニャ」
拱手しながら頭を下げる傑利の目は、僅かに開かれ、黒い瞳が俺を値踏みするかのようにキラリと光っていた。その瞳の光に内心ビクリとしながらも、それを表に出さないようにし、
「津田驍廣と言います。この鍛冶場でスミス爺さんとともに鎚を振るうことになりました。この街には着いたばかりで、あまり知り合いもいないし、街のこともよく知らないんで、よろしく頼みます」
「紫慧紗です。驍廣と一緒にこの街にやってきました。今は鍛冶場での雑用など、お手伝いをさせてもらっています。よろしくおねがいします」
俺に続き、紫慧も挨拶を済ませると、傑利は何かを確認したように一度軽く頷き、スミス爺さんの方に向き直り、
「スミス爺、なかなかよい若者のようですニャ。ところで、私に拵えを頼みたいと言っていた武具はどれですかニャ、見せてもらわないことには、話は進みませんニャ」
と、スミス爺さんの手や、先程までスミス爺さんが座っていた辺りを見回す傑利。
「傑利、それは儂に尋ねずに驍廣に尋ねるべきじゃよ。なにせお前さんに拵えを頼みたいのは、驍廣が鍛えたものなのじゃからな」
スミス爺さんの言葉に、一瞬キョトンと呆けた表情を浮かべた傑利は、もの凄い勢いで俺の方を向き、線状の瞳を大きく開けて俺の顔をジッと見つめる。そして、再びスミス爺さんに向き直って、
「……いや、驍廣さんは街に来たばかりだと言っていましたニャ。ということは、この鍛冶場に入ったのもつい最近のことニャ。鍛冶場ごとに、炉の癖や相槌のタイミングなども違うはずですニャ。それなのに、もうスミス爺のお眼鏡に適うものが鍛えられたというのですニャ? そんな馬鹿ニャ……。スミス爺、鍛冶仕事に復帰したからといって、そんな冗談はやめてほしいですニャ」
傑利の言葉に、スミス爺さんは一瞬真顔になった後、イタズラ小僧のような笑みを浮かべると、
「ふっ。傑利、先程から人のことを爺だの歳だの言っておったが、お前さんこそそろそろ息子に後を託した方がいいのではないか? 儂は冗談など言っておりゃせん、お前さんを呼んだのは正真正銘この驍廣が鍛えた武具の拵えを施して欲しいからじゃよ。といっても、すぐには信じられぬか?まぁ論より証拠、まずは現物を見てもらった方がええじゃろう。ほれ驍廣、何をグズグズしておる。先程仕上げたナイフを傑利に見せぬか!」
スミス爺さんに促されるまま、俺がナイフに目をやると、そこにはもう一匹の『猫』が――
「う~ん、これは黒剛鋼の山刀型のナイフですニャ……。でもそれだけじゃなさそうな、この表面に光る深い漆黒の艶の中に普通の黒剛鋼とは違った翠色が見て取れますニャ~ぁ」
突如現れたもう一匹のハチワレ――基本は黒い毛並みで、額から八の字状に白地が広がる毛色の猫――は、嬉しそうにニコニコしながら、爪の先でナイフの表面をツンツンと突いていた。それを見た傑利は血相を変え、
「あっ、斡利! 何をしているんニャ、鍛えたばかりの武具に、鍛冶師の許可を得ずに触れるとは何事ニャ!! スミス爺、驍廣さん、すいませんニャ~」
そう叫び声を上げながら、ハチワレ猫の頭を掴むと、鍛冶場の土間へ土下座をさせるように無理やり押し付けた。
傑利に頭を押さえつけられたハチワレ猫は、最初はジタバタしていたがすぐに、
「親父様、悪かったニャ。鍛冶場に入ったときに目に入ったナイフに心を奪われて、自分でも知らないうちに体が動いていたのニャ。許してほしいのニャ~ぁ」
「このバカ息子が、謝罪する相手が違うニャ」
「すまないニャ。ごめんなさいニャ。そんなに押すと頭と鼻が潰れてしまうニャ~」
その騒ぎに、スミス爺さんも紫慧も、そして俺も、呆気にとられていた……
「お恥ずかしいところをお見せし、申し訳ありませんニャ」
ようやく立ち上がったものの、まだ頭を下げている傑利に、スミス爺さんは困ったように頭を掻いた。
「まぁそのなんだ。ちゃんと謝罪していることだし、もうよいのではないか? それよりも、その者は確か傑利の息子じゃったと思うが」
「スミス爺の言う通り、息子の斡利だニャ。これまで拵え細工師の修業をつけてきたのニャが、少しずつ息子にも仕事を任せることにしようかと思っているのにゃ。スミス爺が鍛冶場を再開すると聞いて、是非紹介したいと思い一緒に連れてきたのニャが、早々にお見苦しい姿を晒して困ったものだニャ。こら、斡利! ちゃんと挨拶するのニャ!」
「はいニャ! 拵え細工師曽呂利傑利の息子で、弟子の斡利と言いますニャ。スミス爺っさまのことは、親父様からよく聞いていましたのニャ。まだまだ未熟者の拵え細工師ですニャが、よろしくお願いしますのニャ。ところで、この山刀型のナイフを鍛えたのはスミスの爺っさまではなく、こちらの三つ目の御方ですのニャ? 確か津田驍廣さんと言われましたニャ。凄い武具ですニャ。これまでも、親父様のところには柄や鞘の拵えを整えてほしいと色んな武具が持ち込まれて来ましたが、こんな武具は初めて見たのですニャ。このナイフは一体どういったものですニャ? 是非是非ご教授くださいですニャ!!」
斡利の瞳が、キラキラと輝きを増し、好奇心で一杯だというのが、一目で分かってしまった。
そんな斡利の様子に、傑利は手で顔を隠しながら項垂れている。その姿を見たスミス爺さんは苦笑しつつも嬉しそうに、
「まぁ、気になるようじゃが、丁度昼飯時になったことじゃし、ここは場所を変えて、昼を食しながら話すことにせぬか? どうじゃな傑利」
と提案すると、
「そうですニャ。その方がよさそうですニャ。では、いつものところでいいですかニャ?」
「そうじゃな、鍛冶場を閉めると言ってから久しく行っておらんから、久しぶりに行くのもいいじゃろう。では、驍廣、紫慧、行くぞ。驍廣は鍛えたナイフを忘れぬようにな!」
スミス爺さんは、傑利と連れ立って鍛冶場の外へと歩き出す。俺は、斡利が食い入るように見つめるナイフを布で巻いて作務衣の懐に入れると、紫慧とともに急いでスミス爺さんの後を追った。
スミス爺さんと傑利は、時折笑い声を弾ませつつ通りを抜けていく。そんなスミス爺さんたちに、俺と紫慧、そして斡利の三人が付いていった。途中、斡利が、
「親父様、随分嬉しそうだニャ。スミスの爺っさまが鍛冶場を閉めると言い出してから、親父様も一気に老け込んで、『私もそろそろ引退するかニャ~』なんてことを口にするようになっていたんニャ。でも、スミスの爺っさまが昨日の夜に工房に訪ねてきて、『新しく武具を鍛えたからその拵えを傑利に頼みたい』と言った途端に元気になって、今朝は早くからソワソワしっぱなしだったニャ。やっぱり、自分の認める職人と仕事ができるって嬉しいんだニャ」
と呟いた言葉に、俺は談笑しながら歩く二人の職人に目を向ける。すると紫慧が、
「驍廣。よかったね♪」
と言いながら微笑む。その笑顔に、俺は頬が熱くなるのを感じていた。
スミス爺さんたちの後を付いていっているのだが、それは俺と紫慧が毎日鍛冶場へ行き来するいつもの見慣れた通りの風景で、目的の場所も、やはり月乃輪亭の食堂だった。
これまで昼食は、近くの屋台などで買ってきたものを鍛冶場で食べて済ませていたので、昼時に月乃輪亭の食堂に来ることはなかった。昼時の食堂は、夕食時と同様か、それ以上に繁盛していて、お客は体のがっしりとした職人風の者が多い。
「昼飯ってここなんだ……」
思わず呟いた俺の一言に、スミス爺さんはその大きな単眼をギョロリと回すと、俺を見据え、
「なんじゃ、驍廣はこの店では不服か?」
その不機嫌そうな物言いに、俺は慌てて、
「いやいや。不服ってことはないよ。ただこの食堂に併設されている宿に、俺と紫慧は寝泊まりしているから、今日の食事は朝昼晩とこの食堂になるんだ、と思っただけだよ」
と返す。すると傑利が、
「ニャるほど。月乃輪亭を常宿にするとはお目が高いですニャ。ここの宿は、その気風と面倒見のよさで一目置かれている、女将のウルスさんと、ウルスさんのご亭主で月乃輪亭食堂のご主人オルソさんが腕を振るう料理が評判の宿ですニャ。値段もそれほど高くなく、いつも宿は常連のお客さんで繁盛し、なかなか空きができないことでも有名ですニャ」
と、人のよさそうな笑みを浮かべ、教えてくれた。
「なるほど、そうなんだな。俺は知り合いがこの宿にいて、彼女の紹介で宿泊することができたんだ。確かそのときも、たまたま一部屋空いたばかりだと言っていたなぁ。確かに傑利さんの言う通り、食事は美味いし、居心地のいい宿だよ」
俺の言葉に合わせて、紫慧もニッコリ笑みを浮かべ、何度も頷いていた。
「なるほどそうじゃったか。そういえば、初めて鍛冶場にお前さんたちが来たときに案内していたのは、ギルド職員のリリスじゃったな。あの者は確か、長年この月乃輪亭を定宿にしておったのぉ。それの紹介か。宿もなかなかじゃが、この食堂は味だけでなく量も申し分なくてのぉ。儂ら職人仲間の間では、『昼食を取りながら打ち合わせをしたいときには月乃輪亭食堂で』と決めておる者が多いんじゃよ」
そんなスミス爺さんの言葉通り、食堂の中を見渡すと、俺たちと同じような職人風の者たちが、食事をしながら何やら話をしている様子がそこかしこで見られた。
「さて、話をする前に、まずは腹ごしらえをせねばな。おーい! 注文を頼むぅ!」
スミス爺さんの大きな声が食堂内に響くと、すかさず狐人族の女給――ルナールお姐さんが、水の入ったコップを載せたお盆を持ち、慣れた様子で多くのお客の間をすり抜けながら駆けてきた。
彼女は、裾にスリットの入った中華風ワンピースを身にまとっている。頭頂部には、茶色地に先端が白い、尖った耳がピンと立っており、お尻にはボワッと膨らんだボリュームのある尻尾を揺らし、昼間から大人の色気を振りまいていた。
「はい! お待たせしました、ご注文お伺いします♪ まぁ、スミスさんじゃない。随分お見限りだったわね。もう来てくれないのかと思って心配してたのよ。斡利君もお久しぶり。スミスさんと一緒に来てくれたってことは、そろそろ傑利さんから一人前の拵え細工師として認めてもらえるところまで、修業が進んでるってことかな? よかったじゃない。それから……あら! 驍廣君に紫慧ちゃんまでご一緒なの! 珍しいわね、貴方たちがお昼時に顔を見せるなんて」
ルナールお姐さんは、ニコニコしながらスミス爺さんや斡利に挨拶を済ませると、一緒にいた俺と紫慧に一瞬驚いたような表情を見せた。だが、すぐに表情を戻し、いつものニコニコ顔を見せる。その笑顔に、スミス爺さんと傑利の目尻が下がり、斡利は真っ赤になってモジモジと恥ずかしそうにしていた。
そんな三人に苦笑しながら俺が、
「こんにちは、ルナールさん。今日は、ちょっと仕事の打ち合わせをしながら食事を取ろうってことになってね。今日のお薦めは何?」
「お仕事の打ち合わせをしながら? まぁ、最近お昼に来てくれる職人さんたちの間で噂になっていた、スミスさんに鍛冶場の閉鎖を思い止まらせた若い人って、驍廣君たちのことだったの? ヘぇ~なるほどね。道理でリリスちゃんが気にかけてるわけだぁ。そうそう、今日のお薦めだったわね。今日は海竜街経由で、羅漢獣王国から今年の新米が入荷されたのよ。その新米を使った獣王料理なんてどうかしら?」
ルナールの言葉に、俺と紫慧は顔を見合わせて……
「「今年の新米って、もしかしてお米? ご飯が食べられるの?」」
二人で一緒に、もの凄い勢いで聞き返してしまった。その剣幕に、ルナールは顔を引きつらせつつ、
「何を言ってるの? 新米って言えばお米に決まっているじゃない。獣王国では稲作が盛んで、お米を主食にしてるのよ。天竜賜国には獣王国出身の妖獣人族の人たちも多いから、海竜街経由で結構入ってきてるのよ……って何なの、その喜びようは?」
俺と紫慧の問いに答えながらも、不思議そうな顔をするルナールさん。スミス爺さんと傑利も同じだった。
だが、俺と紫慧は思わず手を取り合って、涙を流さんばかりに喜んでしまった。そんな俺たちに、ルナールさんたちはより一層顔を引きつらせている。気付いてはいたけど、心の奥底から湧き出る喜びは、どうにも抑えることができなかった。
「何だか知らないけど、じゃあ獣王料理の昼定食でいいわね。それじゃちょっと待ってて、すぐに用意できるから。獣王定食五つ入りま~す♪」
「あいよ~! 獣王定食、五つぅ!!」
大きな声で五人分の注文を告げるルナールさんに、厨房の奥からオルソさんが威勢のいい声で答えた。
◇
「何やら獣王料理に異常に興奮しているようなのですが、お二人は大丈夫ですかニャ?」
ルナールがテーブルを離れると、傑利はニヤケていた表情を引き締める。米が食べられるからと、ニコニコしっ放しで落ち着きをなくしている驍廣と紫慧の様子を見て、隣に座るスミスに声をかけた。スミスも顔をしかめ、
「う~む。料理が来る前に、少しでも話を進めようと思っておったが、これは無理じゃな。まったくもって計算違いじゃった。確かに今の時季、獣王国から届く新米に故郷を懐かしむ妖獣人族が、獣王料理を求めることがあると聞く。だがしかし、驍廣や紫慧がこれほど興奮するとは思いもせんかったわい。こんな調子では、食事が終わるまでとても話などできぬな」
「そうですニャ。そういえば驍廣さんは『津田驍廣』と獣王国風の名を名乗られていましたし、獣王国の出身なのですかニャ?」
「それはどうじゃろうのぉ。確かに獣王国は天竜賜国以上に、妖獣人族をはじめ様々な種族が住む国ではあるが、額に三つめの瞳を持つ種族など、聞いたことがないからのぉ。紫慧は海竜人族のように思うが……」
「なっ! スミス爺、そんな素性の知れない者を鍛冶場に入れているのですかニャ? 大丈夫なのですニャ?」
「うん? それならば問題はなかろう。鍛冶場に連れてきたのはギルド職員のリリスじゃし、なんでも身元はサビオハバリー様が保証すると、街門詰所にて公言されたそうじゃからな」
「なんニャ!? 賢猪様が身元を保証? そんなことがあるのニャ? 誰から聞いたのニャ、リリス嬢かニャ?」
「いや、ギルド職員のリリスがそのような情報を漏らすはずがなかろう。……傑利、驚くでないぞ。驍廣の頭の上でくつろいでおる黒猫、見た目に騙されるかもしれぬが、あれは賢虎フェイオンフウ様じゃ」
「ニャ!? ニャニャニャにゃニィ! 賢虎さまぁ!!」
「うむ。これは、フェイオンフウ様ご自身から直接お聞きしたことじゃから、間違いはない。
『驍廣と紫慧両名の身元を保証する。何かあった場合には、シュバルツティーフェの森の獣族に一言伝えてほしい、そうすれば、賢猪サビオハバリーがいつでも対応する』。
賢猪様は翼竜街に入るとき、街門詰所の衛兵に直接そう申されたそうじゃ」
「ニャンと! 賢猪様がそこまで……。いや、賢猪様だけでなく、賢虎様まで供におられるということ自体が、通常では考えられないことニャ。一体何者なのニャあの二人は?」
「うむ。一職人でしかない儂には想像もつかぬことじゃが、賢獣のお二方がその身を保証し見守っているのだ。街に害を成すような輩ではなかろう。それとのぉ、傑利よ。フェイオンフウ様は堅苦しいのがお嫌いで、普段は『フウ』と驍廣たちと同じように呼んでほしいとのことじゃ。人族と獣族、種族は違えど、同じ猫の一族である傑利や斡利が、賢虎様であるフェイオンフウ様を呼び捨てにするなど、畏れ多いことかもしれん。だが、フェイオンフウ様たっての願いじゃ、ゆめゆめ忘れぬようにのぉ」
「……それはまた……難行だニャぁ」
――などとスミス爺さんと傑利の間で話し合われていたのを、後からフウに聞いた。
でも、冥府を離れてから久しぶりに米の飯が食えることに興奮していた俺と紫慧が、そのことに気付くはずもなかった。
仕方ないよね、『米』が食えるんだから! ねぇ!!
「おまちどうさまぁ、ご注文の獣王料理定食よ。ご飯と塩豆汁はおかわりができるから、気軽に声をかけてちょうだいね♪」
明るい声とともにルナールさんが、定食をお盆に載せて運んできた。
定食は、ホカホカと湯気の立ち上る白米と、味噌汁のような香りを漂わせる塩豆汁、そして複数の小鉢と塩が吹いた焼いた干し魚というもの。
それを、俺と紫慧は唾を何度も呑み込みながら受け取る。目は、白米を凝視。
「た、驍廣。紫慧。何をそんなに見つめておる、食ってもいいんじゃぞ、お前さんたちの定食なんじゃから……」
と、スミス爺さん。どうやら紫慧も、白米に魅入られているようだ。
俺は、白米を凝視したまま頷くと、『いただきます』もそこそこに、器を持ち、ホカホカの白米を……一口。
白米の香りが鼻腔をくすぐり、噛みしめるたびにふっくらもっちりとした歯ごたえがあり、仄かな甘みが口一杯に広がっていく。
最初の一杯目はゆっくりと噛んで米の旨味を。
二杯目は掻き込むように口の中へと放り込み、白米が喉を通る感触を。
三杯目は塩辛い干し魚と白米の対比を。
四杯目は小鉢に入っている様々なお惣菜とのコラボレーションを。
そして、五杯目は全てのおかずと塩豆汁を堪能した。
後から聞くところによると、脇目も振らず一心不乱に何杯も白米をたいらげていく俺の姿に、傑利と斡利は唖然としていた。そして、「美味しい! 美味しいよぉ!!」を連発し、涙を浮かべながら食べる紫慧に、スミス爺さんは夢中になって食事をする子供を見守るような優しい笑顔を向けていたという……
「ごちそうさまでした。いや~美味かったぁ!」
俺は、満腹感とともに箸を置いた。紫慧も満足そうに、
「ほんと久しぶりのお米だったから、食べすぎちゃった。やっぱりお米は美味しいね♪ 月乃輪亭食堂の食事はいつもとても美味しいんだけど、これまで食べたものは油やバターが多く使われたから、その臭いが鼻につき始めて、少し食傷気味になっていたんだよね」
「そうだな、俺の胃袋もそんな感じだったよ。そんなときに、白米に汁物そして塩のきいた焼き魚だろ。一口食べた途端、胃袋がもっと寄こせって言っているようで、口に運ぶ手が止められなかったよ♪」
俺たちが膨れたお腹をさすっていると――
「いや~凄い食べっぷりだったニャ。僕も魚に白米の獣王定食は好きだけど、あんな風に美味しそうに食べる人たちは初めて見たのニャ」
斡利が、感心しているのか呆れているのか分からない感想を漏らす。
「まぁのぉ。しかし、二人の食いっぷりを見ているだけで、腹が一杯になってしまったぞ。さて、腹も膨れたことじゃし、そろそろ仕事の話をするとしようかのぉ。さっそくじゃが驍廣、その懐にしまってあるナイフを傑利に見せてやってくれんか」
スミス爺さんの言葉で、ようやく俺は月乃輪亭に来た理由を思い出した。白米に心を奪われて、肝心なことを忘れてしまっていた自分に顔が熱くなるのを感じながら、俺は布を巻いたナイフを懐から取り出し、傑利の目の前に置いた。
傑利は素早く布を取り去ると、瞳をギラリと光らせ、じっくりとナイフを眺め始める。
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