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1巻
1-3
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「驍廣ぉ! 何やってんの!」
入口の方から女性の声が響き、思わず俺は入口の方を向いてしまった。
声の主を確認し「あぁ紫慧紗か……」と思った瞬間、右の頬に熱く硬いものが当たった感触がして――
俺の意識はブラックアウトした。
後で聞いた話だが、気絶してしまった俺を見た紫慧紗は、立ち合いを見物していた鬼たちを掻きわけて、俺に駆け寄り、頭を抱きかかえるようにして介抱しながら、閻魔にさえ食ってかかったらしい。
閻魔が慌てて事情を話そうとしても、紫慧紗は聞く耳を持たず、『鬼ども近寄るな!』オーラ全開で、俺が目を覚ますまで周囲を威嚇し続けていたとのことだ。
俺は、目を覚ました途端目に飛び込んできた、瞳に涙を一杯に溜めて俺を見つめる紫慧紗と、それをニタニタと見ている閻魔や鬼たちの姿に恥ずかしくなり、慌てて起きようとした。だが「もう少し寝てて!」と紫慧紗の膝の上に戻されてしまい、そのままの姿勢で彼女の小言を聞かされることになった。ちなみに、彼女の柔らかいフトモモの感触が気持ちよかったってことは……ナイショにしておこう。
「朝起きてみれば部屋にいないし、どこに行ったかと思えば、修練場で宇羅さんと立ち合いをしてるし! 大体、宇羅さんは修練場の取り仕切りを牛頭様から任されるほどの猛者なんだよ。そんなことも知らずに、自分の実力もわきまえないで立ち合いに応じるなんて、身のほど知らずも甚だしい!」
紫慧紗のお小言はともかく、その光景を稽古に戻った鬼たちにチラチラ見られ、その度にニタニタされるのは正直堪らない。
大体、閻魔や鬼のニコニコ顔なんて不気味だ! いや、人によっては愛嬌があっていいと言うかもしれないが……
そんな衆人環視の羞恥プレイを何とか耐え、稽古を終えた俺に、宇羅が、
「朝飯はまだだろう、一緒にどうだ?」
と声をかけてきた。
俺は、紫慧紗が何か言うより早く、「ぜひよろしく!」とお願いした。
もし紫慧紗と二人きりになったら、飯のときまで小言を言われそうなので、逃げ出したかったのだ。
紫慧紗もはじめは恨めしそうに上目づかいで俺を見ていたが、自分が俺と羞恥プレイを繰り広げていたことに気付いたのか、顔を真っ赤にしながら後をついて来た。
食堂は、修練場並みに大きな部屋で、長机と椅子が一面に並んでいる。ちょうど朝食の時間なので、様々な鬼たちでごった返していた。
「驍廣殿、このお盆を持って部屋の端にある配膳場まで行くと、飯を出してくれるからな」
宇羅にお盆を渡され、配膳待ちの列に並ぶと、すぐに順番が回ってきた。
「あれ、紫慧紗ちゃん、今日は食堂で食べるのかい?」
配膳係の鬼おばさんが、俺の後ろに並ぶ紫慧紗に声をかけた。
「宇泉おばさん。うん! 今日はこっちで食べることにしたんだ」
配膳係の鬼おばさんと談笑しながら、紫慧紗は配膳を受ける。
そのやり取りを皮切りに、色んなところから紫慧紗に声がかけられる。それを見て、皆に愛されてるんだなぁと、なぜか俺の頬は緩んだ。そんな俺の顔を見て、紫慧紗は恥ずかしそうに下を向き、俺の踵を蹴ってきた。
なんか、最初に会ったときとイメージが違いすぎだぞ、紫慧紗!
飯をもらい、宇羅と向かい合わせで長机に着く。配られた飯は、味噌汁のような野菜の一杯入った汁、焼き魚、漬物、生卵に山盛りの丼飯といった和定食だった。
俺と宇羅はその和定食を食べながら、朝の修練場の話で盛り上がっていた。そこへ、紫慧紗が、
「宇羅さん、人間相手に何盛り上がってるんですか? やめてください、驍廣が変に勘違いしますよ」
と横槍を入れると、宇羅は、
「紫慧紗殿はご存じないのですか? 驍廣殿の『武』は大したものですぞ。あのまま続けていたら、よくて引き分け、十中八九、某の方が負けていたでしょう。もしかすると、牛頭様ともいい立ち合いをするかもしれません」
その宇羅の言葉に、紫慧紗は大きな目をさらに大きく見開いて俺を見た。そんなに驚かなくても……
「ところで驍廣殿、貴殿はなぜそれだけの『武』を身に付けておられるのだ? 差し支えなければお教え願えぬか」
宇羅は、興味津々のようだ。それに対し、
「うんぅ、お゛れ゛のい゛え゛のがぶうで」
と、口に食べ物が入った状態のまま答えると、
「驍廣! 口にものを入れて喋らない、まったくもぉ」
すかさず紫慧紗が声を上げた。慌てて口の中にあるものを呑み込み、
「家の家風で、『刀鍛冶になるために武術の鍛練をすべし』って教えがあって、ガキの頃から近所にある古武術の道場に通っていたんだよ。まぁ、最近は古武術の道場だけじゃなくて、色んな格闘技も習ってたんだけどね。でも、俺くらいの武術の使い手なんて、死者の中にはゴマンといたんじゃないか?」
「いや、驍廣殿ほどの者は初めてではないかな。もっとも、普通の死者はもっと生気がなく、『武』を振るうことも少ない。技術として我らに色々と伝えてくれた武術家はいたが、実際に立ち合うことはなかったしな」
「そんなもんなんだぁ……」
俺が宇羅の言葉に考え込んでいると、紫慧紗が、
「ところで、ご飯を食べた後は何かしたいことある?」
「やりたいことねぇ……」
「驍廣殿、先程武術の鍛練は刀鍛冶になるためだと言われておったが、それならば冥府の鍛冶場でも覗いてみてはいかがかな?」
「冥府にも鍛冶場ってあるの?」
「刀は打っておらぬが、我らの使う金棒や棍棒などは冥府の鍛冶場で打っておるぞ」
「へ~ぇ、そりゃ面白そうだなぁ……」
思わず俺は呟いた。
「そうかぁ、では儂が馬頭に話を通しておこうかモォ」
突然、牛顔の大男が声をかけて来た。
「牛頭様!」
宇羅は、慌てて立とうとする。
「いやいや、宇羅よ、立たんでよいモォ。驍廣殿、今朝は修練場でなかなかいいものを見せてくれたと、閻魔王様から聞いたモォ。鬼たちの『武』の修練を差配する者としてのお礼だモォ」
「そうかぁ、そんな大したことはしてないんだが、そう思ってもらえるならありがたい。鍛冶場の件、本当にお願いできるか?」
「了解だモォ、食事がすんだら那……紫慧紗殿に連れていってもらうといいモォ、ではモォ」
牛頭はそう言うと、お盆を配膳場で片付け、俺たちに手を振って食堂を出ていった。
「あれが牛頭かぁ、その名の通りの姿なんだなぁ」
「「驍廣(殿)、失礼でしょ(ですぞ)!」」
「おぉ! 二人でハモるな! 現世で絵に描かれる牛頭そのままだったんだから仕方ないだろ」
「だとしてもぉ!」
俺の何気ない一言を、紫慧紗と宇羅に注意されてしまった。
「あぁ~もぉ! いいから、早く飯を食って一休みしたら鍛冶場に行くぞ!」
困った俺は、そうやってはぐらかした。
「もぉ、分かったよ。ご飯の後は鍛冶場だね」
苦笑しつつ矛を収める紫慧紗に、俺は安心して再び飯を食べる。
それにしても、牛も焼き魚に生卵を食べるんだなぁ……
飯を食い終わり、仕事に向かう宇羅と別れた俺は、一旦部屋に戻って身支度を整えた後、紫慧紗の案内で鍛冶場に向かった。
鍛冶場では、馬頭(これまた絵に描いたような馬面!)が出迎えてくれた。
「ブルルルゥ、お前さんが牛頭の言っていた『驍廣』かぁ? よう来たのう、この鍛冶場は鋳造を主体にやっておるが、鍛造も多少は採り入れておる。まぁ時間つぶしにはなるじゃろう。ゆっくり見ていヒン」
そう言って馬頭自ら、鍛冶場の中を案内してくれた。紫慧紗は恐縮しきりだったが、俺としては責任者に案内してもらえて万々歳だ。
鋳造は溶かした金属を型に入れて作る方法。鍛造は、金属を加熱し、圧力を加えて成形する方法だ。なお、鍛造の作業により、金属組織は不純物が抜け均一化し、強度が増す。
馬頭によると、冥府の鍛冶場では鋳造で金砕棒を作り、一部の特別な棍棒などを鍛造で作っているという。鋳造だと、鍛造よりも武器としての強度が落ちてしまうからだ。
そうはいっても、金棒などの鉄の塊のようなものを鍛造で作るなんてなんて想像もできないから、これはこれでありなんだろう。
それに、金棒どうしで叩き合うなんてことが起きない限り、鋳造で問題ないと思うんだが……
牛頭や宇羅が使う棍棒は鍛造で作られた物らしく、刀を作るときほどではないが、何度も延ばして鋼を鍛え、成形しているとのこと。
また、ごく少数ではあるが鉄鞭や刺股・両刃直刀の唐剣も作られていた。
刺股は言わずと知れた捕縛用の用具。
鉄鞭と唐剣は閻魔のような冥府の高官専用で、儀礼用としての意味合いが大きいらしいが、もちろん十分実用にも耐えられる物だそうだ。
冥府で作られる武具は、亡者が暴徒と化した場合の鎮圧・捕縛用武具がほとんどで、戦う武器としての目的を持った物は少ない。まぁ当然と言えば当然なんだが。
その中で、唯一武器として作られている唐剣は目を引いた。
「唐剣に興味があるようですヒン。驍廣殿は現世で鍛冶仕事に携わっていたと聞いたヒン。もし、やることがなければ、冥府滞在中に一本打ってみてはどうかヒン?」
俺は、馬頭の思いがけない申し出に飛びついた。
「いいのか!? これから九日間、何をやってすごそうかと思っていたんだ。もしいいなら、冥府を旅立つ前に、世話になる礼に何か一本鍛えられる!」
「ほぉ、そうかヒン。ならば、作っていくといいヒン。でも、鍛冶場ばかりでなく旅立つ準備もきちんとしておくヒンよ」
馬頭は笑いながら許可してくれた。
「あぁ、分かったよ。じゃあ、さっそく作刀の準備をしてもいいか?」
「気の早いヤツだヒン。今日すぐというわけにもいかないヒンが、明日には、道具と材料を用意させておくから来るといいヒン」
苦笑に変わった馬頭が、俺を落ち着かせるように言う。
「そうかぁ、分かった! じゃ明日よろしく頼むなぁ!」
俺は馬頭に礼を言い、鍛冶場から出た。
「鍛冶場で作刀を始めると冥府見学はできなくなるだろうから、今日の内に冥府の案内を頼む」
紫慧紗にそうお願いし、冥府探訪と洒落込んだ。
冥府に娯楽施設はなかったが、生活するための施設は整っていた。
閻魔をはじめ鬼たちは、皆が妻子を持ち、現世と同じかそれ以上に配慮が必要な人付き合い(この場合鬼付き合いとでも言うのか?)をしつつ、質素でも豊かな『清貧』と呼んで差し支えない生活を送っていた。
まぁ、冥府や冥界、つまり地獄は、現世で悪さをして亡者となった人間や動物に、裁きを下し、反省させることで魂を鍛える場だ。そこで働く者が、現世よりも淫らな生活を送っていては示しがつかないのだろう。
現世では、鬼たちは亡者を責め苦にあわせることを喜び、楽しんでいると思われている。
だが、実は地獄での仕事は鬼にとっても苦役で、彼らは一日も早く亡者たちが自らの過ちに気付いて反省し、極楽に導かれ輪廻転生することを望んでいるのだと、紫慧紗が教えてくれた。
もっとも、食堂で飯を一緒に取ったときに見た鬼たちの顔を見ていれば、そんなことは聞かなくても分かる気がした。
こうして、一日はあっという間に過ぎていった。
◇
翌朝も、前日と同じように修練場で宇羅たちと一緒に汗を流し、迎えに来た紫慧紗も交えて食堂で朝食をすませると、さっそく鍛冶場に向かった。
「よく来たヒン。約束通り、鍛冶場を自由に使っていいヒン」
馬頭が、炉の前まで案内してくれた。そこには、俺のために用意してくれた鍛冶の道具や材料が置かれている。
現世で日本刀に使用する玉鋼はさすがに用意されていなかったが、冥府の鍛冶場で使われている玉鋼に似た金属『冥鋼』は、俺から見ても十分に納得できる質の物だった。俺はそのままその金属を使わせてもらうことにする。
用意された鍛冶道具を一通り確認した。そして、両手の指を交互に合わせ、ポキポキポキポキと指の関節を鳴らした。その後、指を反らすように伸ばしてから、手首を振って関節をほぐす。それに続き、肩、首、背中、腰、足と体中をほぐしていく。十分にストレッチを終えたところで、鍛冶衣装の袖を肩まで捲り上げ、仕事の邪魔にならないように紐で襷がけに縛ると、大きく深呼吸をして、気合を入れた。
割り当てられた炉には既に火が入っていて、その熱がジリジリと俺の頬を焦がす。炉の前に立ち、切り炭(木炭を細かく五センチ角ほどに切った物)を炉に投入し、鞴に付いている取っ手を前後に動かす。
日本の刀鍛冶で使う鞴は、西洋の物と形状が異なる。西洋の鞴は蛇腹の袋に口が付いた、アコーディオンのような形状で、蛇腹袋を押し潰すことで口から空気が出る。だが、日本の刀鍛冶で使われる鞴は、木箱の中の仕切り板(狸の皮を使うことが多い)に付いた取っ手を前後に動かすことで、押しても引いても空気を送り込むことができ、微妙な調節が可能となっている。
鞴で空気を送り込み、勢いのいい炎を確認しつつ、炉の中の温度を上げる。表面がゴツゴツした、製錬されたままの金属を鍛冶場の炉で熱し、薄く打ち延ばす【水減し】を行う。
玉鋼の場合は、あまり高温の状態で金鎚で打つと、バラバラに散ってしまうことがある。そのため、低温でゆっくりと熱を入れ軽く叩き、鋼がなじんできたら叩く力を強くして延ばしていくのだが、冥界の金属に対しても同じ手法をとることにした。
炉の炎に顔を炙られながら、ゴツゴツとした金属の塊をゆっくり加熱する。熱が入り赤くなった金属塊を、金鋏で炉から取り出し金敷(金鎚を振りおろす台)の上に乗せる。力を加減しながら金鎚で打ち、最終的には厚さ三~六ミリほどの薄さになるまで打ち延ばした。打ち延ばした金属板の熱が下がらない内に水槽の中へ入れ、モウモウと立ちのぼる水蒸気を浴びながら、水槽の中の金属が急冷されていく様子を静かに見つめる。
加熱した後に急冷することで、金属の中の炭素量が過剰に多い部分は水の中で自然に砕け、そうでない部分は砕けず残る。その残った金属板を水槽の中から取り出した。
水減しで不要な部分を除いた金属板を、再び金敷の上に乗せ、細かく割る【小割り】を行う。
なぜ、一旦板状にした物をまた小片に割るのかと言うと、そうすることによって金属の中に含まれる炭素量の違いを見極め、刀の中心部分(心金)に適した物と、それ以外の表面を覆う部分・皮鉄(刃金・棟金・側金)の材料になる部分とに分けられるからだ。
次に、小割りで選り分けた金属片をテコ棒と呼ばれる金属の棒の上に積み重ねる。このテコ棒は、金属を炉に入れて加熱するときや、金敷の上において鍛錬を行う際に、位置がずれないように持つための棒だ。金鋏よりもしっかりと保持することができ、鍛錬を繰り返す刀鍛冶には必要な道具だった。
そのテコ棒の先端に付けられた平たい皿状の台はテコ台と呼ばれ、このテコ台の上に小割りした金属片を二キログラムほど積み重ねる。
積み重ねた金属片が崩れ落ちないように、水でぬらした和紙で全体を包む。その上から藁灰をまぶし、さらに泥汁を満遍なくかけてから、静かに炉の中へ入れて加熱する。
藁灰をまぶしたのは、空気を遮断し、金属が炉の熱で燃えてしまうのを防止したいからで、和紙で包むのは、金属片が崩れないようにするため。また、泥汁をかけることで、金属片の表面だけでなく、中心までじっくりと熱を伝えられる。
炉に入れた金属片にゆっくりと熱が入るように、炉に送り込む空気の量を鞴で調節する。十分に金属の中に熱が入り、金属の色が鋼色から赤色、そして黄色へと変化するのを確認すると、炉から取り出す。そして、数回金鎚で軽く打ち、積み重ねた金属片が崩れ落ちたりしないか、鍛着(二つの金属を加熱し、重ねて叩くことで融合させること)できる状態か、を確かめた後、再び泥汁と藁灰を付着させ、炉の中に入れ加熱し、金鎚で打つ。その作業を繰り返していく。
一連の作業工程を繰り返すことで、金属片は次第に鍛着し一塊になり、粘りを持つようになる。
そうなったら、強く速く金鎚を振るい、次に行う【鍛錬】の準備を整える。
鍛錬は、金属を鍛えることによって金属の中に含まれる鉱滓(金属内に含まれている鉱石母岩の鉱物成分、スラグとも呼ばれる)をはじき出し、金属内に偏在する炭素の量を均一化させることを目指して行われる。
鍛錬の際、一回の加熱で素早く複数回金属を金鎚で打つ必要がある。そうしないと、いくら藁灰や泥汁で金属の表面を保護しても、炉の炎によって金属が燃え、減少してしまう。そのため、鍛錬を全て一人で行うのは難しい。今回、鍛錬には鍛冶場で働いていた二名の鬼が俺の相槌を買って出てくれた。
鬼たちは大金鎚を握り、炉で加熱した金属を俺の指示に合わせて打つ。鍛冶場には俺と鬼たち二人が振るう三位一体の鎚音がリズミカルに響き渡った。
打ち叩きを繰り返して、平たく延ばした金属を二等分するように切りタガネ(小振りの手斧形の道具)で深く溝を刻む。
溝を刻んだ金属を炉で加熱している間に、金敷の表面を水で濡らしておき、加熱した金属を斜めに傾け、金敷との間に僅かな空間を開けた状態で大金鎚を振りおろし、叩きつけるように接地させる。高熱になっている金属と金敷を濡らす水が瞬間的に接触し、小規模だが水蒸気爆発に近い状況を作り、鍛錬によって金属表面に浮き出たカスや切り炭、泥汁、藁灰といった不純物を一瞬の内に取り除く。そして、不純物のない方が内側になるように切りタガネで作った溝に沿って二つ折りにし、再び炉で加熱し打つ。そのような作業を繰り返す【折り返し鍛錬】を行う。
横や縦、時には三等分するべく二カ所に溝をいれたりしながら、折り返し鍛錬の工程を繰り返して、金属を均一化し『金属鋼』へと生成してゆく。
鍛錬は、炉に入れて加熱する回数が増えるので、金属が燃えるのを防ぐため、適度に藁灰や泥水をつけながら作業を進める。
折り返し鍛錬を十五回程度(心金の場合は五~六回程度の折り返しにとどめる)繰り返すと、十分な粘りのある金属鋼が鍛え上がる。
積み重ねから折り返し鍛錬までの工程を、【小割り】の際に分けた心金になりえる金属鋼と、皮金に適した金属鋼、それぞれで行う。
別々に行う理由は、日本刀の特性に起因する。日本刀を評するとき、『折れず、曲がらず、よく斬れる』という言葉がよく用いられるが、これは炭素含有量の少ない柔らかい鋼を芯にし、その周りを炭素含有量が多く硬い鋼で包むという技法によって生み出される。そのため、あえて別々に鍛錬を行う。
次に、柔らかく粘りの強い心金を取り囲むように皮金を配し鍛接する【造り込み】に移った。
造り込みのやり方は流派によって異なる。例えば、Uの字型に折り曲げた皮金の中心に心金を入れ包み込む『甲伏』、心金の側面と刃になる部分に皮金を配する『本三枚』、心金を中心に側面、刃面、棟面と四方向から包み込む『四方詰』などがある。現世で多くの刀鍛冶が採用していたのは四方詰だった。
俺は先達に倣い、今回は『四方詰』を採用する。ただし、今回俺が作るのは『刀』でなく両刃直剣の『唐剣』だから、棟面は存在しない。
心金を中心に、二枚の皮金を側面に、もう二枚を二辺の刃になるように配して鍛接する。
鍛接した後、いよいよ金属鋼を唐剣の形に打ち延ばす【素延べ】に取りかかる。このときも、炉で熱を入れながら慎重に回数を重ね、無理がかからないように打ち延ばしていく。性急に早く打ち延ばそうとして強い力で行うと、疵などの原因になったり、皮金で覆った心金が中で捩じれ、ひどいときには皮金を破って表面に露出してしまうこともあるからだ。
俺と鬼たちは慎重の上にも慎重を期し、金属鋼を熱しては打つを繰り返し、徐々に目的とする両刃の剣の形になるように成形していく。この刀――今回は剣だけど――の形を定める工程を【火造り】と呼ぶ。
火造りでは、ほぼ目標とする形にまで持っていく。刀ならば、焼き入れ後でも棟の方から金鎚で、叩くなどして形を整えることができるが、両刃の剣では叩くことのできる棟がないので、焼き入れ後の成形は難しい。そのため、剣など両刃の武具では、火造りの段階での成形の完成度がより一層求められる。
また、剣の厚さ、刃先に向けての勾配も、火造りの段階で定める必要がある。
俺は、この剣を渡すことになる人物の姿を想像しながら成形する。少し肉厚幅広で大振りながら、その人物の腰から唐剣を提げたときに、地面と接触する恐れがない長さにする。そして、仕上げに熱を入れずに剣の表面を叩き締めながら表面を均す【からならし】を行った。
その後、細かい成形のムラをヤスリで綺麗に整え、いよいよ【焼き入れ】の準備に取りかかる。
焼き入れとは、炉で加熱した刀を水槽に投入し、水で冷やすことによって、金属鋼を硬化させる作業だが、剣全体を硬化させてしまっては折れやすくなってしまう。そのため、硬化させるのは剣の刃先のみに限定し、他の部分は焼きが入らない工夫をする必要がある。この工夫のために用いるのが焼刃土だ。
入口の方から女性の声が響き、思わず俺は入口の方を向いてしまった。
声の主を確認し「あぁ紫慧紗か……」と思った瞬間、右の頬に熱く硬いものが当たった感触がして――
俺の意識はブラックアウトした。
後で聞いた話だが、気絶してしまった俺を見た紫慧紗は、立ち合いを見物していた鬼たちを掻きわけて、俺に駆け寄り、頭を抱きかかえるようにして介抱しながら、閻魔にさえ食ってかかったらしい。
閻魔が慌てて事情を話そうとしても、紫慧紗は聞く耳を持たず、『鬼ども近寄るな!』オーラ全開で、俺が目を覚ますまで周囲を威嚇し続けていたとのことだ。
俺は、目を覚ました途端目に飛び込んできた、瞳に涙を一杯に溜めて俺を見つめる紫慧紗と、それをニタニタと見ている閻魔や鬼たちの姿に恥ずかしくなり、慌てて起きようとした。だが「もう少し寝てて!」と紫慧紗の膝の上に戻されてしまい、そのままの姿勢で彼女の小言を聞かされることになった。ちなみに、彼女の柔らかいフトモモの感触が気持ちよかったってことは……ナイショにしておこう。
「朝起きてみれば部屋にいないし、どこに行ったかと思えば、修練場で宇羅さんと立ち合いをしてるし! 大体、宇羅さんは修練場の取り仕切りを牛頭様から任されるほどの猛者なんだよ。そんなことも知らずに、自分の実力もわきまえないで立ち合いに応じるなんて、身のほど知らずも甚だしい!」
紫慧紗のお小言はともかく、その光景を稽古に戻った鬼たちにチラチラ見られ、その度にニタニタされるのは正直堪らない。
大体、閻魔や鬼のニコニコ顔なんて不気味だ! いや、人によっては愛嬌があっていいと言うかもしれないが……
そんな衆人環視の羞恥プレイを何とか耐え、稽古を終えた俺に、宇羅が、
「朝飯はまだだろう、一緒にどうだ?」
と声をかけてきた。
俺は、紫慧紗が何か言うより早く、「ぜひよろしく!」とお願いした。
もし紫慧紗と二人きりになったら、飯のときまで小言を言われそうなので、逃げ出したかったのだ。
紫慧紗もはじめは恨めしそうに上目づかいで俺を見ていたが、自分が俺と羞恥プレイを繰り広げていたことに気付いたのか、顔を真っ赤にしながら後をついて来た。
食堂は、修練場並みに大きな部屋で、長机と椅子が一面に並んでいる。ちょうど朝食の時間なので、様々な鬼たちでごった返していた。
「驍廣殿、このお盆を持って部屋の端にある配膳場まで行くと、飯を出してくれるからな」
宇羅にお盆を渡され、配膳待ちの列に並ぶと、すぐに順番が回ってきた。
「あれ、紫慧紗ちゃん、今日は食堂で食べるのかい?」
配膳係の鬼おばさんが、俺の後ろに並ぶ紫慧紗に声をかけた。
「宇泉おばさん。うん! 今日はこっちで食べることにしたんだ」
配膳係の鬼おばさんと談笑しながら、紫慧紗は配膳を受ける。
そのやり取りを皮切りに、色んなところから紫慧紗に声がかけられる。それを見て、皆に愛されてるんだなぁと、なぜか俺の頬は緩んだ。そんな俺の顔を見て、紫慧紗は恥ずかしそうに下を向き、俺の踵を蹴ってきた。
なんか、最初に会ったときとイメージが違いすぎだぞ、紫慧紗!
飯をもらい、宇羅と向かい合わせで長机に着く。配られた飯は、味噌汁のような野菜の一杯入った汁、焼き魚、漬物、生卵に山盛りの丼飯といった和定食だった。
俺と宇羅はその和定食を食べながら、朝の修練場の話で盛り上がっていた。そこへ、紫慧紗が、
「宇羅さん、人間相手に何盛り上がってるんですか? やめてください、驍廣が変に勘違いしますよ」
と横槍を入れると、宇羅は、
「紫慧紗殿はご存じないのですか? 驍廣殿の『武』は大したものですぞ。あのまま続けていたら、よくて引き分け、十中八九、某の方が負けていたでしょう。もしかすると、牛頭様ともいい立ち合いをするかもしれません」
その宇羅の言葉に、紫慧紗は大きな目をさらに大きく見開いて俺を見た。そんなに驚かなくても……
「ところで驍廣殿、貴殿はなぜそれだけの『武』を身に付けておられるのだ? 差し支えなければお教え願えぬか」
宇羅は、興味津々のようだ。それに対し、
「うんぅ、お゛れ゛のい゛え゛のがぶうで」
と、口に食べ物が入った状態のまま答えると、
「驍廣! 口にものを入れて喋らない、まったくもぉ」
すかさず紫慧紗が声を上げた。慌てて口の中にあるものを呑み込み、
「家の家風で、『刀鍛冶になるために武術の鍛練をすべし』って教えがあって、ガキの頃から近所にある古武術の道場に通っていたんだよ。まぁ、最近は古武術の道場だけじゃなくて、色んな格闘技も習ってたんだけどね。でも、俺くらいの武術の使い手なんて、死者の中にはゴマンといたんじゃないか?」
「いや、驍廣殿ほどの者は初めてではないかな。もっとも、普通の死者はもっと生気がなく、『武』を振るうことも少ない。技術として我らに色々と伝えてくれた武術家はいたが、実際に立ち合うことはなかったしな」
「そんなもんなんだぁ……」
俺が宇羅の言葉に考え込んでいると、紫慧紗が、
「ところで、ご飯を食べた後は何かしたいことある?」
「やりたいことねぇ……」
「驍廣殿、先程武術の鍛練は刀鍛冶になるためだと言われておったが、それならば冥府の鍛冶場でも覗いてみてはいかがかな?」
「冥府にも鍛冶場ってあるの?」
「刀は打っておらぬが、我らの使う金棒や棍棒などは冥府の鍛冶場で打っておるぞ」
「へ~ぇ、そりゃ面白そうだなぁ……」
思わず俺は呟いた。
「そうかぁ、では儂が馬頭に話を通しておこうかモォ」
突然、牛顔の大男が声をかけて来た。
「牛頭様!」
宇羅は、慌てて立とうとする。
「いやいや、宇羅よ、立たんでよいモォ。驍廣殿、今朝は修練場でなかなかいいものを見せてくれたと、閻魔王様から聞いたモォ。鬼たちの『武』の修練を差配する者としてのお礼だモォ」
「そうかぁ、そんな大したことはしてないんだが、そう思ってもらえるならありがたい。鍛冶場の件、本当にお願いできるか?」
「了解だモォ、食事がすんだら那……紫慧紗殿に連れていってもらうといいモォ、ではモォ」
牛頭はそう言うと、お盆を配膳場で片付け、俺たちに手を振って食堂を出ていった。
「あれが牛頭かぁ、その名の通りの姿なんだなぁ」
「「驍廣(殿)、失礼でしょ(ですぞ)!」」
「おぉ! 二人でハモるな! 現世で絵に描かれる牛頭そのままだったんだから仕方ないだろ」
「だとしてもぉ!」
俺の何気ない一言を、紫慧紗と宇羅に注意されてしまった。
「あぁ~もぉ! いいから、早く飯を食って一休みしたら鍛冶場に行くぞ!」
困った俺は、そうやってはぐらかした。
「もぉ、分かったよ。ご飯の後は鍛冶場だね」
苦笑しつつ矛を収める紫慧紗に、俺は安心して再び飯を食べる。
それにしても、牛も焼き魚に生卵を食べるんだなぁ……
飯を食い終わり、仕事に向かう宇羅と別れた俺は、一旦部屋に戻って身支度を整えた後、紫慧紗の案内で鍛冶場に向かった。
鍛冶場では、馬頭(これまた絵に描いたような馬面!)が出迎えてくれた。
「ブルルルゥ、お前さんが牛頭の言っていた『驍廣』かぁ? よう来たのう、この鍛冶場は鋳造を主体にやっておるが、鍛造も多少は採り入れておる。まぁ時間つぶしにはなるじゃろう。ゆっくり見ていヒン」
そう言って馬頭自ら、鍛冶場の中を案内してくれた。紫慧紗は恐縮しきりだったが、俺としては責任者に案内してもらえて万々歳だ。
鋳造は溶かした金属を型に入れて作る方法。鍛造は、金属を加熱し、圧力を加えて成形する方法だ。なお、鍛造の作業により、金属組織は不純物が抜け均一化し、強度が増す。
馬頭によると、冥府の鍛冶場では鋳造で金砕棒を作り、一部の特別な棍棒などを鍛造で作っているという。鋳造だと、鍛造よりも武器としての強度が落ちてしまうからだ。
そうはいっても、金棒などの鉄の塊のようなものを鍛造で作るなんてなんて想像もできないから、これはこれでありなんだろう。
それに、金棒どうしで叩き合うなんてことが起きない限り、鋳造で問題ないと思うんだが……
牛頭や宇羅が使う棍棒は鍛造で作られた物らしく、刀を作るときほどではないが、何度も延ばして鋼を鍛え、成形しているとのこと。
また、ごく少数ではあるが鉄鞭や刺股・両刃直刀の唐剣も作られていた。
刺股は言わずと知れた捕縛用の用具。
鉄鞭と唐剣は閻魔のような冥府の高官専用で、儀礼用としての意味合いが大きいらしいが、もちろん十分実用にも耐えられる物だそうだ。
冥府で作られる武具は、亡者が暴徒と化した場合の鎮圧・捕縛用武具がほとんどで、戦う武器としての目的を持った物は少ない。まぁ当然と言えば当然なんだが。
その中で、唯一武器として作られている唐剣は目を引いた。
「唐剣に興味があるようですヒン。驍廣殿は現世で鍛冶仕事に携わっていたと聞いたヒン。もし、やることがなければ、冥府滞在中に一本打ってみてはどうかヒン?」
俺は、馬頭の思いがけない申し出に飛びついた。
「いいのか!? これから九日間、何をやってすごそうかと思っていたんだ。もしいいなら、冥府を旅立つ前に、世話になる礼に何か一本鍛えられる!」
「ほぉ、そうかヒン。ならば、作っていくといいヒン。でも、鍛冶場ばかりでなく旅立つ準備もきちんとしておくヒンよ」
馬頭は笑いながら許可してくれた。
「あぁ、分かったよ。じゃあ、さっそく作刀の準備をしてもいいか?」
「気の早いヤツだヒン。今日すぐというわけにもいかないヒンが、明日には、道具と材料を用意させておくから来るといいヒン」
苦笑に変わった馬頭が、俺を落ち着かせるように言う。
「そうかぁ、分かった! じゃ明日よろしく頼むなぁ!」
俺は馬頭に礼を言い、鍛冶場から出た。
「鍛冶場で作刀を始めると冥府見学はできなくなるだろうから、今日の内に冥府の案内を頼む」
紫慧紗にそうお願いし、冥府探訪と洒落込んだ。
冥府に娯楽施設はなかったが、生活するための施設は整っていた。
閻魔をはじめ鬼たちは、皆が妻子を持ち、現世と同じかそれ以上に配慮が必要な人付き合い(この場合鬼付き合いとでも言うのか?)をしつつ、質素でも豊かな『清貧』と呼んで差し支えない生活を送っていた。
まぁ、冥府や冥界、つまり地獄は、現世で悪さをして亡者となった人間や動物に、裁きを下し、反省させることで魂を鍛える場だ。そこで働く者が、現世よりも淫らな生活を送っていては示しがつかないのだろう。
現世では、鬼たちは亡者を責め苦にあわせることを喜び、楽しんでいると思われている。
だが、実は地獄での仕事は鬼にとっても苦役で、彼らは一日も早く亡者たちが自らの過ちに気付いて反省し、極楽に導かれ輪廻転生することを望んでいるのだと、紫慧紗が教えてくれた。
もっとも、食堂で飯を一緒に取ったときに見た鬼たちの顔を見ていれば、そんなことは聞かなくても分かる気がした。
こうして、一日はあっという間に過ぎていった。
◇
翌朝も、前日と同じように修練場で宇羅たちと一緒に汗を流し、迎えに来た紫慧紗も交えて食堂で朝食をすませると、さっそく鍛冶場に向かった。
「よく来たヒン。約束通り、鍛冶場を自由に使っていいヒン」
馬頭が、炉の前まで案内してくれた。そこには、俺のために用意してくれた鍛冶の道具や材料が置かれている。
現世で日本刀に使用する玉鋼はさすがに用意されていなかったが、冥府の鍛冶場で使われている玉鋼に似た金属『冥鋼』は、俺から見ても十分に納得できる質の物だった。俺はそのままその金属を使わせてもらうことにする。
用意された鍛冶道具を一通り確認した。そして、両手の指を交互に合わせ、ポキポキポキポキと指の関節を鳴らした。その後、指を反らすように伸ばしてから、手首を振って関節をほぐす。それに続き、肩、首、背中、腰、足と体中をほぐしていく。十分にストレッチを終えたところで、鍛冶衣装の袖を肩まで捲り上げ、仕事の邪魔にならないように紐で襷がけに縛ると、大きく深呼吸をして、気合を入れた。
割り当てられた炉には既に火が入っていて、その熱がジリジリと俺の頬を焦がす。炉の前に立ち、切り炭(木炭を細かく五センチ角ほどに切った物)を炉に投入し、鞴に付いている取っ手を前後に動かす。
日本の刀鍛冶で使う鞴は、西洋の物と形状が異なる。西洋の鞴は蛇腹の袋に口が付いた、アコーディオンのような形状で、蛇腹袋を押し潰すことで口から空気が出る。だが、日本の刀鍛冶で使われる鞴は、木箱の中の仕切り板(狸の皮を使うことが多い)に付いた取っ手を前後に動かすことで、押しても引いても空気を送り込むことができ、微妙な調節が可能となっている。
鞴で空気を送り込み、勢いのいい炎を確認しつつ、炉の中の温度を上げる。表面がゴツゴツした、製錬されたままの金属を鍛冶場の炉で熱し、薄く打ち延ばす【水減し】を行う。
玉鋼の場合は、あまり高温の状態で金鎚で打つと、バラバラに散ってしまうことがある。そのため、低温でゆっくりと熱を入れ軽く叩き、鋼がなじんできたら叩く力を強くして延ばしていくのだが、冥界の金属に対しても同じ手法をとることにした。
炉の炎に顔を炙られながら、ゴツゴツとした金属の塊をゆっくり加熱する。熱が入り赤くなった金属塊を、金鋏で炉から取り出し金敷(金鎚を振りおろす台)の上に乗せる。力を加減しながら金鎚で打ち、最終的には厚さ三~六ミリほどの薄さになるまで打ち延ばした。打ち延ばした金属板の熱が下がらない内に水槽の中へ入れ、モウモウと立ちのぼる水蒸気を浴びながら、水槽の中の金属が急冷されていく様子を静かに見つめる。
加熱した後に急冷することで、金属の中の炭素量が過剰に多い部分は水の中で自然に砕け、そうでない部分は砕けず残る。その残った金属板を水槽の中から取り出した。
水減しで不要な部分を除いた金属板を、再び金敷の上に乗せ、細かく割る【小割り】を行う。
なぜ、一旦板状にした物をまた小片に割るのかと言うと、そうすることによって金属の中に含まれる炭素量の違いを見極め、刀の中心部分(心金)に適した物と、それ以外の表面を覆う部分・皮鉄(刃金・棟金・側金)の材料になる部分とに分けられるからだ。
次に、小割りで選り分けた金属片をテコ棒と呼ばれる金属の棒の上に積み重ねる。このテコ棒は、金属を炉に入れて加熱するときや、金敷の上において鍛錬を行う際に、位置がずれないように持つための棒だ。金鋏よりもしっかりと保持することができ、鍛錬を繰り返す刀鍛冶には必要な道具だった。
そのテコ棒の先端に付けられた平たい皿状の台はテコ台と呼ばれ、このテコ台の上に小割りした金属片を二キログラムほど積み重ねる。
積み重ねた金属片が崩れ落ちないように、水でぬらした和紙で全体を包む。その上から藁灰をまぶし、さらに泥汁を満遍なくかけてから、静かに炉の中へ入れて加熱する。
藁灰をまぶしたのは、空気を遮断し、金属が炉の熱で燃えてしまうのを防止したいからで、和紙で包むのは、金属片が崩れないようにするため。また、泥汁をかけることで、金属片の表面だけでなく、中心までじっくりと熱を伝えられる。
炉に入れた金属片にゆっくりと熱が入るように、炉に送り込む空気の量を鞴で調節する。十分に金属の中に熱が入り、金属の色が鋼色から赤色、そして黄色へと変化するのを確認すると、炉から取り出す。そして、数回金鎚で軽く打ち、積み重ねた金属片が崩れ落ちたりしないか、鍛着(二つの金属を加熱し、重ねて叩くことで融合させること)できる状態か、を確かめた後、再び泥汁と藁灰を付着させ、炉の中に入れ加熱し、金鎚で打つ。その作業を繰り返していく。
一連の作業工程を繰り返すことで、金属片は次第に鍛着し一塊になり、粘りを持つようになる。
そうなったら、強く速く金鎚を振るい、次に行う【鍛錬】の準備を整える。
鍛錬は、金属を鍛えることによって金属の中に含まれる鉱滓(金属内に含まれている鉱石母岩の鉱物成分、スラグとも呼ばれる)をはじき出し、金属内に偏在する炭素の量を均一化させることを目指して行われる。
鍛錬の際、一回の加熱で素早く複数回金属を金鎚で打つ必要がある。そうしないと、いくら藁灰や泥汁で金属の表面を保護しても、炉の炎によって金属が燃え、減少してしまう。そのため、鍛錬を全て一人で行うのは難しい。今回、鍛錬には鍛冶場で働いていた二名の鬼が俺の相槌を買って出てくれた。
鬼たちは大金鎚を握り、炉で加熱した金属を俺の指示に合わせて打つ。鍛冶場には俺と鬼たち二人が振るう三位一体の鎚音がリズミカルに響き渡った。
打ち叩きを繰り返して、平たく延ばした金属を二等分するように切りタガネ(小振りの手斧形の道具)で深く溝を刻む。
溝を刻んだ金属を炉で加熱している間に、金敷の表面を水で濡らしておき、加熱した金属を斜めに傾け、金敷との間に僅かな空間を開けた状態で大金鎚を振りおろし、叩きつけるように接地させる。高熱になっている金属と金敷を濡らす水が瞬間的に接触し、小規模だが水蒸気爆発に近い状況を作り、鍛錬によって金属表面に浮き出たカスや切り炭、泥汁、藁灰といった不純物を一瞬の内に取り除く。そして、不純物のない方が内側になるように切りタガネで作った溝に沿って二つ折りにし、再び炉で加熱し打つ。そのような作業を繰り返す【折り返し鍛錬】を行う。
横や縦、時には三等分するべく二カ所に溝をいれたりしながら、折り返し鍛錬の工程を繰り返して、金属を均一化し『金属鋼』へと生成してゆく。
鍛錬は、炉に入れて加熱する回数が増えるので、金属が燃えるのを防ぐため、適度に藁灰や泥水をつけながら作業を進める。
折り返し鍛錬を十五回程度(心金の場合は五~六回程度の折り返しにとどめる)繰り返すと、十分な粘りのある金属鋼が鍛え上がる。
積み重ねから折り返し鍛錬までの工程を、【小割り】の際に分けた心金になりえる金属鋼と、皮金に適した金属鋼、それぞれで行う。
別々に行う理由は、日本刀の特性に起因する。日本刀を評するとき、『折れず、曲がらず、よく斬れる』という言葉がよく用いられるが、これは炭素含有量の少ない柔らかい鋼を芯にし、その周りを炭素含有量が多く硬い鋼で包むという技法によって生み出される。そのため、あえて別々に鍛錬を行う。
次に、柔らかく粘りの強い心金を取り囲むように皮金を配し鍛接する【造り込み】に移った。
造り込みのやり方は流派によって異なる。例えば、Uの字型に折り曲げた皮金の中心に心金を入れ包み込む『甲伏』、心金の側面と刃になる部分に皮金を配する『本三枚』、心金を中心に側面、刃面、棟面と四方向から包み込む『四方詰』などがある。現世で多くの刀鍛冶が採用していたのは四方詰だった。
俺は先達に倣い、今回は『四方詰』を採用する。ただし、今回俺が作るのは『刀』でなく両刃直剣の『唐剣』だから、棟面は存在しない。
心金を中心に、二枚の皮金を側面に、もう二枚を二辺の刃になるように配して鍛接する。
鍛接した後、いよいよ金属鋼を唐剣の形に打ち延ばす【素延べ】に取りかかる。このときも、炉で熱を入れながら慎重に回数を重ね、無理がかからないように打ち延ばしていく。性急に早く打ち延ばそうとして強い力で行うと、疵などの原因になったり、皮金で覆った心金が中で捩じれ、ひどいときには皮金を破って表面に露出してしまうこともあるからだ。
俺と鬼たちは慎重の上にも慎重を期し、金属鋼を熱しては打つを繰り返し、徐々に目的とする両刃の剣の形になるように成形していく。この刀――今回は剣だけど――の形を定める工程を【火造り】と呼ぶ。
火造りでは、ほぼ目標とする形にまで持っていく。刀ならば、焼き入れ後でも棟の方から金鎚で、叩くなどして形を整えることができるが、両刃の剣では叩くことのできる棟がないので、焼き入れ後の成形は難しい。そのため、剣など両刃の武具では、火造りの段階での成形の完成度がより一層求められる。
また、剣の厚さ、刃先に向けての勾配も、火造りの段階で定める必要がある。
俺は、この剣を渡すことになる人物の姿を想像しながら成形する。少し肉厚幅広で大振りながら、その人物の腰から唐剣を提げたときに、地面と接触する恐れがない長さにする。そして、仕上げに熱を入れずに剣の表面を叩き締めながら表面を均す【からならし】を行った。
その後、細かい成形のムラをヤスリで綺麗に整え、いよいよ【焼き入れ】の準備に取りかかる。
焼き入れとは、炉で加熱した刀を水槽に投入し、水で冷やすことによって、金属鋼を硬化させる作業だが、剣全体を硬化させてしまっては折れやすくなってしまう。そのため、硬化させるのは剣の刃先のみに限定し、他の部分は焼きが入らない工夫をする必要がある。この工夫のために用いるのが焼刃土だ。
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