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10巻
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しおりを挟む「火精霊術ですか……確かに妖精族が操る火精霊術の中には、火の矢や槍を生み出し、敵を攻撃するような術があります。しかし、いきなり体中から火を噴き出させ、焼き殺すなどといった惨たらしい術など、聞いたことがないのですが……」
「ええ、そうですわね……。ところで擁彗さんは、火精霊術の中に力を一時的に向上させ、被術者の攻撃力を上げる術があることをご存じですか?」
「……それは、妖精族の討伐者などが魔獣を狩るときに用いる、攻撃力強化術のことでしょうか。私たち竜人族や獣人族、妖獣人族などは各々の『気』を使って身体の強化を図るのに対し、妖精族は精霊術を用いることで同じような効果を実現している、と聞いたことがあります」
「その通りです、よくご存じですね。貴方がたは修練によって『気』を身に纏い身体能力を向上させることができるのに対して、妖精族は一部の氏族を除き、自らの身に『気』を纏うこと自体が苦手なのです。代わりに、精霊に『気』を分け与えることで、精霊に力を貸してもらう精霊術に長けております。その中には、術者自身の身体能力を上昇させる術もあるのです。ただ、自らの力である『気』を直接纏うわけではないので、強化したい目的に合わせて、力を貸してもらう精霊を変えなければいけません。例えば、体を硬化させ防御力を上げる場合には土精霊に。体力を向上させ疲れにくくするためには水精霊に。速力を上げ素早く動くためには風精霊に。そして、膂力を上げるためには火精霊に、と目的に応じて精霊がそれぞれ必要になってくるのです」
「なるほど。俺たちが己の気を使って行うところを、精霊術によって行っているということか。しかも、精霊術ならば自らの体だけでなく、他の者にも行うことができる。やはり妖精族の精霊術というものは大したものだな」
炎の説明に、墨擢が感心したように呟いた。その反応に、炎は理解を得られたと少し表情を緩めたものの、すぐに顔を顰めた。
「そうですね。……ですが此度のことは、本来は被術者の助けとなるはずの精霊術が、被術者(商人)の身を害するために、悪意をもって用いられたものなのです。被術者の力を強化する目的で体内の活性化を促すはずの火精霊の力を暴走させ、過度な活性化を誘発し、発火にまで至らしめた。通常であれば、このようなことは火精霊が嫌がるので、あり得ないのですが……」
「な、なんと⁉ では、街門前で起きた此度の所業は、精霊術を用いて行われたことだというのか? しかし、『通常であれば精霊が嫌がりあり得ない』と申された。ならば、なぜ此度はこのようなことを起こすことができたのだ?」
驚きと怒りの表情を浮かべ問い詰める墨擢に、炎は苦悶に満ちた顔で唾棄するように告げた。
「……それは、精霊術の行使を命じられた火精霊が、魔気に侵され、正気を失っていたからでしょう。悲しいことですが、甲竜街へ来る前に立ち寄ったドワーフ氏族の郷で、魔気に侵され邪精霊に堕ちた精霊を宿す武具を目にしました。あのときの精霊のように、魔気に侵され邪精霊となり、分別のつかない状態に陥ってしまえば、術者の命じるままに力を揮い……。精霊にとって邪精霊化は、獣族や人族でいう魔獣化と同じ。精霊と最も親しき妖精族が、精霊を邪精霊に変え、力を行使させるなんて……」
炎の言葉に衝撃を受けたのか、墨擢も、そして周囲で耳を傾けていた衛兵たちも、顔を青くした。
そこへ、擁彗が口を開いた。
「……天樹国の者たちはそうまでして『力』を求めていたということでしょう。そしてその原因は、彼らの言い分では甲竜街にあると。ですが、たとえ私たち甲竜街が、センティリオ様をはじめ天樹国の者たちを追い詰めたのだとしても、彼らの意に沿うわけにはまいりません。仮に、今回の甲竜街侵攻を許せば、妖精族至上主義を掲げた天樹国は、その手を天竜賜国の全土に伸ばし、禍害がどこまで広がることか……。墨擢! 此度の戦、兄上は楽観的に考えられておられるようですが、一筋縄ではいかないでしょう。ですが、どのような犠牲を払おうとも、是が非でも勝ちを掴み、天樹国の暴走を止めなければなりません。そのためならば、私は墨擢をはじめ第二分団の命を使い潰す覚悟。そんな私に従ってくれますか?」
墨擢はそれを聞いてブルッと体を震わせると、次の瞬間、両の手で自分の頬を大きな音を響かせながら張り飛ばし、その場に片膝をつくと、力強い光を宿した瞳で擁彗を見上げた。
「擁彗様! 我ら甲竜街衛兵団第二分団、いつでも擁彗様に命を捧げる覚悟はできております。それが、甲竜街のみならず天竜賜国ひいてはこの世界のためになるのであれば、まさに武人の誉れ! 我らが命、いかようにもお使いください‼」
思いの籠った力強い言葉を口にする墨擢に感化されたのか、周りにいた第二分団の面々はもとより、守衛役の衛兵たちまで、彼と同じように片膝をつき、擁彗に熱い眼差しを向けた。
その姿を見た擁彗は、覚悟を決めるように一度目を伏せて間を取ると、
「宋厘! この場の始末は任せます。この場で起きたことの一切を兄上に報告し、下知に従いなさい‼」
と、一際力強い声で宋厘に命じる。
「はっ! 商人らの亡骸は丁重に家族のもとへ届け、街門の警備を厳重にし、この場で起きたことの一切を擁掩様にご報告申し上げます。して、擁彗様は?」
街門の守衛長ながら、当たり前のように指示に従おうとする宋厘。そんな彼の問いかけに、擁彗は力みのない柔らかい笑みを見せた。
「私は天樹国の動きを探りつつ、兄上が防御陣を築くまでの時を稼ぐために、これより第二分団とともに出陣いたします!」
「我ら第二分団は、これより天樹国からの軍勢の動きを探りつつ、敵の進軍を止めるため出陣する。その旨各隊に連絡せよ、急げ!」
「「「「「はっ!」」」」」
宋厘に応えた擁彗の言葉を受け、墨擢は即座に配下の衛兵たちに下命。衛兵たちは第二分団本隊が待機している兵舎へと走っていく。それを見送った墨擢と擁彗は、目の前に伏す商人と街門前に張られた幕の奥にある商隊に黙礼してからその場を去り、半刻後には第二分団を率いて街門から出立していった。
第二分団の出陣は、街の者たちに知らされることはなく、わざわざ見送りに出る者はいなかったが、街門を守る衛兵たちは黙したまま敬礼をもって送り出した――
「さてと、俺たちも行くとするか。それじゃ後のことは任せたぞ、斡利」
颯爽と甲竜街から出陣する第二分団を見送った俺は、後方で待機していた斡利に声をかける。すると、緊張している斡利の後ろにいた賦楠が、彼の緊張を解すように、頭をグシャグシャッと撫で回した。
「斡利君、そんなに緊張しなくても、この僕がついているんだから大船に乗った気で、ドンと構えていればいいんだよ。驍廣さん、こっちのことは僕らに任せて、あまり無茶をしないように……と言っても無駄だろうけど、十分に気を付けて。まあ、あんまり心配はしていないけどね。どうせ驍廣さんのことだから、いつもと変わらず傍若無人に戦場を闊歩するだろうからね♪」
などと憎まれ口を口にする賦楠に、俺は思わずクスリと笑ってしまった。
「なんだかこの前から、賦楠が俺に対して辛辣になっている気がするんだが……まあ良いか、それじゃな!」
俺は軽く手を挙げて、紫慧とアルディリアを伴い、街門の外へと踏み出した。
◇
「くっ! なんたることか、蜥蜴風情に良いように踊らされおって! 何をしているのだ‼」
甲竜街から響鎚の郷へと繋がる街道を封鎖するように設営された天樹国軍の陣屋に、苛立つセンティリオの声が響いた。
「なぜ、我が軍の後方を行軍していた兵糧が、甲羅蜥蜴どもに奪われるのだ! 周辺警備を行っていたヴィーゼライゼン氏族は、甲羅蜥蜴どもの接近に気付かなかったのか? 兵糧の守備に就いていたコボルト氏族は一体何をしていたのだ?」
センティリオが声を荒らげる陣屋内には、ハイエルフ氏族をはじめ、今回の甲竜街侵攻に参加した氏族の代表者(族長や郷守役など)が居合わせていた。だが彼らは、センティリオの怒りが自分たちに飛び火しないようにと身を縮めて、誰一人彼の放言に口を挟まない。代わりに、センティリオの副官として従軍し、彼に甲竜人族による天樹国軍の兵糧奪取の報告を告げたアモリッツアを睨みつけていた。
当のアモリッツアは、周囲からの無言の圧力とセンティリオの怒る姿に落ち着きを失い、背中を丸めて、額から噴き出る冷や汗を拭く仕草を繰り返していた。そこへ――
「アモリッツア! 詳しく報告せよ。一体何があったのだ!」
センティリオに問いかけられて、バネ仕掛けの人形のように丸めていた背中をピンと伸ばし、報告をしはじめたものの、その声は裏返り、さらなる醜態を晒した。
「は、はいィ! ざ、残念ながら、詳しい情報が上がってきておらず、周辺警備を行っていたヴィーゼライゼン氏族も、兵糧輸送の護衛に就いていたコボルト氏族も、輸送を担当していたエント氏族も、姿を消してしまっておりまして……申し訳ございません」
用をなさない報告を口にするアモリッツアに対し、センティリオは苛立ちを募らせた。
「くっ、兵糧に係わっていた者たちが全て姿を消しただと! そんな馬鹿なことがあるか。甲羅蜥蜴どもが我らの兵糧を狙い襲撃したのならば、何かしらの戦闘の痕跡や死傷者が襲撃現場に残っているはず。何も情報が上がっていないなどということがあるか。どのような些細な情報でも良い、そうそうに調べ上げ報告せよ‼」
センティリオの厳命に、アモリッツアは改めて調査を命じたものの――得られたのは、響鎚の郷を発し、天樹国軍の後方で兵糧輸送していたエント氏族、及びその護衛にあたっていたコボルト氏族の消息は不明、襲撃場所の特定もできなかったという情報程度。ただ、軍の後方を行軍していた兵糧輸送部隊が、突然方向を変えてシュバルツティーフェの森へと分け入った痕跡は発見された。しかしそれも、森に入ったところで途絶えたらしい。
その事実をアモリッツアから報告されたセンティリオは、怒りのあまり腰に差していた細剣を抜き、陣屋の中央にある、戦評定のための地図が置かれている机を力任せに斬りつけた。彼の姿に、居並ぶ各妖精族の氏族代表者たちは恐れおののき、身を震わせた。
此度の出征を支持したアクアエルフ氏族の族長コーリッシュ・クアーレもまた、他の者と同じようにセンティリオの姿に言葉を失い、自分の判断は間違っていたのではと不安にかられていた。一方、フラムエルフ氏族のフォルナート・ヴァーンズィだけは、笑みを浮かべていた――
◇
しばし時を遡る――
甲竜街を発った擁彗率いる第二分団とその後方を歩く俺、紫慧、アルディリアの三人は、天樹国軍が進攻してくる街道から一旦離れ、シュバルツティーフェの森へと続く林の中に身を潜めた。
その場所は、先に天樹国軍の進攻を探るために動いていた賦楠と優の二人が活動の拠点としていた場所で、灌木が生い茂る林の中にポツンとできた空き地だった。
ここは、元々立っていた巨木が落雷を受けて炎上し倒れたことによって生まれた空間であり、黒く焼け焦げた巨木が倒れ、根を地上に晒していた。
街道で待ち構えていたヴェティスと優にこの場所まで案内されたのだが、第二分団は灌木が生い茂り周囲から見えづらくなっているこの空き地の存在に驚いていた。
「ヴェティス殿、設楽殿、甲竜街の危機に際し、多大なる助力をいただき、甲竜街領主・壌擁掩、並びに甲竜街の街民になりかわり、感謝を申し上げます」
感謝の言葉を告げる擁彗に追従し、第二分団の面々も二人に敬礼した。
「そ、そんなぁ……。どうしよう、どうしたらいいの? 甲竜街領主の御舎弟様に感謝されちゃったよぉ~」
目の前に立つ擁彗と、その後方に整列し敬礼する衛兵たちに、ヴェティスはすっかり取り乱して、少し震えながら隣にいる優の体を揺さぶった。優は、いつもの無表情のまま頭をカックンカックンさせつつ、
「感謝は天樹国の軍を退けてから。それに、私たちは驍廣さんの指示で動いただけ……ヴェティス、少し落ち着く!」
と、迷惑そうに眉間に皺を寄せた。ヴェティスは慌てて優の体から手を離し、醜態を晒していたことに気付いて顔を真っ赤に染める。そして、擁彗や衛兵たちの視線から身を隠すように優の背中に隠れようとしたものの……自分よりも小柄な優の背後に隠れることなどできず、彼女の滑稽な姿は衛兵たちの笑いを誘った。
第二分団は、これから起こる天樹国軍との戦に緊張して張り詰めていたが、ヴェティスと優のやり取りで、少しではあるが余裕を取り戻したようで、俺は少しホッとした。
戦が始まる直前で緊張するなという方が無理だとは分かっていても、過度の緊張は体の動きも頭の回転も硬化させてしまう。少しでも緊張が緩和されれば、今後の動きが取りやすくなる。……などと考えていると、擁彗が俺を見た。
「ところで、本当についてこられたのですね。街門にその姿で現れたので説得は諦めていましたが、しかし実際にここまで来られると、あの言葉は本物だったのかと改めて思い知らされました。しかも、この場所までの道案内をヴェティス殿らに指示したのも驍廣さんとは……。驍廣さんはなぜ私たちをこの場所へ導かれたのですか? 何かお考えがあってのことだとは思いますが」
そう言って、衛兵たちの視線が俺に集まるように誘導した。衛兵の中には、擁彗の言葉に怪訝な表情を浮かべる者も多く、せっかくヴェティスの献身(?)によって解れた空気が、不穏なものへと変わりはじめてしまった。そのことに俺は思わず溜息を漏らしてしまう。
「擁彗……。まあいい、街門前での惨劇に遭遇し、そのまま出陣したが、この後は一体どうする腹積もりだったんだ? ヴェティスたちと合流するまで街道に沿って一直線に天樹国方向へ歩を進めていたが、まさかそのまま天樹国軍と遭遇戦に突入し、直接ぶつかって侵攻を遅らせようと考えていたんじゃないだろうな?」
俺の指摘に擁彗は驚きの表情を浮かべたが、隣に控えていた墨擢は大きく頷いた。
「その通りだ。我ら第二分団は、甲竜街防衛の主力である第一分団と擁掩様の親衛隊が準備を整える時間を稼ぐために、侵攻する天樹国軍の前面に進出して防御陣形を組み、天樹国軍の足止めを――」
「馬鹿か! それじゃ甲竜街は、天樹国の連中に蹂躙されることになるぞ‼」
俺は墨擢を遮り、あえて反感を持たれるように言い捨てた。
衛兵たちは、一瞬俺が何を言ったのか分からずキョトンとしていたが、次第に言葉の意味を理解すると、怒りの形相で俺を睨みつけてきた。
中には、腰や背中に携えている武具の柄に手をかけ、墨擢か擁彗の許可が下りた瞬間に俺に襲いかかろうとしている者さえいた。
だが、墨擢も擁彗も俺の言葉に反感を抱いた様子はなく、その意図を探るような顔をして、黙ったまま俺に続きを促した。
「残念だが、いまだに甲竜街で悠長に出陣の準備をしているような愚鈍な第一分団と親衛隊では、天樹国軍の攻撃を受け止めることはできないだろう。大体、アヴァールの用意した歩人甲や武具は使いものにならないから、以前使っていた筒袖鎧に戻すよう、擁彗が進言したにもかかわらず、第一分団の連中は、いまだに歩人甲で街中を闊歩していた。あのままの装備で天樹国軍との戦闘に突入したら、あっという間に武具や防具が破損して彼らは慌てふためき、戦線は呆気なく崩壊するだろう。第一分団を主力として防御陣を敷き、天樹国軍の攻勢を受け止めた後に、甲竜人族の剛力を活かした強烈な反撃をもって相手の交戦の意気を削ぐ、というお得意の戦法は、あの武具や防具を使っている限り成り立たない」
自信を持って断言する俺に、武具を抜き襲いかかろうとしていた衛兵たちは呆気に取られ、周りにいる仲間と顔を見合わせた。やがて、自分たちの中心にいる擁彗と墨擢へと視線を向ける。彼らの視線に、墨擢は苦虫を噛み潰したような顔をし、擁彗は一瞬苦笑いを浮かべた後、表情を引き締めた。
「驍廣さんの指摘に対して反論したいところですが、残念ながら兄上と殷呉第一分団長からは、衛兵の装備を以前のものへ戻すことをご了承いただけませんでした。もっとも、第一分団が以前使っていた武具防具は既に処分されてしまい、新たな武具や防具を用意する時間もなかったため、アヴァールが用意した歩人甲や武具が欠陥品であるとは公表できなかったのかもしれません。公表してしまえば、第一分団の者たちは迫りくる天樹国軍を前に不安を抱えることになりますから……」
そう苦渋の選択の結果だったと告げる擁彗。それを聞いた衛兵たちは、甲竜街が置かれている状況が逼迫していることを感じ取り、顔からは血の気が引き、言葉を失った。そこへ、俺は話を続ける。
「今聞いたように、甲竜街を守るためには第一分団ではなく、この場にいる第二分団を主力として考えていかなければならない。しかし、希望はある! 翼竜街に向かった麗華は既に街に到着し、耀安劉殿に報告。安劉殿は即座に援兵の派遣を決断し、翼竜街衛兵団に出陣を指示したと連絡が入っている。甲竜街に援軍が到着するのも間もなくだろう。今、甲竜街に一番必要なものは時間だ。それも、第二分団の損耗を可能な限り減らしつつ、第一分団の防具の不備を天樹国軍に悟られないことが求められる。そう考えると、天樹国軍の前に防御陣を敷いての足止めは、得策とは言えない」
「ふむ。なるほど、そう言われると納得がいく。だが、だとしたら他にどのようにして天樹国側の足を止めるのだ? 驍廣殿には何か考えがあるのだろう? まずはその案を聞かせていただきたい」
墨擢は含み笑いをして、俺に促してきた。
確かに墨擢の指摘の通り、腹案はあった。しかし、俺はただこの場に居合わせただけの一介の鍛冶師。たまたま、権力者と昵懇で多少人よりも『力』を持っていたから、『援軍を連れて戻ってくるまで、擁彗をはじめ甲竜街の人たちを頼む』と言われ、成り行きで戦場まで顔を出してしまったが、所詮は戦の素人にすぎない。そんな俺が、戦の玄人である墨擢に対して意見をし、あまつさえ素人考えでしかない案を伝えて、目の前に並ぶ第二分団の面々を死地へと送り出してしまうことになったら……
そう考えると、墨擢に促されてもすぐには口にすることができなかった。だが、このまま黙っていたら、墨擢たち第二分団は最悪の選択をしてしまうかもしれない。麗華に後を託された者として、口を噤んでいることはできなかった。
「天樹国軍の進攻速度を落とすには、墨擢殿や擁彗殿が選択しようとした、天樹国軍の前面に出て防御陣を敷くという方法が一つ。もう一つは、軍の後方にいる兵糧や予備の武具などを運ぶ輸送部隊を襲い、後方攪乱を行うという方法。天樹国軍の目的は、例の宣戦布告から察するに、甲竜街を攻め落とし、併呑することだと考えられる。そのためには、甲竜街の街民を抑え込むためにも兵の数が必要となる。いくら天樹国と甲竜街が比較的近い位置にあるとはいえ、行軍に要する日数と攻防の期間を考えると、兵個人に食料を携帯させるわけにはいかず、兵糧などは別個に輸送する必要がある。そして、従軍する兵の数が増えれば、同時に兵に食わせる食料も大量に必要となる。この兵糧を運ぶ輸送部隊を襲う。兵糧がなければ、指揮する者がいくら鼓舞しようとも、腹が減って、兵の足は遅くなるからな。優の調べによって、今天樹国軍は響鎚の郷と甲竜街を繋ぐ街道の中間地点を進攻していることが判明している。響鎚の郷に近すぎれば、兵糧の補給は簡単にできてしまうし、甲竜街が目の前に迫っていれば、進攻を速めて甲竜街に攻め入ることで兵糧を調達しようとするだろう。しかし今なら、兵糧を奪われた天樹国軍は進軍を停止し、補給を選択する可能性が高い。これまで天樹国軍の進攻に対し、甲竜街側はなんら手を打てていない。この状況で天樹国軍の首脳陣は、まさか軍の後方に置かれている兵糧輸送部隊が襲撃を受けるとは考えていないだろう。第二分団の損耗を抑えながら、天樹国軍の足を止めることが可能だと思うが」
俺の提案に、第二分団の者の多くは表情を曇らせた。
まあ、当然の反応だろう。彼ら甲竜街の衛兵の戦闘方法は、敵の攻撃を受け止め、あるいは受け流した後に攻撃を加えるといった、真っ向からの力のぶつかり合いだ。俺が提案した、後方にいる輸送部隊に奇襲をかけるといった戦い方は、彼らにとっては〝卑怯〟だと感じられるのだろう。
だが、戦は道場で行う仕合ではない。やると決めたのなら、どんな手を使おうと勝たなければならない。勝たなければ、後ろにいる者――甲竜街の街、街民の命が脅かされるのだから……。翼竜街の衛兵ならば当たり前のように考えることだが、初めて〝戦〟に直面した彼らには、その思いが薄いのかもしれない。それを指摘しようとした矢先に、黙って俺の提案を聞いていた擁彗が口を開いた。
「驍廣さん、まさか鍛冶師である貴方がこのような策を考えておられるとは感服しました! なるほど、策を用いて天樹国軍の進攻を停滞させようということですか。やはり、常に人間の侵攻に備えている街に住む方は、私たちのように今まで戦と縁遠き者にはできない考えをされるのですね。確かに、私たちの背後には甲竜街の街と街に住む民がいます。もし、戦を始め負けるようなことがあれば、街は破壊され、住民の多くが命を失うことになるでしょう。第二分団の衛兵各位に申し渡します! 私たちの背後には甲竜街があるのです。天樹国軍の進攻をこのまま許してしまえば、天樹国の軍靴が私たちの甲竜街を踏み躙ることになるでしょう。この戦は天樹国から一方的に突きつけられたものではありますが、だからこそ何としても彼らの横暴を止めなければならないということを肝に銘じて戦い抜き、生きて甲竜街へ戻るのです!」
俺の話を聞いて表情を歪めていた衛兵たちだったが、擁彗の言葉に姿勢を正し、気合の入った良い表情に変わった。
ここまで露骨だとむしろ感心してしまうほどで、紫慧やアルディリアは衛兵たちの変貌に笑みを漏らし、擁彗と墨擢は俺に申し訳なさそうに苦笑していた。
なにはともあれ、衛兵たちも俺の言葉に耳を傾けてくれるようになったのは良いことだろう……今一つ心にモヤモヤ燻ぶるものはあるが。
その後はすんなりと話が纏まった。衛兵たちも、天樹国との戦が戦場だけで終わるものではなく、背後にある甲竜街の存亡に直結するものであると気が付いてからは、俺が提案する〝策〟を用いた戦闘についても、理解を示してくれたようだ。
策を用いるにあたり、俺はまず索敵・遊撃を行う班と、輸送部隊の護衛を潰し物資を奪取する部隊、最後に相互の連絡を取る班の三つに分けた。
第一の索敵・遊撃班には、ヴェティスと優、それに俺とフウ(俺の頭の上から動かず、自動的に振り分けられた)がつく。
当初、ヴェティスと優に、輸送部隊の発見と周囲の索敵だけ頼もうと思っていた。だが、敵の襲撃を警戒して、ヴィーゼライゼン氏族が輸送部隊の周囲――街道の両脇に広がる森の中に散らばっていると優から教えてもらったため、その排除が必要となり、俺も加わることにした。
擁彗からは、そばにいて作戦の指揮を執って欲しいと言われたが、策そのものはそれほど複雑なものではない。また、フウと炎それに牙流武は、距離が離れていてもお互いに連絡を取り合えることが分かっていたので、手が足りない索敵・遊撃班入りをゴリ押しした。ただ――
「待ってくれ。いくら腕に覚えがあると言っても、一介の鍛冶師でしかない津田殿が、これまでも冒険者として活躍してきたヴェティス殿や優殿と同じように行動できるのか? 二人の足手まといになるだけではないのか?」
と、墨擢からは指摘された。その指摘に、俺が口を開く前に紫慧とアルディリアが――
「あ、ああ。墨擢さん、それは大丈夫だよ。森の中で驍廣の動きを捉えるのは、リリスたちダークエルフ氏族でも難しいから」
「そうだな。驍は翼竜街から甲竜街に至る道中、常にサビオや麗華の駆る黒翔に遅れることなく森の中を駆け、時には木々の枝から枝と飛び移っていたからな。おまけに、樹上から襲ってくる魔獣の対処を一手に引き受けていたくらいだ。森の中で驍の動きを捉えるには、よほどの腕利きでなければ無理だろう」
と、助け舟を出してくれたおかげで、納得してくれたようだ。もっとも、墨擢は紫慧たちの話を聞いてポカンと口を開け、擁彗は眉間に深い皺を寄せ、信じたくないとでも言いたげに頭を左右に振っていたが。
その後、連絡班として紫慧(炎)が墨擢に、アルディリア(牙流武)が擁彗のもとにそれぞれつくことになる。第二分団も二手に分かれて、擁彗と墨擢それぞれの指揮下に置かれ、輸送部隊の護衛の排除と物資の奪取を担当することとなった。
編成を整えた俺たちは、早速行動に移した。俺と優とヴェティスは、天樹国軍の後方を進む輸送部隊の周囲を警戒するヴィーゼライゼン氏族の排除に取りかかるため、第二分団が野営地(本陣)と定めた空き地を離れた――
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