145 / 229
10巻
10-1
しおりを挟むプロローグ 妖精狂奏、竜人哀歌
天樹国の代表であり、輝樹の郷に住むハイエルフ氏族族長、センティリオ・ファータ様は、突然、これまで友好関係にあった甲竜街に対して宣戦布告をした。
我が主、甲竜街の領主――壌擁掩様は、義弟でもあるセンティリオ様に真意を質すため、甲竜街衛兵団第一分団副団長たる儂と供の者五名を、使者として輝樹の郷に派遣した。
儂たちは天竜賜国と天樹国を分かつ輪状山脈の峰を越え、そのほぼ中心に聳え立つ巨木・天樹の根元にある輝樹の郷に辿り着いた。
以前であれば、輝樹の郷は甲竜街の使者を笑顔で迎え入れてくれた。道ですれ違う儂らに、その眉目秀麗な顔に笑みを浮かべ、声を出して挨拶する者も多かった。
だが、今回、儂らを待っていたのは、人通りの消えた道の両脇に建つ家々から放たれる嫌悪と猜疑、そして敵意の籠った視線だった。
「ふ、副団長……」
郷の雰囲気に怯えた副官が、心配そうな顔を向けてきた。
「あ、ああ。しかし、我らはセンティリオ様に直にお会いしなければならぬ。皆、心して事に当たるように!」
「「「「「はっ!」」」」」
これまで何回か郷を訪れている儂も、以前とのあまりの違いに不安に押し潰されそうになりながらも、お役目を果たすために副官たちを叱咤し、センティリオ様の住まわれる館へ歩を進める。
館に到着した儂らは、館の前に立っていた守衛に訪問の目的を告げると、すぐに一つの部屋に案内された。しばらく待っていたところ、センティリオ様がお会いしてくださるとの報せがあり、部下たちはそのまま部屋に残り、儂と副官だけがセンティリオ様が待つという館の奥へと通された。
天樹の幹を登る長い階段を進んだ先にある扉を開けると、部屋の奥に、今まで見たことのない歪な笑みを浮かべたセンティリオ様が、豪奢な椅子に座っておられた。その椅子へ続く真っ赤な絨毯の両脇には、響鎚の郷のドワーフ氏族が鍛えたと思われる鱗状甲冑と直剣で身を固めたハイエルフ氏族の衛士たちがずらっと並び、儂らをじっと見つめていた。
儂らが赤い絨毯を進み出て、片膝をつき、拱手礼拝をすると、センティリオ様から声をかけられた。
「遠路はるばるご苦労。それで、わざわざ甲竜街衛兵団第一分団の副団長殿が一体何用かな?」
そこで儂が返答しようと顔を上げたところ――目に飛び込んできた光景に絶句した。
なんと、甲竜街で一方的に宣戦布告を告げていった、あのアモリッツアが、センティリオ様の隣に立ち、薄笑いを浮かべて儂らを見ていたのだ。
「き、貴様はアモリッツア!」
儂は思わず声を荒らげ立ち上がろうとした。だが、両肩を衛士たちに掴まれ、そのまま強引に組み伏せられてしまった。と同時に、後方に控えている副官の苦悶の呻き声が聞こえてきた。儂は副官の様子を確かめたかったが、衛士たちに押さえつけられて身動き一つ取れず、どうすることもできない。せめてもの抵抗にと、声を張り上げた。
「センティリオ様! 過日、そこにいるアモリッツアが突然、甲竜街の領主邸宅に押しかけ、擁掩様の許しを得ることなく、邸宅の奥におられたエクラ様のもとへ押し入りました。その後、擁掩様に甲竜街への宣戦布告とも取れる傍若無人な物言いをし、さらにそれを街中で声高に吹聴し、街に騒動を巻き起こしたのです。しかも、アモリッツアはそれがセンティリオ様が仰ったことだと申しました。それは真のことか、ぜひセンティリオ様にお訊ねするようにと、擁掩様より言付かってまいったのです。甲竜街と天樹国は長らく友好を培ってまいり、擁掩様のもとにセンティリオ様の妹君であらせられるエクラ様が輿入れなされました。擁掩様はセンティリオ様のことを、実の弟君であられる擁彗様以上に頼りにされてこられたのです。そんなセンティリオ様が、甲竜街に対し宣戦布告などするはずがない、と擁掩様は申しておりました。センティリオ様、お答えください! そこにいるアモリッツアが申した甲竜街に対する要求などした覚えはないと! 宣戦布告など根も葉もない偽りだと‼」
床に押さえつけられながら必死で訴える儂の言葉を、センティリオ様は椅子に座ったまま、悠然と耳を傾けていた。やがて、顔を伏せ、小刻みに肩を震わせられる。
その姿を見て、訴えが聞き届けられたかに思われた。しかし、儂の耳に届いたのは、センティリオ様の口から漏れてくる嗤笑だった。
「ふ……ふ、ふっふっふっふっふぁはっはっはっはっはっはっは……」
「なっ……何をお笑いになるのです、センティ……」
突然笑い出したセンティリオ様に抗議しようと声を上げ、押さえつけられながらも、どうにか視線を上げてセンティリオ様を見ると――瞳は憎悪に染まり、嗤笑の声を上げるその口は裂けたかのように大きく開き、髪は目の前にいる儂を威嚇するように総毛立っていた。これまでの、常に笑みを湛え、どんなときも穏やかで慈愛あふれる『光の妖精』の姿はなかった。
儂は言葉を失い、変質したセンティリオ様を見つめることしかできなかった。
「擁掩が私に信頼を置き、頼りにしている? 何を馬鹿なことを! 我が妹を下賤な甲羅蜥蜴などに差し出さなければならなかった屈辱が、貴様らに分かるか‼ 妹を穢され、忌むべき甲羅蜥蜴の子まで産ませられた。それでも、耐え忍ばなければならなかった私の気持ち、そして我が国民の恨みなど、我らを見下してきた貴様ら甲羅蜥蜴どもには考えが及ばなかったのだろう。だが、そんな忍従の日々も今日までだ‼」
センティリオ様は椅子から立ち上がり、荒々しい足音を響かせて、部屋を抜け露台へ出た。
その後ろ姿を目で追っていた儂も、衛士によって無理やり立たされ、センティリオ様の後を追うように露台へ出ると、眼下に広がる光景に息を呑んだ。
「「「「「「「「「「ウォォォォォォォ~‼」」」」」」」」」」
センティリオ様が姿を現したことで湧き上がる声。
それは、儂らが輝樹の郷に着いたときには目にすることがなかった群衆――武装を整えた、ハイエルフ氏族をはじめとする様々な妖精族が、手を掲げるセンティリオ様に呼応して、手にした武具を掲げつつ上げた鬨の声だった。
儂は、その夥しい数の武装した妖精族に言葉を失った。センティリオ様は……天樹国は、本気で甲竜街に侵攻するつもりなのだという事実を、まざまざと見せつけられたのだ。
「天樹の民よ!」
センティリオ様が高らかに呼びかける。
「天樹の民よ! ついに悲願を果たすときが来た‼ 我ら、多くの精霊に愛されし大いなる種族に対し、その分も顧みず、高圧的な態度で多くの大事なモノを奪ってきた甲羅蜥蜴どもに、その報いを受けさせるときが来たのだ! これより私、センティリオ・ファータは、ハイエルフ氏族の族長として! 天樹の民を導く者として! ここに、愚かなる甲羅蜥蜴の街、甲竜街の誅伐を宣言する‼」
「「「「「「「「「「ウヲォォォォォォォォ~」」」」」」」」」」
センティリオ様の宣言により再び雄叫びを上げる天樹国の妖精族たちの姿を目にして、儂は全身の血が凍りつくような感覚に襲われた。
これまで友好を育んできた天樹国の妖精族が、甲竜街に対して牙を剥き、襲いかかる。そのとき、翼竜街のような頑強な城塞で囲われていない甲竜街は、なす術もなく蹂躙され……
そんな恐ろしい光景が脳裏を駆け巡っていたせいで、儂はセンティリオ様がいつの間にか目の前にまで迫っていることに気付かなかった。そして――
「ごっほっ……」
腹部に鋭い痛みが走り、生温かい鉄の味がする液体が口から溢れ出し、儂の体を赤く染めた。突然のことに思考停止に陥りながらも、痛みを訴える腹部へと視線を下げる。するとそこには、豪奢な装飾が施された一本の短剣が突き立っていた。その短剣を辿り視線を上げれば、憎悪で歪んだセンティリオ様の顔が――
口と腹からの大量の出血によって、体から急速に熱と力が抜けていくのを感じ、その場に崩れ落ちそうになる。
しかし、儂を拘束している衛士たちは、儂が倒れ込むことを許さず、膝をついた状態からそれ以上倒れないように体を掴んで離さない。
と、腹から短剣が引き抜かれる。痛みで呻き声が漏れるも、儂はなんとか短剣の行方を追うと……狂気に染まり嗜虐的な笑みを浮かべたセンティリオ様が、それを振り上げ、次の瞬間、首に鋭い痛みが走り、視界が真っ赤に染まった――
第一章 精竜の役が勃発しましたが何か! ~開戦~
地に木霊する数多の靴音。それは重く、力強い音を奏でていたが、耳の良い者ならばそれぞれに違いがあることに気付いただろう。
列の先頭を歩く者のものは、壊れかけの木靴や革靴を引きずるような音。中ほどまで来ると、作りの良い、丈夫そうな革を、鋲や鉄板で補強した長靴が、しっかりと大地を踏みしめる音に変わる。そして最後に響くのは、軽い金属音を伴い軽快に地を蹴る、まさに軍靴の交響曲とも評すことができる靴音だった。
この音を響かせる一団は、響鎚の郷にて休息を取った後、物資を補充し、各自の装備を整えると、大集団と十分の一ほどの小集団の二手に分かれ、再び行軍を開始した。
小集団は、軍装を隠すように外套を纏い、一路豊樹の郷へと続く森の小道に姿を消した。
一方の大集団は、響鎚の郷から延びる街道をまっすぐ甲竜街に向けて進んでいく。その姿は、自らの威容を周囲に見せつけるがごとく威風堂々としたものだった。
そんな彼らを、響鎚の郷へ向かおうとしていた荷馬車を引く商人の一団が視認し、慌てて進路を変え、元来た道を戻っていった。そんな商隊の慌てふためく姿は、輿に乗り大集団――自らの軍勢を最後尾から眺めていたセンティリオの目にも留まり、傍らに控えていたアモリッツアに問い質す。
「アモリッツアよ。甲羅蜥蜴どもの巣から這い出てきたであろう者たちが、我が軍の姿に恐れおののき逃げていくさまは実に滑稽ではあるが、軍を発する前に、甲竜街へ使者の首を送り返したのではなかったか?」
「はい。仰せの通りにございます、センティリオ様。使者の首は副官に持たせ、その者ごと、此度の戦には参加しないと告げたルフトエルフ氏族の者に、甲竜街へ送り届けさせたはず。愚鈍な甲羅蜥蜴どものこと、我らの敢然とした意思の表明に慌てふためくだけで、街に住む者たちに対して満足に指示を与えることもできぬのでしょう。それにしても、なんという愚かな種族なのでございましょう。私が最初にセンティリオ様の書簡を持ち宣戦布告を告げた折、わざわざ甲竜街の街中で擁掩めに告げたことと同じことを話して聞かせたというのに……。指示がなかったとしても、あのように私の言葉を信じずに天樹国の郷である響鎚の郷へノコノコやって来るとは、度しがたい者たちにございます」
アモリッツアの答えに、センティリオは満足そうに頷いた。
「であろうな。このような愚かな者たちの風下に立ち、これまで苦汁を嘗め続けていたのかと思うと、腸が煮えくり返る思いだ。しかし、それも此度の戦にて終わる。彼奴らの血をもって真に優秀な種族がどちらであったのか、はっきりと知らしめてくれる!」
語気を荒らげるセンティリオに対し、アモリッツアはさらにお追従を口にする。
「もちろんでございます。無論、勝利の凱歌は我が主センティリオ様のもとに鳴り響くことは疑いなきこと。そもそも甲羅蜥蜴どもはいまだになんの備えもできておらぬことでございましょう。センティリオ様の軍勢が街の近くに姿を現したとき、彼奴らの右往左往する姿が目に浮かぶようでございます」
「さもあろうな。それでは、醜態を晒す彼奴らの姿を存分に楽しむこととしよう。ところで、先ほど逃げていった商隊をいかにするつもりだ?」
「そのことなのですが、すぐに追いかけ捕えるようにヴィーゼライゼン氏族に指示を出したのですが、フラムエルフ氏族の族長フォルナート殿がそのまま見逃せと仰られまして……」
アモリッツアの言葉に、センティリオが怪訝な顔をする。
「なに、フォルナートが? どういうつもりだ、甲羅蜥蜴の巣に逃げ込もうとする者どもを見逃せとでもいうのか?」
「いえ、フォルナート族長殿が仰るには、一族の者を使って面白い座興をセンティリオ様にお目にかけたいと……」
「面白い座興とな? ふっふふふふ……そうか、あやつがそのようなことを。それではその座興とやら、じっくり観覧させてもらうとしようか。ふっ、ふぁっはっはっは……」
軍靴が響く中、センティリオは笑い声を響かせるのだった――
◇
甲竜街領主・壌擁掩の命を受けて天樹国へと赴いた使者を殺し、その首を甲竜街に送りつけるという前代未聞の行為に対して、擁掩は激高し、天樹国との戦を決意。即日、配下に置く甲竜街衛兵団第一分団と親衛隊、さらに擁彗配下の第二分団にも戦の準備を進めるように通達した。
それを知った耀緋麗華は、俺――津田驍廣たちに擁彗と甲竜街のことを託し、バトレル、レアン両名を供に、援軍を求めるため翼竜街へ急いだ。一方、リリスとルークスはサビオとともに自らの故郷である豊樹の郷へと向かった。
甲竜街に残った俺たちは、擁彗とその配下の墨擢の武具を鍛えている間に、設楽優と稀葉賦楠に、天樹国の動向を探るよう依頼した。
二人は、輪状山脈を越え、その麓にある響鎚の郷を発して甲竜街に迫る天樹国の軍勢(以降、天樹国軍と呼称)を発見し、俺たちに報告してくれた。
〝天樹国軍発見〟の報に接した擁彗は、墨擢率いる第二分団から選抜した偵察隊を先発させた後、兄の擁掩率いる第一分団に先んじて、第二分団とともに甲竜街から出陣しようとしていた。
その準備の最中、甲竜街の街門に詰める守衛のところへ、第二分団の出陣を伝えるために先行していた衛兵の一人が、大慌てで戻ってきた。
「ヨ、擁彗様! 大変なことが……」
「何事だ! 甲竜街の衛兵ともあろう者がそのように慌てふためく姿を晒しては、街の皆を不安にさせるではないか! 常日頃から言っているだろう。何か事が起こったときは、まずは落ち着き、正確に報告するようにと! で、一体どうしたのだ?」
墨擢が叱責すると、駆け込んできた衛兵はハッとした表情になり、慌てて姿勢を正す。そして、一回二回と大きく深呼吸をして、落ち着きを取り戻した。
「はっ! 申し訳ありません、墨擢団長、お見苦しいところをお見せいたしました。改めてご報告申し上げます! 我らの出陣を街門の守衛詰所に伝達している最中、一組の商隊が慌てた様子で街門に来着。その様子を不審に思い、守衛の衛兵とともに事情を糺しましたところ――頼んでいた装飾品を受け取りに響鎚の郷へ向かう途中、その方向より夥しい数の天樹国軍と思われる武装した妖精族の集団に遭遇。先日、甲竜街の街中で声高に叫ばれた天樹国の宣戦布告を思い出して慌てて戻ってきた、とのことでした。しかし、事はそれだけではありません。この報告に詰所が騒然とする中、報告した商人の体と、街門の外に停め置かれていた荷馬車から、突如炎が噴出。その光景を周囲にいた多くの者が目撃してしまい、街門周辺は騒乱状態に陥っております!」
「なっ、なんだと⁉ 守衛を務める衛兵たちは何をやっておるのだ⁉ 急ぎ街門へ戻り、騒ぎを鎮めるように命じよ!」
墨擢は、街門に詰める衛兵の動向に気を取られ『突如炎が噴出』という言葉に気を留めることなかったが、そんな彼に擁彗が待ったをかける。
「待ちなさい! 墨擢、尋常ならざることが街門で起きているようです。この場からただ騒ぎを鎮めよと命じても、それは難しいでしょう。私たちも街門に向かい、現状の確認と直接事態の収拾に当たります。報告、ご苦労でした。休憩を、と言いたいところですが、事態は逼迫し、一刻の猶予もありません。このまま街門への先導をお願いします」
厳しい表情を浮かべる擁彗は、衛兵を急かすように駆け出した。そんな彼の動きに慌てつつも、墨擢以下その場にいた第二分団の衛兵たちは、主に遅れまいと、後を追った。
俺たちは彼らを見送りつつ、行動を起こすことにする――
◇
擁彗たちが街門に近づくと、何かを遠巻きにしている数多の野次馬がいた。彼らは、嫌悪の表情を浮かべて、そばにいる者同士で囁き合っている。
そんな野次馬の視線の先には、黒く焼け焦げたような固まりがあった。擁彗が目を凝らすと――それは炭化した荷馬車と、それを引いていたと思われる四脚の獣、そして炎に焼かれる苦しみから助けを求めるように手を伸ばしたまま事切れた商隊の者たちの焼死体だった。
その憐れな焼死体を前に、街門を守る守衛役の衛兵たちは茫然と立ちすくみ、肉や木の焼けた臭いが周囲に立ちこめていた。
「なんと……なんと惨い。ヨ、擁彗様⁉」
現場の陰惨な光景を目の当たりにして、言葉を失う墨擢たち第二分団員。そんな中、一人擁彗だけは目の前の光景に歩みを止めることなく、野次馬の壁を掻き分けて、無残な骸を晒す商隊のもとへと歩み寄り、ただ見ているだけの衛兵に対して声を上げた。
「何を呆けておる、しっかりせぬか! お前たちはそれでも甲竜街を守る衛兵か‼」
普段の物静かな擁彗からは想像もつかない一喝が周囲に響き渡った。その声に守衛役の衛兵は驚き、声のした方向へ一斉に視線を向け、そこに擁彗の姿を認めると、慌てた様子で姿勢を正して拱手し、頭を下げた。
「も、申し訳ありません。突然のことに気が動転してしまい……」
「弁解は無用です。そのような暇があるなら、急ぎ周囲に幕を張り、好奇の目から被害に遭われた方々を守りなさい!」
守衛役は命令に従い、幕を取りに大慌てで詰所へ向かい、その間に墨擢たちが野次馬の排除に取りかかった。衛兵たちの動きを確認した擁彗は、一人焼け焦げた商隊の者たちのそばへ行き静かに黙祷を捧げると、張り詰めた表情で声を上げた。
「街門の守衛長はいますか? 一体何があったのか詳しく報告しなさい。それから、詰所を訪れた商人のご遺体はどちらですか? 案内をお願いします」
いつもと変わらない穏やかな口ぶりではあるものの、逆らうことなど一切許さないといった気迫が籠められた言葉に、作業を進める衛兵たちは一層身を引き締めた。そんな中、擁彗の意を受けた一人の衛兵が進み出る。
「擁彗様、見苦しき醜態を晒し、申し訳ございません。街門の守衛長を務める宋厘であります。詰所にご案内いたします。どうぞこちらに……」
と、宋厘は擁彗を詰所に案内しながら、何が起こったのかを語る。
「事の起こりは、響鎚の郷へと繋がる道より、荷馬車を引いた商隊が街門に来着したことから始まります。私どもはいつもと同じように街門前で街に入る者の様子に目を光らせていたのですが、そこへ、荷馬車が土煙を上げて来着したのです。何事か! と警戒し、様子を窺っていると、一人の男が荷馬車から飛び降り『急ぎ知らせたいことがある』と言って、私どもが詰める守衛詰所に駆け込んできました。男は我らとは顔なじみの、甲竜街に店を構える商人でした。その者曰く『商品の仕入れを行うために響鎚の郷に向かう途中、郷の方角から向かってくる武装した集団と遭遇したので、慌てて甲竜街に引き返してきた。武装した集団の装備は統一されてはいなかったが、構成人員は全て妖精族で占められているようだった。整然と靴音を響かせ、街道をまっすぐ甲竜街へ向かってきていた』とのこと。衛兵の一人が、その集団はどれほどの規模だったのだ、と訊ねました。それに対し、商人が『遠くから見ただけなので正確な数は分からないが、響鎚の郷に続く街道を埋め尽くすほどだった』と告げた途端……体中を掻きむしり、苦しげに呻き声を上げたのです。そして次の瞬間、体中の穴という穴から火が噴き出し、あっという間に炎に包まれてしまったのです。時を同じくして、街門前に停めていた荷馬車の馬と馭者の男も体から火を噴き出し、火は瞬く間に荷馬車にも燃え広がってしまい……私どもはなすすべなく見ていることしかできませんでした」
説明を終えた宋厘は、擁彗を案内した詰所内に残されている、炭化し四肢を硬直させて苦悶の表情を浮かべる商人の変わり果てた姿に、祈りを捧げた。
そんな宋厘に、擁彗はあえて慰めの言葉をかけず、
「そうですか、その商人の方は甲竜街にとって大変に重要な情報を伝えてくれたのですね。しかし、突然体中から火を噴き出すなど、今まで聞いたこともありませんが、一体?」
と、まずは天樹国の情報を届けてくれた商人に感謝を告げた。その上で、商人の身に起きた摩訶不思議な現象について疑問を口にしたものの、宋厘以下詰所にいた衛兵たちも答えは持っていなかった。そこへ突然――
「ふん! これは精霊術によるものじゃな。しかし、なんとも惨い術を使ったものじゃ。のう炎、そうは思わんか?」
擁彗の問いに対する答えが、詰所の外から投げかけられた。
◇
詰所にいた者全員の視線が、詰所の外にいる俺、紫慧、アルディリアへと向けられた。
俺は、先ほどまでの作務衣姿ではなく、黒い金属光沢を放つ鎖帷子を纏い、腕と足にはそれぞれ筒籠手と筒臑当、太ももを覆う佩楯を身につけている。頭には、普段被っている布ではなく、額から前頭部までを守る簡易な兜――鉢金を被っていた。
さらに、紫慧は朱色の裲襠甲を纏い、額に鉄の板がついた鉢巻きを巻いている。また、アルディリアは髪を首の後ろで結び、紫慧と同じ形状の鉢巻きを巻き、ブリガンダインで身をかため、肩に凶悪な三日月大鎌を担いでいた。
また、俺の頭の上には、いつものように仔虎姿のフウが鎮座し、紫慧の肩には紅い熊鷹の炎がとまり、何かを威嚇するように頭頂部にある飾り羽を立てていた。
突然姿を現した俺たちに色めき立つ衛兵を、擁彗は片手を挙げて抑え、声の主であるフウに対して拱手した。
「フウ様、先ほどのお言葉をお聞きしますと、この場で起きたことについて何かお心当たりがおありのご様子。ぜひとも何者がこの惨劇を起こしたのか、お教え願えませぬか?」
突き刺すかのごとく鋭い眼光で見つめながら、それでも賢獣であるフウに対して失礼のないよう言葉を選んでいる擁彗。だが、フウは前足で顔を洗うような仕草で毛繕いを始めてしまった。
このフウの態度に、何も知らない衛兵たちは鬼のような形相を浮かべた。
「擁彗様がお訊ねになっておられるのに、なんと無礼な!」
声を荒らげ掴みかかろうとする衛兵たちに、擁彗から叱責が飛んだ。
「やめなさい! こちらの御方は賢虎・フェイオンフウ様であらせられます。領主の実弟にすぎない私などよりも貴い御方に対し、無礼は許しません。フウ様、お見苦しき醜態を晒してしまい、まことに申し訳ございません。ご容赦のほどを……」
擁彗は再び拱手し、深々と頭を下げた。それを見た衛兵たちは、顔を青くして慌てて彼に倣い、片膝をついて拱手し、顔を伏せた。
この様子を横目でチラリと見つつ、なおも毛繕いを続けるフウだったが、背後から伸びてきた手により首元をつかまれ、持ち上げられてしまった。
「こら、フウ! 意地悪していないで、知っていることがあるのなら、擁彗様に話してあげないと駄目だよ‼」
フウを持ち上げたのは、紫慧だった。
擁彗が下手に出るほどの相手を叱りつける彼女の姿を目撃した衛兵たちは目を見開き、唖然とする。一方、擁彗は、俺やアルディリアに意味ありげな視線を向けてきたが、俺たちは肩を竦め苦笑するだけで、何も言わずに成り行きを見守る。
紫慧に叱られたフウは体をキュッと縮めて耳を伏せ、反省の態度を示しながらも、
「そのように怒らずとも、チョットしたお茶目ではないか……」
と言い訳を口にした。すると今度は、紫慧の肩に乗っている炎が口を開いた。
「フウ様、もう少し時と場合を考えてくださいませ。今はそのように焦らしている状況ではないことくらい、お分かりになりませんか? 擁彗さんをはじめ、甲竜街の皆様、フウ様が失礼をいたし、申し訳ございませんでした。擁彗さんのお訊ねの件、フウ様に代わって妾がお答えいたします」
紅い熊鷹がいきなり喋り出したことに、今度は衛兵たちだけでなく、擁彗まで驚きで硬直してしまった。だが、炎はそれを意に介さず話を続けた。
「商人の方々をこのような無残な姿にしたものは精霊術です。それも、火精霊の力を用いて行われた精霊術に間違いないでしょう。今もわずかですが、火精霊が行使した力の残滓を感じることができますから……」
悲しげに語る炎の言葉に、いち早く硬直が解けた擁彗は、多少狼狽えながらも訊ねた。
1
お気に入りに追加
5,533
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
おっさん鍛冶屋の異世界探検記
モッチー
ファンタジー
削除予定でしたがそのまま修正もせずに残してリターンズという事でまた少し書かせてもらってます。
2部まで見なかった事にしていただいても…
30超えてもファンタジーの世界に憧れるおっさんが、早速新作のオンラインに登録しようとしていたら事故にあってしまった。
そこで気づいたときにはゲーム世界の鍛冶屋さんに…
もともと好きだった物作りに打ち込もうとするおっさんの探検記です
ありきたりの英雄譚より裏方のようなお話を目指してます
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
階段落ちたら異世界に落ちてました!
織原深雪
ファンタジー
どこにでも居る普通の女子高生、鈴木まどか17歳。
その日も普通に学校に行くべく電車に乗って学校の最寄り駅で下りて階段を登っていたはずでした。
混むのが嫌いなので少し待ってから階段を登っていたのに何の因果かふざけながら登っていた男子高校生の鞄が激突してきて階段から落ちるハメに。
ちょっと!!
と思いながら衝撃に備えて目を瞑る。
いくら待っても衝撃が来ず次に目を開けたらよく分かんないけど、空を落下してる所でした。
意外にも冷静ですって?内心慌ててますよ?
これ、このままぺちゃんこでサヨナラですか?とか思ってました。
そしたら地上の方から何だか分かんない植物が伸びてきて手足と胴に巻きついたと思ったら優しく運ばれました。
はてさて、運ばれた先に待ってたものは・・・
ベリーズカフェ投稿作です。
各話は約500文字と少なめです。
毎日更新して行きます。
コピペは完了しておりますので。
作者の性格によりざっくりほのぼのしております。
一応人型で進行しておりますが、獣人が出てくる恋愛ファンタジーです。
合わない方は読むの辞めましょう。
お楽しみ頂けると嬉しいです。
大丈夫な気がするけれども一応のR18からR15に変更しています。
トータル約6万字程の中編?くらいの長さです。
予約投稿設定完了。
完結予定日9月2日です。
毎日4話更新です。
ちょっとファンタジー大賞に応募してみたいと思ってカテゴリー変えてみました。
2年ぶりに家を出たら異世界に飛ばされた件
後藤蓮
ファンタジー
生まれてから12年間、東京にすんでいた如月零は中学に上がってすぐに、親の転勤で北海道の中高一貫高に学校に転入した。
転入してから直ぐにその学校でいじめられていた一人の女の子を助けた零は、次のいじめのターゲットにされ、やがて引きこもってしまう。
それから2年が過ぎ、零はいじめっ子に復讐をするため学校に行くことを決断する。久しぶりに家を出る決断をして家を出たまでは良かったが、学校にたどり着く前に零は突如謎の光に包まれてしまい気づいた時には森の中に転移していた。
これから零はどうなってしまうのか........。
お気に入り・感想等よろしくお願いします!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。