暗黒騎士の大逆転

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第1章

要塞

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 暗黒騎士ザニバルと蒼龍の魔女フレイアは要塞へと向かうことになった。帝国が国境線に築いたガイレン要塞だ。

「こっちだ」
 人間の姿に戻ったフレイアは片手に鍬を持ち、洞穴を先導しかけて、
「いや、貴様が先に行け」
「どうして?」
「背中から刺されるのは勘弁だからな」

 ザニバルは赤く燃える眼を瞬かせて、
「だったら並んでいこう」
 横並びに歩き始めた。

 ザニバルの足取りは軽やかだ。ウキウキしている。
「並んで歩くの初めて!」

 ザニバルは地獄の底から響くような声で、
「そうだ、手をつないでみない?」

 フレイアは身体を震わせる。
「気持ち悪いことを言うな! 誰が手をつなぐか! そういうのは友達とでもやれ!」

「……だって友達いないんだもん」
 ザニバルは眼を伏せ、右手の薬瓶を握りしめる。ピシリと音がした。

「わ、分かった! つないでやる」
 フレイアは危険物に触れるかのように、ザニバルの左手をそっとつまむ。
「……人を脅しながら何が友達だ!」

 ザニバルは機械が軋むような音を立てて小首を傾げる。
「友達は脅しちゃダメなの?」
「当たり前だ!」

 ザニバルは少し考えてから薬瓶をフレイアに渡した。
「これで友達かな?」

 フレイアは呆れ顔になる。
「貴様…… 前に戦った時は心底恐ろしい奴だと思ったが、その話し方といい、どうも訳が分からない奴だな」

「ねえ、友達じゃないの?」
「友達っていうのはな、契約とか損得勘定ではないんだ」

「だったら、何をすればいいの?」
「だから、そういう何をするとかではないんだ。貴様はまるで……」

 子どもみたいだなと言いかけてフレイアは口籠もる。こんな凶暴な悪魔を子どもなどと。

<ザニバル、ふざけてるのかい。お前に必要なのは恐怖だよ。友達じゃあない>
 ザニバルの魔装に宿るバランが文句を言う。その声はザニバルにしか聞こえない。

「だって……   フレイアは凄いのに……」
 ザニバルはつぶやく。

 それが耳に入ったフレイアは変な顔をしてから、聞き違いだろうと結論した。仇敵のザニバルが自分をほめるなんてありえない。

 そうしている内に一行は洞穴から外に出た。

 そこは国境線に続く峡谷地帯だった。夜は明けて、岩だらけの世界が朝日に照らし出されている。
 夏とはいえ山脈の頂上に近い高度とあって空気は冷たい。

 谷の両斜面にはあちこちに洞穴が開いていて、飲み屋や宿屋といった看板が掲げられてる。今出てきた洞穴にはキノコ屋とあった。

 元はゴブリンたちが作った洞穴だが、今は人間に占拠されている。要塞の兵士相手に商売する者たちが店を構える一帯となっていた。

 峡谷の奥に向かうと、行手は右から左まで高い壁で塞がれていた。帝国のガイレン要塞だ。
 白い壁の高さは百メル以上もあるだろう。壁はまるで一枚板のように隙間なく加工されている。高度な魔法技術の賜物だ。

 要塞の壁上には最新兵器の砲台がずらりと並んでいた。半球型の砲台からは、魔法を収束する細長い砲身が突き出ている。

 要塞の門には多くの歩哨が立っていた。全身甲冑の重武装だ。
 門の前には堀があって、狭い橋が架けられている。要塞に通じているのはその橋だけだった。

「こちら側は味方だろうにご苦労なことだ」
 フレイアが皮肉に言う。

「暗黒騎士が怖いからかな」
 ザニバルが返した。

 フレイアは冗談と受け止めて軽く笑う。だがザニバルが要塞に近づいていくと、やにわに要塞の緊張が高まる。

 歩哨たちは黒い魔装の騎士に気付くや、閉まっている門の扉に殺到する。暗黒騎士だ、助けてくれ、開けてくれと叫んでいる。

 壁上には慌てた様子の士官たちが顔を出し、暗黒騎士を見てとるや焦った様子で顔を引っ込める。

 壁上の砲台が緊急起動を開始した。ザニバルに砲が向く。

 門への橋が跳ね上がろうとするのをザニバルは片足の踏み込みで止めた。ひっかくような嫌な音に続いて折れるような音が皆の耳を打つ。橋の駆動機構が壊れたらしい。

 門の扉は閉まったまま。逃げ込めない兵士たちは恐慌状態だ。生き肝を食われてしまう、八つ裂きにされる、首を抜かれる、助けてくれと口々に叫び、門を必死に叩く。だが門は微動だにしない。
 橋を渡ったザニバルが近づくと兵士たちは堀に飛び込みだした。大きな水飛沫が次々に上がる。重い装備を付けているのでうまく泳げずに足掻いている。

 フレイアは後から橋を渡りつつ、この光景に眼を疑っていた。確かにザニバルは王国軍に悪名を轟かせている。だが帝国軍にとってザニバルは味方ではないのか。

<よく仕込まれてるねえ、恐怖を食べ放題だよ>
 バランがほくそ笑む。これまでの戦いで恐怖を撒き散らしてきた成果だ。

 周り中からの恐怖を喰らって、ザニバルの力が膨れ上がる。
 ザニバルの魔装を構成する積層装甲の隙間から黒い瘴気があふれ出して、あたかも揺らめくマントのように見える。炎の燃えるような音が響き渡る。
 闇の悪魔が現れたとしか思えない光景だ。

 派手な羽飾りをつけた兜の男が壁上から恐る恐る顔を出す。
 その兜は要塞司令官を示している。

 司令官は震える声で、
「あ、あ、暗黒騎士殿ではありませんか。い、引退されたと伺っておりますが、ご用件は……」

「こんにちは。ナヴァリアの領主になったから挨拶に来たよ。開けて」
 全く親しみを感じさせない声でザニバルが告げる。

「いえ、しかし」
 司令官が困惑したところで、ザニバルは門の扉に手を掛けた。高さ十メルはある大きな扉がぎしりと音を立てる。

「入るね」
「お、お待ちを!」
 作動音を響かせて扉が左右に開いていく。

 ザニバルは振り返ってフレイアに手を伸ばした。
 ゾッとしていたフレイアは、ザニバルが手をつなごうとしていることにしばらく気付けなかった。
 申し訳程度にザニバルの手をつまみ、フレイアはザニバルと並んで要塞に入る。

 入った先は細長い通路になっていて、さらにその先にも扉がある。
 奥の扉が開いて、要塞司令官が慌てた様子で姿を現した。勲章をいくつも下げた豪奢な軍服を着ている。鍛え上げられた壮年の男だ。その顔は汗を浮かべている。

「よ、ようこそガイレン要塞へ」
 そう言いながら司令官はフレイアにも目をやる。
 ザニバルとフレイアが手をつないでいる様子をいぶかしんだ司令官は、しかし聞くのを止めた。ザニバルの愛人だとしたら、聞いても薮蛇にしかならない。

「ねえ、向こうの要塞が見たい」
 ザニバルが適当に歩き出し、「でしたら、こちらです」司令官は慌てて小走りで先導する。

 一行は要塞内の複雑な通路や階段を進んで、屋上にたどり着いた。
 峡谷の向こう側に王国側の要塞が見える。帝国側とよく似た要塞だ。二つの要塞が峡谷で互いに向かい合っている。

 いずれの要塞も相手に向けて巨大な球体を設置していた。その高さは要塞の壁に匹敵する。と言うよりも球体に合わせて要塞は築かれているのだろう。

 半透明な球体の内部には瞳のように魔法陣が浮かんでいて、複雑な紋様を輝かせている。そこから膨大な力が放射されているようだ。

 司令官が説明する。
「これこそ我が帝国の誇る絶対防壁構築機構、ガイレン神眼であります。神聖力によって長大な防壁を成層圏まで張り巡らし、あらゆるものを阻んでおります」

 魔族を否定する帝国では魔力のことを神聖力と呼ぶ。

「王国も同じものを置いてるねえ」
「あ、あれは悪質な模造品でありまして」

「全く同じものだな。どちらから機密が漏れたのか知らんが」
 フレイアがよく眺めてから言う。

「こ、こちらから機密が漏れるなどあり得ません!」
 司令官は冷や汗を流す。

「同じ機構が力を向け合うことで、結果として強固な防壁が成立しているのか。仲の良いことだ」
 フレイアがせせら笑った。

「絶対に戦争を再開しないようと厳命されておりまして、この防壁はそのための要となっております」
 司令官が固い顔で言う。

 神眼同士を挟んで魔法防壁が発生していて、四方に広がっている。防壁自体は透明で、輝きによって見てとれる。
 しかし神眼同士のちょうど中間にはその輝きがなかった。

「力が釣り合って、防壁があそこだけ消えているのだな!」
 フレイアが注目する。

「通り抜けられるね」
 ザニバルも屋上の壁から身を乗り出して見る。

「いえ、砲台が常に監視しておりますし、万一の際には神眼が極めて大威力の砲となります! どうか帝都で報告される際にはその旨をお伝えいただきたく」
 司令官が焦って釈明する。どうやらザニバルを要塞の監査に来たものと思っているらしい。

 ちょうど鳥が要塞の間に飛んできた。要塞双方の砲台が火を吹いて鳥を撃つ。鳥はたちまち黒焦げになって落ちた。よく見れば同じような黒焦げの物体が要塞に挟まれた地面のあちこちに落ちている。

「ご覧の通りです」
 司令官は胸を張ってみせる。

 ザニバルは他の場所にも目をやる。
 神眼は峡谷から突き出た無数のパイプで支えられている。淡く輝くパイプは魔力を供給しているようだ。

「あのパイプが切れたらどうなるの」
「神眼自体に神聖力が蓄積されておりますので、三ヶ月は防壁が維持されます」

「魔力はどこから供給しているのかな」
「魔力、いえ、あの、神聖力は結晶を地下に備蓄しておりまして」

「ふ~ん。地下には牢もあるのかな」
 ザニバルの唐突な質問に司令官は戸惑う。
「は? 牢ですか。確かにございますが」

 それを聞いたザニバルは片手でフレイアの持つ鍬をひょいと取り上げ、もう片手でつかんだフレイアの手を掲げた。

「このフレイアは王国のスパイ、隙を見て捕まえようと思ってたんだ。牢に閉じ込めてよ」
 突如としてザニバルは言い放った。
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