復讐的好奇心、五里霧中

狐火

文字の大きさ
上 下
3 / 3

苦味

しおりを挟む
 布団の上でぼぅっとしながら、俺は考えた。……あの時に俺が千代を振っていなければ、今ごろはどうなっていただろう。もっとたくさんの楽しい時間を、青春を過ごせていただろうか。
 いや、そんなことは考えなくてもいい。今が幸せだからそれでいい。お互い、様々に形を変える環境に揉まれ、削られて大人になった。そんな今だから自分が必要としていること、大切にするものがわかる。きっとそうに違いない。俺たちはここで再会すべくして、万全を期して一緒にいるのだ。……惜しんだり悔やんだりすることはない。重たい頭を枕に沈めていると、いつしか空っぽで心地のよい眠りに吸い込まれてしまっていた。
 次に起きたときには、よく寝たからか頭痛がましだった。さぁ、千代を迎えに行こう。俺は身なりを整え、バス停へ向かった。
 ホテルの近くのコンビニで時間を潰していると、彼女がやってきた。今日も細くて柔らかい髪を後ろでひとつ結びにしている。俺を見つけるとぱっと笑顔になってこちらへ歩いてくる。
 あぁ、申し訳ないがこの惚気だけは許してほしい。千代の笑顔は本当に素敵だ。俺の心を温かく豊かにするのだ。彼女が笑いかけてくれると
俺はなんでもできる気がする。勘違いをしないでいただきたいが、俺は甘酸っぱい話は苦手だ。自分でも硬派中の硬派だと思っていた。しかし、千代の前でだけはただの普通の彼氏なのだ。世の中に数多ある恋愛中の人々のその一人になってしまうのだ。
 さて、コンビニで飲み物を買い、俺たちは外へ出た。今日は冬の日でも多少暖かいらしい。陽射しがふわりとしていて空気がほころんでいる。少し離れた公園まで歩くと厚着の下で汗が出た。今日はどうだったか、なにか楽しいことはあったか、など話しつつ公園のベンチに腰を下ろした。俺はマフラーを取りつつ千代に飲み物を渡す。
「ありがとう。」
千代は嬉しそうに受け取った。彼女に渡したのはコーヒーだ。コーヒーに関しては甘くないものが好みらしい。パティシエになったくらいだからコーヒーも甘いのが好きだろうと思っていたら、「それとこれとは別だよぉ。」と笑われたことがある。
 俺もコーヒーは甘くないのが良い。コーヒーに限らず、甘くないものが好きだ。ただ、千代と付き合ってから甘いものの美味しさもわかり始めてきた。
 この広い公園では小さな子どもと親、ジョギングや散歩をする人々、部活帰りらしき学生などそれぞれがそれぞれのことをしている。俺たちのことを気にする人はいない。
「迎え、来てくれてありがとね。えらい!」
ふいに千代が俺の頭を撫でた。俺は千代の手を避けようと体をそらした。こんなところで撫でられては恥ずかしすぎてたまったものではない。千代は面白そうに俺を見て笑った。
「家では素直に撫でられるのにね。」
撫でられるのは嫌いじゃない。でも、公の場で撫でられては、さすがに格好がつかないだろう……?俺は何度も千代に言っているが、千代はそんなことはお構い無しのようだ。
 「千代も、仕事よく頑張ったな。」
せめてもの仕返しで撫で返した。が、千代はふふと笑って素直に撫でられている。全く、マイペースな女性だ。
 俺たちはこうやってよくお互いを褒め合っている。たくさんありがとうと言って、たくさん楽しい嬉しいと言う。だが付き合う前、そして付き合ったばかりの頃はこうではなかった。
 千代は今とは別人だった。たくさんのおもりが彼女に巻き付いて彼女を闇の底へ、底へと引きずり込んでいた。彼女はたくさん「自分は悪い人間だ、要らない人間だ」と言い、たくさん「ごめんなさい」と言った。いくら褒めても頷こうとしなかった。
 千代はそんな人だったのだ。自己嫌悪と自責の念が強く、常に不安定。何度も自ら命を絶とうとしたほど、ひどく鬱々としていた。
 代わって俺は自分に根拠なき自信を持ち、常にポジティブ思考であったから、千代とは正反対だった。何度「あなたには私の苦しみは一生わからない。」と吐き捨てられたことか。
 千代は生半可なことで死にたく思っているのではなかった。生きることに人一倍執着する―この理由についてはまた機会があればお話ししたい―俺が、千代の境遇に「それは死にたくなっても仕方ない」と思ってしまうようなものだったのだ。俺はできれば今すぐ千代をその苦しみから救いだしてやりたかった。それでも千代が「もういいよね?十分頑張ったもの。」という毎に「いや、それはだめだ」と強情に言い張った。俺自身も苦しかったが、それ以上にやはり彼女が一番苦しかったに違いない。俺は、千代という心優しく美しい女性を……、素晴らしい人間を失いたくなかった。彼女は彼女の特技と能力があり、それがなくなるのは世間の損失だと思った。何より、千代は俺の唯一心から頼れる人間だった。
 元来根明の千代がそこまで追い込まれたのには訳があった。俺が知らない彼女の家庭……。そして俺と中学で知り合い、連絡が途絶えたあとの三年間。それらが彼女をじっくり蝕んだのだった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。

夢草 蝶
恋愛
 侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。  そのため、当然婚約者もいない。  なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。  差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。  すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

処理中です...