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春先に二十歳を迎えてから何度目かの飲み会で、テーブルの上に飛び散った枝豆のガラをぼんやり眺めていたら、久しぶりに顔が見たくなったのだ。
大学もバイトもない水曜日を指定したのは俺で、駅前の小洒落たカフェを指定したのは向こうだった。
窓際の席はそれなりに快い。きちんと磨かれたガラス越しに外を見遣る。
夏の暑さに悶えながら道を行き交う人々はこちらを見向きもしない。それらを無心で眺めながら、水のグラスから滴る汗を指の腹で拭った。
「ごめん、待った?」
唐突に降ってきた低く穏やかな声に、顔を上げる。
先程から店内がざわついていると思ったら。男の肩越しに、ちらちらとこちらを伺う女性の二人組が見えた。
「全然。何なら、さっき来たところ」
俺は首を横に振った。なら良かった、とほっと息を吐いて、相手が向かい側の席に座る。
男の纏う空気が動いて、シトラスの香りが鼻腔を擽った。
注文を取りに来た女性の店員にアイスコーヒーとジンジャエールを頼んで、俺は傍らに置かれた荷物に視線を向ける。
「今日は大学だったっけ」
「そう、三限までだけどね。瀬川は?」
「水曜は全休」
「わ、いいな。羨まし」
そう言って、男────阿波井 純が少しばかり長めの髪を耳に掛ける。覗いた首元は汗ばんでいて、それがどこか色っぽい。
その所作を眺めながら、俺は呟くように尋ねる。
「……その髪色、彼女の趣味?」
「いいや、自分の趣味。似合わない?」
「いや、むしろ逆、だと思うけど……」
窓から射し込む光の粒を纏ったアッシュグレーは、阿波井のその整った顔立ちによく似合っていた。はっきり似合っていると言うのは恥ずかしく、素っ気ない返事になってしまったけれども。
俺の記憶の中の阿波井は、ずっと黒髪だったから見慣れない。
「瀬川も髪染めてるんだ。いいな、似合ってる、カッコイイ」
「おー……まあお前の前では霞むけどな」
俺と違って恥ずかしげもなく、ストレートに言葉を投げる阿波井に僅かに顔が熱くなる。
明るい茶色に染まった髪を触りながら、照れ臭さを誤魔化すように言うと、阿波井は不満げにその薄い唇を歪めた。
「そんなことないって。瀬川は……」
「……え、何? 俺は?」
「瀬川は、カッコイイよ」
「阿波井に言われると嫌味っぽいなあ」
「はは、そう言うと思った」
本当だよ、と阿波井は微笑んだ。
阿波井が嫌味や皮肉を言うような男では無いことは分かってはいるが、如何せん、この男の容姿は非凡なのである。
注文を取った店員とはまた別の女性が、アイスコーヒーとジンジャエールを運んできた。アイスコーヒーを阿波井の前に、ジンジャエールを俺の前に置く。
ぱちりと阿波井の長い睫毛が瞬いた。
女性店員は恍惚とした視線を阿波井に投げかけながら、後ろ髪を引かれる様子で去って行く。
「ほら、店員さんも阿波井のことばーっか見てる」
「あー……そうかな」
「そうだよ。さっきの人も、めっちゃ高い声で注文取ってたし」
「はは、確かに」
先程注文を取った別の店員の頬も桜色に染まっていた。阿波井に下心を抱いているのが目に見えて分かる。
ジンジャエールを阿波井の方へと押し出した。阿波井がそれを手元に引く代わりに、アイスコーヒーを俺の前に置く。
阿波井は、十人に尋ねたら十人が頷くような見目麗しき男である。
くっきり二重とすっと通った鼻筋はアイドル顔負けだし、小さい顔と長い手足はモデルも真っ青なレベルだ。
「幼稚園の頃からモテモテだったもんなあ」
「それは……ぶっちゃけそう。っていうか、幼稚園の頃が一番モテてた」
「そんなこと無いと言いたいところだけど、マジでそれはあるかもな」
天使のように美しい子どもだった阿波井の姿を思い浮かべる。髪のキューティクルがまさに天使の輪のようだった。
この天使のように美しい子どもは、同年代の園児どころか、先生、そして保護者たちを片っ端からめろっめろにしていた。
そんな非凡で罪作りな男────阿波井を幼なじみに持った俺は、対してどこにでもいる凡庸な男である。
成人男性の平均身長に、目立つパーツの無い地味な顔。これで勉強ができるとか、スポーツが得意だとか、何か秀でたものがあれば良かったが、阿波井と比べてしまえばやはり平凡であった。
「それより、瀬川は大学で何やってるの?」
阿波井がグラスから伸びるストローに口を付けてから、さらりと話題を変える。
阿波井と俺は高校から別の学校に通っていて、もちろん大学も違う。 実家を出て県外の大学に進学したが、偶然にも大学同士の距離は近い。電車でいえば五駅ほどだ。
とはいえ、お互いマメに連絡を取るタイプでは無いので、年単位で顔を合わせないこともザラであった。
実家が隣同士ということもあり、両親たちは未だに仲が良いから時々耳に入れてはいたけれど。
「へえ、バイトは塾講師やってるんだ」
「うん。高校の時に通ってたところでそのまま。阿波井は……カフェとかやってそうだな、似合うし」
「うわ、ドンピシャ。すごいな」
「やっぱり!あれだろ、チェーンじゃないお洒落なカフェで、ラテアートとかしてるんだろ」
「どんな偏見?……ラテアート以外は合ってるけどさ」
久しぶりに顔を合わせたこともあり、予想以上に会話が弾んだ。
俺も阿波井もグラスはすっかり空で、窓越しに見える空は薄らとオレンジ色に染まり始めている。
「瀬川さ、今日の夜って何か予定ある?」
「いや、無いよ」
「じゃあこの後飲みに行かない?」
「いいよ。なんなら、俺も誘おうと思ってたし」
大学もバイトもない水曜日を指定したのは俺で、駅前の小洒落たカフェを指定したのは向こうだった。
窓際の席はそれなりに快い。きちんと磨かれたガラス越しに外を見遣る。
夏の暑さに悶えながら道を行き交う人々はこちらを見向きもしない。それらを無心で眺めながら、水のグラスから滴る汗を指の腹で拭った。
「ごめん、待った?」
唐突に降ってきた低く穏やかな声に、顔を上げる。
先程から店内がざわついていると思ったら。男の肩越しに、ちらちらとこちらを伺う女性の二人組が見えた。
「全然。何なら、さっき来たところ」
俺は首を横に振った。なら良かった、とほっと息を吐いて、相手が向かい側の席に座る。
男の纏う空気が動いて、シトラスの香りが鼻腔を擽った。
注文を取りに来た女性の店員にアイスコーヒーとジンジャエールを頼んで、俺は傍らに置かれた荷物に視線を向ける。
「今日は大学だったっけ」
「そう、三限までだけどね。瀬川は?」
「水曜は全休」
「わ、いいな。羨まし」
そう言って、男────阿波井 純が少しばかり長めの髪を耳に掛ける。覗いた首元は汗ばんでいて、それがどこか色っぽい。
その所作を眺めながら、俺は呟くように尋ねる。
「……その髪色、彼女の趣味?」
「いいや、自分の趣味。似合わない?」
「いや、むしろ逆、だと思うけど……」
窓から射し込む光の粒を纏ったアッシュグレーは、阿波井のその整った顔立ちによく似合っていた。はっきり似合っていると言うのは恥ずかしく、素っ気ない返事になってしまったけれども。
俺の記憶の中の阿波井は、ずっと黒髪だったから見慣れない。
「瀬川も髪染めてるんだ。いいな、似合ってる、カッコイイ」
「おー……まあお前の前では霞むけどな」
俺と違って恥ずかしげもなく、ストレートに言葉を投げる阿波井に僅かに顔が熱くなる。
明るい茶色に染まった髪を触りながら、照れ臭さを誤魔化すように言うと、阿波井は不満げにその薄い唇を歪めた。
「そんなことないって。瀬川は……」
「……え、何? 俺は?」
「瀬川は、カッコイイよ」
「阿波井に言われると嫌味っぽいなあ」
「はは、そう言うと思った」
本当だよ、と阿波井は微笑んだ。
阿波井が嫌味や皮肉を言うような男では無いことは分かってはいるが、如何せん、この男の容姿は非凡なのである。
注文を取った店員とはまた別の女性が、アイスコーヒーとジンジャエールを運んできた。アイスコーヒーを阿波井の前に、ジンジャエールを俺の前に置く。
ぱちりと阿波井の長い睫毛が瞬いた。
女性店員は恍惚とした視線を阿波井に投げかけながら、後ろ髪を引かれる様子で去って行く。
「ほら、店員さんも阿波井のことばーっか見てる」
「あー……そうかな」
「そうだよ。さっきの人も、めっちゃ高い声で注文取ってたし」
「はは、確かに」
先程注文を取った別の店員の頬も桜色に染まっていた。阿波井に下心を抱いているのが目に見えて分かる。
ジンジャエールを阿波井の方へと押し出した。阿波井がそれを手元に引く代わりに、アイスコーヒーを俺の前に置く。
阿波井は、十人に尋ねたら十人が頷くような見目麗しき男である。
くっきり二重とすっと通った鼻筋はアイドル顔負けだし、小さい顔と長い手足はモデルも真っ青なレベルだ。
「幼稚園の頃からモテモテだったもんなあ」
「それは……ぶっちゃけそう。っていうか、幼稚園の頃が一番モテてた」
「そんなこと無いと言いたいところだけど、マジでそれはあるかもな」
天使のように美しい子どもだった阿波井の姿を思い浮かべる。髪のキューティクルがまさに天使の輪のようだった。
この天使のように美しい子どもは、同年代の園児どころか、先生、そして保護者たちを片っ端からめろっめろにしていた。
そんな非凡で罪作りな男────阿波井を幼なじみに持った俺は、対してどこにでもいる凡庸な男である。
成人男性の平均身長に、目立つパーツの無い地味な顔。これで勉強ができるとか、スポーツが得意だとか、何か秀でたものがあれば良かったが、阿波井と比べてしまえばやはり平凡であった。
「それより、瀬川は大学で何やってるの?」
阿波井がグラスから伸びるストローに口を付けてから、さらりと話題を変える。
阿波井と俺は高校から別の学校に通っていて、もちろん大学も違う。 実家を出て県外の大学に進学したが、偶然にも大学同士の距離は近い。電車でいえば五駅ほどだ。
とはいえ、お互いマメに連絡を取るタイプでは無いので、年単位で顔を合わせないこともザラであった。
実家が隣同士ということもあり、両親たちは未だに仲が良いから時々耳に入れてはいたけれど。
「へえ、バイトは塾講師やってるんだ」
「うん。高校の時に通ってたところでそのまま。阿波井は……カフェとかやってそうだな、似合うし」
「うわ、ドンピシャ。すごいな」
「やっぱり!あれだろ、チェーンじゃないお洒落なカフェで、ラテアートとかしてるんだろ」
「どんな偏見?……ラテアート以外は合ってるけどさ」
久しぶりに顔を合わせたこともあり、予想以上に会話が弾んだ。
俺も阿波井もグラスはすっかり空で、窓越しに見える空は薄らとオレンジ色に染まり始めている。
「瀬川さ、今日の夜って何か予定ある?」
「いや、無いよ」
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