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社会人編
再会①
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豆腐とわかめの味噌汁で、アジフライ定食を平らげた胃袋を落ち着かせる。空腹は癒えたものの、やはり気分は晴れなかった。
「………はぁ」
綺麗になった皿を前に、思わずため息が溢れてしまう。仕事中は業務に集中しているからまだ良い。しかし昼休みのように考えることがない時間になると、気が緩んで、昨晩から続く憂鬱さが途端に姿を見せるのだ。
この薄暗い気分は、太陽がすっかり気配を隠してしまった曇天続きの空模様のせいだけではない。
「伊織さん」
「わっ………なんだ、日向くんか」
「ぼやーっとして、疲れてるんですか?」
驚いて振り向くと、いつの間にか後輩の日向大雅が立っていた。既に昼食を食べ終えて、食器を片付けにいくところらしい。
伊織は曖昧な笑みを浮かべた。
「うーん、ちょっとね」
「うち、最近忙しいですもんね」
大雅がトレイをテーブルに置くと、伊織の隣の席に腰を掛けた。
頬杖をつきながら、伊織の顔を覗き込むようにして窺ってくる。くっきり二重の煌めく瞳に吸い込まれそうになって、伊織は少し距離を置いた。
背丈は伊織と同じくらいだが、はっきりとした顔立ちの美丈夫で、伊織たちが属している営業部の女性社員たちが密かに狙っているとか、いないとか。
「また飯行きません? 課長の愚痴とかなら聞きますよ」
「ふふ、特に愚痴はないけど、それでもいいなら行こうか。何食べたいか決めておいてね」
「やった」
嬉しそうな声色とともに、凛々しい眉がふわりと緩む。気の強い印象を受けるし、実際その気はあるのだが、人の話を素直に聞ける男なので上からの評価は上々だった。
三歳下のこの後輩を、例外なく伊織もまたいっとう可愛がっている節がある。
伊織は大雅とともに食器を返すと社員食堂を後にする。
オフィスに戻りつつ、引き続き他愛のない世間話を交わした。話し上手で聞き上手。なんでもそつなくこなすこの後輩が、どうして伊織を慕ってくれるのか時々不思議に思う。
「これ、チョコレートあげます」
「え、いいの?」
「はい。その代わり次の飯は高いとこ連れてって貰うんで」
「対価が釣り合ってないよ」
デスクに戻った大雅が、小分けのチョコレートを持ってきてくれた。そんな冗談を口にしつつ、伊織は有難くそれを受け取る。
気を遣ってくれているのだろう。本当にできた後輩である。
しかし大雅には悪いが、やはり伊織の鬱々とした気持ちはどうにもなりそうになかった。
少なくとも今晩までは引きずりそうだ。
伊織を心を後ろ向きにさせているのは仕事でもなんでもなく、今夜の友人たちとの集まりなのである。
伊織が新卒で入社した今の会社に勤めて、もう六年目になる。若手と呼ばれる年齢はとうに過ぎ、仕事に慣れてくると、次はプライベートの充実を考えるようになる。今日がまさにそれだ。
「お、伊織じゃん。お疲れー」
伊織が個室を覗くと、先に伊織に気が付いたのは龍成だった。明快な声につられて優斗も顔を上げる。
「お疲れえ。伊織の方が早かったな」
「二人もお疲れ様。藤、結婚おめでとう」
「へへっ、ありがとな」
龍成の隣の席に座りながら祝福を述べると、優斗は照れ臭そうに笑った。
優斗の結婚祝いの名目で、伊織たちは都内の居酒屋に集まっていた。
優斗の相手は高校二年生の時のクラスメイト。高校時代から付き合っているため、いつ結婚するのだろうかと伊織たちは気にしていたのだが、互いの仕事も安定したところでついに結婚を決めたようだった。
「結婚式はいつにするの?」
「秋の予定! また決まったら連絡するわ」
「とうとう優斗も結婚かー。ていうか、お前らの場合はまだ結婚してないのが変なんだよな。高校からだろ」
「俺だってもうちょい早くが良かったし、なんなら大学でしたかったんだよー」
「大学は遠距離だったよね?」
「そうそう。いやあ、マジでよく頑張ったと思うわぁ……」
優斗が噛み締めるように呟く。詳細は知らないが、その声色から様々な苦労があったことが推測できる。
というのも、伊織は優斗と久しく顔を合わせていなかったのだ。去年の同窓会以来であると記憶している。
社会人となると、学生時代の友人とは中々会えなくなるとは分かっていた。しかしいざそうなってみると、少し寂しい。なので本来ならば、今日のような会は胸が躍るはずなのだが。
龍成が横からメニュー表を手渡してくる。
「伊織は今日は飲む?」
「うん。とりあえず……レモンサワーにしようかな」
アルコールドリンクのラインナップに目を通し、伊織はさほど悩むことなく最初の一杯目を決めてしまうと、そっと目の前の空席を見遣った。
「……まだ来てないんだ?」
「さっきちょっと遅れるって連絡きてたから、もう着くんじゃね?」
優斗がそう返したところで、噂が引き寄せたかのようなタイミングで彼が姿を現した。
「お待たせ。ごめんな、打ち合わせが長引いてさ」
「お疲れさん。全然大丈夫だし気にすんなって。飲み放題にしてるんだけど、何にする?」
「あー……生にするわ」
「おっけー」
スーツのジャケットを脱ぎながら伊織の正面の席に腰を掛ける。伊織がメニュー表を差し出す前に、それには一瞥もくれずに龍成の問いに答えた。
テーブルの脇に置かれたボタンを龍成が押す。伊織は行き場のないメニュー表をそっと下げた。
つい先程の伊織のように優斗に祝福の言葉を述べて、盛大な抱擁を食らっている環から伊織は目を離せなかった。
相変わらず、眩いほどの美貌である。ただその輝きは星の煌めきというより月明かりのようであった。歳を重ねて、落ち着いた男の色気が滲み出ている。
現に注文を聞きに来た女性店員が、ちらちらと秋波を送っていた。
伊織はこっそりと深呼吸をする。胸の内側で何かが膨らんでいるような息苦しさを少しでも和らげたかった。
全員分のドリンクが揃って、コースの前菜が運ばれてきたところで、本日の主役である優斗が乾杯の音頭を取る。
「改めまして、………俺、結婚おめでとう~!」
幸せに浮かれて仕方ない優斗の様子に、三人とも呆れたように笑いながらも、心からの祝福を込めてグラスを掲げた。
優斗がビールジョッキを勢いよく傾けて、中身の半分ほどを一気に流し込んでいく。
「おいおい、大丈夫かよ」
「余裕余裕。上司たちからバカみたいに飲み潰されてきたから、このくらい平気だって!」
「ひえー、体育会系こわ」
龍成が渋い顔をしながら猪口に口をつけた。初っ端から日本酒を呷る龍成も大概であるが、伊織は口に出さなかった。
「いやでもマジで何年ぶり?」
「個々では会ってるだろうけど、全員では卒業旅行以来じゃね?」
「てことは五年!? うわっ、時の流れエッグいなー」
「皆変わってねえよな」
「そうだなー。めぐりんの色男ぶりも相変わらずだし」
優斗がにやつきながら隣の男の肩に腕を回す。龍成との掛け合いを聞いていた環は、急に話題を振られて僅かに目を丸くしていた。
「なんだよ、急に」
「さっきの子可愛かったよなあ、めっちゃめぐるんのこと見てたぜ」
「あー、そう?」
「藤ー、やめとけよ。早月にとっちゃ日常なんだから」
環は龍成の言葉を肯定も否定もせず、不服そうに唇を曲げる優斗を笑っていた。
今もモテるのだろうな、とぼんやりと思いながら、伊織はその横顔を見つめていた。
龍成がサラダに散らされたひよこ豆を器用に避けながら首を傾げる。
「そういえば、早月って最近まで海外だったよな。どこ行ってたんだっけ?」
「イギリス。まあ、二年くらいだけどな」
「はー、海外駐在ってかっけえよなぁ。また戻んの?」
「いや、本社勤務になったから暫くはこっちって言われてる」
龍成のひよこ豆は伊織の手元に集まっていた。いつものことである。伊織は特に何かを言うこともなくそれらを受け入れながら、優斗たちの話に耳を傾けている。
「もう住む場所見つけた?」
「ああ。先月引っ越し終わったところ」
「お、じゃあ遊びに行こ~っと」
「うわ、やだよ。来んなって」
「なんでだよ。あ、恋人と同棲してるとか?」
「してない」
「ならいいじゃん」
「藤はうるさいし、近所迷惑になるだろ」
「めぐるんって俺のこと小学生だと思ってたりする?」
わざとらしく嫌そうな顔をつくりながら身を捩り、環は優斗の腕から逃げ出した。
龍成が笑い声を上げ、伊織も思わず笑みをこぼしてしまう。この掛け合いも随分と懐かしい。
その時、どこからか着信音が聞こえてきた。会話が途切れ四人でその発信源を探る。環だ。
スマホの画面を見るや否や、環が立ち上がる。
「ごめん、ちょっと出てくる」
震えるスマホを片手に環が個室から出ていく。その姿を三人で見送った。
「真面目な話、めぐるんって今恋人いるんかな」
優斗がビールジョッキの残りを空けながらぼやいた。龍成が訝しむように尋ねる。
「なんで?」
「職場の同期から誰か紹介してって言われてるんだよ。結構良い子だからさあ、めぐるんがフリーならアリかなーって」
「あー、どうなんだろ。伊織は知ってる?」
「えっ」
急に話を振られて伊織は目を丸くした。
「なんで俺?」
「伊織、早月と仲良いじゃん。なんか知らねえの?」
「いやあ……」
伊織は眉尻を下げながら口ごもる。
「俺……その、早月と会うの、かなり久しぶりなんだよね。だから、最近のことは全然知らないや」
「そうなの? まあ俺も最後に会ったの、早月が海外行く前だけど」
「なんたってイギリスだからなー。帰ってくるタイミング合わないと中々会えなかったか」
二人の言葉に伊織は苦笑いを浮かべた。
二年どころの話ではないのだ。
伊織が環と最後に顔を合わせたのは、あの熱海への小旅行だ。
環からの連絡が途絶えたわけではない。むしろあれからも何度か環からの誘いがあったが、伊織は何かと理由をつけてそれらを断ってしまった。
心に決めたとは言え、そう簡単に切り替えられるほど伊織は大人ではなかった。自分の気持ちに整理がついていない状況で環の顔を見て、その体温に触れてしまえば、途端に蓋をした気持ちが溢れ出てしまいそうだった。
ようやく抱いていた苦しさや切なさを処理できるようになった頃には、環から誘われることはなくなっていて、伊織からも今更声をかけることはできなくなってしまっていた。
幸か不幸か、同窓会等の集まりも不思議と予定が合わなかった。だから環と顔を合わせるのは正真正銘、五年ぶりである。
正直に言って、居心地が悪くて堪らない。今夜のことも直前まで参加するかどうかを悩んでいた。優斗の結婚がなければ断っていたかもしれなかった。
環は聡明な男であるから、伊織が避けていることを察していたに違いない。今日、環を一目見て伊織はそれが分かった。
そこへ電話を終えた環が戻ってくる。席に着いた途端、優斗がぐいと体を寄せて行った。
「めぐるんって、今フリー?」
「なんで?」
「彼氏募集してる同期がいてさー、フリーなら紹介したいんだけど」
「あー……悪いけどパス。瑞浪は?」
「俺も彼女いるから」
そう、と軽く相槌を打って環は口を噤んだ。前菜の和え物をつついている。
伊織はグラスで口元を隠しながら、密かに環を窺った。
伊織も環も大人だから、目に見えて空気がぴりついていたり、機嫌が悪かったりということはない。しかし目の前にいるのに、ずっと遠く離れたところにいるような心地だった。
伊織は痛む心に目を伏せた。厚かましい自分が嫌になる。
そこで唐突に声をかけられて、伊織はハッと顔を上げた。
「それ、とってくれる?」
「っ、うん。……はい、どうぞ」
「ありがと」
伊織の手元にあった醤油を環へと差し出した。声色は穏やかだが、視線は交わらない。
気のせいではない。向かい合っているというのに、一度も目線が合わないのだ。
しかしながら伊織にそれを責める権利はない。伊織こそずっと、環を避けてきたのだから。
「………はぁ」
綺麗になった皿を前に、思わずため息が溢れてしまう。仕事中は業務に集中しているからまだ良い。しかし昼休みのように考えることがない時間になると、気が緩んで、昨晩から続く憂鬱さが途端に姿を見せるのだ。
この薄暗い気分は、太陽がすっかり気配を隠してしまった曇天続きの空模様のせいだけではない。
「伊織さん」
「わっ………なんだ、日向くんか」
「ぼやーっとして、疲れてるんですか?」
驚いて振り向くと、いつの間にか後輩の日向大雅が立っていた。既に昼食を食べ終えて、食器を片付けにいくところらしい。
伊織は曖昧な笑みを浮かべた。
「うーん、ちょっとね」
「うち、最近忙しいですもんね」
大雅がトレイをテーブルに置くと、伊織の隣の席に腰を掛けた。
頬杖をつきながら、伊織の顔を覗き込むようにして窺ってくる。くっきり二重の煌めく瞳に吸い込まれそうになって、伊織は少し距離を置いた。
背丈は伊織と同じくらいだが、はっきりとした顔立ちの美丈夫で、伊織たちが属している営業部の女性社員たちが密かに狙っているとか、いないとか。
「また飯行きません? 課長の愚痴とかなら聞きますよ」
「ふふ、特に愚痴はないけど、それでもいいなら行こうか。何食べたいか決めておいてね」
「やった」
嬉しそうな声色とともに、凛々しい眉がふわりと緩む。気の強い印象を受けるし、実際その気はあるのだが、人の話を素直に聞ける男なので上からの評価は上々だった。
三歳下のこの後輩を、例外なく伊織もまたいっとう可愛がっている節がある。
伊織は大雅とともに食器を返すと社員食堂を後にする。
オフィスに戻りつつ、引き続き他愛のない世間話を交わした。話し上手で聞き上手。なんでもそつなくこなすこの後輩が、どうして伊織を慕ってくれるのか時々不思議に思う。
「これ、チョコレートあげます」
「え、いいの?」
「はい。その代わり次の飯は高いとこ連れてって貰うんで」
「対価が釣り合ってないよ」
デスクに戻った大雅が、小分けのチョコレートを持ってきてくれた。そんな冗談を口にしつつ、伊織は有難くそれを受け取る。
気を遣ってくれているのだろう。本当にできた後輩である。
しかし大雅には悪いが、やはり伊織の鬱々とした気持ちはどうにもなりそうになかった。
少なくとも今晩までは引きずりそうだ。
伊織を心を後ろ向きにさせているのは仕事でもなんでもなく、今夜の友人たちとの集まりなのである。
伊織が新卒で入社した今の会社に勤めて、もう六年目になる。若手と呼ばれる年齢はとうに過ぎ、仕事に慣れてくると、次はプライベートの充実を考えるようになる。今日がまさにそれだ。
「お、伊織じゃん。お疲れー」
伊織が個室を覗くと、先に伊織に気が付いたのは龍成だった。明快な声につられて優斗も顔を上げる。
「お疲れえ。伊織の方が早かったな」
「二人もお疲れ様。藤、結婚おめでとう」
「へへっ、ありがとな」
龍成の隣の席に座りながら祝福を述べると、優斗は照れ臭そうに笑った。
優斗の結婚祝いの名目で、伊織たちは都内の居酒屋に集まっていた。
優斗の相手は高校二年生の時のクラスメイト。高校時代から付き合っているため、いつ結婚するのだろうかと伊織たちは気にしていたのだが、互いの仕事も安定したところでついに結婚を決めたようだった。
「結婚式はいつにするの?」
「秋の予定! また決まったら連絡するわ」
「とうとう優斗も結婚かー。ていうか、お前らの場合はまだ結婚してないのが変なんだよな。高校からだろ」
「俺だってもうちょい早くが良かったし、なんなら大学でしたかったんだよー」
「大学は遠距離だったよね?」
「そうそう。いやあ、マジでよく頑張ったと思うわぁ……」
優斗が噛み締めるように呟く。詳細は知らないが、その声色から様々な苦労があったことが推測できる。
というのも、伊織は優斗と久しく顔を合わせていなかったのだ。去年の同窓会以来であると記憶している。
社会人となると、学生時代の友人とは中々会えなくなるとは分かっていた。しかしいざそうなってみると、少し寂しい。なので本来ならば、今日のような会は胸が躍るはずなのだが。
龍成が横からメニュー表を手渡してくる。
「伊織は今日は飲む?」
「うん。とりあえず……レモンサワーにしようかな」
アルコールドリンクのラインナップに目を通し、伊織はさほど悩むことなく最初の一杯目を決めてしまうと、そっと目の前の空席を見遣った。
「……まだ来てないんだ?」
「さっきちょっと遅れるって連絡きてたから、もう着くんじゃね?」
優斗がそう返したところで、噂が引き寄せたかのようなタイミングで彼が姿を現した。
「お待たせ。ごめんな、打ち合わせが長引いてさ」
「お疲れさん。全然大丈夫だし気にすんなって。飲み放題にしてるんだけど、何にする?」
「あー……生にするわ」
「おっけー」
スーツのジャケットを脱ぎながら伊織の正面の席に腰を掛ける。伊織がメニュー表を差し出す前に、それには一瞥もくれずに龍成の問いに答えた。
テーブルの脇に置かれたボタンを龍成が押す。伊織は行き場のないメニュー表をそっと下げた。
つい先程の伊織のように優斗に祝福の言葉を述べて、盛大な抱擁を食らっている環から伊織は目を離せなかった。
相変わらず、眩いほどの美貌である。ただその輝きは星の煌めきというより月明かりのようであった。歳を重ねて、落ち着いた男の色気が滲み出ている。
現に注文を聞きに来た女性店員が、ちらちらと秋波を送っていた。
伊織はこっそりと深呼吸をする。胸の内側で何かが膨らんでいるような息苦しさを少しでも和らげたかった。
全員分のドリンクが揃って、コースの前菜が運ばれてきたところで、本日の主役である優斗が乾杯の音頭を取る。
「改めまして、………俺、結婚おめでとう~!」
幸せに浮かれて仕方ない優斗の様子に、三人とも呆れたように笑いながらも、心からの祝福を込めてグラスを掲げた。
優斗がビールジョッキを勢いよく傾けて、中身の半分ほどを一気に流し込んでいく。
「おいおい、大丈夫かよ」
「余裕余裕。上司たちからバカみたいに飲み潰されてきたから、このくらい平気だって!」
「ひえー、体育会系こわ」
龍成が渋い顔をしながら猪口に口をつけた。初っ端から日本酒を呷る龍成も大概であるが、伊織は口に出さなかった。
「いやでもマジで何年ぶり?」
「個々では会ってるだろうけど、全員では卒業旅行以来じゃね?」
「てことは五年!? うわっ、時の流れエッグいなー」
「皆変わってねえよな」
「そうだなー。めぐりんの色男ぶりも相変わらずだし」
優斗がにやつきながら隣の男の肩に腕を回す。龍成との掛け合いを聞いていた環は、急に話題を振られて僅かに目を丸くしていた。
「なんだよ、急に」
「さっきの子可愛かったよなあ、めっちゃめぐるんのこと見てたぜ」
「あー、そう?」
「藤ー、やめとけよ。早月にとっちゃ日常なんだから」
環は龍成の言葉を肯定も否定もせず、不服そうに唇を曲げる優斗を笑っていた。
今もモテるのだろうな、とぼんやりと思いながら、伊織はその横顔を見つめていた。
龍成がサラダに散らされたひよこ豆を器用に避けながら首を傾げる。
「そういえば、早月って最近まで海外だったよな。どこ行ってたんだっけ?」
「イギリス。まあ、二年くらいだけどな」
「はー、海外駐在ってかっけえよなぁ。また戻んの?」
「いや、本社勤務になったから暫くはこっちって言われてる」
龍成のひよこ豆は伊織の手元に集まっていた。いつものことである。伊織は特に何かを言うこともなくそれらを受け入れながら、優斗たちの話に耳を傾けている。
「もう住む場所見つけた?」
「ああ。先月引っ越し終わったところ」
「お、じゃあ遊びに行こ~っと」
「うわ、やだよ。来んなって」
「なんでだよ。あ、恋人と同棲してるとか?」
「してない」
「ならいいじゃん」
「藤はうるさいし、近所迷惑になるだろ」
「めぐるんって俺のこと小学生だと思ってたりする?」
わざとらしく嫌そうな顔をつくりながら身を捩り、環は優斗の腕から逃げ出した。
龍成が笑い声を上げ、伊織も思わず笑みをこぼしてしまう。この掛け合いも随分と懐かしい。
その時、どこからか着信音が聞こえてきた。会話が途切れ四人でその発信源を探る。環だ。
スマホの画面を見るや否や、環が立ち上がる。
「ごめん、ちょっと出てくる」
震えるスマホを片手に環が個室から出ていく。その姿を三人で見送った。
「真面目な話、めぐるんって今恋人いるんかな」
優斗がビールジョッキの残りを空けながらぼやいた。龍成が訝しむように尋ねる。
「なんで?」
「職場の同期から誰か紹介してって言われてるんだよ。結構良い子だからさあ、めぐるんがフリーならアリかなーって」
「あー、どうなんだろ。伊織は知ってる?」
「えっ」
急に話を振られて伊織は目を丸くした。
「なんで俺?」
「伊織、早月と仲良いじゃん。なんか知らねえの?」
「いやあ……」
伊織は眉尻を下げながら口ごもる。
「俺……その、早月と会うの、かなり久しぶりなんだよね。だから、最近のことは全然知らないや」
「そうなの? まあ俺も最後に会ったの、早月が海外行く前だけど」
「なんたってイギリスだからなー。帰ってくるタイミング合わないと中々会えなかったか」
二人の言葉に伊織は苦笑いを浮かべた。
二年どころの話ではないのだ。
伊織が環と最後に顔を合わせたのは、あの熱海への小旅行だ。
環からの連絡が途絶えたわけではない。むしろあれからも何度か環からの誘いがあったが、伊織は何かと理由をつけてそれらを断ってしまった。
心に決めたとは言え、そう簡単に切り替えられるほど伊織は大人ではなかった。自分の気持ちに整理がついていない状況で環の顔を見て、その体温に触れてしまえば、途端に蓋をした気持ちが溢れ出てしまいそうだった。
ようやく抱いていた苦しさや切なさを処理できるようになった頃には、環から誘われることはなくなっていて、伊織からも今更声をかけることはできなくなってしまっていた。
幸か不幸か、同窓会等の集まりも不思議と予定が合わなかった。だから環と顔を合わせるのは正真正銘、五年ぶりである。
正直に言って、居心地が悪くて堪らない。今夜のことも直前まで参加するかどうかを悩んでいた。優斗の結婚がなければ断っていたかもしれなかった。
環は聡明な男であるから、伊織が避けていることを察していたに違いない。今日、環を一目見て伊織はそれが分かった。
そこへ電話を終えた環が戻ってくる。席に着いた途端、優斗がぐいと体を寄せて行った。
「めぐるんって、今フリー?」
「なんで?」
「彼氏募集してる同期がいてさー、フリーなら紹介したいんだけど」
「あー……悪いけどパス。瑞浪は?」
「俺も彼女いるから」
そう、と軽く相槌を打って環は口を噤んだ。前菜の和え物をつついている。
伊織はグラスで口元を隠しながら、密かに環を窺った。
伊織も環も大人だから、目に見えて空気がぴりついていたり、機嫌が悪かったりということはない。しかし目の前にいるのに、ずっと遠く離れたところにいるような心地だった。
伊織は痛む心に目を伏せた。厚かましい自分が嫌になる。
そこで唐突に声をかけられて、伊織はハッと顔を上げた。
「それ、とってくれる?」
「っ、うん。……はい、どうぞ」
「ありがと」
伊織の手元にあった醤油を環へと差し出した。声色は穏やかだが、視線は交わらない。
気のせいではない。向かい合っているというのに、一度も目線が合わないのだ。
しかしながら伊織にそれを責める権利はない。伊織こそずっと、環を避けてきたのだから。
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