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大学生編
執着というもの③
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「触んな」
次に目を開けた時には、男は伊織の目の前から消えていた。鈍い衝撃音と呻き声が上がる。ドタバタと足音が響く。
消えたのではなく、吹き飛ばされたのだ。
誰に?
「浅葱」
伊織は目を見張った。何度も瞬きを繰り返す。
今、一番会いたい男が目の前にいる。夢か幻覚だろうか。
とっくによく分からない薬を打たれて、伊織は頭をおかしくさせられてしまったのかもしれなかった。
「浅葱、浅葱…………ごめんな。遅くなってごめん」
大きな手のひらが、躊躇いがちに伊織の濡れた頬に触れる。ぼやけた視界に、美しいかんばせが歪んでいるのが見える。
優しい指が、伊織の口元のガムテープを慎重に外していく。少しひりついて、痛かった。これも夢ではないと教えてくれる。
は、と新鮮な空気を吸った。途端、伊織は環の香りに包まれる。
あの爽やかでほんのりと甘い、伊織が大好きな匂いだった。
四肢を締め付けていたものが緩む。伊織は動かせるようになった手で、目の前の体に縋りついた。
震える伊織の背中を、あの暖かい手のひらがゆっくりと撫でる。
柔らかな低音が伊織の名前を何度も呼ぶ。答えたいのに、喉が引き攣って声が出ない。伊織は額を環の肩に擦り寄せた。
この腕の中は大丈夫。
伊織はもう安全だった。
「ぐっ、ふぅっ……!」
「この、クソ!! クソストーカー!! 死ね!!」
直樹の声に、伊織の意識は現実へと引き戻された。普段は口にしないような罵詈雑言が飛んでいる。
顔を上げると、真っ赤な顔で直樹が乗っかるように男を抑え込んでいる。一瞬肝が冷えたが、男の手にはもう、あの恐ろしい凶器は握られていない。
「さつき……かわち…………」
「浅葱ぃ! こいつ! こいつ殺す!? 殺そうか~!」
「落ち着け河内」
伊織は環の顔を見上げた。表情はよく分からない。
ただその手つきは泣きたくなるくらいに優しかった。
「そいつ縛って」
「了解! ついでに首絞めてもいい?」
「やめとけ。汚ねえから」
そこで環の瞳が伊織の真っ青になった顔を映し込んだ。気遣わしげな視線を伊織に注ぐ。
「外に出よう。歩けるか?」
「っ、うん……大丈夫」
環に支えられながら立ち上がる。一人でも歩くことはできたが、その温もりを手離したくなくて、腰に回った環の腕に甘んじて体重を預けていた。
部屋から出ていこうとした伊織と環の耳に、男の乾いた笑いが入り込む。
「や、やっぱり…………っ、早月とヤッてたんだ……!!」
「浅葱」
足を止めた伊織に、環が耳を貸すなと言う。
しかし、伊織は振り返って男を見てしまった。
今までに見たことのないくらい、醜い男だった。両手両足を縛られて身動きができない格好であることも忘れているのか、その嘲笑を浮かべる唇がつらつらと言葉を並べていく。
「…………浅葱くんは……き、綺麗なままだと……思ってたのに……っ、クソ! 結局、ヤッてたんじゃないかよ……! この……中古品…………クソビッチが…………オメガは、アルファ様がいないと……なにもできないくせに……種に媚びへつらう、淫乱のくせに……!!」
並べ立てられる中傷は、腹立たしくは思っても伊織を激高させるまでには至らない。
しかし環はそうではなかったらしい。伊織を支える腕が強ばった。
伊織はその浮き出た筋肉の緊張を宥めるように摩る。これは足を止めた伊織が悪い。
今度こそ、本当に背を向け切ってしまおうと思った時だった。
「な、なっ、なんで……早月はよくて……っ、俺はダメなんだよ………!! お、おんなじアルファじゃないか…………!」
「黙れよ」
気が付いたら口から言葉が飛び出していた。地の底から湧き上がるような声色に、伊織自身も驚いた。
反応すれば向こうを喜ばせることになるかもしれない。分かっていても、腸が煮えくり返って仕方ない。
伊織は吐き捨てるように言った。
「お前なんかと、早月を、一緒にするな」
環はアルファだ。しかし環は、伊織のことをオメガだからと罵ったことはない。他のオメガやベータのことも。環は性だけでその人間を判断するようなことはしない。いつだって環は目の前の人間自身を見ている。
そして伊織も同じだ。環をアルファだから、という理由で好きになったのではない。
環だから、好いている。恋をしている。
「浅葱」
環が伊織の名前を呼んだ。その声に促されるように、伊織は完全に男を視界から外す。
まだ何か喚いているようだったが、きちんとした言葉としての形は持っていなかった。所詮はただの雑音である。
不安をいっぱいに顔に浮かべた寮母が、部屋の外で伊織たちを出迎えた。
「どうだったの……?」
「なんとかなりました。ありがとうございます、鍵貸してくれて」
「そんな、いいのよ。ああ……まさか、あのゴミも学生の仕業だったなんて……」
寮母は恐ろしいものを見たかのようにぶるりと身体を震わせた。
「とりあえず、警察呼んで貰えますか? あと、浅葱を暖かい部屋に連れて行ってやってください」
「もちろんよ。じゃあ管理人室にしましょう。警察もすぐに呼ぶわ……」
寮母が労わるように伊織の肩に触れる。
伊織は環を見た。この腕から離れてしまうのは酷く不安だった。
「あとで行くから」
「……うん、分かった」
環の手のひらが伊織の頭にふわりと乗った。緩んだ口元も、柔らかい声も、伊織の不安を分かっていて、それを和らげようとしているかのようだった。
張り詰めて、冷え切った体から一気に力が抜けていく。伊織は自然と頷いていた。
寮母に連れられながら管理人室へと向かう伊織の後ろ姿を見送った後、環は再び伊織の部屋へと足を踏み入れた。
「河内、お疲れ」
「浅葱大丈夫だった?」
「ああ。寮母さんと管理人室に行った。河内も行ってやって」
「了解~! 早月は?」
「あー……あとから行く」
環は直樹によって手足を縛られた男を見遣る。抜け出そうと身を捻っているが、直樹は手技は見事なもので、体格の良い男の力でも緩みそうにない。四肢をもがれた虫のようだ。
立ち上がった直樹が部屋から出て行く。扉が閉まると、男の呻き声と蠢く音だけが聞こえる部屋が完成した。
「は、ははは…………っ、お、王子様気取りかよ……ほ、ほんとにお前、ムカつく……目障り……さっさと」
「なあ」
男の悪態がぴたりと止まった。
環が声を発するだけで、空気がひりつく。
もうこの場には環と男の二人しかいない。だからなにも問題はない。
「自分がその王子様になれるとでも思ったのか?」
環はしゃがみこんで、男を見つめた。単純な疑問を問うような口ぶりだが、その裏には確固たる否定が隠されている。
環の問い掛けに男は答えられない。
その唇が陸に打ち上げられた魚のように、はくはくと動いている。
「お前が何を勘違いしてたのか知らないけどさ。浅葱は優しいよ、誰にでも。お前だけじゃなくて、全員に」
高校で出会った時からそうだった。優斗や龍成のようにクラスで目立つ存在ではないが、伊織の纏う空気は皆から好ましく思われていた。もちろん、環も。
「浅葱はお前のことなんて知らなかったし、今後も知ることはない。名前も顔も何もかも、浅葱の記憶に残らない」
「ち、が…………っ」
「違わねえよ」
捻られた喉から絞り出したような言葉を、環はあっさりと切り捨てた。
暫くは自分の身に起こった悲劇を思い出してしまうかもしれない。しかしその苦痛を与えた男がどんな人間で、どんな思いがあったのかということは伊織の中には残らない。
そしていつかその傷跡も癒えて、その記憶すら朧げになる。
再びその傷を付け直させるようなことにはならない。
環がさせない。
「…………ひ、ぎ…………っ」
男の唇が色を失っていく。男の顔に脂汗が滲んでいる。
呼吸を奪われるような緊迫感に男は喘いだ。ヒューヒューと空気がか細く入っていくような掠れた音が響いている。
「か、はっ…………ぅ、ぐっ!!」
「お前みたいなのが、汚していい子じゃないんだよ。浅葱は」
男の前髪を掴み上げた。露になった顔立ちは存外整っているが、 環の前では霞んで見える。
環の方がアルファとして格上であるのは明らかだった。
男の周りの空気が、重く、押し潰そうとのしかかってくる。顔を土気色にして、苦しそうにもがいていた。
水に溺れかかった羽虫のようだと、環は思った。
「…………お前も、妄想だけにしておけば良かったのにな」
一瞬、環の目に憐れみが過ぎる。自虐めいた呟きが男に僅かな疑問を抱かせる前に、環が指に力を込めた。
「実際に触れようとした時点で、お前は終わりだよ」
髪を掴んだまま、環は男の目を覗き込む。
普段は星のように煌めく双眸が、触れた途端肌がぷっつりと切れてしまいそうなほど、冷たく凍った氷のように鋭く光っていた。
「二度と、思い違えるな」
怒りに燃える低い声が男の腹に響く。目玉が零れ落ちそうなほど、男は大きく目を見開いた。網膜に焼き付く恐怖。
男の中で何かが壊れた音がした。
男は何も言わなくなった。環は無遠慮に手を離す。男は床に倒れ込み、やがて啜り泣く声が微かに漏れ出した。
環はため息を吐いた。沼の底のように重苦しい空気も元通りになる。部屋の外から寮母の声と複数人の足音が微かに聞こえてきた。
彼らと入れ替わりに、環は急ぎ足でその場から立ち去った。
男のことなどもうどうでも良い。ただ、自分を待っているであろう彼に会いたいと思っていた。
次に目を開けた時には、男は伊織の目の前から消えていた。鈍い衝撃音と呻き声が上がる。ドタバタと足音が響く。
消えたのではなく、吹き飛ばされたのだ。
誰に?
「浅葱」
伊織は目を見張った。何度も瞬きを繰り返す。
今、一番会いたい男が目の前にいる。夢か幻覚だろうか。
とっくによく分からない薬を打たれて、伊織は頭をおかしくさせられてしまったのかもしれなかった。
「浅葱、浅葱…………ごめんな。遅くなってごめん」
大きな手のひらが、躊躇いがちに伊織の濡れた頬に触れる。ぼやけた視界に、美しいかんばせが歪んでいるのが見える。
優しい指が、伊織の口元のガムテープを慎重に外していく。少しひりついて、痛かった。これも夢ではないと教えてくれる。
は、と新鮮な空気を吸った。途端、伊織は環の香りに包まれる。
あの爽やかでほんのりと甘い、伊織が大好きな匂いだった。
四肢を締め付けていたものが緩む。伊織は動かせるようになった手で、目の前の体に縋りついた。
震える伊織の背中を、あの暖かい手のひらがゆっくりと撫でる。
柔らかな低音が伊織の名前を何度も呼ぶ。答えたいのに、喉が引き攣って声が出ない。伊織は額を環の肩に擦り寄せた。
この腕の中は大丈夫。
伊織はもう安全だった。
「ぐっ、ふぅっ……!」
「この、クソ!! クソストーカー!! 死ね!!」
直樹の声に、伊織の意識は現実へと引き戻された。普段は口にしないような罵詈雑言が飛んでいる。
顔を上げると、真っ赤な顔で直樹が乗っかるように男を抑え込んでいる。一瞬肝が冷えたが、男の手にはもう、あの恐ろしい凶器は握られていない。
「さつき……かわち…………」
「浅葱ぃ! こいつ! こいつ殺す!? 殺そうか~!」
「落ち着け河内」
伊織は環の顔を見上げた。表情はよく分からない。
ただその手つきは泣きたくなるくらいに優しかった。
「そいつ縛って」
「了解! ついでに首絞めてもいい?」
「やめとけ。汚ねえから」
そこで環の瞳が伊織の真っ青になった顔を映し込んだ。気遣わしげな視線を伊織に注ぐ。
「外に出よう。歩けるか?」
「っ、うん……大丈夫」
環に支えられながら立ち上がる。一人でも歩くことはできたが、その温もりを手離したくなくて、腰に回った環の腕に甘んじて体重を預けていた。
部屋から出ていこうとした伊織と環の耳に、男の乾いた笑いが入り込む。
「や、やっぱり…………っ、早月とヤッてたんだ……!!」
「浅葱」
足を止めた伊織に、環が耳を貸すなと言う。
しかし、伊織は振り返って男を見てしまった。
今までに見たことのないくらい、醜い男だった。両手両足を縛られて身動きができない格好であることも忘れているのか、その嘲笑を浮かべる唇がつらつらと言葉を並べていく。
「…………浅葱くんは……き、綺麗なままだと……思ってたのに……っ、クソ! 結局、ヤッてたんじゃないかよ……! この……中古品…………クソビッチが…………オメガは、アルファ様がいないと……なにもできないくせに……種に媚びへつらう、淫乱のくせに……!!」
並べ立てられる中傷は、腹立たしくは思っても伊織を激高させるまでには至らない。
しかし環はそうではなかったらしい。伊織を支える腕が強ばった。
伊織はその浮き出た筋肉の緊張を宥めるように摩る。これは足を止めた伊織が悪い。
今度こそ、本当に背を向け切ってしまおうと思った時だった。
「な、なっ、なんで……早月はよくて……っ、俺はダメなんだよ………!! お、おんなじアルファじゃないか…………!」
「黙れよ」
気が付いたら口から言葉が飛び出していた。地の底から湧き上がるような声色に、伊織自身も驚いた。
反応すれば向こうを喜ばせることになるかもしれない。分かっていても、腸が煮えくり返って仕方ない。
伊織は吐き捨てるように言った。
「お前なんかと、早月を、一緒にするな」
環はアルファだ。しかし環は、伊織のことをオメガだからと罵ったことはない。他のオメガやベータのことも。環は性だけでその人間を判断するようなことはしない。いつだって環は目の前の人間自身を見ている。
そして伊織も同じだ。環をアルファだから、という理由で好きになったのではない。
環だから、好いている。恋をしている。
「浅葱」
環が伊織の名前を呼んだ。その声に促されるように、伊織は完全に男を視界から外す。
まだ何か喚いているようだったが、きちんとした言葉としての形は持っていなかった。所詮はただの雑音である。
不安をいっぱいに顔に浮かべた寮母が、部屋の外で伊織たちを出迎えた。
「どうだったの……?」
「なんとかなりました。ありがとうございます、鍵貸してくれて」
「そんな、いいのよ。ああ……まさか、あのゴミも学生の仕業だったなんて……」
寮母は恐ろしいものを見たかのようにぶるりと身体を震わせた。
「とりあえず、警察呼んで貰えますか? あと、浅葱を暖かい部屋に連れて行ってやってください」
「もちろんよ。じゃあ管理人室にしましょう。警察もすぐに呼ぶわ……」
寮母が労わるように伊織の肩に触れる。
伊織は環を見た。この腕から離れてしまうのは酷く不安だった。
「あとで行くから」
「……うん、分かった」
環の手のひらが伊織の頭にふわりと乗った。緩んだ口元も、柔らかい声も、伊織の不安を分かっていて、それを和らげようとしているかのようだった。
張り詰めて、冷え切った体から一気に力が抜けていく。伊織は自然と頷いていた。
寮母に連れられながら管理人室へと向かう伊織の後ろ姿を見送った後、環は再び伊織の部屋へと足を踏み入れた。
「河内、お疲れ」
「浅葱大丈夫だった?」
「ああ。寮母さんと管理人室に行った。河内も行ってやって」
「了解~! 早月は?」
「あー……あとから行く」
環は直樹によって手足を縛られた男を見遣る。抜け出そうと身を捻っているが、直樹は手技は見事なもので、体格の良い男の力でも緩みそうにない。四肢をもがれた虫のようだ。
立ち上がった直樹が部屋から出て行く。扉が閉まると、男の呻き声と蠢く音だけが聞こえる部屋が完成した。
「は、ははは…………っ、お、王子様気取りかよ……ほ、ほんとにお前、ムカつく……目障り……さっさと」
「なあ」
男の悪態がぴたりと止まった。
環が声を発するだけで、空気がひりつく。
もうこの場には環と男の二人しかいない。だからなにも問題はない。
「自分がその王子様になれるとでも思ったのか?」
環はしゃがみこんで、男を見つめた。単純な疑問を問うような口ぶりだが、その裏には確固たる否定が隠されている。
環の問い掛けに男は答えられない。
その唇が陸に打ち上げられた魚のように、はくはくと動いている。
「お前が何を勘違いしてたのか知らないけどさ。浅葱は優しいよ、誰にでも。お前だけじゃなくて、全員に」
高校で出会った時からそうだった。優斗や龍成のようにクラスで目立つ存在ではないが、伊織の纏う空気は皆から好ましく思われていた。もちろん、環も。
「浅葱はお前のことなんて知らなかったし、今後も知ることはない。名前も顔も何もかも、浅葱の記憶に残らない」
「ち、が…………っ」
「違わねえよ」
捻られた喉から絞り出したような言葉を、環はあっさりと切り捨てた。
暫くは自分の身に起こった悲劇を思い出してしまうかもしれない。しかしその苦痛を与えた男がどんな人間で、どんな思いがあったのかということは伊織の中には残らない。
そしていつかその傷跡も癒えて、その記憶すら朧げになる。
再びその傷を付け直させるようなことにはならない。
環がさせない。
「…………ひ、ぎ…………っ」
男の唇が色を失っていく。男の顔に脂汗が滲んでいる。
呼吸を奪われるような緊迫感に男は喘いだ。ヒューヒューと空気がか細く入っていくような掠れた音が響いている。
「か、はっ…………ぅ、ぐっ!!」
「お前みたいなのが、汚していい子じゃないんだよ。浅葱は」
男の前髪を掴み上げた。露になった顔立ちは存外整っているが、 環の前では霞んで見える。
環の方がアルファとして格上であるのは明らかだった。
男の周りの空気が、重く、押し潰そうとのしかかってくる。顔を土気色にして、苦しそうにもがいていた。
水に溺れかかった羽虫のようだと、環は思った。
「…………お前も、妄想だけにしておけば良かったのにな」
一瞬、環の目に憐れみが過ぎる。自虐めいた呟きが男に僅かな疑問を抱かせる前に、環が指に力を込めた。
「実際に触れようとした時点で、お前は終わりだよ」
髪を掴んだまま、環は男の目を覗き込む。
普段は星のように煌めく双眸が、触れた途端肌がぷっつりと切れてしまいそうなほど、冷たく凍った氷のように鋭く光っていた。
「二度と、思い違えるな」
怒りに燃える低い声が男の腹に響く。目玉が零れ落ちそうなほど、男は大きく目を見開いた。網膜に焼き付く恐怖。
男の中で何かが壊れた音がした。
男は何も言わなくなった。環は無遠慮に手を離す。男は床に倒れ込み、やがて啜り泣く声が微かに漏れ出した。
環はため息を吐いた。沼の底のように重苦しい空気も元通りになる。部屋の外から寮母の声と複数人の足音が微かに聞こえてきた。
彼らと入れ替わりに、環は急ぎ足でその場から立ち去った。
男のことなどもうどうでも良い。ただ、自分を待っているであろう彼に会いたいと思っていた。
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