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大学生編
二年目②
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講義が終わるチャイムの前には講義室を出て、足早に学内のカフェテリアへと向かう。昼休みは注文するまでにもかなり並ぶので、うかうかしていると混み具合に泣くことになる。
幸いにも水曜二限を担当している教授は五分ほど早く授業を切り上げてくれるので、すんなりと席の確保まですることができた。
三人で食事をすると、大体一番食べ終わりが早いのが環。次に伊織で、最後が直樹だ。
「あ~、眠い。三限だるい、行きたくなーい」
「河内はさっきまで寝てたでしょ」
直樹があと二口ほど残ったカレーライスをつつきながら欠伸をする。既に食べ終えている伊織が、呆れたように直樹を見た。
伊織がレジュメ代として要望したのは豚カツ定食だった。学内のカフェテリアで一番の人気メニューである。
ワンコインを軽々と飛び超えてしまうので伊織には中々ありつけない代物なのだが、今日は遠慮なく頼むことができた。
伊織の隣、直樹の向かい側に座った環がスマホに落ちていた視線を持ち上げる。
「浅葱」
「うん?」
「藤がお盆って帰省するかって」
懐かしい名前に伊織の頬が緩む。
唯一三人と離れて、関東の大学に進学した優斗とは去年の冬休みに会ったきりだった。
「まだ決めてないかも。優斗、今年はお盆も帰省できるんだ?」
「二年は部活がないからいけるらしい」
「ああ、あの洗礼合宿ね。今日丁度会うし、龍成にも確認しておくよ」
優斗は大学に入ってもサッカーを続けているという。大会にも出ているチームで、休みも部活に明け暮れている。
満腹になってしまったのか中々最後の一口に手をつけようとしない直樹が、そんな二人の顔を交互に見て首を傾げていた。
「高校の時の同級生ね」
「あ~、そっか! そういえば、二人は高校同じだったんだ」
伊織が直樹にも分かるように補足すると、直樹は合点がいったと言わんばかりに手のひらを打った。
「そうそう。直前まで大学も同じだとは思わんかったけど」
「えっ、そうなの?」
「うん。受験当日になって知ったんだよね」
伊織も環に同調するように頷く。
環とは志望校の話をあまり具体的にしたことがなかった。二次試験当日、試験会場に入って環の姿を見つけた時は、頭に叩き込んだものが全て吹っ飛んでしまうくらいに驚いたものだ。
飛びそうになったものを何とか掻き集めて試験に臨み、合格することができた。
環も当然のように合格していて、伊織は環との縁の図太さに嬉しいような、苦しいような、複雑な気持ちを味わった。
そんな伊織の心情を露ほども知らない直樹は、驚いたように目を丸くしていた。
「それで学部まで一緒だったの? 仲良すぎじゃん?」
「そうだよ。俺たち仲良しなんだわ」
「えっ、ちゃっかり俺のことハブにしようとしてる? 縋り付いて離さないけど?」
「はいはい。そんなことしないから」
環が伊織の肩を抱く。 真顔で迫ってくる直樹を宥めながら、伊織は僅かに自分の心が色めくのを感じていた。
爽やかで、上品な柑橘系の香り。環の柔軟剤の裏からほんのりと香るそれを、伊織は好ましく思っている。
環の匂いと温もり。少しばかり浮つくことはあるけれど、毎回心臓が爆発してしまいそうになることはなくなった。環との距離の近さには否が応でも慣れてきている。
伊織は環の友人としての姿を保ったままでいる。
他愛のない話をしながらも、直樹がようやく最後の一口を腹に収めた。昼休みの終わりまではまだ時間があるが、混んでいる中居座るのも気が引ける。
そろそろ立ち上がろうか、という空気が漂い出した時だった。
「早月くん」
鈴のような高音が環を呼ぶ。三人は揃って声の主を見上げた。
気の強さを見事に表しているかのような猫目。ロングの黒髪は美しく、サラリと流れていく様をつい目で追ってしまう。
「樺地」
「サークルのことなんだけど、いいかしら。すぐに終わるから」
「あー、いいよ」
環がちらりと伊織たちを見遣る。察した直樹が立ち上がった。
「俺ら先に行くね~」
「ありがと。出口んとこで待ってて」
「おっけ」
食器やトレイを片付けた後、行き交う生徒たちの邪魔にならないように出口近くの壁に張り付く。二人が何やら話す様子を遠目で見ている伊織の隣で、直樹が感嘆の息を洩らした。
「どうしたの?」
「いや、相変わらず麗しいな~って思ってさ」
「ああ、そういえば河内は樺地さんのファンだったね」
樺地玲子は法学部の二年生で、直樹が密かに崇めている女性である。その花の顔貌と淑やかな雰囲気は同年代の中でも大人びて見える。
昨年の大学祭のステージで司会進行を務め上げたことをきっかけに、学部内外にちょっとしたファンを抱えていた。
「早月が羨まし~」
「そうだね」
直樹がぼやく。彼女と環は同じ異文化交流のサークルに属しており、こうやって親しげに話している姿を見かける。
伊織が適当に相槌を返すと、急に直樹が伊織の顔を睨めつけた。
「ていうか、浅葱もだからね!」
「えっ?」
「バイト先一緒じゃん!」
伊織がアルバイトしているコーヒーチェーン店で、去年の冬休みから彼女も働いている。
驚きながらそのことを洩らした時も、そして今も、直樹は羨望を込めた眼差しを伊織に向けている。
「俺も樺地さんと話したいよ~」
「他の人と同じように話しかけにいけばいいんじゃない?」
「いや無理。樺地さんの前だと面白いことなんも言えないもん」
「別に普段も面白いわけじゃ……河内のそれって恋愛とは違うんだよね?」
「はっ、違う違う! 樺地さんは推し!」
つい気になって伊織が聞くと、直樹が勢いよく首を横に振った。直樹はどちらかと言えば女性に限らず、人との付き合いが得意なタイプだ。それに現在進行形で付き合っている相手がいる。
そんな直樹が樺地玲子に抱く感情は特別に見えるけれど、あくまで恋愛感情とは同等ではないらしい。伊織にはあまり分からない。
本当にすぐに終わる話だったようで、環がこちらへと向かってくる様子が見えた。
伊織は実のところ、樺地玲子が少し苦手である。
理由は、そう、あの視線。
彼女は自分の元から去っていく環の背中を見つめていた。それを眺めていれば、自然とそんな彼女と視線が合わさる。
一瞬、その目の色が鋭く光った。
「お待たせ」
「もう良かったの?」
「ああ、大丈夫。行こうか」
瞬きをする間に玲子は伊織たちに背を向けていた。反対方向へと歩き去って行く。
環と直樹とカフェテリアを後にしながら、 伊織は無意識に強ばった肩を解す。
刃物のように、鋭く刺してくるような彼女のあの視線は、伊織がよく目にするものである。
それにどんな意図が込められているかは、何となく分かっている。しかしそれを伊織に向けるのはお門違いであると思っていた。
だから伊織は、樺地玲子が苦手なのである。
幸いにも水曜二限を担当している教授は五分ほど早く授業を切り上げてくれるので、すんなりと席の確保まですることができた。
三人で食事をすると、大体一番食べ終わりが早いのが環。次に伊織で、最後が直樹だ。
「あ~、眠い。三限だるい、行きたくなーい」
「河内はさっきまで寝てたでしょ」
直樹があと二口ほど残ったカレーライスをつつきながら欠伸をする。既に食べ終えている伊織が、呆れたように直樹を見た。
伊織がレジュメ代として要望したのは豚カツ定食だった。学内のカフェテリアで一番の人気メニューである。
ワンコインを軽々と飛び超えてしまうので伊織には中々ありつけない代物なのだが、今日は遠慮なく頼むことができた。
伊織の隣、直樹の向かい側に座った環がスマホに落ちていた視線を持ち上げる。
「浅葱」
「うん?」
「藤がお盆って帰省するかって」
懐かしい名前に伊織の頬が緩む。
唯一三人と離れて、関東の大学に進学した優斗とは去年の冬休みに会ったきりだった。
「まだ決めてないかも。優斗、今年はお盆も帰省できるんだ?」
「二年は部活がないからいけるらしい」
「ああ、あの洗礼合宿ね。今日丁度会うし、龍成にも確認しておくよ」
優斗は大学に入ってもサッカーを続けているという。大会にも出ているチームで、休みも部活に明け暮れている。
満腹になってしまったのか中々最後の一口に手をつけようとしない直樹が、そんな二人の顔を交互に見て首を傾げていた。
「高校の時の同級生ね」
「あ~、そっか! そういえば、二人は高校同じだったんだ」
伊織が直樹にも分かるように補足すると、直樹は合点がいったと言わんばかりに手のひらを打った。
「そうそう。直前まで大学も同じだとは思わんかったけど」
「えっ、そうなの?」
「うん。受験当日になって知ったんだよね」
伊織も環に同調するように頷く。
環とは志望校の話をあまり具体的にしたことがなかった。二次試験当日、試験会場に入って環の姿を見つけた時は、頭に叩き込んだものが全て吹っ飛んでしまうくらいに驚いたものだ。
飛びそうになったものを何とか掻き集めて試験に臨み、合格することができた。
環も当然のように合格していて、伊織は環との縁の図太さに嬉しいような、苦しいような、複雑な気持ちを味わった。
そんな伊織の心情を露ほども知らない直樹は、驚いたように目を丸くしていた。
「それで学部まで一緒だったの? 仲良すぎじゃん?」
「そうだよ。俺たち仲良しなんだわ」
「えっ、ちゃっかり俺のことハブにしようとしてる? 縋り付いて離さないけど?」
「はいはい。そんなことしないから」
環が伊織の肩を抱く。 真顔で迫ってくる直樹を宥めながら、伊織は僅かに自分の心が色めくのを感じていた。
爽やかで、上品な柑橘系の香り。環の柔軟剤の裏からほんのりと香るそれを、伊織は好ましく思っている。
環の匂いと温もり。少しばかり浮つくことはあるけれど、毎回心臓が爆発してしまいそうになることはなくなった。環との距離の近さには否が応でも慣れてきている。
伊織は環の友人としての姿を保ったままでいる。
他愛のない話をしながらも、直樹がようやく最後の一口を腹に収めた。昼休みの終わりまではまだ時間があるが、混んでいる中居座るのも気が引ける。
そろそろ立ち上がろうか、という空気が漂い出した時だった。
「早月くん」
鈴のような高音が環を呼ぶ。三人は揃って声の主を見上げた。
気の強さを見事に表しているかのような猫目。ロングの黒髪は美しく、サラリと流れていく様をつい目で追ってしまう。
「樺地」
「サークルのことなんだけど、いいかしら。すぐに終わるから」
「あー、いいよ」
環がちらりと伊織たちを見遣る。察した直樹が立ち上がった。
「俺ら先に行くね~」
「ありがと。出口んとこで待ってて」
「おっけ」
食器やトレイを片付けた後、行き交う生徒たちの邪魔にならないように出口近くの壁に張り付く。二人が何やら話す様子を遠目で見ている伊織の隣で、直樹が感嘆の息を洩らした。
「どうしたの?」
「いや、相変わらず麗しいな~って思ってさ」
「ああ、そういえば河内は樺地さんのファンだったね」
樺地玲子は法学部の二年生で、直樹が密かに崇めている女性である。その花の顔貌と淑やかな雰囲気は同年代の中でも大人びて見える。
昨年の大学祭のステージで司会進行を務め上げたことをきっかけに、学部内外にちょっとしたファンを抱えていた。
「早月が羨まし~」
「そうだね」
直樹がぼやく。彼女と環は同じ異文化交流のサークルに属しており、こうやって親しげに話している姿を見かける。
伊織が適当に相槌を返すと、急に直樹が伊織の顔を睨めつけた。
「ていうか、浅葱もだからね!」
「えっ?」
「バイト先一緒じゃん!」
伊織がアルバイトしているコーヒーチェーン店で、去年の冬休みから彼女も働いている。
驚きながらそのことを洩らした時も、そして今も、直樹は羨望を込めた眼差しを伊織に向けている。
「俺も樺地さんと話したいよ~」
「他の人と同じように話しかけにいけばいいんじゃない?」
「いや無理。樺地さんの前だと面白いことなんも言えないもん」
「別に普段も面白いわけじゃ……河内のそれって恋愛とは違うんだよね?」
「はっ、違う違う! 樺地さんは推し!」
つい気になって伊織が聞くと、直樹が勢いよく首を横に振った。直樹はどちらかと言えば女性に限らず、人との付き合いが得意なタイプだ。それに現在進行形で付き合っている相手がいる。
そんな直樹が樺地玲子に抱く感情は特別に見えるけれど、あくまで恋愛感情とは同等ではないらしい。伊織にはあまり分からない。
本当にすぐに終わる話だったようで、環がこちらへと向かってくる様子が見えた。
伊織は実のところ、樺地玲子が少し苦手である。
理由は、そう、あの視線。
彼女は自分の元から去っていく環の背中を見つめていた。それを眺めていれば、自然とそんな彼女と視線が合わさる。
一瞬、その目の色が鋭く光った。
「お待たせ」
「もう良かったの?」
「ああ、大丈夫。行こうか」
瞬きをする間に玲子は伊織たちに背を向けていた。反対方向へと歩き去って行く。
環と直樹とカフェテリアを後にしながら、 伊織は無意識に強ばった肩を解す。
刃物のように、鋭く刺してくるような彼女のあの視線は、伊織がよく目にするものである。
それにどんな意図が込められているかは、何となく分かっている。しかしそれを伊織に向けるのはお門違いであると思っていた。
だから伊織は、樺地玲子が苦手なのである。
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