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高校生編

予感②

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「おまたせー! 遅れてごめん!」
「うわ、もうこんな時間かよ。ごめんな」

 結局、環と優斗が二人に合流したのは一時間ほど経った後だった。
 注文をしないわけにもいかず、フライドポテトを平らげた痕跡を見た環が眉を下げる。

「遅延は仕方ないって。人身?」
「そう! しかもがっつりやったらしい」
「それは気の毒に……最近多いよね」

 自然と優斗が龍成の隣に、環が伊織の隣に座る。
 ようやく揃ったところで勉強会がスタート……ということにはならず、まずは腹拵えをすることになった。

「はあ、早く勉強から解放されてー。テストが終わったら春休みだろ? パラダイスじゃん」
「いや、春休みも勉強しろよ」
「そうそう。次も早月と同じクラスになるかどうか分からないんだからさ」

 注文したものが届くまでの間、話題は早くも春を見据えたものになっている。
 間近になった休みに浮かれていた優斗の表情が暗くなり、大きなため息を吐く。優斗が赤点を回避し続けているのは、環という優れた先生役の力があるからだ。
 その力は優斗にとって、思わずメンヘラじみたことを言ってしまうくらい重要なのである。

「めぐりんと離れたくない……めぐりんと離れたら生きていけない……」
「えっ、こっわ。何、怖いんだけど」
「早月の顔、ガチで引き攣ってるのウケる」
「俺とずっとに一緒にいてくれよ~~!!」
「げっ、助けて浅葱」

 伊織が微笑ましそうに三人のやり取りを眺めていると、環が伊織の方へと体を寄せてきた。
 ぴったりと腕が触れ合い、環は上目がちに伊織を覗き込む。僅かに伊織の心臓が跳ねた。

「あっ、伊織でもいい。伊織、俺と同じクラスになろう!」
「伊織でも、って傷付くなあ」
「優斗は勉強できるなら誰でもいいんじゃん」
「その点、龍ちゃんは英語できないからダメ」
「はっ倒すぞ」
「ギャッ!」

 龍成が優斗にヘッドロックを仕掛ける。
 賑やかなファミレスは多少騒いでも問題ないだろうが、伊織はそっと二人のグラスを自分側に引いておいた。

「まー……確かに。このクラスもあと少しか」
「そうだね」

 そう呟く環の声色は少々寂しそうであった。
 その感情に伊織も同意する。この三人と過ごす一年は、退屈しなかったし、心地が良かった。
 間もなく冬も終わり、春が来る。刻々と迫るこの穏やかな時間の終わりに、名残惜しさが湧き上がった。

「二人とも、その辺にしておけよ」
「そうだよ。もう料理も来るし」

 龍成と優斗のじゃれ合いが本格化する前に、環が呆れたように止めに入った。
 伊織もこちらの席に向かってくると思われる店員の姿を視界の端に捉えていた。
 二人はお互いに文句を言いながらも、すんなりと手を離した。すぐに小競り合いに発展するが、この二人は本当に仲が良いと思う。伊織に言わせてみれば、良き悪友といったところだ。

 テーブルの上に注文した料理がずらりと並べられる。食欲をそそる匂いに誰かの腹の音が鳴った。
 伊織はドリア、環はパスタ、そして優斗と龍成はハンバーグを頼んでいた。

「仲良いなあ」
「優斗が真似してきたんだって」
「違う! 龍ちゃんが真似したんですー」
「はいはい」

 伊織が軽く流すと、二人はまだ何か言いたそうにしていたが口を噤んだ。これ以上言葉を発すると、一層自分たちが幼稚に見えそうだ。そう思うくらい、伊織の視線は優しく生暖かいものだった。

「伊織はいつもそのドリアだな」
「うん。だって名物でしょ」
「ファミレスに名物って……まあ、ドリアはそうか」
「伊織はもっと肉食った方がいいぜ。まじでほっそいんだもん」
「余計なお世話だよ」

 優斗の言葉に伊織は眉を顰める。
 伊織は身長は平均並みにあるが、体重は人よりもずっと軽い。その体の薄さは服を脱ぐとよく分かる。筋肉がつきにくい体質であるというところは、オメガの特徴にぴったりと合致していた。

「あーあ、怒らせてやんの。……まあ、一理あるけどさ」
「龍成まで」
「伊織が優斗と早月に挟まれてる絵面、なかなかだからな。カツアゲかと思うわ」
「それは俺らに失礼だろ」

 環はそう言うが、それも致し方ないところがある。環も優斗も百八十以上背丈があるうえ、運動部の優斗は当然だが、早月もしっかりとした体つきをしていた。

「でも早月も分かるだろ? ほら、いっつも伊織にくっついてるし」
「あー……」
「もう、三人で寄って集ってバカにして」
「してない。ごめんって、浅葱。なー?」

 伊織が臍を曲げたようにそっぽを向いてしまうと、環はその機嫌を取るかのように名前を呼ぶ。その声は白い羽毛のように柔い。
 その声色に、伊織の心が擽られている。むず痒さを誤魔化すように、小さく息を吐き出した。

「仕方ないなあ……」

 そもそも本気で怒ってなどいない伊織は、すぐに態度を和らげる。環は口元を緩めたまま、自然な流れで伊織の頭を撫でた。

「……もういっそ、そういうノリで行こうかな。お坊ちゃんとお付きみたいな」
「あ、いいじゃん! 来年の学校祭の有志発表でやろうぜ」
「それは劇? バンド?」
「うーん、漫才かな」
「アリだな」
「ナシだわ。ボケしかいない漫才トリオがあるかよ」

 龍成のツッコミが入り、テーブルは軽やかな笑い声に包まれた。

 食事も済んで、ようやく各々がテスト勉強に取り掛かる。龍成と優斗が時折分からない問題を聞くこと以外、四人とも黙々と取り組んでいたが、一時間ほど経った頃、真っ先に集中力が途切れたのは優斗だった。

「なあ、めぐりんに聞きたいことあったんだけどさ」
「あとで聞くから、勉強しろよ」
「今! ちょっとだけだから! 今朝、白井さんに呼び出されてたじゃん。告白された?」
「しら……? ……あー、あれか。されたけど、断った」
「はっ? まじで!?」
「あんまり話したことなかったし……そんなに驚くことか?」
「いやいや、でもあの白井さんだぞ? うちの学年の美女筆頭の白井さんだぞ?」
「俺のタイプじゃない」
「うわあ、ファンに聞かれたら刺されそー……」

 英語の教科書からすっかり顔を上げてしまった龍成がぼそりと呟く。伊織は目線はテキストに落としながらも、初耳の情報に驚いていた。
 環にとって告白など日常茶飯事なのだろう。平然としたまま、グラスへと手を伸ばした。
 ふと視界の端に映った環の手に、伊織が気が付いたのとほとんど同時に、環はストローに口を付けた。

「あっ」

 伊織が小さく声を洩らすと、環が視線だけ寄越してくる。
 しかし、伊織はその薄らと色付いた唇から、暫く目が離せなかった。細めのストローからゆっくりと、その柔らかそうな唇が離れていく。
 間接キス。
 脳がそれを認識した瞬間、伊織の耳が焼けるように熱くなった。

「……それ、俺のやつ」
「マジ? ……あ、ほんとだ。ごめんな」
「全然いいよ。ドリンクバーだし、うん」

 伊織はどこかずれたことを口にする。
 先程までは普通だったのに、今は耳の横で心臓の音が響いていて、煩くて仕方なかった。自分の声が聞こえないくらいだ。
 まるで子どもみたいに、些細なこと一つで胸の中が掻き乱されている。
 しかしそれは伊織だけで、環は気にも留めていないようだった。
 話題に釣られたらしい龍成が首を傾げる。

「白井さんは違うにしても、まじで早月って今フリーなの?」
「ああ。別にどうしても欲しいってわけでもないから」
「これ、普通ならモテない言い訳なのに、めぐりんの顔面だからなんかカッコイイんだよなー……伊織は? なんかないの?」
「えっ、俺?」

 不意を付かれた伊織は、素っ頓狂な声を上げる。
 環も優斗の切り出した話題に乗っかった。

「そういえば、浅葱って自分からそういう話はしないよな」
「そうそう! 伊織って恋人ができても言ってくれなさそうなんだよなー。知らぬ間に、ちゃっかり年上と付き合ってそうじゃね?」
「面倒見がいいから、どっちか選ぶなら年下だろ」
「どっちもいないよ。そもそも誰かと付き合ったことないし……」

 優斗だけでなく、環までもが揃って驚きの声を上げた。一番付き合いの長い龍成だけは、苦笑いを浮かべている。
 伊織は肩を竦めた。
 伊織のフェロモンはアルファを惹き付けない。しかしベータ相手では、自分の性を打ち明ける覚悟ができない。
 そんな自分が誰かの恋人になるというのは想像以上に難易度が高い。伊織は常々そう思っていた。

「まじで意外なんだけど。え、好きな人は? いねえの?」
「好きな人かあ」

 伊織は緩く首を傾けて、暫し考え込む。
 好きな人。今まで考えたこともなかった。
 伊織には初恋という感覚がない。例えば保育士の先生だとか、小学校の時隣の席だった子だとか。そういうものが伊織にはなかった。
 ふと気になって、隣を見遣った。
 涼しげな瞳を僅かに細めながら、環が興味深そうに伊織を見つめている。
 再び心臓が脈打つのを感じた。体の底から熱が上がっていくような感覚がする。
 伊織はぎこちなく視線を逸らす。

「……今はいないかな」
「えー、なんだ。つまんねえの」
「失礼なやつだな」
「じゃあ龍ちゃん……は、当然いないとして……皆恋愛しようぜ! 俺はもっと甘酸っぱい話がしたいんだって!」
「お前、今度こそまじで絞めるぞ」
「ちなみに、今はそういうのもセクハラになるらしいから気を付けろよ」
「恋バナもできねえとか、なんて生き辛い世の中!」

 三人の掛け合いを聞き流しながら、伊織は渇いた唇を潤すように氷で薄まった炭酸を流し込む。
 ストローでグラスの残りを吸い込んだ後に、先程のことを思い出してしまった。ぐう、と伊織の喉の奥が小さく唸った。

 好きな人。恋しいと想う人。伊織には、そういう人ができた経験がない。

 ──────早月のこと、どう思ってんの?

 何故か伊織の頭の中で、先程の龍成の言葉が反響していた。
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