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高校生編
遠花火③
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今夜の祭りの大トリは打ち上げ花火だ。
時間に近づくにつれて、周りの人も一層増えてきたように思える。
人の波に揉まれながら歩いているうちに気付けば、伊織と環は二人とはぐれてしまっていた。
「合流できんのか? これ」
「どうだろう……スマホも全然使えないや」
皆が使っているせいか、メッセージの送信ができない。背の高い環がぐるりと辺りを見渡しても、二人の姿は見つけられないようだった。
「ま、いいか。どうせ二人は一緒だろうし」
早々に合流を諦めた二人は、人混みを避けるように脇道に入った。
道の端っこに、運営側が設置したであろうゴミ箱が、中身が溢れ出すギリギリの体勢で立っている。
「花火、こっからでも見れそうだな」
「確かに。木がちょっと邪魔かもだけど、全然許容範囲内だね」
当初は花火がよく見えるという開けた場所で見る予定だったが、芋の子を洗うようになるのは目に見えている。二人は妥協を選んだ。
伊織はスマホの画面に目を落とす。下に引っ張って更新しても、メッセージは未送信のままだ。堪らずため息をこぼすと、環が伊織の顔を覗き込んだ。
「もしかして体調悪い?」
「えっ、なんで?」
「さっきから険しい顔してる。少しだけど」
伊織はぎくりとした。
多少人酔いはしたかもしれないが、体調は悪くない。顔つきが険しいとすれば、別の理由だろう。
あのぼてっとしたフォルムのペンギンのせいだ。そのペンギンのついでみたいで、嫌だと思ったのだ。
しかし、そんな子どもじみたことを言えるわけがない。返事に困っていると、環の唇が動いた。
環が何か言葉を発する前に──────聞き慣れない高音がそれを遮ってしまった。
「あの~、すみません。お兄さんたち、今休憩中ですか?」
「よかったら、私たちと一緒に花火見ません? 穴場知ってるんで~」
強制的に視界に入ってくる浴衣姿の女性が二人。アルコールと香水の香りが混じり合って、伊織は僅かに顔を顰めた。
ハイトーンの髪を結い上げた女性たちは、やはり揃って環を見上げている。二人とも愛想の良い笑顔を浮かべて、瞳をうっとりと揺らしていた。
一方の環は分かりやすく表情を削ぎ落とす。
流石の伊織も慣れた。環といると、結構な確率で起きるイベントである。
代わりに伊織がやんわりと断りの言葉を口にする。
「すみません、そういうのはちょっと……おふたりで楽しんでください」
しかし、女性の一人が尖った目で伊織を睨み付けた。敵を見るようなその目に一瞬怯んでしまうが、その細い首に映えるタイトな首飾りに、伊織は彼女たちの意図を理解する。
オメガにとってうなじは一番重要な体の部位だ。性行為の際にうなじを噛んだアルファに、オメガは生涯縛られることになる。
そのうなじを隠すチョーカーはオメガにとって防御装具でもあったが、同時にオメガであるということを周りに知らしめる道具にもなる。
今は肌色に近く目立ちにくいものも販売されている。
だから発情期でもないのに、敢えて目立つチョーカーを身に着けるという行為は、誘惑していると受け取ることができるのだ。もちろん、相手が本当にオメガであるかは別問題である。
「お兄さんはどうなんです? ほらぁ、こういうのって大人数で見た方が楽しいじゃないですか~。盛り上がるし!」
「絶対そうですよ!」
チョーカーの女性は笑顔を作り直して、環に一歩近寄る。もう一人は合いの手を入れるだけなので、援護射撃のつもりなのかもしれない。
環は視線の温度をぐっと下げた。真夏だというのに、冷ややかな空気を纏っている。
こういう時の環は、恐ろしいほど無表情だ。
美形の真顔って怖い。
伊織は絡まれる度に、つくづくそう思う。
「いや、二人で見るんで大丈夫です」
「ええ、でも~」
「迷惑なんでやめてください」
尚も粘ろうとした女性を、環はぴしゃりと跳ね除けた。
女性は一歩後ろに体を引くと、鼻を鳴らして環を睨んだ。先程までの愛嬌はどこへやら、高圧的な素顔が現れる。
「ちょっと顔がいいからって、調子乗ってんじゃないわよ」
「も~ほんと冷める! 行こ行こ」
ありきたりな捨て台詞だが、伊織には聞き捨てならなかった。
「ちょっとどころじゃないでしょうが。この人はおったまげるほど顔がいいんですけど……!」
浴衣とは思えない速さで立ち去っていく女性たちの背中に言い放つ。
彼女たちが人混みに紛れて見えなくなると、環が堪えきれないと言った様子で小さく噴き出した。
「……おったまげるって何?」
「と、咄嗟に出てきたのがそれで……」
「ははっ、ほんと浅葱ってわかんねえや」
恥ずかしそうに伊織が肩を竦める。
環は頬を緩めたまま、その手を伊織の頭に置いた。ぽん、と軽く撫でられて瞠目する。
「ほんとに具合は悪くないのか?」
「あ……うん、大丈夫だよ」
「ならいいけど」
「心配しすぎだよ」
「だって、浅葱って気遣って無理するタイプだろ」
環の言う通り、伊織は少々周りを気にしすぎるところがあった。
それに気付かれていたことと、子どものように頭を撫でられていることに、伊織の頬がほのかに赤らむ。
環は目元を和らげて、最後にぐしゃりと髪を掻き混ぜて手を離した。
「わっ! ……もう、折角ちゃんとしてきたのに」
「はいはい、ごめんな」
「思ってないやつじゃん」
伊織が渋い顔をすると、環は自分が乱した髪を整えてやる。その表情筋は緩んでいて、伊織は呆れたようにため息を吐いた。
ドン、と頭上で大きな音が響く。
次いで人々の歓声が聞こえて、伊織たちは同時に空を見上げた。
「こっからでも結構見えんじゃん」
「だね。すごい、きれい」
多少形は歪んでいるし、視界に入り込む木が邪魔をしているが、その華々しさはしっかりと見てとれて、十分なくらいだった。
紅色から金色まで、雲ひとつない夏の夜空を大輪の花が彩っていく。
二人だけではなく、誰もが空を見上げて、その煌びやかな様に魅入っていた。
伊織は何気なく花火から視線を外して、隣を見遣る。
環の瞳の中に鮮やかな光が反射して、その横顔にくっきりとした陰を作っている。普段はさほど印象はないが、横から見ると、改めてすっきりと高い鼻をしているのだと気付かされた。
伊織の頭の中に、陳腐な言葉が浮かんだ。
今までドラマやなんかでよく耳にするようなありきたりな口説き文句を笑っていたけれど、反省する必要があるだろう。
環に悟られる前に、伊織は再び花火に視線を戻す。ラストに向けて次々と花開く色彩は、先程よりも地味に映っていた。
全ての花火が打ち上がり、周囲がざわつきを取り戻す。最後の客入れに精を出すところもあれば、店じまいを始めているところもあった。
龍成からのメッセージが届いた。見れば、伊織のメッセージも今頃送信できたようである。
「会えなさそうだし、このまま解散だって」
「まあ、そうなるよな。……お、花火の動画じゃん」
「本当だ、すごい綺麗に撮れてる」
優斗からグループに送られてきた動画を見る。画面の中では、伊織たちが見たよりも形が整った花火が次々と打ち上がっていた。
二人は当初の予定通り花火がよく見えるエリアまで行ったのだろう。
暫く動画を見ていると、唐突に環が小さく笑った。
怪訝に思った伊織が、スマホから顔を上げる。
「どうしたの?」
「いや、……ふっ、花火見てる時、浅葱の口開いてたなって思い出してた」
「えっ」
「ちいさい子みたいな顔して見てんの。なんか可愛くて」
微笑ましげな視線を向けられて、じわじわと顔が熱を持っていく。
ほとんど無意識だった。もう高校生なのに、我を忘れて花火に夢中になっていると思われている。あまりにも恥ずかしい。
「そんなに俺のこと見てたの?」
湧き上がる羞恥を誤魔化すように、伊織は少々素っ気なく言い返した。
しかし、環はどこかあどけない微笑みを浮かべる。
「ああ、見てた」
恥ずかしげもなくそう言われて、やり返したはずだった伊織の唇から呻き声が洩れる。
間違いなく、伊織の完敗だった。
時間に近づくにつれて、周りの人も一層増えてきたように思える。
人の波に揉まれながら歩いているうちに気付けば、伊織と環は二人とはぐれてしまっていた。
「合流できんのか? これ」
「どうだろう……スマホも全然使えないや」
皆が使っているせいか、メッセージの送信ができない。背の高い環がぐるりと辺りを見渡しても、二人の姿は見つけられないようだった。
「ま、いいか。どうせ二人は一緒だろうし」
早々に合流を諦めた二人は、人混みを避けるように脇道に入った。
道の端っこに、運営側が設置したであろうゴミ箱が、中身が溢れ出すギリギリの体勢で立っている。
「花火、こっからでも見れそうだな」
「確かに。木がちょっと邪魔かもだけど、全然許容範囲内だね」
当初は花火がよく見えるという開けた場所で見る予定だったが、芋の子を洗うようになるのは目に見えている。二人は妥協を選んだ。
伊織はスマホの画面に目を落とす。下に引っ張って更新しても、メッセージは未送信のままだ。堪らずため息をこぼすと、環が伊織の顔を覗き込んだ。
「もしかして体調悪い?」
「えっ、なんで?」
「さっきから険しい顔してる。少しだけど」
伊織はぎくりとした。
多少人酔いはしたかもしれないが、体調は悪くない。顔つきが険しいとすれば、別の理由だろう。
あのぼてっとしたフォルムのペンギンのせいだ。そのペンギンのついでみたいで、嫌だと思ったのだ。
しかし、そんな子どもじみたことを言えるわけがない。返事に困っていると、環の唇が動いた。
環が何か言葉を発する前に──────聞き慣れない高音がそれを遮ってしまった。
「あの~、すみません。お兄さんたち、今休憩中ですか?」
「よかったら、私たちと一緒に花火見ません? 穴場知ってるんで~」
強制的に視界に入ってくる浴衣姿の女性が二人。アルコールと香水の香りが混じり合って、伊織は僅かに顔を顰めた。
ハイトーンの髪を結い上げた女性たちは、やはり揃って環を見上げている。二人とも愛想の良い笑顔を浮かべて、瞳をうっとりと揺らしていた。
一方の環は分かりやすく表情を削ぎ落とす。
流石の伊織も慣れた。環といると、結構な確率で起きるイベントである。
代わりに伊織がやんわりと断りの言葉を口にする。
「すみません、そういうのはちょっと……おふたりで楽しんでください」
しかし、女性の一人が尖った目で伊織を睨み付けた。敵を見るようなその目に一瞬怯んでしまうが、その細い首に映えるタイトな首飾りに、伊織は彼女たちの意図を理解する。
オメガにとってうなじは一番重要な体の部位だ。性行為の際にうなじを噛んだアルファに、オメガは生涯縛られることになる。
そのうなじを隠すチョーカーはオメガにとって防御装具でもあったが、同時にオメガであるということを周りに知らしめる道具にもなる。
今は肌色に近く目立ちにくいものも販売されている。
だから発情期でもないのに、敢えて目立つチョーカーを身に着けるという行為は、誘惑していると受け取ることができるのだ。もちろん、相手が本当にオメガであるかは別問題である。
「お兄さんはどうなんです? ほらぁ、こういうのって大人数で見た方が楽しいじゃないですか~。盛り上がるし!」
「絶対そうですよ!」
チョーカーの女性は笑顔を作り直して、環に一歩近寄る。もう一人は合いの手を入れるだけなので、援護射撃のつもりなのかもしれない。
環は視線の温度をぐっと下げた。真夏だというのに、冷ややかな空気を纏っている。
こういう時の環は、恐ろしいほど無表情だ。
美形の真顔って怖い。
伊織は絡まれる度に、つくづくそう思う。
「いや、二人で見るんで大丈夫です」
「ええ、でも~」
「迷惑なんでやめてください」
尚も粘ろうとした女性を、環はぴしゃりと跳ね除けた。
女性は一歩後ろに体を引くと、鼻を鳴らして環を睨んだ。先程までの愛嬌はどこへやら、高圧的な素顔が現れる。
「ちょっと顔がいいからって、調子乗ってんじゃないわよ」
「も~ほんと冷める! 行こ行こ」
ありきたりな捨て台詞だが、伊織には聞き捨てならなかった。
「ちょっとどころじゃないでしょうが。この人はおったまげるほど顔がいいんですけど……!」
浴衣とは思えない速さで立ち去っていく女性たちの背中に言い放つ。
彼女たちが人混みに紛れて見えなくなると、環が堪えきれないと言った様子で小さく噴き出した。
「……おったまげるって何?」
「と、咄嗟に出てきたのがそれで……」
「ははっ、ほんと浅葱ってわかんねえや」
恥ずかしそうに伊織が肩を竦める。
環は頬を緩めたまま、その手を伊織の頭に置いた。ぽん、と軽く撫でられて瞠目する。
「ほんとに具合は悪くないのか?」
「あ……うん、大丈夫だよ」
「ならいいけど」
「心配しすぎだよ」
「だって、浅葱って気遣って無理するタイプだろ」
環の言う通り、伊織は少々周りを気にしすぎるところがあった。
それに気付かれていたことと、子どものように頭を撫でられていることに、伊織の頬がほのかに赤らむ。
環は目元を和らげて、最後にぐしゃりと髪を掻き混ぜて手を離した。
「わっ! ……もう、折角ちゃんとしてきたのに」
「はいはい、ごめんな」
「思ってないやつじゃん」
伊織が渋い顔をすると、環は自分が乱した髪を整えてやる。その表情筋は緩んでいて、伊織は呆れたようにため息を吐いた。
ドン、と頭上で大きな音が響く。
次いで人々の歓声が聞こえて、伊織たちは同時に空を見上げた。
「こっからでも結構見えんじゃん」
「だね。すごい、きれい」
多少形は歪んでいるし、視界に入り込む木が邪魔をしているが、その華々しさはしっかりと見てとれて、十分なくらいだった。
紅色から金色まで、雲ひとつない夏の夜空を大輪の花が彩っていく。
二人だけではなく、誰もが空を見上げて、その煌びやかな様に魅入っていた。
伊織は何気なく花火から視線を外して、隣を見遣る。
環の瞳の中に鮮やかな光が反射して、その横顔にくっきりとした陰を作っている。普段はさほど印象はないが、横から見ると、改めてすっきりと高い鼻をしているのだと気付かされた。
伊織の頭の中に、陳腐な言葉が浮かんだ。
今までドラマやなんかでよく耳にするようなありきたりな口説き文句を笑っていたけれど、反省する必要があるだろう。
環に悟られる前に、伊織は再び花火に視線を戻す。ラストに向けて次々と花開く色彩は、先程よりも地味に映っていた。
全ての花火が打ち上がり、周囲がざわつきを取り戻す。最後の客入れに精を出すところもあれば、店じまいを始めているところもあった。
龍成からのメッセージが届いた。見れば、伊織のメッセージも今頃送信できたようである。
「会えなさそうだし、このまま解散だって」
「まあ、そうなるよな。……お、花火の動画じゃん」
「本当だ、すごい綺麗に撮れてる」
優斗からグループに送られてきた動画を見る。画面の中では、伊織たちが見たよりも形が整った花火が次々と打ち上がっていた。
二人は当初の予定通り花火がよく見えるエリアまで行ったのだろう。
暫く動画を見ていると、唐突に環が小さく笑った。
怪訝に思った伊織が、スマホから顔を上げる。
「どうしたの?」
「いや、……ふっ、花火見てる時、浅葱の口開いてたなって思い出してた」
「えっ」
「ちいさい子みたいな顔して見てんの。なんか可愛くて」
微笑ましげな視線を向けられて、じわじわと顔が熱を持っていく。
ほとんど無意識だった。もう高校生なのに、我を忘れて花火に夢中になっていると思われている。あまりにも恥ずかしい。
「そんなに俺のこと見てたの?」
湧き上がる羞恥を誤魔化すように、伊織は少々素っ気なく言い返した。
しかし、環はどこかあどけない微笑みを浮かべる。
「ああ、見てた」
恥ずかしげもなくそう言われて、やり返したはずだった伊織の唇から呻き声が洩れる。
間違いなく、伊織の完敗だった。
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