さみだれの初恋が晴れるまで

める太

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高校生編

初めてのアルファ③

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 伊織が環と初めて会話をしたのは始業式の翌日の昼休みだった。
 誰と仲良くなるか、どのグループに入るかで、一年の過ごしやすさが決まる。四月の教室は生徒たちが浮ついていて、どこか落ち着きがない。
 伊織は友人が多い方ではないものの、その場に馴染むことには長けている。それゆえに普段はさほど気にはしていないのだが、今年はその空気を肌で感じていた。

 原因は間違いなく環である。
 誰もが話しかけたいと思いながらもできずにいたところを、龍成と優斗が軽々と超えていき、そして伊織も自然と環と言葉を交わしていた。

 相性は悪くないと思いつつ、まだ知り合って日も浅い。
 その状態でいきなり二人で出掛けるというのは、伊織にとってはそこそこのハードルだった。話題が尽きてしまったらどうしよう、なんて少々不安に思いもしたが、それも杞憂に終わりそうである。

「はー……笑うの我慢しすぎて頬痛いんだけど」
「俺なんか耐えれなくて、ちょっと声出ちゃった」

 環が両頬を押さえているのを見ながら、伊織は涙で乾いた目尻を擦る。
 二人は映画の後、少し遅めの昼食として、ハンバーガーが売りのファストフード店を選んだ。店員は環に熱のこもった視線を投げかけていたが、注文は間違えずに取ってくれたようだ。
 隅っこの席を確保した二人は、注文したものに手を付けないまま映画の余韻のままに感想を言い合って、ようやく落ち着いたところだった。
 斜めの席に陣取った女子高生たちが、環と伊織の方を見ながら何やら楽しげに話している。
 無遠慮な視線を尻目に、ハンバーガーよりも先にドリンクのストローに口をつけて、興奮から乾いた喉を潤した。
 今回の作品はシリアスよりもコメディ色強めのスパイアクション。小粋なジョークとユーモアと、そして派手な爆発がたっぷり詰まった作品は、見事に伊織と環のツボに入った。

「あ、銃弾の代わりにソーセージ詰め込むシーン?」
「うん。うるさかった?」
「全然。まず自分も笑い抑えんのに必死だし、他の客もそんな感じだったろ」
「……そういえば、土曜なのにガラ空きだったね」
「まあ、知名度はあんまりだから……あんなに面白いのにな」

 冷めたポテトを摘みながら環がぼやく。ハンバーガーの包み紙を剥きながら、伊織も強く頷いて同調した。
 映画の最中は空腹を感じなかったが、いざ口にするとそれなりに胃袋が空っぽだったことを思い知る。購入してから時間を置いたためにパティもやや冷めているが、それでも十分美味しかった。
 肉汁と気持ち程度に入ったレタスを咀嚼しながら、伊織は視線を目の前の環に向ける。
 少しだけ驚いた。
 環がぱっくりと開いた口がハンバーガーにかぶりつく。その麗しい顔立ちには意外な豪快さではあるが、見ていて不快な類ではない。いい食べっぷり、というやつだろう。
 じっと見つめていると、環と視線がかち合う。くっきりとした喉仏が上下して、環は僅かに首を傾げた。

「浅葱?」
「あっ、なんでもない……それ、新作?」
「そう。ずっと気になってたんだよな」

 環が選んだのは甘辛いてりやきソースの辛さを増したという、期間限定のハンバーガーだった。
 対する伊織はスタンダードなビーフのハンバーガー。セットにしても、これが一番良心的な価格だった。

「早月がこういうのを食べてるのって、ちょっと意外かも」
「マジで? 逆に浅葱から見た俺は、普段から何を食ってそうに見えんの?」
「……たくさん小鉢のある、和食?」
「ジャンクの対極じゃん」
「だってそう見えるんだよ。スタイルもいいし、肌も綺麗だし……」
「何、急に。今度は褒めてくれてんの? わかんねえな、浅葱って」

 環はそう笑って、再びハンバーガーに食らいついた。伊織より一口が大きい。すぐに食べ終えてしまいそうだ。
 そんなことを思っていると、環の唇の端に目がいった。伊織はセルフで持ってきたテーブルナプキンを手に取った。そしてそのまま、環の方へと手を伸ばす。

「ん、」
「ついてるよ」

 伊織は口元を緩めながら手にしたそれで、そっと環の唇の端っこを拭う。はみ出たてりやきソースが少しついていた。
 ぱちぱちと環の長いまつ毛が瞬いた。いつもは涼しげな瞳が丸くなり、少し幼く見える。
 その表情を見て、伊織ははっとなった。言葉にすれば良かったものを、つい先に手が動いてしまったのだ。

「ご、ごめん。たまに従姉妹の面倒を見てるから、癖で……」

 口にした言葉はどう聞いても言い訳じみていて、恥ずかしさから伊織の頬がほんのりと赤らむ。
 そんな伊織の態度に環が小さく噴き出した。

「ふはっ、なんで浅葱が恥ずかしがってんの? 普通俺じゃない?」
「そうかな……?」
「そうだよ。ありがとな。……あー、でもこれ、後からじわじわくるわ」

 呟いた環の耳が赤い。それが何だか可愛らしいと思えてしまった。
 伊織は視線を泳がせながら、ストローに口をつける。氷で薄まった炭酸でも、少し火照った体には快かった。
 ふいに、環の唇から微かな笑みが零れた。

「……ふっ」
「え、何? どうしたの?」
「いや、なんか新鮮で。どっちかっていうといつも俺は浅葱側だから」

 伊織はテーブルナプキンを畳んでトレイの上に置いた。
 箸休めのように、ポテトを摘む。細長くて少しくたびれてるくらいのものが好きだった。

「俺の幼馴染、すっごい抜けてて。昔から俺がお世話係しててさ」
「それは……目に浮かぶ気がする」

 それは伊織が抱いている環のイメージとおおむね相違ない。
 環に幼馴染がいるのは聞いたことがあった。会ったことはない。確か別のクラスだったはずだ。

「現実でゆで卵を電子レンジに入れるやつなんていないと思うじゃん」
「うん。……あ、まさか」
「そのまさか。あと、お菓子くれる大人に着いてくタイプ」
「そ、それは結構な……」
「やばいだろ。マジで世話が焼けんの。でもまあ……手のかかる子はなんだかんだ可愛いんだけどな」

 環が残りのハンバーガーを口にするのを、伊織はぼんやりと眺める。
 この場にいない幼馴染のことを語る環の表情はいつもより柔らかく、少し甘いような気がした。
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