ベータくんはつがいになれない

める太

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運命にはなれない

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 担当している新商品の企画も、ようやく先の見通しがついた。一時はどうなることかと思ったが、順当にいけば年明けには正式な決定が下るだろう。
 休憩中にそう話した穂高を、大黒がサシ飲みに誘ったのはつい月曜日のことだった。

「お疲れお疲れ。大変だったなあ」
「今回はなあ……営業にも結構迷惑かけたよ。ありがとう」
「どういたしまして。まあ担当が布木だから、俺はあんまり心配してなかったけどな~」

 同期と大勢で飲むことはあるが、穂高が二人で行くのは大黒と、あと巳影くらいである。
 そんな巳影も最近は忙しいのか、あまりプライベートでは顔を合わせていない。中身の三分の一ほどを一気に流し込んだレモンサワーのグラスをテーブルに置いて、穂高は小さく息を吐く。
 結局大黒が言っていたオメガとのことを巳影に聞けないまま、一ヶ月が経ってしまった。

「最近……」
「ん? 何?」

 軟骨の唐揚げを箸で摘みながら、向かい側の大黒が首を傾げた。
 穂高は躊躇うように一度口を閉じた。 
 大黒は巳影のその後のことを知っているのだろうか。大黒は他人の色恋に首を突っ込みたがるところがあるから、巳影を質問責めにでもして聞き出しているかもしれない。
 しかし、やはり尋ねることは憚られて、穂高は違う話題を振った。

「……保育士の子とはどうなの?」
「おー、めっちゃ順調だよ。毎日連絡してるし、毎秒可愛い」
「付き合って一ヶ月くらい? 今がいちばん楽しい時期だよな」
「ずっとだわバカ」

 大黒は嬉しそうに目を細めて笑った。口ではからかいつつも、そんな大黒を見て穂高の心も暖かくなる。こうやって心の底から言い切って、相手を真面目に愛することができる大黒は、紛うことなき良い男だと思っている。

「良かったじゃないか。大事にしなよ」
「当たり前だろ。なんだ、布木もついに恋人を探す気になったか?」
「まったく……なんでそうなるんだよ」
「別れてから結構経つじゃん。そろそろ次行くのも良いんじゃねえの?」

 自然な流れで話題が自分に移ってしまい、穂高は眉を顰めた。
 大黒の言う通り、穂高が前の恋人と別れてから半年ほど経っている。相手は丁度一年前に、別の同期に連れて行かれた相席屋で知り合った、歳下の女性。
 告白してきたのは向こうから。そして、付き合って半年の記念日の直前に、穂高に別れを告げたのも向こうだった。

「まだ未練があるとか?」
「いや、それは全然。無い」
「だよなー。布木ってそういうとこある」
「そういうとこって?」
「んー、あっさりっつうか、淡白っつうの? そんな感じ」

 早々に生ビールのジョッキを空にした大黒が、タブレットを見ながら言う。穂高は言葉に詰まってしまった。
 巳影に長いこと恋慕している穂高は、時折、自分の恋心が消えていることを願うかのように、別の人と関係を持っていた。誰彼構わずではない。ほんの少しでも、良いなと思えばその好意を受け入れた。
 悪いことをしている自覚はある。だから相手をいっとう宝物のように扱って、柔らかな愛情を注ぐ。
 しかし時間が経つと向こうも穂高の本質に気付くのだろう。ふられるときの常套句は、優しすぎて辛い、だった。

「執着とか嫉妬とかしたことないだろ~」
「まあ……」

 図星をつかれた穂高は気まずい気持ちに陥りながら頷いた。
 穂高は付き合った相手にはとことん優しい。喧嘩だってしたことはないし、束縛もしない。包容力の塊のような理想の男になれる。

「案外、本命がいたりして」
「はは……そんなことないよ」

 穂高が必死に覆い隠している心のやわいところを、まるで見透かしてくるような大黒の視線が怖い。
 穂高は誤魔化すように笑顔を浮かべたが、上手く笑えているかは分からなかった。

「お待たせしましたー」

 大黒が何かを言う前に、二人の席に店員がやってきた。追加の生ビールと、大黒が頼んだらしい焼き鳥の盛り合わせがテーブルに並ぶ。

「おっ、ぼんじりある。俺これもらうから、布木はささみ食えば?」
「あ、ああ……そうしようかな」

 促されるまま、穂高は串を摘む。幸いにも、大黒はそれ以上のことを尋ねてくることはなかった。

「ここ案外良かったな~。来月の同期の忘年会、場所決まってないからここにするか」
「いいんじゃない? 少し駅から遠いけど、値段の割に美味しかったし」

 赤い顔をした大黒に、同じく赤い顔をした穂高が同意する。
 腹が膨れるほど食べて飲んだ割には、財布に良心的な価格で済んだ。店は繁華街の一画にあり、同期の中には二次会に行きたがる者もちらほらいるので結構良い選択だろう。

「じゃあ飲み放題で予約しとくわ」
「いつも幹事お疲れ様」
「好きでやってるからいいんだよ」

 同期での飲み会の八割は大黒が主導だ。皆で賑やかに過ごすのが好きな男であるから、本人も苦なくやっているのだろうが、穂高はそういうのが苦手な質なので有難いことである。

 穂高としては歩いて帰れない距離ではなかったが、大黒はそうでもないので、一駅分だけ電車に乗ることにした。
 大黒の惚気話や仕事の愚痴に相槌を打って、時折聞き流しながら駅までの道を歩く。
 金曜の夜だ。街はどこも騒がしいし、駅前なら尚更だ。
 ぼんやりと周囲を眺めていた穂高は、見慣れた顔を見つけて視線を一点に留めた。

「それでさ~……布木?」
「あれ」
「ん? ……って、北條じゃん。今日誘ったんだけど先客あるからって断られたんだよなー」
「へえ、そうだったんだ」

 二人から少し離れたベンチに座って、スマホを見ている。黒のチェスターコートにグレーのマフラーという格好がスマートだった。
 声でも掛けようと大黒が一歩踏み出した途端、ふっと巳影が視線を上げて立ち上がった。

「あっ」

 巳影の視線は穂高と大黒の方にはない。二人に気づいたわけではないようだった。大黒は足を止めた。
 巳影の視線の先にいたのは、穂高の知らない青年だった。遠目で見ても、巳影に並んでも遜色ない綺麗な美青年だと分かる。そして次の瞬間、穂高は視界に捉えた光景に固まった。
 駆け寄ってくるその人に、巳影が笑いかけたのだ。穂高が好きなその笑顔で。驚愕する暇もなく、その人がごく自然な流れで巳影の腕に自分の腕を絡めた。
 二人がどこかへ歩き出すのが、スローモーションのようにみえる。
 まるで、恋人のようだと思ってしまった。

「ああ、あの人だよ」

 愕然とする穂高の隣で、大黒が追い打ちをかけた。

「北條が合コンの時に会ったオメガの人。あれから付き合ってんのか」

 穂高は足元の地面が崩れ落ちていくような感覚に陥った。
 ああ、確かに、目を凝らせば首元に何かしている気がする。
 そんなことより、頭の中がぐるぐるして、腹の奥が気持ち悪い。
 穂高は口元を抑えた。ぐらつく地面を踏み締めて耐える。
 二人の姿は人混みに紛れて、あっという間に見えなくなった。巳影に声をかけそびれた大黒が呟く。

「やっぱさあ、アルファってオメガに惹かれるもんなんだな」
「え……」
「あんなこと言ってた北條でさえ、ああなるんだぜ」

 穂高は今、友人によって現実を突きつけられていた。
 無邪気に、容赦なく、何度も棘で傷ついた部分を抉られている。心が悲鳴を上げている。それ以上、何も言わないでくれ。
 しかし大黒には、傷を付けている意識は毛頭ないのだ。

「それにつがいだとか、運命だとか、いいよなー。なんかロマンチックでさ」
「そう、だね」

 大黒の言いぶりには羨望が滲んでいた。身体中に巡ったアルコールのせいか、少々感傷的になっているらしい。大黒もまた、穂高と同じベータ性なのだ。
 カラカラに乾いた喉から絞り出した声は掠れている。酔いはとっくに醒めていた。

「まあ、俺らみたいなベータには関係ない話だけど」

 何の悪気もなくとどめを刺すと、大黒は軽快に笑ってみせた。

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